来たるXデー
内モンゴル自治区南部で、それは予兆もなく散発的に始まった。見えない火種が見えた瞬間である。小さな「点」が「線」となり、網のように広がっていた・・・
発端は行方不明者リストの流出と拡散であり、その残虐な最期が克明に記されていた。共産党の脅威と見なされた人々の中には、拷問を受け、秘密裏に殺害された者がいる・・・少数民族の団結を先導する者、人権問題を糾弾する活動家たち・・・国家転覆罪で懲役刑を受けるなら、まだ生き延びるチャンスはある。
しかし帰らぬ人となった者たちの消息が報じられることはまずない。彼らとつながりがあった者は自分たちへの飛び火を恐れ、口をつぐむしかない。周囲の人々も務めて無関心を装った。
しかし、あからさまに現実を突き付けられたとき、人々の良心に火が付いた。それが群集心理として爆発的に広がった時、共産党への恐怖心は「怒り」へと変わった。
曹上尉は本来の任務に戻らなくてはならなかった。散発的な抗議デモが広がりを見せ、一部が暴徒化している。
「今どこにいる?こっちはかなり深刻な状況だ。河北省まで広がるかもしれない・・・公安はお手上げ状態だ」
曹の上司は電話の向こうで苛立っていた。
「君が追っていた奴の仕業じゃないのか?予兆すらつかめなかったのか」
「別件に巻き込まれていまして・・・ヘリを手配したのですぐ戻ります」
電話を切った曹はすぐさま女工作員に電話をかけた。
「河原に動きは?」
「・・・何もありません。今、隣で眠っています」
「出し抜かれたというのか・・・奴を引き留めておけ。逮捕させる」
河原はホテルのベッドに横たわっている。携帯電話が鳴り響き、彼はうっすらと目を開いて手に取った。
発信元が中村教授と知り、河原は慌てて飛び起きた。
「河原です・・・まさか直接電話下さるとは・・・」
「もう手遅れだからだ。彼女とうまくやっているようだな」
「はい?」
河原は唖然とした。
「彼女はスパイだ。捕まりたくなかったら今から言うことを聞くんだ・・・」
河原は呆然としたまま中村の声に頷き、電話を切った。そそくさと着替え始める河原の後ろに下着姿の女性通訳が立っていた。
「どこへ行くの?」
「すまない・・・急用ができて・・・」
「どなたからの電話?」
河原が答えに迷っていると、彼女は素早く彼に抱きつき、あっという間にベッドにねじ伏せられた。
あっけにとられた河原が我に返った時、彼の手は手錠でベッドに繋がれていた。
「ごめんなさい。こうするしかなかったの」
彼女は自分のバッグから取り出したピストルを構えていた。
空自のC-130輸送機は那覇空港に向っていた。広々とした機内の乗客は、中村教授と米内海佐の二名しかいない。
中村はため息をついて首を振った。
「私の責任だ・・・彼がこんな古典的な手に引っ掛かるとは、思ってもみなかった」
「周浩然が女スパイを見破ったわけですね?」
「通訳として雇われたらしいが、彼女の記録は改ざんされていた。早くから河原に目をつけていたとなると、私を追っていたことになる・・・」
油断ならない奴が敵にいる・・・中村は河原のような男に任せたことを後悔した。
「しかし民衆の蜂起は予想以上の大成功です。探られていたとしても、阻止することはできないでしょう?」
中村は米内のように楽観的にはなれなかった。
「恐らく河原は当局に拘束されるだろう。単なる連絡係の彼が全てを白状したとしても、作戦に支障はない・・・しかし想像力を働かせる奴なら、我々の意図に気付くかもしれない」
中村は尖閣諸島をめぐる中国側の動きがずっと引っ掛かっていた。
「米内海佐、台湾周辺の動きは?」
「中国海軍の大部分が台湾を目指しています。完全に包囲するつもりでしょう。地上部隊も同様に大移動が確認されています・・・しかし、これこそ我々が望む展開なのでは?」
「我々だけでなく、第三の勢力にとっても理想の展開かもしれない・・・」
群衆は雪だるま式に数十万人に膨れ上がり、南へとなだれ込んでいる。その後方から一定の距離を保ち、後を追う陸軍の部隊がいた。
戦車を中心とした機甲師団は速度を徐々に上げ、群衆の両側面を覆うように展開している。しかし群衆に軍隊を意識した動きはなく、民主化を叫びながら、整然と行進している。
特殊警察部隊のヘリコプターは上空からその動きを観察していた。
「軍に出動命令が出ているのか?」
ヘリの窓越しに双眼鏡で眺めながら、曹は部下に尋ねた。
「分かりませんが、公安や我々には手出しするなとの通達が回っています。軍も同じでしょう」
「しかし、示し合わせたような動きだ・・・民衆は目の前の戦車に全く警戒していない」
曹はその異様な光景を食い入るように見つめていた。
「軍の所属を調べさせろ。我々が探していた人物が分かる・・・」
「探していたと言いますと?」
「クーデターの首謀者だ」




