番外編 闇姫様4
今回で番外編は終わりです。文章量がマチマチですみません。
あっという間のことで、実際のところ私は後になってもその時のことがよく思い出せない。
それでも野生の狼の群れに囲まれて闇姫様が私とアリーを逃がそうとした時に、唐突に現れた男の人のことは昨日のことのように思い出せる。
第一印象は恐ろしいの一言だった。彼が、というよりも彼に纏わり付く気配が本能的に肌を粟立たせた。
彼は私やアリーなど見ていなかったし、周囲の狼も気にしていなかった。
気にしていなかったというよりも、存在することは認識していてもどうでもいいようだった。
彼はただ闇姫様だけを見ていた。
それが幸いなのか不幸なのかは場合によると思うけど、私とアリーにとってはあの時幸いだったのかもしれない。
例えそれが、髪の毛一筋の差で逆に転ぶような幸運だったとしても。
***
私とアリーは呆然と月を見上げていた。
その場所から闇姫様を抱えた人外の男が消えてからそれなりの時間が経っている。
木々の間から差し込む月光だけが灯りで、そういえば今日は満月だったのだなぁとようやく気づく。
冷えてくる空気に傍らのアリーと寄り添って体温を分け合った。
初夏とは言っても、寒冷なカナルの夜でしかも森の中で必死に走った汗もある。
「アリー、大丈夫?」
「何とか…」
私より相当ぐったりしているのは出血のためだと思う。
早く矢を抜かないといけないのは分かっているし、間違って矢に射られて怪我した鳥を手当てしたことがあるから抜き方も何となく分かっているけど、ここにはろくなナイフもない。
微かに血の香りが漂う。それが哀れな狼のものなのか、隣のアリーのものなのかはわからない。
深く考えると気持ち悪くなりそうなので、意識的にそれらを思考から切り離す。
それにしてもどうしようか。
これだけ死臭が漂っているのだ、あまりこの場所に長くいるのも良くないというのは分かっている。
でもこれだけ真っ暗で、怪我人2人で、森の中を彷徨うことも自殺行為に感じられた。
「なンだ、まだここにいたのか」
出ない結論にうんうんと唸っていると、唐突に響いた声に俯いていた顔を勢いよく上げる。
耳に異変がなければ、その少し独特な癖のあるしゃべり方は先ほど闇姫様を浚っていった人外の者のように感じられた。
けれど声はすれども姿は見えない。
隣のアリーとさらにぎゅっと身を寄せ合いながら周囲をきょろきょろと見回す。
「姿はねぇよ。身体ごと空間、通ンのは結構疲れンだ」
くっ、と笑う気配が声と一緒に届く。
「それに、今はこいつが傍にいるかンな」
ふ、とひどく柔らかく声が甘くなった。あんまり優しいから、一瞬きょとんとして瞬きを繰り返してしまったくらい。
こいつというのは、まさか闇姫様のことだろうか。
だが深く考えるよりも先に隣で上がった声で思考が中断する。
「――…ッ、何よ何よ、私たちを殺しに戻ってきたの!?」
「アリー!アリー…落ち着いて」
せっかく少し落ち着いていたのに、また恐慌状態で闇に向かって叫ぶアリーをぎゅっと抱きしめた。
いつもは私がアリーに宥めてもらう側なのに、隣で自分以上に取り乱した人がいると、逆に落ち着く場合もあるのだと分かった。
「できなくはねェけど、ヤる気はねェよ。立てッか?」
「…?たぶん、何とか…」
アリーのわめく声にめんどくさそうな気配が混じる。
警戒しつつもアリーを宥めながらゆっくりと立ち上がった。
足首に鈍い痛みを感じるけど、走ったりしなければ何とか体重を支えられる。ほっとした。
「日が昇ったら、お前らから見て右にずっと進め。街道に出るまでは目印を付けといてやンよ」
「…どうしてそんなことを?」
「シヅキが泣くから」
シヅキ?
当たり前のように返ってきた返事に含まれた聞き覚えのない名前に思わず首を捻る。
「…もしかしてシアネータ様のこと?」
「ああ、そういう名前なンか」
「シアネータ様は…?」
「寝てる…ッつーよりも気絶してるッてのが正しいか」
男の言葉に思わず眉根に皺が寄った。
「無事な…」
「あんな疫病神のことどうだっていいじゃない!」
私の問いかけを遮ってアリーが発した言葉にぎょっとする。
「どうしてそんなモノと普通に話してるのよ!信じられない!おかしいわよ!全部何もかもおかしいわよ!」
わめいて暴れようとするアリーの身体を必死で抱きしめて、よろけて再び地面に座り込む。
捻った足が痛んだけど、それに構うよりもアリーが発した言葉がショックだった。
「あの人がこんな場所に連れ込まなきゃ、こんな場所で怯えることなんてなかった!そいつだってきっと私達のこと騙してるに決まってる!どうしてッ…どうして…!!」
身体を捩った時に矢傷に響いたのか身体を強張らせる。
全ての鬱屈を吐き出すように声を荒げるアリーに、これ以上言わせてはだめだと思う。
アリーはこんなことを言う子じゃない。正気に返ったらきっと後悔する。
「アリー、落ち着いて。お願いだから…」
「…ッ、どうしてこんなことになってるのよぅ…」
涙交じりの声に私も泣きたくなった。
この闇が悪いのだと思う。あんまりに深すぎて、共鳴してしまうと心の奥底にひっそりと眠っている、よくないものに忍び寄って溶かしだしてしまう。
「――別に信用されてェわけじゃねェからイイけど、俺の用はそンだけだ」
煩わしいと隠さない声が響いて会話が打ち切られようとしていることに気づき、慌ててアリーから周囲へと視線を移す。
「待って…!どうしてシアネータ様を攫ったの!?」
もしかしたら王宮の誰かの差し金かという疑いがチラリと脳裏を掠める。
「欲しかったから」
「……」
だけど男のそのひどく軽い返答に思わず絶句した。
また微かに笑う気配が伝わってくる。
「そンなたいそうな理由なんてねェよ。アレが欲しいと思った。だから奪った。人間の都合や思惑なんざ俺の知ッたことじゃねェ。シヅキの全部はもう俺のモンだ」
紡がれる言葉に込められた、意外すぎるひどく強い独占欲に衝撃を受けながらも、先ほどの闇姫様が泣くから、という言葉の真の意味を悟った。
彼女の全て…身体も、感情も、自分のものだと。だから他の誰かへの嘆きも許さない。
「手助けくらいはしてやンよ」
後の生きるか死ぬかは勝手にしろ、と一方的に会話を打ち切って、それ以上どれだけ呼びかけても待っても声が響いてくることはなかった。
***
これはただの後日談だ。
彼の残した気配に怯えたのか、奇跡的に朝になるまで他の獣は寄ってこなかった。
私とアリーは、微かに木々の間から零れ落ちる朝日と、所々で足元で小さく揺らめく不思議な黒い炎に導かれて薄霧に包まれる森を少しずつ歩いた。
やがて辿り着いた村には、運よく今度こそきちんと陛下から送られてきた兵が逗留していて、私達を保護してくれてようやく私もアリーもまともな手当てを受ける事が出来た。
調査のためにそのままアリーと一緒に王都へと送られ、クラウス陛下の采配でそのまましばらく隠されることになった。
その後、私は自分から志願して、陛下の最愛の方であり、同時に人外の者でもあるマリカ様の侍女となった。
一連の事件は私に多大な恐怖を与えたけど、それと同時に人外の者への興味も残していった。
だから彼ら彼女らの見ている世界がどんなものかを、私は知りたくなった。
マリカ様の侍女になってからも色々とあったけれど、それは別の話。
あれからだいぶ時が流れて、それでも時折ふっと思い出すことがある。
憶測でしかない。けど、初めて出会った時、きっと闇姫様もあそこに泣きに来たのだろう。
あの人は何も言わずに自分の心の休息所をそっと私に分け与えた。
なんて不器用な優しさなのだろうと思う。そんな優しさ、きっと誰も気づいてなんてくれない。
彼女はあの人外の者の腕の中で今、笑っているのだろうか。それとも泣いているのだろうか。
私にそれを確かめる術はないけど、1つだけ願っていることがある。
もう親愛なる私の闇姫様が、無表情の下に全てを押し込めることがないことを。
- 番外編 闇姫様 Fin -
そしてアカザは3日間シアを可愛がることにかまけて2人のその後を伝え忘れたというくだらないオチが…(おい)
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