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紫闇朱月  作者: もにょん
第1章 少女と妖
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第1章-1 彼女の事情2

 顔を上げるように促されて見上げた陛下は、ひどく整った中性的な面差しの男性だった。

 色の薄い金の髪とアイスブルーの瞳がその容貌に冷たさを与えそうだったけれど、少し垂れ気味の眦と浮かべる柔らかな微笑がうまくその冷たさを中和しているというのが私の第一印象だった。

 形式的な自己紹介と挨拶を終えて陛下にソファを勧め、対面になるように自らもソファに座る。

「国境が不穏だと聞き及んでいますが、王城を離れて大丈夫だったのですか?」

 クラウス陛下よりも先に喋りだすのはマナー違反とわかっていたが、黙っていても埒があかない。

 それにここに陛下が来た理由とまったく関係ない話でもないのだから。

「予防策は取ってきたし、何かあれば連絡は来るようにしているから大丈夫だよ。だからそう追い返そうとしないでくれないか」

「そんなつもりは…」

 困ったように微笑む陛下にむっと眉間に皺を寄せる。

「ああ、怒らないで。決して嫌味のつもりはなかったんだ。それに君に歓迎されない人だっていう自覚はある」

 陛下の宥めるような声音と仕草で、こどもみたいに感情をむき出しにしていたことに気づいて恥ずかしくなる。

「…唐突で思いもかけなかったことなので多少混乱はしていますけれど、陛下を歓迎していないなどということもありません」

「そういわれると徹底的に嫌われる前にこのまま尻尾を巻いて逃げ出したくなる。まぁ、そういうわけにはいかないけれど。君はどこまで今回のことをきいている?」

 陛下の問いかけに数日前のあの人との会話が脳裏に蘇る。

 

 ***

 

 ぐずついた天気が多かった最近では珍しく晴れた日の夜、数ヶ月ぶりに父に呼び出されて父の執務室へと足を運んだ。

 衛兵の取次ぎの後に入室した、見慣れた父の執務室は仕事とプライベートをきっちりと分ける父らしく、相変わらず重厚な調度品で部屋が整えられているために堅苦しくて寛いだ気配を寄せ付けない。

 私は父の寛いだ姿など知らないし、父に会うのもいつもこの部屋だった。仕事や侯爵家に関わることでしか顔を合わせないのだから当然といえば当然だとは思う。

「お呼びにより参りました」

 スカートを少しつまみ腰を落として礼を示す。

 顔を上げると執務机の前に座った父と目が合った。

 久しぶりに顔を合わせた父は少しやつれたような気がした。

 まだ40代にも入っていないのにひどく老けて見える。

 数秒見つめあった後に父の視線が耐え難いように逸らされた。

 その仕草に昔のように激しい痛みは湧き上がらない。

 それでも膿んだ傷口のように疼く胸から意識を逸らすように、私もさりげなく父から視線を外した。

「――座りなさい」

 椅子を勧められて軽く目を瞬かせた。

 私と父の間に世間話などありえない。

 顔を合わせるのは年に数度、それも大体一言か二言の会話を交わして終わる。

 腰を落ち着けて話さなければいけないほど長い話なのだろうかと訝りながらも逆らわずに部屋にしつらえられた応接セットの、革張りのソファに腰を下ろした。

 父が執務机の前から向かいのソファに腰を下ろすと、申し付けてあったのだろうお茶が侍女の手によって運ばれてくる。

 そしてお茶の用意が整うと人払いがなされた。

 左手でソーサーを持ち上げて手元に引き寄せ、右手で持ち上げたカップから薫り高い温かな紅茶を一口含んで唇と喉を湿らせる。

 その間も言いあぐねている父の視線をずっと感じていた。

 私に対してはいつも端的な態度を崩さないこの父にしては本当に珍しいと思う。

 礼儀として一口含んだ後はソーサーとカップを机の上に戻す。

 しばらく父が口を開くのを待ってみたが、父の声は発せられない。

「あの…」

「お前が王の傍仕えとして王城に上がることが決まった」

 さすがに居心地が悪くなって話を促そうと出した私の声を遮るように父の声が発せられる。

 その言葉に愕然とする私の顔を見る父は、もう先ほどの逡巡など微塵も寄せ付けないようないつもの事務的な顔に戻っていた。

「私を陛下の侍女に…ということですか?」

「大して変わらないだろうが、普通の侍女のようなことはしない。まだ公になってはいないが、実は王宮に人外の者を入れようという動きが本格化してきている。今までもそういった動きは多少あったが、最近隣国のグリセルダがきな臭いせいでここにきて強くその方針を押す貴族が増えた。どうも強い人外の者が付いたらしく、気を大きくしたかの国との国境で小競り合いが続いている」

 話しながら僅かに父の眉間に忌々しそうな皺が寄る。

 人外の者と呼ばれる、人間とは違う者たちがこの世には存在する。

 ほとんどは人の前に姿を現すこともできないが、彼らの中でも特に姿を現すことの出来る力のある者は、気紛れで人の中に紛れ込み時に人を害した。

 だが同じように国の中枢などで人を教え導いたりもした。

 人々はまさしく人知を超えた力を恐れながらもその人外の者たちの力を頼り、大なり小なり国の中枢には人外の者が紛れ込んでいるのが普通だった。

 そんな中で西部大陸の東北に位置していたカナル国は、非常に珍しく政の一切から人外の者を排除した体制を建国当時から貫いてきた上に、領土の多少の拡大と縮小を繰り返しながらも動乱の時代を乗り越えて生き残ってきた希少な国だった。

 天然の要塞である森と山に囲まれた立地条件に加えて冬が厳しく、そう豊かでもないために支配下に置こうと思う国が少ない土地柄、人外の者に政を左右されない堅実な性質が功を奏した例と言える。

 その性質ゆえにカナル国では人外の者に対する蔑視が強い上に、この国の貴族は自分たちの手で国を守ってきたという自負が強い。

 そのせいだろう、何があっても人外の者に頼る選択は屈辱に感じる。

 だがそれを押し曲げてもそんな声が上がる程度には不味い状況だということなのだろうか。

「何より陛下が、このたび王宮に親しい人外の者を呼ばれた」

 その言葉に眉を潜める。

 父は明言しなかったが、おそらくその人外の者は女性なのだろうと声の調子などから感じ取れた。

 父に向けた視線で私の懸念を感じ取ったのだろう父が頷く。

「臣下が何を言っても聞かない。無節操に人外の者を政に介入させるつもりはないが、同じように無闇に排除する必要もないと。一理はある。だが人外の者を王妃として迎えるわけにはいかない。折れ所がなく王宮が揺れていた時に、余計なことを思い出した者がいた」

 微かに不機嫌を覗かせながら父は冷めた紅茶に口をつけて唇を湿らせてから視線を私に据える。

「私にお前という娘がいることをな。人外の者を王宮に入れることが目的なら別に陛下の恋人でなくとも構わないはずだと」

 嫌な予感が少しずつ強まってぎゅっと両手を握り合わせるようにして力をこめる。

「つまり…私に陛下の妾になれと?」

 喉から押し出した声は自分でも驚くほど掠れていた。

 王妃にというのなら最初に傍仕えになどとは言わないはずだ。

「言葉を選ばなければ、そうだ。陛下の意見に反対している者からすれば、生粋の人外の者よりはマシということだろう。それに少なくともお前には間違いなくこの国の貴族の血が入っている。賛成している者としても、不服は残るが将来的に人外の者を迎え入れる土台が出来ればいい。双方の折れ所がお前だった。ただ陛下がごねられて、まずは傍仕えとして王宮に召し上げられることが決まった」

 僅かな願いも空しく冷たく目を細めた父が淡々と肯定を返してくる。

「私には何の力もありません」

 それでも僅かな抵抗を試みるつもりで震える声を抑えて言葉を紡ぐ。

「関係ない。王宮に必要なのはお前の瞳の色で、お前の能力…ましてやお前の意思ではない。お前が何ら役に立たずとも、最悪でも反対派にすれば陛下の恋人が王妃になる前に排除する時間が稼げればよし、賛成派としてはお前が子供の1人でも産めばその子を武器に出来る。ただそれだけの話だ」

 一刀両断するように変わらず乱れのない父の声が部屋に響いて、腹の底が捩れるほど熱い感情が一瞬で体の中を満たす。

 ただどこかの家へ嫁せというのなら、万が一にも起こらないだろうと思いつつも覚悟はしていた。反発はしなかっただろう。腐っても貴族の娘として生まれた自覚はある。

 だがこれは私が人でないと決められた上での話なのだ。

「顔合わせに3日後、直々に陛下がこの屋敷にやってこられる。そのつもりでいなさい」

 父の言葉にすべてが決められた上での話なのだと改めて感じる。

 話は終わったとばかりに私を見ようともせずソファから立ち上がる父に、一瞬で沸点まで達した感情がざっと引いていくのを感じた。

 諦めと空しさが代わりに胸を苦く満たしていく。

「――それが貴方の望みですか?」

 立ち上がった父を座ったまま、まっすぐに見上げて問いかける。

 父がもう一度私を振り返って、睨み合うように数秒沈黙した。

「―――そうだ」

 短い肯定に詰めていた息を細く吐き出す。力ない微笑が面に浮かぶ。

 静かに立ち上がると深く腰を沈めて俯いた。

「仰せのままに…お父様」

 父の視線を感じながら顔を上げる。お父様などと呼んだのは久しぶりだったことに言ってから気づく。そしてきっと最後になるのだろうと思った。

 優しくしてもらった記憶などない。愛されていたと感じられたことも。

 それでも、隠すようにしながらも最愛の妻を奪った奇妙な子を捨てずに育ててくれた。

 十分な食事と暖かな寝床を与え、ある程度の教養もつけさせてくれた。

 だから一度くらい、父の役に立とう。父の望みを叶えよう。

 けれどこれで最後だ。捨て切れなかった父の愛情を待つ望みを手放そう。

 そして退出の意を示し許可をもらって父に…彼に背を向けた。

 

 ***

 

 思い出したあの人の顔に胸の奥からこみ上げた何かを誤魔化すように、用意されたお茶のカップに口を付けて気持ちを落ち着かせる。

「…一通りの事情は聞いています。ですが私には本当に特別といえるような力は何もありません」

「それはお父上から聞いている。でも君が一番、色々な人から見て適役なんだ」

「――私はただの人間です」

 伝わらない意思につい苛立ちが声に混じる。

 陛下が軽く瞬きをしてから、ああ、と思い至ったように頷いた。

「分かっている。人と人ならざる者との間にこどもは生まれないからね」

 何気なく告げられた言葉に驚いて陛下の顔を凝視してしまう。

 そんな私の顔に、おかしそうに陛下が軽く笑い声を立てた。

「知らなかった?抜け道はあるらしいが、君は違う。マリカが…私の知っている人ならざる者が違うと断言したから」

 マリカ、と呼ぶ時の陛下の目がひどく優しく細められて、それでそれがあの人の話に出てきた人外の者なのだろうと気付く。

 陛下も私がそれに気付いたのに気付いたようだった。

 表情を引き締めた様子につられるように、私の背筋に力がこもる。

「勝手なことを言うよ。――王宮にきてもらっても私は君を異性として愛せないし、愛さない。私の心はもう別の人の上にある。けれど彼女と私の間にはこどもができない。さっき言った抜け道は、私と彼女の間には適用できないからね。そして私にはこどもを作らなきゃいけない理由がある」

「それは理解しています」

 陛下の言葉に同意を示す。

 館の奥に引きこもっていても、陛下の周囲の複雑な様子は耳に入ってきている。

 クラウス陛下は王の庶子で本来は王になるべき人ではなかったけれど、紆余曲折の後に先代の陛下の指名により王座についた。

 王家の血統だけをいうのなら、クラウス陛下よりも正当な血筋は残されている。

 それでも再びの混乱を避けるためには、その血筋から養子をという話は現実的ではないのだろう。

「どちらにしろ誰かを迎えなければならないのなら、貴女がいいと思ったからお願いしにきた。色々と不服はあると思う。たぶん王宮は君にとって居心地のいい所でもないだろう。私のことも生涯好きにはなれないかもしれない。ただ君がこの国の貴族として、少しでも国を愛しているのなら…協力してほしい」

 立ち上がった陛下が腰を深く折って頭を下げる。

 陛下が貴族とはいえ一介の娘に頭を下げることに驚きながらも、奇妙な高揚に胸が鳴った。

 陛下が口にしたのは厳しい言葉ばかりで、私の得になるだろうことは感じられない。

 それでも朽ちていくばかりだと思っていた私を欲しいという姿勢に嘘は見られなかった。

 頭を上げた陛下のアイスブルーの瞳とまっすぐに見つめあう。

 打算を含んでも私の全てを欲しいと真剣にいう人も、私の瞳をこれほどまっすぐに見つめてきた人も初めてだった。

 だから私も立ち上がり、陛下の前に膝を付いて最上級の礼をする。

「この命、国の礎になれるのであれば全て陛下に捧げましょう」

 

 こうして初夏から本格的な夏へと差し掛かる時期、私は住み慣れた館を離れて王宮へと旅立った。

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