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紫闇朱月  作者: もにょん
第1章 少女と妖
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第1章-6 さらに冬を経て3

残酷な暴力描写および無理矢理な性描写が出てきます。嫌いな人、十五歳以下の人、及び現実と妄想の区別がつかない人はブラウザを閉じて下さい。

 帰る場所はもうないのだと思っていた。

 だから迷いながらもたぶん選択肢はないのだと思っていて、納得するのに気持ちを落ち着ける時間が必要だったのだと思う。

 ――それがどんなに甘えた考えか分からずに。

 私は卑屈で、卑屈だと考えることがもうそうなのかもしれないけれどそれが事実で、自分に自信なんて持てなかった。

 故郷ではいくら努力しても自分の思う通りには何一つ進まなくて、たぶん私は心の奥でそれに拗ねていたのだと思う。

 だから与えられたものが永遠なんてことは全く信用できなかったし、いくら与えられても満足しなかった。

 もう傷付きたくなかった。だからいつだって心は誰にも与えることも出来なかった。

 もし私が一欠片の勇気を持って、傷付く覚悟を決められていたら。

 もしかしたら、未来は変わっていたのかもしれない。

 

 ――私は後々までこの可能性について飽きるほど考えることになる。

 

 ***

 

 風呂に入ってくると告げてアカザは家の中に入っていった。

 その後いつまで私は庭に転がったお義母様だったものを眺めていたのだろうか。

 亜麻色の髪は所々、すでに赤茶けてきた血液と土に汚れていて、とても自慢にしていて私も綺麗だと思っていたのに残念だなと、冷静だったならかなりずれた考えだと分かるだろうことを思った。

「――…埋め、なきゃ……」

 それからしばらくして、多少マシな行動案が頭の中に浮かぶ。

 こんな地面に無造作に放置しておくのは良くない。

 鈍った頭では何が良くないのかまではまだはっきり考えが及ばなかったけれど、たぶん間違ってはいない。

 穴を掘らなくてはいけない。ああ、でもまずはお義母様を抱き上げなければ……。

「何してンだ」

 身体を前倒しにしてお義母様だったものに手を伸ばしたところで、後ろからアカザの声が響いて伸ばした手を取られる。

 緩慢な動きで振り返ると、ぽたりとアカザの髪から滴った雫が頬に落ちた。

 それはもう赤くはなかったけれど、つぅっと頬を滑り落ちる雫の冷たさにゾクリとする。

「お義母様……埋めなきゃ…」

「必要ねェ。ほっとけ」

 でも、と言い募りながら再びお義母様に手を伸ばそうとした私の腰にアカザの腕が回り、ひょいと持ち上げられる。

 場違いにふわりと微かに漂う石鹸の香りが逆に今が夢でなく現実なのだと感じさせた。

「…どうして?」

「この間ッからどうしてばっかりだな」

 抵抗する気力もなく片腕に座らされるように抱き上げられて、引っ張られる際にかかった腹部への圧迫に反射で軽く顔を顰めた。

 背中をもう片方の手で支えられてアカザはとても上手に抱き上げるから、何だかとても力が入らない身体でも落ちる心配はしなくて済む。

「お前があンなもンに触るな」

 投げて寄越したのはそっちなのに、奇妙なことを言う。

 アカザが歩き出すと当然抱き上げられている私もその場から離れ始め、お義母様だったモノの方を振り返ると闇がどろりとその下に湧き上がって引き込むようにソレを飲み込んでいった。

 急いで視点を変えて私はアカザを見下ろす。けれど、アカザは私に視線を向けない。

「ひどいこと、しないで」

「死人に何したッて変わりゃしねェよ」

「アカザ、もうやめて」

「聞かない」

「アカザ……!」

「俺にも譲れるもンと譲れねェもンがある」

 話しながらもアカザは足を止めない。

 そのままアカザがいつも眠っている部屋まで連れて行かれて、畳の上に下ろされた。

 そのまま覆いかぶさるように押し倒されて、湧き上がる嫌悪にアカザの胸を腕で押し返す。

「嫌…ッ!」

「シヅキ、抵抗するな」

「嫌だってば!」

「傷つけたくねぇンだ。受け入れろ、シヅキ」

「いやぁ…!!」

 めちゃくちゃにもがいて暴れる私の身体をアカザが押さえ込む。

 力で従わされているのになぜか出来るだけ傷つけないように優しく、細心の注意を払っているのが分かることが悔しさを煽ってなおさら嫌だった。

 唇が重なって拒絶の言葉が奪われる。

 涙でぼやける瞳に、なぜか苦しそうに顔を歪めたアカザの顔が映ったような気がした。

 

 ***

 

 気がつけばいつの間にか敷かれた布団の上にいて、アカザの腕に抱きこまれていた。

 乾いた涙のせいで目元がヒリヒリとする。

 気絶する前は何も身につけていなかったような気がするのに、自分の身体を見るときちんと寝巻きに着替えさせられていた。

 起きてすぐで暗闇に目が慣れているから、うっすらと明り取りの窓から差し込む光でも何となく物が見える。

 その目ですぐ間近に見える整ったアカザの寝顔をひどく静かな気持ちでしばらく見つめた。

 アカザは私の言葉では止まらない。

 数時間前までは張り裂けそうに胸が痛くて色々な感情に熱く高ぶっていた心が、その事実に静かに凪いでひんやりと冷え込んだ。

 出来るだけ静かにゆっくりとアカザの腕を外して布団の上に起き上がる。

 そっと手を伸ばしてアカザの頬にかかった髪を指の背で払うと、少し尖った耳と首筋が露になった。

 そのままその首筋に手を宛がうと、規則的な脈動が掌に伝わってくる。

 その熱でじわりと冷えた心に熱が戻ってくると、自分がひどく息を詰めていたことに気づいた。

 息苦しさに大きく胸に息を吸い込んでゆっくりと吐く。

 そうして震えるもう片方の手もアカザの首に宛がった。

 

 ――私は色々なものを、この人から守らなければならない。

 

 そう頭の中で呟く声に頭の別の所から、でも、と声が上がる。

 

 ――私はそれを望んでいるのだろうか。

 

 ――でも、私の気持ちなど関係がない。

 

 ――本当に?アカザを殺せるの?

 

 ――関係、ない。やらなければならないの。

 

 ――なら、やってみればいい。そうすればアカザは2度と触れてはこない。柔らかく朱金の瞳に姿を映して、シヅキと優しく呼ばれることもない。

 

 声に押されるように震える手にほんの僅かに力を込める。

 先ほどより強く指先に感じる脈動と熱と硬い男性の皮膚の感触。

 やらなければならない。チラチラと頭の中に、地面に転がったお義母様の頭が蘇る。

 それと同時に知っている顔も知らない顔も、無数の顔が血塗れて同じように地面に転がる光景が頭の中に浮かんだ。

 きっとそれはただの空想ではなく、これから確実に起こる可能性が高いもの。

 

 だから。

 

 さらに指先に力を込めようとする。

 

 ――でも…!!

 

「……ッぁ……いや、ぁ…ッ!!」

 

 掠れた悲鳴みたいな声が喉を滑り唇を動かしたのと同時に、大粒の涙がアカザの首に添えたまま力が込められない手の甲に滴り落ちて跳ねた。

 

 ――嫌だ。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…!!

 

 このまま力を込めれば、もうアカザは私を見ない。愛しむようにシヅキ、と呼ぶ声が聞けない。優しく触れてくる手の熱も失われる。

 

 ――それなら故郷など、世界など、滅びればいい。アカザがいない世界など嫌だ。世界中から罵られ排斥されようと受け入れられない!

 

 この世の終わりのように胸の中に響いた慟哭に、ああ、と、すとんと唐突に納得した。

 

 ――アカザが好き。私は、この人が誰よりも愛しい。

 

 自覚すると同時にさらに涙が溢れた。

 堰き止めようもなく溢れ出す想いにひくりと喉が嗚咽をこぼす。

 こんな風に呪うように貪欲なものでなく、恋や愛はもっと優しいものだと思っていた。

 

 …けれど、私はどうしようもなく、愚かなほどに何もかもが遅かった。

 

「――…やらないのか?」

 

 響いた声にびくりと全身を震わせて、慌てて視線を少し上にずらす。

 そして予想通り、瞼の下に隠れていたはずの朱金の双眸が、静かに私の顔を見上げていた。

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