物語の始まり
入学を七日前に控えた夜、僕は故郷最後の冒険をしてみたくなった。
家の裏には山があり、整備されてないが、さすがに問題ないだろう。
その程度でへばるなら、自分で自分を殴ろう。
弱すぎるって。
バレたらどうする。一応伝えてから行こう。
最後くらい、わがままを許してください。
「晴れているね……母様、少し散歩してきます」
「ハレファス? 護衛はつけなくていいの?」
「大丈夫ですよ、母様。少し外の空気を吸うだけですので、すぐ戻ります」
「わかったわ。まあ、ハレファスのことだし、大丈夫だと思うけど。
気をつけてね。」
「はい。」
母から許可を得た。
日頃の行いというのはこういう時に出る。
僕じゃなきゃ、夜遅く、子供を1人外に出すなど、それも公爵家の嫡男を出すなどありえないだろう。
屋敷を出る。
今日は満月。山道を歩き、どんどん上へ登っていく。
内陸部であるため土は乾燥していて、あまり栄養は感じられない。
農家の人達は苦労しているだろう。
痩せた土地での作物生産量を上げる研究も学園では並立して行おう。
この木……弟、ミーシャと遊んだ木。
懐かしい、この辺りは木が多く、引火すると危ないと、火魔術はあまり練習出来なかった。
まあ、直ぐに僕は医者の勉強をしなくちゃならなくなり、弟とはあまり遊べなかったが、その数回を鮮明に覚えている。
***
不思議だ。
登り始める時に霧なんてなかった。
それは確認済みだ。
風も吹いていない。流れてきた訳では無い。
気温も高めだ。少し汗ばむ程度には。
天候が変わるにしても、いきなり数cm先も見えないほどの濃霧になるなど考えられない。
異常だ。
そんなことできるのは魔術くらい。どうやら誰か、魔術で濃霧を起こしたらしい。
狙いは僕以外ありえない。
仕方ない、直々に叩き潰してやろう。
誰に喧嘩を売っているのか、その身に軽く叩き込め。
風魔術の詠唱を始める。
「風の精霊よ、空気の歪みを生み出し、大いなる旋風を巻き起こせ、ウィンドスラッシュ!」
ビュー!っと力強い風が吹き、一気に濃霧が消し飛ぶ。
姿を見せ次第一撃で仕留めるため、土魔術も準備する。
「土の精霊よ、岩塊を作りし鍛冶の精霊よ、この時この場に………ん?」
周囲を見渡す。
まず、誰もいない。
あれだけ濃い霧を発生させたのだ。
大人数でもおかしくない。
もしかして、既に僕はおかしくなっているのか?
幻覚を見ていた? いや、そんな精神状態でもない。
ならなんだ。
もう一度周囲を見渡すもやはり誰もいない。
月も蜘蛛に隠れ完全に真っ暗だ。
魔術で辺りを照らそうかとも考えたが、誰もいないと決まった訳では無い。
無為に姿を晒す必要はない。
少し歩くと、厳かに建つ1つの屋敷があった。
全体がレンガで作られ、ところどころツルが絡まっている。
非常に年季の入った、怪しげな家。
中から魔女が飛び出してきて、「誰だいあんた。ここは小僧が来る場所じゃないよ。さっさと帰りな」なんて言い出しそうな。
少し不気味に思うと同時に、好奇心から、その屋敷を尋ねることにした。
まあ、誰も居ないだろうし、魔女だろうが誰だろうが負ける気がしなかったからでもある。
こんなところに屋敷があるなんて聞いたことがない。
父様も母様も、お爺様たちでさえ話したことの無い場所。
あえて話さなかったという線も考えられるが、あの人たちが現実を教え忘れるわけがない。
未知の世界。
入る以外の選択肢等無かった。
***
屋敷はシンプルだった。
内装はなく、ただ建っていただけだった。
と、普通の人なら思うだろう。
この屋敷には、いくつものヒントが隠されているようだ。
それも、隅々まで詳しく調べなくては分からないような。
普通なら、ひとつでも見つからないような。
全ての部屋に共通してある小さな傷
部屋の大きさを全て同じ比率にした時、その傷のある場所を繋げると、矢印が生まれる。
こんなことに気づくのは、普段から星を眺めながら形をオリジナルに作るハレファスくらいだろう。
その矢印を、屋敷の地形と繋ぎ合わせると、どうやら地下室があるらしい。
何も無い屋敷に本当に何も無いのか。
屋敷に来てから自身の時計は一刻も動いていない。
まるで、自分だけが現実世界から爪弾きにされたように。
別の世界に隔離されたように。
屋敷の中は多分、この世では無いんだろうなと、ハレファスは感じていた。
長居するのも良くないと、薄々気が付き出していた。
しかし、それでも、
ハレファスの好奇心はまさに最高潮だった。
この先に何かある。
見つけたい。調べた。調べて教えたい。
ちょっとした経緯で始めた冒険が、1つの謎を解明する瞬間が、今か今かと近づいてくる。
ここから変えれば、異界から帰還した第1号になれる。
変な汗をかいているな。
そう思いながらも地下室へと続く階段があると思われる場所を、土魔術でこじ開ける。
「土の精霊よ、我が願いを聞き届け、かの者に大自然の恐怖をしらしめよ! フォールストーン!」
大岩が勢いよく地面にめり込み、バガーンと大きな音をたて、吸い込まれていく。
床はメキメキと音をたて潰れ、地下への道を示していた。
心臓が跳ね上がる。
数あるミステリー小説を読んできたハレファスには分かる。
この先には、必ず何かある。
どの小説も、謎解きの先には刺激が待っている。
「小さな灯火よ、暗闇を照らしし光の炎を焚き付けろ フレア」
手のひらサイズの火球を出し中を照らす。
突然冷静になり、建物をこんなにド派手に破壊してよかったのか心配になる。
しかし、もう引き戻せないかとも思い、歩みを進めた。
***
「嘘……だろ」
僕はあまりの様子にそう漏らした。
自分の発言を耳にすると、段々と鮮明に情報が入ってくる。
次から次へと事実を含んだ言葉が出てくる。
「ない、ない。
なんだよこれ。
何も無い……のか…………」
今までの興奮が一気に冷める。
おもちゃを取り上げられた気分だ。
上げて落とすタイプの屋敷だったのだ。
ここまで来て、何もなし………。
刀のひとつもない。
魔術の本もない。
日記等の私物すらない。
腰から滑り落ちる。
「僕の……冒険……」
ハレファスは思い出した。
ここはこの世だ。現実だ。
少し現実離れした、現実だ。
つまり、糞だ。
少年時代を全て勉強に費やしたハレファス。
最後の思い出作りのつもりが、ただ建物を壊しただけになってしまった。
幼少期のイタズラが器物損壊、住居不法侵入、窃盗未遂、殺人未遂になるなんて。
屋敷も心も体も被害甚大。
復興は困難。もはやトラウマだ。嫌がらせの域を遥かに超えている。
「帰ろう……」
すっかり意気消沈してしまい、先程までの希望は粉々に粉砕された。
今回のは相当に重い。
今回散り散りになった希望の欠片を集めるのにどれだけ時間を費やすだろう。
どうせ僕は、1つの夢も作れず、貴族社会の歯車になるんだ。
親の見つけてきた女と結婚して、貴族の世話をせっせこするんだ。
屋敷の扉に手をかける。
途端、ハレファスの背筋を凍らせるほどの魔力を感じた。
なんだ。扉の外に誰かいる……。
そのまま出るのは危険だ。
土魔術で扉をこじ開け外にいるやつ諸共倒す。
そんでもって風魔術で山道を駆け抜けて逃げ切る。
プランをたて、詠唱を始める。
相手に悟られないよう小声で。
「誉高き大地の王、万物を焦土に変えす熱龍、生を司りし尊き死神よ、天使に刃向かう愚劣者を、死よりも苦しい罰を与えよ」
「火砕流!!」
詠唱を終えると同時に灼熱を思わせる熱風が扉をつきぬけて木々をなぎ倒す。
数千度にも及ぶ噴煙が山を飲み込むように膨れ上がっていく。
今のうちに逃げるそう思い足を踏み出そうとするも、全く身体が動かない。
「あっ!く」
またあの背筋を凍らせるほどの冷気が、今度はより強く感じる。
近い。
そちらに視線を向けると、自分と同じくらいの歳のこと思われる少女が穏やかな表情をして浮いていた。
白装束。飾り気は無い。
綺麗な黒髪。
「君」
少女に話しかけられる。
声に生気を感じられない。
どこか機械的で、演技的で、懐疑心が膨らむ。
と同時に身体の自由が効くようになる。
無視して逃げれば良いのに、何故か僕は身体を彼女に向けて話し出していた。
「初めまして、お嬢さん。私、ワイトラー家長男。
ハレファス・カシミーアス・ワイトラーといいます。」
「………」
「こんな夜更けにどうなされましたか?
道に迷われたのでしたら、ぜひ僕が街までご案内いたしますよ?」
「……」
なんだこいつ。
未だにあの冷気を発し続けている。
「同じくらいの歳に見えるかもしれませんがご安心を。
貴方様を護衛して下山すること等は容易いですので」
「……」
気まずい
ていうかなんか喋れよ。
まてよ、街の人なら僕のことを知っているだろう。
引っ越してきたのか?
だとしてもワイトラー家を知らないなんて……
誰だ? こいつ。
というか、なんで魔術で死んでない。
人じゃ……ない
自身の中で生まれた疑問が恐怖に変わるのに時間は必要なかった。
「お、お嬢さんもあまり夜更けに出歩いては行けませんよ
私もそろそろ家族が心配すると思うので、失礼。」
そう言って踵を返そうとする。
「待って」
頬に冷たい感触がする。
いる、あいつが。
何かされた訳では無いのに、殺されたと感じた。
僕は振り返ると同時に拳を振るう。
しかし僕の拳は空を凪いだかだけで、少女を捉えることはなかった。
「なっ!」
少女は真後ろにいた。
僕の拳を避けたわけじゃない。
すり抜けたのだ。
意味がわからない。もしかしたら本当に幻覚かもしれない。
今わかるのは、訳が分からないと言うことだけ。
距離を取り、少女から目を離さず、詠唱を始める。
先程は土魔術。耐性なんてないと思うが念の為。
「あなた、屋敷の地下へ行ったでしょう」
「フロストレイ!」
詠唱を終え、少女に向け魔術を放つが氷の粒はまたも少女をすり抜け後方の木々を割いただけだった。
とうやら魔術そのものを受け付けないらしい。
本格的に幻覚説が色濃くなってきた。
「あなた、屋敷の地下へ行ったでしょう」
また同じ質問だ。
なんなんだ。彼女は。幻覚か。
心の中で悪態をつきながらも、質問に答える。
「行ってません。
そんなものありませんでした。屋敷には何も無く、拍子抜けし、帰るとこでしてね。」
「あなた、屋敷の地下へ行ったでしょう」
「……」
今度は僕が黙りこくってしまう。
正直、クーデターで首を跳ねられる時の言葉は用意していたが、自分の幻覚に詰問されて、それの受け答えをする用意などしていない。
その場で考えるしかないのか。
少女が近づいてくる。
にしても白い。人族の髪色ではない。肌は人族のそれ。
しかし、肌の色に関しては、血が抜けていて白く見えるようにも……
そんなことを考えている間も、少女は距離を詰め、やがて目の前にたっていた。
手になにか持っている。
見たことの無い形状をした……
少女が語り出す。
「私は…………そうね。神………とでも言うのかしら。
封印を解いたことでここに現れた」
「もしかして」
「そう、あなたが地下室へ入る。それが封印解除のプロセス。
まあ、正確に言うと誰でもよかったのだけれど。」
ハレファスは考える。
どうやら、自分が神を起こしたらしいこと。
自分に要件があること。
そして、自分は神まで幻覚に登場させていること。
いや、もうそろそろ幻覚のことは置いとこう。
「要件はなんだ」
「あら? もう紳士ごっこはおしまい?」
「うるさいな。君が人間じゃないなら懇切丁寧に対応する理由なんかないんだよ。
僕は早く帰りたい。
要件があるならさっさと言ってくれ。」
「そんなこと言わないでよ。
今まで何年もお話していなかったからたくさんお話したいの。」
「はぁ、そんなのいつでも出来るだろ?」
まあ、ハレファスはカシミ学園にもう時期入学するため無理なのだが。
「本当に?」
「ああ。君が会いたい時は、何時でも会いに来てあげるさ」
もちろん無理なのだが。
ハレファスは、演技力には自信がある。
生まれてこの方、本心をさらけ出せる時がなかったせいだ。
「……」
「なんだよ」
「いや、嬉しくってつい。
そっか、沢山お話できるなら、要件はちゃちゃっと済ませるね?」
ハレファスは内心、馬鹿な神もいたものだと嘲笑し、しかしそんなことしたら生きて帰れない気がしたのでおくびにも出さず、話を進める。
……ぷぷ、馬鹿な神だ。絶対顔に出すな。
「ハレファス・カシミーアス・ワイトラー」
少女の真面目な顔につられ、居住まいを正す。
「あなたにこれを渡します。」
「ん?」
やはり見たことの無い形に少し違和感を感じつつ、渡されたものを受け取る。
見かけの割にかなりずっしりとしていて、常時持ち運びたくは無い。
サイズ的には問題ない。……これから成長していけば、ちょうどいいくらいのサイズではあるか。
「これは?」
「それは”デオキシリボブレイク”。
対象を抹殺する神機です。」
「デオキシ……なんだって?」
「デオキシリボブレイク。
対象の因子を側面の半球に吸わせ、射線上にいる対象に引き金を引くと抹殺することが出来る神機です。」
「因子? 神機? おい女。どういうことだ。」
「使い方は伝えました。
使うも使わないもあなた次第です。」
そういうと少女から先程まで纏っていた冷気が消えた。
人間っぽくなった。
「おい、なんだよこれ。」
「分からない」
「はあ? お前が説明してただろ? 分からないわけあるか!」
「分からないものは分からないんだもん!
ハレファス怖い」
なんなんだ本当に。
女が嘘をついている可能性もあるが、伝えることが予め設定されていたというのなら説明が着く。
取り敢えず、ここに長居しても仕方ない。
「女。」
「ん?」
俯いていた顔をこちらに向ける。
「取り敢えずこれは貰っておく。
それとまたな。今日はもう帰る。」
「もう帰っちゃうの?」
露骨に悲しそうな表情をする。
バカか。もう来ねぇんだよ。
「明日会いに行くよ」
そんなつもり毛頭ないが。
それよりもこの神機の実験が先だ。
理解していない少女は嬉しそうに頷いた。
バカだ。一生そこで僕が来る日を期待してろ。
それで孤独の中に希望を見出せ、神様さんよ。
……う、う、ふふ。絶対に笑うな。笑うなよ僕。
「わかった。それじゃあハレファスの家まで返すね」
「は?」
途端にまた濃霧に覆われる。
『またね。ハレファス。』
再度霧を吹き飛ばすと家の前に着いていた。