君のために
頬に燃えるような痛みが襲う。
この痛みは知っている。
肉が裂かれた時の痛みだ。
「ああああぁぁぁぁ……はぁはぁ……あああぁぁぁぁ!!!」
頬を抑え、砂の上でのたうち回る。
煙で周りが見えない。
血が目に入り染みる、しかも右目に入った。
視力の弱い左目の方が幾分かマシだったろう。
「大丈夫!? シュラハ今すぐ治癒魔術を」
――治癒魔術!?
「やめろ…………煙幕が出てるんだ。有効活用しないと…………」
「でも、それだと痕になるよ。」
「それでもだ。」
「お前ら、大丈夫か!!」
遠くでテリバーの声が聞こえる。
煙幕でこちらの状況が分からないようだ。
このまま視界不良で行動する訳には行かない。
「フィーラ、水魔術で目を洗って欲しい。」
「う、うん。」
――地竜は倒されてなかった。軍の剣士の皆さんは殆ど壊滅してる……と思う。
冒険者の皆さんの声も聞こえて来ない?
逃げた? 殺された? 状況が掴めない。
クソ! 早く視界戻れ。
水魔術で血を洗い流してもらい、周りを確認する。
そこには戦線が崩壊し、これから殲滅されるのをまつ人たちが逃げ回る光景広がっていた。
少佐は何か大声で命令しているが、完璧に心を折られた人達には届かない。
「フィーラ、テリバーさんたちに合流して状況を伝えてくれ。
戦線は崩壊。時期に全滅する。今すぐ街に撤退しろって」
「は!? なんで私が。というかシュラハは!?」
「そんなこと言ってたらいよいよ全滅だ。
君しかいないんだ。僕は煙幕を出し続けて拾えるだけ拾っていく。絶対合流するから頼むよ!」
伝えるだけのことを伝え、フィーラの元を去る。
後で文句を言われるのは確定……。
いや、生き残れないかもしれない。
それでも、自分がやるしかない。
思い出せ、双頭烏に襲われた時のことを。
あの人は……冒険者の人は勇敢に立ち向かった。
冒険者……?
ハッとする。
巾着袋の中をまさぐり適当に1つ出すと、それをフィーラに投げ渡す。
「フィーラ、それあげる。使って!」
「は? え? え?」
何を渡したかは分からない。
内容も事前に確認しておくべきだったと後悔するがもう遅い。
――一人でも多く助ける。僕の命が続く限り。
*
「シュラハ!!!」
煙幕の中から人影が飛び出す。
エルナの声も虚しく
「すみません。私です。」
出てきたのはフィーラ一人だった。
「フィーラ、シュラハはどこ。一緒に居たよね。どこなの?」
「落ち着いてください。シュラハは生きてます。それと伝言です。皆さん逃げてください。
それがシュラハの願いです。」
フィーラはシュラハからの伝言をきっちり伝える。
が、それを飲むかどうかは別問題。
フィーラも馬鹿じゃない、突っかかって来る人を、自分が言いくるめれるか不安になる。
「意味わかんない。」
「エルナさん。私もです。」
「ならなんでシュラハは一緒にいないの? 彼を殺す気? 君を助けるために飛び出した彼を」
「そんなつもりは無い。」
そんなつもりは無い。
フィーラだって助けたいと思っている。
しかしそれが叶わないからこそ、シュラハの決断を無駄にしたくないのだ。
「いいですか、戦況は最悪です。煙幕でこちらからは見えませんが、剣士がみんな殺されてます。このままだと全滅も時間の問題なんです。」
「だからなんなのよ! 全滅しないためにシュラハを見捨てろっていうの? 冗談じゃない。
あなたたち幼なじみじゃないの?」
「幼なじみだよ。死んで欲しくない。けど、私たちに何ができるって言うんだよ!!」
「シュラハの気持ちを無駄にしないでよ……彼の気持ちを踏みにじりたくないの。
だから、大人しく聞き届けてよ。
それ以外はもう、何もいらないから」
「それは聞けねぇな」
フィーラのお願いをいつもの軽い口調と、明るい声音でバッサリ切り捨てる。
奇形児リーダーのテリバーだ。
フィーラは思案する。
エルナは予想外だったが、テリバーが断るのは目に見えていた。
だからこそ、テリバーにはきつい言葉だろうが
「私より弱いテリバーさんに何ができるんですか!
エルナは私より強いけど、テリバーさんなんていても意味ないんです!
彼の足を引っ張らないで!」
「いや、だめ、って言われても行く。な? お前ら。」
テリバーの言葉に、奇形児の面々は頷く。
どうすればいいんだ。
どうして聞いてくれないんだ。
自分が無力だから?
違う、きっと彼らはどれだけ私が強大でも助ける選択をしていただろう。
そういう奴らなのだ。
「それに、あんな思いは二度と御免だ」
「あんな思い?」
「おいフィーラ、これはリーダー命令だ。
シュラハ助けて街に帰るぞ。」
*
「皆さん、はぐれないでください。」
――あと何人だ。これといって力が残ってない。
歩くだけでもやっとだ。
ダラダラと流れ続ける血の量があまりにも多い。
かれこれ20分はこうしている。
やがて煙幕は晴れ、今まで隠れていたものが顕になる。
と同時、遠くにいた地竜が全速力で駆け寄ってくる。
「ヤバい、あいつ俺たちを狙ってやがる。」
「固まってるのがバレたんだ。」
「なあ、煙幕はどうしたんだよ、黒髪の兄ちゃん。おい、何とか言ってくれよ。」
「おおおお、ちくしょう!!
皆さんはそのまま治癒魔術士のところへ、僕は地竜の所に向かいます。」
そう伝えると、皆は安堵の表情を浮かべた。
死なないと分かり安心したのだろう。
シュラハは、それが今か後かの違いだと気づいていたが、わざわざ士気に関わるようなことは言うべきじゃないと思い黙ることにした。
地竜、もとより無謀な挑戦だったのだ。
なるべくしてなった事態。
――あの時だ。ちゃんと死んだか確認しなかったばっかりにこんなことに。
どんどんと地竜との間が迫る。
――大丈夫、習ったことを思い出せ。
できるだけ引き付け、横に跳ぶ。
しかし地竜も知恵ある生き物。
そんなことは読み切っていたのか、前足でブレーキを掛け、振り返りの勢いのまま尻尾を振りシュラハを吹き飛ばした。
*
どぉぉぉんとエルナが横に吹き飛ばされる。
慌てて治癒魔術をかけるが全く傷が癒えない。
砂埃が晴れた先には、自分の上に覆い被さるようにシュラハが意識を失って倒れていた。
治癒魔術の効果は全てシュラハの所へ行った。
取り敢えずシュラハをどけ、自分にも治癒魔術をかける。
「おーい、エルナ、大丈夫か?
なんか飛んでこなかったか?」
「シュラハが飛んできた。全身骨折。ていうかなんで死んで無いのか分からない。
けど……生きてて良かった。」
途端に涙を流す。
しかし、再開に喜んでいる時間などない。
「悪いなエルナ。それは後回しだ。まずは生き残るために頑張ってくれ。」
「うう……ううううう」
「ああ、こいつは使いもんになんねぇ。シュラハとの再開が地竜をぶっ飛ばしたあとなりゃどれだけ良かったろうか」
「くそ、魔術くらいしかあいつ止めらんねぇぞ。」
「魔術なら使えます。私がいます。」
エルナが落ちた今、魔術を使えるのはフィーラのみ。
「確かにお前の魔術の才能は本物だ。でも経験が足りない。ここは俺達が」
「誰かぁ……助けてくれぇ!!」
ドバがいい切る前に助けを求める声が聞こえてきた。
地竜か少佐に全速力で向かっていたのだ。
完全に本調子を取り戻した地竜を止めるすべ、フィーラは脳をフル稼働させて考える。
――魔術も剣術もあいつには通用しない。
実力も足りないし、元の能力も段違い。
悔しさから拳を握る。
その時、自分が何か丸いものを握っているのに気がついた。
手のひらを見るとシュラハから受け取った球体の魔術印道具があった。
――なにこれ。……シュラハがくれたもの。これが何かは分からない。けど、そんなこと考えてる時間なんてない!!
勢いのまま走り出す。
先程それで失敗したばかりじゃないかと自分を叱る。
が、それでも足は地竜に向いていた。
不思議と恐怖はない。
シュラハが背中を押してくれているような気がしたから。
「ああああああああ!!!」
わけも分からず叫んでいると、球は剣に変形した。
フィーラの勢いを増すかのように速度も上昇する。
湧き出る力。今までの自分じゃないような感覚。
――なにこれ。地竜、遅くない?
これなら、私でも殺れる。
「はあああああ!!」
一太刀、地竜と少佐が直撃する直前に、首を切り落とす。
黒曜石より硬い竜の鱗を、バターのように容易く切り裂く。
「ああ……あ……は、は」
「あ、ありがとう? ありがとう!
君は命の恩人だ。」
――終わったのか。地竜、倒したよ。シュラハ。
私、やったよ。
後ろを振り返ると驚きに彩られた奇形児のメンバー。
に収まらず、討伐に参加して、生き残った誰もがフィーラに注目していた。
――あれ? 何この感覚。
唐突に強い眠気がフィーラを遅い、崩れ落ちる。
剣は球に戻っており、カバンの中にしまうと眠りについた。
***
「……」
「あ、」
――ここはどこだ。エルナさん? 地竜はどうした?
目が覚めると見慣れない天井がある。
眠っている間に何があったのか。
自分の最後の記憶は地竜の攻撃を避けて
「大丈夫、地竜は倒されたよ」
エルナから報告を受ける。
今一番気になる話だ。
心から安堵する。しかしよくあの絶望的な状況をひっくり返したと思う。
もしかしたら、シュラハに魔術印道具を貸してくれた人が助けてくれたのかもしれない。
「みんなは」
「報告する」
テントの中に黒髪の大男が入ってきた。
少佐だ。だが少佐には討伐前にはなかった傷が無数見られ、今も部下に支えられながら歩くのがやっとだ。
寝転びながら話を聞くのも失礼かと思い立ち上がろうとするも上手く力が入らない。
「大人しくしてて、魔術で拘束してるだけだから」
「そんなことできるんすか」
動けない理由はエルナだったようだ。
自分の怪我はそんなに酷いものなのか。
安静にさせるために拘束しているらしい。
「我々魔国軍剣士部隊は壊滅。魔術部隊は270人中200人が死亡、50人が重症、3人が軽傷。
騎士団は500人中64人死亡、321人が重症、29人が軽傷。
冒険者は全63チーム中31チームが壊滅。
その中でも生き残りは93人。
これ程の被害を出してしまったのは全て私の責任であるため、多くの人を救った貴官が責任を感じる理由などない。」
少佐からの報告からは討伐隊およそ8割近くの人間が死ぬ、または怪我を負ったというもの。
本人の指揮に問題があったと言うより、欲に駆られた人々が死んで行った気もするが。
「少佐……僕のギルドメンバーは」
「……貴官のギルドメンバーは今酒場だ。そこにいるエルフ以外。
しかし許してやってくれ。君たちのギルドから地竜を倒した者が現れたのだ。彼らなしでは盛り上がれない。
放置していては心が壊れ冒険者を辞められるかもしれない。
街の方から頼まれたのだ。」
――それでエルナさんだけなのか。にしても僕のギルドから地竜討伐者が出たなんて。
やっぱりエルナさんかな? でもそれならなんでこんなところに。もしや、フィーラとか。魔術印道具渡したし。
大穴でテリバーさんなんて。
「なるほど。それなら仕方ないですね」
「最後に1つ、いいですかな」
テントを出る直前足を止めた少佐。
まあ、話の一つや二つ増えることなんて今更だ。
変に気を使われるのも嫌だなと思い了承した。
「フィーラ殿を軍に引き入れたい。その助力を願いたい。」
「え、フィーラが。」
思わず起き上がりそうになるが、動けないのだった。
「そんな、フィーラは大切な仲間なんです。簡単に離れて欲しくないです。」
「もちろんフィーラ殿が貴官らの大切な仲間であることは重々承知のこと。その上でどうにかならないだろうか。
彼女は我々にない力を持っている。あれだけの力があればゾクドや人族からの抑止力にもなる。」
――それを言われると強く出れない。僕も人族の勢力拡大を塞げることには賛成なんだ。
奴隷のように虐げられるのだ。そんな魔族を一人でも多く減らすために彼女には軍に入ってもらうべきなのか?
自分の気持ちは押し殺すべきなのか。
一人の我儘で、救える命があるかもしれないのに見捨てることになる。
そう考えると、シュラハから止めることは出来なかった。
「待遇だって良いものにする。できる限り彼女の要望は聞き届けると約束しよう。給料だって今の10倍の額を約束する。
きっと彼女を幸せにする。どうか頼めないだろうか」
――これはフィーラのためでもあるんだ。僕の我儘を押し付けられない。
「分かりました。僕からは推し進める様にします」
「ありがとう……」
***
シュラハの骨折は3日で完治した。
寝る間も惜しまずエルナが治癒魔術をかけ続けたおかげだ。
魔力切れを起こしては倒れ、魔力切れを起こしては倒れ。
治癒魔術は術者本人は当然のこと、被術者にも負荷がかかる。
常人なら音を上げる様な苦痛にも耐えきり、骨は元通りとなった。
しかし動ける様になった訳では無い。
傷ついた筋繊維が修復されていない。
取り敢えず2日の休養を挟み、治療を再開する手筈となっている。
「地竜討伐のおかげで、しばらくはお金に困らないのか」
まともに動けない今は、自分だけ置いてかれないことに安心出来る。
幸いまだどの依頼も受けていないようだし、少しくらい休暇をとっても罰はないだろう。
「そうだね、それもフィーラのおかげ」
「え、エルナさん!? いつの間に」
音もなくシュラハの泊まっている宿の部屋に入ってきた。
独り言に反応してくるのはやめて欲しい。
いつも心臓に悪い。それこそ今は。
「んー、ずっと?」
「なんですかそれ……それより休まなくていいんですか?」
「ガキが。心配すんな!」
グッと親指を立ててみせる。
こんなことする人だったか? ていうか歳はそんなに変わらないだろう。
まあエルフは長寿だ。これで歳は食ってるのかもしれない。
それはそれで幼稚すぎるか。
……って言うと殴られる気がするので言わない。
「……本当に生き残ったんだね」
「それは驚きですよ。」
地竜に吹き飛ばされ、即死してもおかしくなかった。
即死してないとおかしい。
それだけの威力と、シュラハの貧弱さが兼ね合わさり生き延びれるわけがないのだ。
まさに驚きである。
「私、君は死ぬと思ってた。死なないように立ち回ろうと思ってたけど、君は飛び出していって……
まったく、どれだけ人を心配させるんだよ」
――うう、エルナさんの顔が見れない。
「でも良かった。生き残ってくれて私はそれだけで救われたよ。」
「はぁ」
「ありがと。眠いから戻るね」
*
日が落ちて随分した頃、突然フィーラが尋ねてきた。
今日はよく人が来るなと思いつつ中に入れる。
厳密に言うと鍵は空きっぱなしで勝手に入れるのだが。
「お見舞いには花がいいって聞いたから、はい!」
目の前に差し出されたものを見て絶句する。
仏花だった。菊の。
「えーと、フィーラさん?」
「なになに」
――やめてくれ、そんな期待したような目で僕を見ないでくれ。伝えずらいじゃないか!
「いや、お見舞いありがと。嬉しいよ。」
「ほんと!」
「でもこれからは花とかじゃなくて果物にした方がいいと思うよ。無難だしね」
「そうかしら?」と疑問を呈していたが、一応は納得してくれた。
トラップが他の人にまで飛ぶのは可哀想だ。
ここで食い止めねば。
今度それとなく仏花だったことを伝えよう。
自分からでなくてもうまく伝えなくては。
「お見舞い来てくれたのは嬉しいんだけどさ。今日はもう遅いしまた今度来てくれないかな?
さすがに眠たいんだ」
「分かった、けど一つ話しておきたいことがあるの。」
全然分かってない。
その言い方で長引かない訳が無い。
何を話されるか分からないが、フィーラを怒らせないようおだてて機嫌を損ねないようにしよう。
「実はね、私入軍しないかってスカウトされてるの!
すごくない!!」
――少佐、もう話してるんですか。この感じだとフィーラも興味はあるみたいだね。僕から勧める必要はなさそうかな。
「本当ですか! それはすごいです。」
「でしょ、やっぱり才能? てのは隠せないものなのね。」
「うんうん。なんせフィーラだからね。」
「当然よ」
「それで、入軍はいつ頃になるの? その日はパーティだね。
なんせ、天才フィーラの……なにフィーラ、怖いんだけど」
どこか気に触ったのかフィーラの表情が固いものになっている。
あれだけ地雷には気をつけたのに。この女はいつも唐突なのだ。
「シュラハは嫌じゃないの? 私が入軍するの」
「寂しいですけど、すごく名誉な事だと思いますよ。
なので、出来れば軍に入って欲しいですかね。フィーラのためにも。」
「何それ、一緒に暮らすんじゃなかったの!?」
「離れていても僕達は友達です。一生会えなくなる訳では無いので。」
そこまで言うとフィーラは仏花をシュラハに投げ捨て部屋を出て行ってしまった。