第2章-6 闇に包まれる月
死ネタが含まれます。
時期的に過敏になっている方もいると思うので、不快に思う人はGO BACKです。
握った細い手から力が抜けていく。
それを引き止めるように手に少し力を強めながら、シヅキの話を聞いた。
ありがとう、と。
感謝をしている、と。
たったそれだけの言葉のために一世紀を越えてきたのだというシヅキを馬鹿じゃねェのかと思う。
「お前がその外見と反対で実は思い込みが激しいッつーのは知ッてんけど、もうちょっと要領良くなれねェのか?」
堪えきれずに呆れたように言いながらシヅキの頬を濡らす雫を手で拭ってやった。
その手が微かに震えているのが視界に入って自分で驚く。
「うん、なれなかったの」
申し訳なさそうにシヅキが苦笑した。
俺が感謝など、シヅキのことなどもう要らないと突っぱねたらどうするつもりだったのかとか、そんな問いかけを口にしかけて止める。
たぶんシヅキはそんなものは分かっているのだと思った。
俺に投げ捨てられる可能性を分かった上で、玉砕覚悟で閉じていた心を全て晒しにきた。
「馬鹿だな」
「そうね、私も馬鹿だと思うわ」
「だが俺も馬鹿だ」
こうしてシヅキを馬鹿だ馬鹿だと思いながらも、同じように愚かなシヅキがどうしようもなく愛しいと思う。
本当は遠く過ぎてしまったシヅキから全て奪って閉じ込めた日々を思えば、恨まれても憎まれても仕方がないと今でも思っていた。
奇跡的に好きだと言ってもらえても、シヅキが全てを思い出せばそれが変わるかもしれないと疑っていた。
「シヅキ、俺が好きか?」
シヅキが躊躇うように濡れた瞳を揺らす。
「――…好きよ」
「なら俺がお前を全部もらってもイイか?」
問いかけながらシヅキの白く細い首に触れた。
このままシヅキが逝くのなら、今は精霊に近いシヅキはおそらく世界に溶けるだろう。
大地や空へ、光の一部となって溶け込み世界を潤す。
あるいは人としての輪廻の輪がまだ途切れていないのであれば、新たに人として生まれてくるかもしれない。
だがどちらも俺は望まねェ。
シヅキを『光』に奪われるのも、シヅキではないシヅキに会うことも。
「お前を俺に取り込んでもイイか?」
重ねた問いかけにシヅキの目が大きく見開かれる。
「でも、そんなことをしたらアカザが……」
「しばらくの間、多少弱るくらい構わねェ。お前が欲しい」
首筋から伝わる脈動はもうだいぶ弱い。
シヅキが迷っている間にも周囲の光がざわめいて俺の周囲から闇を、そしてシヅキを奪っていこうとする。
ジリジリと焼けるように力を奪われていく感覚に自然ではない作為を感じたが、口の端を歪めるようにして笑ってその場に闇を引き寄せていなした。
シヅキが特例だとしても、本来はあの『花』たちは地上への干渉が制限されている。
しかも今はこの地の『光』は酷く不安定で、降りてきて全てを乱すことはできないだろう。
俺がシヅキと再開してからこれまでも、直接現れたことがないように。
弱ったとしても正面からかかってこない奴など何の脅威も感じねェ。
「シヅキ」
答えを求めて名前を呼ぶ。
苦しそうなシヅキがもうほとんど力の入らないのだろう手で俺の手をごく緩く握り返し直した。
「――……ずっと一緒?」
恐がるようにそっと掠れるような囁き声が聞こえて、思わず目じりが緩んだ。
「ああ、一緒だ」
シヅキが儚く、けれど満ち足りたような微笑を浮かべて目を閉じる。
体を屈めて微かにシヅキの唇に触れ、ふわりと世界に溶け出そうとするシヅキを逃がさないように闇の翼で包み込んだ。
全力で妨害しようとしている余計な光を、さらに力を解放し叩きつけるようにして蹴散らす。
シヅキの全てが俺の闇に包まれ、完全に世界に解ける前に……押しつぶした。
「--……ッぅあ!!」
シヅキに留まっていたのだろう『花』の力と波動がものすごい反発で俺の中に逆流してくる。
文字通り内臓を思い切りかぎ爪で掻き回されるのと変わらない衝撃に呻いた。
力と共に俺に流れ込んでくるシヅキの想いと記憶。
それは流れ込んでくる力と同じかそれよりも強く、焼き付けるように俺に溶けていく。
だがどれくらいか分からない時間が過ぎ、ようやくゆっくりとシヅキの欠片が俺の中に馴染む頃、その欠片が囁くただ1つの言葉に苦笑する。
『幸せに』
『どうか、幸せに』
『どうか、どうか、幸せに』
『幸せに――……』
「ほんとに、勝手だなァ」
疲労困憊で文句を呟きながらも、いとしさが募る。
しょうがないか、と思った。
「……承知、した」
***
変わっていく世界で、確かに変わらないものがある。
それは単純にいいことばかりではなくて、どうしようもない罪だったりもする。
私はあの初春の日に死んだ。
それはもう変えられないことだった。
けれどたぶんあの日に私が湖に沈まなければ、アカザは2度と私に会おうとすることはなかっただろう。
もしあの時、私の中にアカザの種子が宿っていることを知っていても、もう一度アカザに会えた今も同じく知ることが出来るのなら、私は何度繰り返してもまた湖に身を沈めただろう。
まったく私は酷い恋人で、酷い母だ。
失くすなら世界さえ壊れてしまえばいいと思った私の一生に一度の恋はまったく綺麗なものじゃなかった。
それでも私は最後にはちゃんとアカザを包み込めただろうか。
私にはもう見ることは出来ないけれど、きっとまたいつか紫の闇に朱い月が浮かぶだろう。
そんな夜には出来ればアカザに思い出して欲しいと思う。
その寂しい朱色の月が光に掻き消されないように、そっと包み込む紫闇があることを。
終わってしまった物語から生まれる物語があることを。
――きっと、いくつもの夜を越えてまた…………。