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第二次日中戦争  作者: 畠山健一
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見えない火種

「全く馬鹿げた研究です。勝ち負けの問題ではありません。まず、経済界から歓迎されないでしょう。日中関係は我々が思っている以上に『片利共生』であり、我々はこの大国への危険な依存から後戻りできないでしょう。そう、絶望的なほど依存している・・・」

 防衛研究所に最近設けられた「アジア戦略研究室」では、制服組から民間企業および学会の研究者に至る、多様な人材が招かれている。

 国家間のあらゆる「紛争」を前提に、あるシミュレーション結果を自由な議論を通じて評価するのがその趣旨だった・・・名目上は。

「馬鹿げているとは言葉が過ぎるのでは?好むと好まないに関わらず、不可抗力の衝突は起こりうるものです。ご存じと思いますが、東シナ海の連中の行動はもはや挑発の域を超えている・・・」

 作戦をまとめた米内三等海佐は、民間の研究員相手に抑制的に反論した。

「これは第一撃を受けた前提で戦術的に反撃を成功させるシミュレーションですが、全面戦争を避けることが最大の目的とご理解頂きたい」

 100インチモニターに映し出された衛星地図の中央には台湾海峡があった。その前で画面を食い入るように見つめる白髪の年配者が立っている。

「拡大しましょうか?中村教授」

 米内の声に、男はちらっと振り向いた。確かに彼は大学教授であり、いかにも学者風の容姿である。しかし彼の裏の顔・・・長年にわたって海外で諜報活動に携わってきたことを知る者は少ない。

 そして彼こそ、この場を主導する立場にあり、重要な意思決定が下されようとしていた。

「いや、縮小してほしい。旅順から南シナ海まで鳥瞰できるようにね・・・少なくとも六か所の海軍基地がある」

 中村教授は背を向けたまま、指示するように言った。米内は苦笑しながら画面を操作した。

「中国から急遽帰国されたそうですね?拘束されたと伺いましたが」

「現地の同志に助けられてね。私はこう見えても地方には結構顔が利く・・・ところで全面戦争を避けるほど、中国海軍は手強いと思うかね?」

「勝負にならない、というわけではありません。しかし戦線の拡大と長期化は我々に不利です」

 米内はプランを指示されて練り上げたにすぎない。そのもどかしい気持ちを抑えるように続けた。

「肝心なことは、早期の勝利で敵の戦意を喪失させ、直ちに終結することです。誰かが言ったように、完全な関係破綻は国益に反するでしょう」

 作戦は決められた原則論、不拡大方針という制約に縛られている。それを見抜いていた中村教授は、さらに追い打ちをかけた。

「その限定的勝利に敵は怖気づき、日米との全面対決を恐れて停戦に応じる?期待通りいけばよいが、それには相手の体面を保つ多くのものを与えなくてはならない。それに彼らは一時的な敗北から多くを学び、より強くなるだろう。共産党は安泰であり続け、覇権主義は止まらない。つまり根本的な解決にはならない」

 それは米内にも分かっていた。彼は上層部の語った逃げ口上をそのまま引用した。

「否定はしません。しかし相手は三百隻以上の軍艦に、三千機の航空機、六千両の戦車、弾道ミサイルに核兵器・・・総兵力は二百万です。まともにやり合うのは、それこそ馬鹿げていませんか?」

「それだけかね?」

「は?」

 米内は面食らった。中村教授の異様な目つきは、ただならぬ気配を周囲に感じさせた。

「方針にこだわったところで、予期せぬ事態がそれを覆す。現場の指揮官に待っている暇などない・・必ず自ら判断することが迫られる。意図しない展開が機会を与え、優勢と思われた相手に敗北しなければ、その行動は支持され、追認される。意味が分かるかね?その展開を、考えるのが君の仕事だ。兵力差など、問題の本質ではない」

 米内はその真意を理解はしていたが、簡単なことではない。中国海軍の研究に取り組み、戦いの構想は幾通りも考えたが、海自単独では限界がある。

 第一、海の戦いだけで共産党を倒せないではないか?

「ついでに言うと・・・君は共産党の兵力について述べたが、彼らが最も恐れているのは我々でも米軍でもない。十四億の自国民だ。一見、うまくコントロールできているように見えるが、無数の『見えない火種』が存在する」

 中村が頻繁に中国を訪れていたのは、単に情報収集の為だけではなかった。ある目的の為に、地方を中心に密かに活動していた彼は、今やその成果が実を結ぶと確信していた。

「中国共産党は政権を握って以来、台湾・インド・ソ連・ベトナム相手に国境紛争を繰り返してきた。しかし、1989年の天安門事件でぴたりと止まる。最大の脅威に気付いた彼らは、その脅威を取り除くため、莫大な労力を費やしてきた・・・徹底した監視体制を構築し、脅威の芽を直ちに摘み取るために・・・通信網、監視カメラの膨大なデータは情報処理システムを通じ、驚くべき規模とスピードで効率運用されている。従って、危険な企てはたちどころに網に引っ掛かる・・・」

 その厳しい検閲と監視体制は誰もが知るところだ。中国現代史に始まる、その一貫した体質が、自ら崩壊を招くことに彼らは気付かない。それが劇的に訪れる姿が・・・中村には見えている。

「但し、『見えない火種』を除いてだ。よほど自信を深めたかどうか知らないが、共産党は再び外に目を向け始めた。広範囲な海洋進出に熱心なあまり、足元の火種を探す努力を怠っている」

 中村教授が一呼吸置くと、民間の研究員が問い返した。

「再び民衆が蜂起する可能性が?あなたの言うように、政権を覆すような規模のものは期待できないでしょう。2019年の香港デモはどうでしたか?かつてないほどの規模で半年以上にわたって繰り返されましたが、結局鎮静化し、民主化要求も通らなかった・・・当局がうまく処理したと認めざるを得ないでしょう」

「大衆の心を燃え上がらせ、団結させることには成功した。そこまではよかったが、周到に計画されたものではなかった。期待した海外の支援も得られず、さらにその時発生したコロナウイルスの拡散は、まさに中国側の援軍となった。大衆の熱意を失わせ、集会を規制する名目を与えた。君の言う通り、共産党はうまく処理したように見える・・・一見は」

「しかし、教授はあくまで大衆の蜂起に期待されているようですね?」

「共産党の内情を言うと、そのような事態にほとんど何もできない。軍隊を出動させれば、火に油を注ぐことになると過去に学んでいる。一方の大衆側は、勢いに任せて駅や空港を占拠しても何もならない。速やかに政府の中枢拠点を抑え、支配下に置くことが大前提だ。それはクーデターと同じく・・・大衆の勢いと同時に、組織力と計画性が欠かせない・・・」

「失礼ですが、教授・・・」

 それまで黙っていた陸自の竹永一等陸佐が、我慢しきれず口をはさんだ。

「そこまでの事態になれば、さすがに人民解放軍が本気で鎮圧しますよ。共産党を甘く見てはいけません。素手で戦車に立ち向かえないでしょう?最後にものをいうのは力です。力を持った者が加勢し、最良のタイミングを狙わなければクーデターは成功しません」

 特殊作戦群情報部の彼は、裏で中村の活動を支援していた。しかし彼の企てには懐疑的であり、それを問いただしたいと思っていた。

「それとも、その条件が整うとお考えですか?」

「これからが本題だ。共産党は優秀な人材が揃っているが、冷静さを失い、判断を誤まることもある・・・例えば偶発的な台湾海峡紛争だ。想定していた時期よりも早くその機会が訪れた時、彼らは大いに慌て、そのチャンスに飛びつこうとする。何せ最重要目標だ・・・厄介なアメリカが立ちはだかる前に、あらゆる戦力を動員して片を付けようとするだろう」

 中村は、そのシナリオの一部を明らかにした。

「それが最良のタイミングだ。もし、中国で台頭する共産党の対抗勢力が、我々と価値観を共有できる相手なら、我々はその援軍になることができる。彼らが共産党を倒す力があるなら、尚更我々も海の戦いで連帯を示さなくてはならない。共産党の脅威の排除だけが目的ではない。終戦後、より多くの物を手に入れるためだ」

「相手は中国共産党です。容易に屈服しないと思います。それに・・・」

 研究員は不服そうに続けた。

「混乱が長期化し、それこそ内戦にでもなって泥沼化すれば、誰にも手が付けられなくなるでしょう。それは中国人民にとって不幸なことです。我々にとっても何らプラスになりません」

「君の言うリスクは否定しない。民主化へのコストは決して安くはない。しかし自由を勝ち取ることが不幸なことかね?隣に巨大な民主国家が誕生し、我々は優先的にその利益を享受できる。故に、援軍としての我々の役割は重大だ・・・米内海佐、これから君の出番になるが、宜しく頼むよ」

 衛星地図を見つめる、中村教授の視線の先には、北京と天津があった。

「その時期をいつと想定されていますか?」

 米内の問いに、中村教授は間を置かずに答えた。

「半年以内だ」

「待ってください、半年以内に台湾有事が起きるというのですか?」

 中村教授の頭には、確信に基づくシナリオが既に完成していた。

「起きるのではない、起こすのだ」


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