第1章-5 続く秋3
楓の葉が色づき始めるに従って、さらにどんどん空気が澄んでいく。
このキンとした冷たい感覚は私にとってひどく身近なもので、私はどちらかといえば好きだった。
生まれ育ったカナル国は夏も秋も短く、その分だけ冬は長く厳しくて、深い雪に閉じ込められる季節を多くの人は嫌っていたけれど、曇りのない白に全てが多い尽くされ静謐に満ちるあの気配を私は愛している。
そんな気配を帯び始めた初冬と呼ぶか晩秋と呼ぶか曖昧なころの空気を感じて、懐かしさと共に故郷のことを思い出していた。
昨日の夜は一気に冷えたからか、一晩で急速に色鮮やかに紅に染まった庭に生えた楓の木の下に立って、ぼんやりと高い空を見上げる。
目に映るのはひらり、ひらりと舞い落ちる花びらのような鮮やかな紅の葉に、比較的高地にある故郷とは少しだけ違う空。その空を横切る鳥もやはり違う気がする。
考えながら自分の気持ちに気づいて奇妙だと苦笑が零れた。
いいことがあったなどとはとても言えない場所なのに、私はあそこを懐かしいと…慕わしいと思っている。
この屋敷を取り囲むのとはまた違う、冬でもほとんど葉を落とさない深く鬱蒼とした豊かな森と山脈から流れ出す豊富な水源。短い夏を楽しむように、どこの家でも庭には薔薇を植えて楽しんでいた。周囲から閉じ込められたようにゆったりと時間が流れる、古い空気が残る私が生まれ育った国。
戻りたいのだろうか、考えてみるけれどそれには答えが出ない。
あの人は私を探しているのだろうか。もう父親として見ないと決めていたのに、どうやら思い切れていなかったらしい自分にそっと溜息をついた。
視線を屋敷へと転じてみる。今そこには誰もいない。
屋敷の主であるアカザは少し前まではほとんど屋敷に居続けていたのに、最近になってよく出かけるようになった。よく出かけるというより、屋敷に居付かない。フラリと出かけては数日から1週間は帰らず、少しの休憩を取ってはまたどこかへと出かけていく。
何をしているのかはさっぱり知らない。けれど出て戻るたびに、あの男の中で何か研ぎ澄まされていくような気配を感じる。
あからさまではないはずのその微妙な変化に気付けてしまう自分に気付いた時には眉を潜めた。いつのまにか、あの男の気配を無意識に捜している。
今ではもう分かっている。私はあの男に依存しているのだと。
愛だとか恋だとか甘ったるい意味では分からない。
今でも憎らしいし許せないことは多いし、人ではない存在に対する恐れも拭いきれない。
けれど許されるあの空気に包まれる瞬間に、中毒のように溺れたいと感じている。
それでも、と苦く顔を歪めた。
アカザの元にこのまま残り続けることは、本当にこれまでの私の全てを投げ出すことになる。
細く細く、もう繋がっていないかもしれない糸でも、自分で断ち切る勇気が私にはない。
どうか、どうか、繋がっていて欲しいと息を潜めながら重苦しいほどに強く願っている。
傷つきたくないから。逃げる場所があって欲しいから。
認めないことでやり過ごしてきた、それももう限界かもしれない。
誰もいない屋敷の気配に胸の奥が引き絞られる。
今度アカザが帰ってきたら、ちゃんと話をしようと思った。
***
「やる」
久しぶりに帰ってきたかと思ったら、アカザは唐突に私の手を取って、その掌に何か小さなものを落とした。
手の中に落ちたそれは小さな帯止めで、華やかな金色の地金に淡い桃色と深い紅色の大小の玉が飾られていて、光をはじいて美しく輝いた。
「この石は?」
「珊瑚だな」
「珊瑚…?」
「海で取れる石…というより、生物の外骨格…骨だな」
「…どうしてそう気持ちの悪い表現をするの」
「事実を言っているだけじゃねェか」
軽く眉をしかめた私におかしそうに喉を鳴らす。
それが何か考えなければ手の中で輝くそれは間違いなく綺麗で、何か害意あるもののようには見えない。
だからこそこれを私に渡したアカザが不思議で首を傾げた。
「で、これは?」
「土産。南の知り合いの所に用があったかンな」
これの礼、とアカザが自分の髪を結ぶ結い紐を指で指し示す。
染色を始めてから、勘を取り戻す練習がてらにいくつか染めたものをいくつかアカザに渡していた。
アカザが示したそれは、何度も色んな液に漬けて染めたこっくりとした黒と、鮮やかな紅に僅かに黄色を混ぜた糸で組んだもので、放っておくと一向に自分の身なりに頓着しない…とはいっても不潔なわけではないけれど…アカザに私が渡した最初の品だった。
「練習の品を押し付けただけよ」
礼をされるようなことはしていない、と言いながらも鼓動が少し早くなるのを感じる。
アカザは私が生活するのに必要な品は揃えたけれど、こういう単純な装飾品などの贈り物などはこれが初めてのことだった。
「いいンだよ。あとは、ご機嫌伺い的なモンだかンな」
ふと、アカザの声が僅かに沈む。
それに引かれるように手元に落としていた視線を上げると、朱金の瞳が冷たい光を宿して私を見つめていた。
先とは別の意味で鼓動が跳ね上がる。
「アカザ…?」
不安に押されるように名前を呼ぶと、それに押されるようにアカザが言葉を発した。
「――冬に入る前に、俺の同胞がカナル国に攻め込む」
静かに告げられた言葉に、一瞬全ての音が世界から消えたように感じた。
「準備は整った。国の守護も、王族も、邪魔なものは全て消す」
凍りついたように動けない私の瞳を、禍月のような朱金の瞳が覗き込む。
「シアネータ・アリスティス・サバルティア」
紡がれた名前に硬直が解けるようにびくりと肩が震えた。
教えた覚えのない私の正式な名前に、どうして、と疑問がまだ鈍い頭に浮かぶ。
「お前の父親も、邪魔をするのなら同じだ」
アカザは冷たく…ひどく淡々と、聞いたこともないような声で喋る。
巧く思考が追いつかない頭でそれを聞きながら、私は先日思い出した故郷の冬を再び脳裏に思い描いた。
頬を撫でる風がひんやりとした冷たさを孕む。故郷のそれに似て、違う空気。
けれど厳しさを感じさせる気配は同じもの。
――穏やかな秋が終わり、冷たい冬がやってくる。
今回で甘い秋は終わりです。
ラブラブを期待していた方すみません!
以前の予告通り次からは波乱の冬が始まります。
拍手設置してみました。
お礼SSなども上げてありますので、良かったらパチパチしてみてやってください。
ついでにメッセージなどもいただけると作者が狂喜乱舞して喜びます。