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紫闇朱月  作者: もにょん
第2章 闇に包まれる月
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第2章-1 再会2

 暗い夜。

 深い森の中。

 何故かなんてわからないまま進める裸足に、下草が擦れて浅い傷を作る。

 けれどそれには気づかないまま枝葉を掻き分けてさらに森の奥へと走っていた。

 そこに行けば見つかるような気がしていた。

 それだけしか考えられなくて、走りにくい獣道を心臓が破れそうになるくらい走った。

 倒れそうになる間際、開けた場所に見えた湖に…

 

 ハッと意識が現実に舞い戻る。

 白昼夢のように私の頭に戻ってきた記憶に激しく心臓が脈打つ。

 気づけば湖のすぐ傍まで来ていた。既視感のように今の状況と記憶が重なる。

 あれはいつの記憶だろう。

 この先に答えがあるような気がした。

 そして私は、茂みを掻き分けて湖のほとりへと進み出た。

 湖は変わらず澄んでいて明るかった。

 周囲の緑も日の光の下で鮮やかな色彩をしていて、そよそよと風に揺れている。

 それだけならのどかで優しいどこにも暗く見える要素などない風景のはずなのに、なぜかその一部分だけが夜を切り取ったようにひっそりと闇を纏って見えた。

 精霊たちがそこにいる、白い紙の上に一滴落ちたインクのように異質なモノを嫌がって逃げ出しているのだ。

 その異様な風景の中心にいた原因である男が振り返る。

 その面を見た途端に、体の奥底がざわりと強い感情に揺さぶられ視界が真っ赤に染まった。

 男の方も一瞬驚いたように目を見開き私を凝視している。

 その瞬間だけ世界中の時間が止まったような錯覚に囚われた。

 そして気がついた時には懐に忍び込ませていた短剣を引き抜き、地面を蹴って男に切りかかっていた。

「アカザァアアアアアアッッ!!!!!」

 日の光の下で白刃が煌く。

 キィン、と硬質な音が響いて何かにその刃が跳ね返され、手に返ってきた衝撃に手が軽く痺れて顔を顰め、一瞬だけアカザから意識がそれた。

 いつの間にか身体を捻って私の斜め横に回りこんでいたアカザは、その隙を見逃さずに短剣を握る私の手をきつく掴み、険しい表情を浮かべ睨みつけてきていた。

「てめぇ……誰だ」

 朱金の双眸がじっと私へ視線を投げかけながら、硬い冷たい声で一言問いを放つ。

「私を忘れた、と……?」

 ぐらぐらと煮え滾るように頭の中が色んな感情に支配される。

「私はあなたを忘れたことなどなかったわ……!!」

 叩きつけるように叫んだ声に喉が引き連れて微かに痛んだ。

 滲んだ涙はたぶんその痛みのせいだけではなかったけれど。

 そんな私にもアカザはひどく冷たい笑みを薄く浮かべる。

「お前ェの姿格好なら、厭ッてェ程覚えてる。ンだが……そんな訳ゃ、ねんだ。誰の差し金だ?お前ェは誰に作られた」

「何がそんな訳がないというの?あなたを殺すために私は妖に堕ちて戻ってきただけ。……この手を離しなさい!」

 もう反対の手を振り上げてぴしゃりと思い切りアカザの頬を叩いてやった。

 ジンと手のひらに返ってくる痺れに奥歯に軽く力が篭る。

 けれどアカザは頬に浮かんだ赤い手の平のあとも痛みも感じていないように、酷薄な笑みだけがさらに温度を下げた。

 その朱金の瞳の奥底を覗き込んで、そこに宿る暗く深い感情に思わずゾクリと背筋が粟立つ。

「……堕ちる、か。……よくよく此処まで似せたモンだ。けど俺ン月は、妖なんざに手ェ貸して貰うような女じゃねェよ」

 底冷えのするような声は決して荒げるようなものではなくむしろ静かなのに、反射的に恫喝されるよりも強く身体が竦んだ。

 

 ――怒っている?

 

 ようやくその可能性に気づいて訝るような表情になる。

 相手にされなかったり逆に面白がったりするということは予想していたけれど、アカザからごく一般的な反応が返ってくるとは思っていなかったから、何に怒っているのかが分からない。

「……好きでこんな身体になったわけじゃないわ。やるべきことをやったら、ようやく私は静かに眠れるのよ」

「俺を殺すため、か?如何してアイツ以外の手で殺されなきゃならねェ。お前ェが本物だって信じる証拠はひとつもない」

 ぐい、とそのまま掴まれていた腕を捻り上げられて痛みに顔を思い切り顰める。

「じゃあどうすれば信じると?信じれば私に殺されてくれるとでも言うの」

「――信じるに相当するモンがありゃァ、信じる。まァ……殺したところで死なねェが。それでもッつーなら……殺してみるか?」

 アカザの返答にすぐにもう片方の手が自分の懐に伸びた。

 着物の合わせに隠していた硬い感触のソレに指が触れると、そのまま手の中に握り込んでアカザの額めがけて投げつける。

 キラリと日の光に煌いたそれがコツリとアカザの額を打って地面に落ちた。

「私にはもう必要のないものよ。持っていけばいい!」

 少し古ぼけた金の台に鮮やかな色の珊瑚が輝く帯止め……アカザが唯一、私に贈って寄越したもの。

 捨てようと何度も思って捨てられなかったそれを、アカザが私の手を離さないまま拾い上げようとして、その瞬間にアカザの緊張と微かな震えが触れた掌から伝わった。

「――…シヅキ?本当に?」

「…ッ、さっきからそう言っているでしょう!あなたが信じていなかっただけで!分かったならこの手を離しなさい!!」

 シヅキ、と。

 呼ぶ声に心のどこかが強く震えた。

 なぜか泣きそうになるのを誤魔化すように、ことさら声を荒げて叫ぶ。

 ふっと腕を掴むアカザの手の力が緩まった。

 けれど離れる前に力強い腕が私の身体を絡め取って腕の中に閉じ込める。

「シヅキ……ッ!」

 こめかみ辺りにアカザの髪が触れて、押し殺したような胸が痛くなるような声がもう一度私の名前を呼んで、微かな吐息が耳を擽った。

 この感覚を知っていると、記憶よりも強く身体が訴える。

 憎んでいるはずなのに、殺したいほど大嫌いなはずなのに、腕も、声も、吐息も、感触も、匂いも、何もかもが私をどこかに引きずり込もうとするように甘く思えてしまう。

「離して……ッ!!私に触らないで!」

 アカザは混乱から逃げるように暴れる私の身体をさらに強く抱きしめて小さく息をついた。

「相変わらず我侭だなァ……勝手に死んだくせに、殺しにくるとか」

「どうしようと私の…………え?」

 反射的に言い返しかけて、何か違和感を感じて声が喉に詰まった。

 落ち着けと自分に言い聞かせて、頭の中から擦り抜けていきそうな違和感を必死に手繰り寄せる。

 そしてそれに気付いた時、愕然とした。

「――…どうして私が勝手に死んだと思うの?」

 湧き出た疑問をそのまま口にする。

 私とアカザが一緒に過ごした時間はもう遥か彼方のことで、だから私がただの人のままなら死んでいてもおかしくはないのだけど、普通に寿命を全うしたのなら勝手にという言葉は使わないと思う。

 私の問いかけにアカザが一瞬、呼吸を止めて……そして微かに笑った。

「お前が沈むのを、見てたから」

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