北京脱出計画
共産党中央軍事委員会は、それまで台湾進攻作戦にかかりきりだった。制海権をほぼ手中に収めた中国海軍は、台湾を目指す自衛艦隊および米太平洋艦隊に備えている。
上陸作戦の中心は東部戦区の陸軍三個軍が担うことになっているが、台湾を守る中華民国陸軍はM1エイブラムス戦車をはじめ、米国製の優れた自走砲や対戦車ミサイルで迎え撃つだろう。少なくとも相手の三倍以上の兵力を投入しなければ上陸作戦は成功しない。従って他の戦区からの増援は避けられず、北京軍区からも二個軍が引き抜かれた。
その隙をつくように、首都北京の危機が起こった。百万人規模の人民蜂起とともに、これに追随する五個師団相当の反乱が起こり、今まさに北京を制圧しようとしている・・・
共産党指導部は判断を迫られた。念願の台湾併合を諦めるわけにはいかない。鎮圧に大軍を差し向けたとしても、市民を巻き込んだ市街戦は避けられないし、人民の支持を得た反乱軍は勢力を拡大しつつある。軍が彼らに寝返る可能性も否定できない。
となると、目下の急務は北京にいる数千人もの共産党要人の救出だ。彼らを抑えられたらクーデターの成功がより近づくことになる。
人民蜂起が河北省全域に広がりを見せる中、陸路の脱出はリスクを伴う。二か所ある空港は反乱軍の主要目標になっているのは確実である。
天津から航路で上海に向う・・・それが最も安全な脱出ルートと思われた。
北京での秘密会合は三回目となる。曹上尉は政治委員と海軍中将を前に堂々と意見を述べた。曹も彼らの情報を必要としていたからである。
「劉師団長は無事ですか?」
「彼は安全な場所で指揮している。戦況は良くないがね」
政治委員は答えた。曹は次に海軍中将に尋ねた。
「日本の艦隊の動きはどうです?」
「二方面から、駆逐艦クラス四十五隻が南下するのを偵察機が確認している。今朝の報告では十隻を見失ったようだ・・・一方は米第七艦隊に合流するかもしれない。いずれにせよ、日米艦隊は総力を挙げ台湾を目指すだろう」
「彼らも本気ということだ。それにしても共産党のお偉方ときたら・・・」
政治委員はあからさまに政府を批判した。
「早々と首都の放棄を考えているようだ。彼らの荷物まとめに大勢が駆り出されている。しかも移動に使うのは豪華客船ときた・・・」
「当然、海軍も護衛するのですね?」
曹は再び海軍中将に尋ねた。
「フリゲート艦二隻が随行するだけだ。海軍は台湾作戦で忙しいし、渤海から黄海へのルートは我々の勢力下であり、安全ということだ」
「安全ですか・・・その海域を行き交う船は相当な数でしょう?」
「内航船含めて日々千隻以上だが、海賊はいないから心配ない」
彼の冗談を交えた答えは、曹の想像力をさらに掻き立てた。
「もし十隻の日本の艦隊が黄海から渤海へ侵入したとしたら・・・探知できますか?千隻の中から十隻を探すことになりますが」
「船舶識別システムに敵味方識別システム、それに常時隙間のない哨戒機による監視によりたちどころに発見され、対艦ミサイルの餌食になる・・・これが我が海軍の公式見解だ」
「非公式なあなたの見解は?」
「全く可能性が無いわけではない・・・米潜水艦など、何度も侵入を許している」
「では天津までたどり着く可能性もゼロではない訳ですね」
曹の突拍子もない言葉に海軍中将は苦笑した。
「潜水艦ならともかく、そんな無謀なことをする奴がいたら褒めてやるよ。天津は北京の目と鼻の先だ。そんな要衝へ水上艦艇の侵入を許したら、我々は失業だな」
政治委員は笑い飛ばす気にはなれなかった。
「曹上尉、何が言いたいんだね?」
「素人の思いつきですよ・・・確かに無謀ですが、面白いと思いませんか?駆逐艦十隻もあれば、護衛のフリゲート艦を蹴散らして客船を拿捕できる・・・共産党指導者たちを一網打尽にできる訳です」
政治委員と海軍中将は顔を見合わせた。海軍中将は首を振って曹へ疑問を投げかけた。
「我々の行動が読まれていたと言うのか?北京脱出は成り行き上決まった秘密作戦だ。しかも海路のルートまで予測したとは考えられないが」
「そう仕向けられているのです。非常に狭い選択肢の中で、我々は最小限のリスクを選ぶしかありません。我々が北京を放棄することも、要員を海路で脱出させることも、全て織り込み済みなのです。今のところ、我々は中村のシナリオ通りに動いているわけです」
「面白い仮説だが・・・」
政治委員は感心したように頷いて尋ねた。
「そんなことをして日本に何のメリットがある?共産党員を拉致して人質にするとでもいうのかね?」
「彼らの目的は、共産党指導者たちの脱出を阻止し、反乱軍へ引き渡す・・・クーデターを成功させるためにです。つまり、クーデター勢力と日本は初めから繋がっていたということです。両者の意思疎通無くして、この壮大な計画は成り立ちません。反乱軍が首都北京まで押し寄せ、海上自衛隊が退路を断つ、これがこの作戦の根幹です」
二人はしばらく黙り込んだ。海軍中将は政治委員の顔を窺うように尋ねた。
「本当に来るとしたら、闇夜に紛れて大連沖を通過するかもしれません。そこへ監視ラインを引きますか?ありったけのフリゲート艦を投入しなくてはなりませんが」
「待ちたまえ・・・曹の仮説が正しいとしたら、探さずとも天津で待てばよいということだ。そういうことだな?」
「その通りです」
曹は頷いて言った。
「共産党へ警告しますか?」
「必要ない。あくまで君の仮説だろう?」
曹の予想通りの答えが返ってきた。政治委員がこの機会を逃すはずがない。
そう、むしろ自衛艦隊が無事に天津へ進出した方が、我々にとって好都合なのだ・・・




