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空戦。
青い空に描かれる、散らかした毛糸のような飛行機雲の跡。
空を自由に、しかし苦しそうに飛ぶ戦闘機たち。
ぐるぐる、ぐるぐると回る。互いに、敵を正面に捉えようと回り、時に逃げ、時に追いかける。
時折、赤い炎や黒い煙が見えると、それは力尽きたように下へと落ちて行く。
――その極東の国は、さして大きくもない国であったにもかかわらず、新技術の開発により世界を圧倒する大国となっていた。
その国が、ある時突然に、太陽皇国と名を変えた。
そして経済力と軍事力を得たことで、自身が世界を統べる国だと豪語するようになった。
他国の経済を破壊する政策に始まり、歴史の改竄やそれによる国民の洗脳、資金力を盾にした恫喝や権力者への裏工作、重大な犯罪の揉み消しまでもが、まるで自宅で食事をするかのような気軽さで行われた。
これに異を唱え対抗した複数の国家が制裁を行うも、遅かった。それを物ともしないまでに育ってしまっていた。
報復と称した軍事行動を、止めることもできないままに敗戦を重ね、暗黒の時代が少しずつ、着実に迫っていた。
世界中に広がった、逃げ場の無い負け戦、の内のひとつであるこの戦場で。
一機の戦闘機が、積乱雲から飛び出した。
戦場が文字通りにひっくり返るしばらく前、私ことアリオス・ド・D・シエルフィは、乗機であるUPF-14Tの操縦席から、自分の耳に届く通信音声を聞き流していた。
「うわっ、何だ!?あの積乱雲の中から!?」
「積乱雲が何だって!?それより後ろの奴をなんとかしてくれ!」
「レーダーに突如未確認機体!こっちに向かってる!」
「何言ってる!……あ!クソッ、ゲイルスがやられたぞ!」
「敵味方識別装置応答なし!敵か!?」
味方の通信が少しだけ混乱するも、長距離支援機として活動していた私は、撃ったばかりのミサイルが再装填されるのを待っていた。それ以外にできることも、すべきこともなく、ただ積乱雲から現れた、飛行機雲としてしか見えないアンノウンを眺める。
この状況下でIFFに反応しないのであれば、ほぼ間違いなく敵機だ。
だが味方が叫んだアンノウンの進路は、乱戦となっている敵味方が集まる方向だ。
敵の応援ならば状況は更に悪化する、が、劣勢の状況では迎え撃つための戦力も割けず、味方からの悪口が通信を騒がせただけだった。
私もまた、接敵していない敵よりもと考え、リロードが済んだ長距離高速ミサイルで狙うこともなかった。
しかし、敵側はそうも行かなかったようで。
戦闘中の空域から二機のUPF-15が、アンノウンを迎え撃つために旋回していく。
数で押されていた味方はあえて離れて行く二機を追うことなく、どうやら敵の増援ではない、勝手に敵が減ったと喜びながらも、一機が被弾し、緊急脱出する。
真下は海で、一応は連合軍の勢力圏内なのだが、この戦いが終わった時にどうなっているかはわからない。
この戦争が始まってから1年が経つが、私たち連合軍が勝利したという話はほとんど聞かない。
連合軍が世界規模だったためか、太陽皇国の侵攻はそう速くはなかったが、止められもしていなかった。
用兵を間違えたわけでも、現場の兵士が無能だったわけでもない。
兵器の質と数。どちらも太陽皇国のほうが、それ以外の国を上回っていただけだ。
それは無茶苦茶な用意だったが、それを可能とする技術を太陽皇国は持っていたのだ。
終わりの時を待つだけの状況は、私も皆も同じだ。誰しもが後がない。
その理由は、太陽皇国がまともに扱うのは自国民だけだからだ。他国の人間は使い捨ての奴隷であり、実際に太陽皇国におもねった人々は数日で脱走を計っている。
そして、戦いに勝ち目もない。こうなればもう、奴隷として酷い目に遭うよりも、戦って死んだほうがましとさえ思えてくるのだ。
私も、この戦争が始まるまでは普通の女子高生だった。
いや、戦争が始まった後でも、しばらくは普通の女子高生だった。
それが、あれよあれよという間に世の中が変わった。
不安ばかりを流していたニュースは軍隊を祭り上げるものへと変わり、スーパーから物が消えたと母が文句を言い、父はいつの間にか会社員から軍人へと変わっていた。
そんな風に大きく揺れ動いた世の中も、1か月で落ち着いた。
悪い方向に。
真っ当な職どころか、卒業まで生きていられるかもわからないということになって。
軍隊にばかり食料が回されていると叫んでいた人々が、気付けばホームレスのような様子になっていて。
クラスメイトも様変わりしてしまった。元々根暗だった私は、表面上は変わらなかったかもしれないが。
適当にでっち上げた動機で軍隊に入り、二週間の訓練を受け、旧式の戦闘機に乗って、射程だけが取り柄のミサイルを撃つ。
軍人として戦って死ぬだけで、戦利品として扱われずに済むのだからと、軍隊に入る学生は特に珍しくもなくなった。
「クソッ!被弾した!こうなりゃ体当たりしてやらあ!!」
「こいつらアクイラの機動じゃねえ!改良されてるのか!?」
「ミサイルが届かんぞ!粗悪品寄越しやがって!!」
私は長距離ミサイルのリロードが済んでいたことに気付き、戦場のほうに機首を向ける。
戦闘機は前に進むものだ。ずっと敵のほうを向いていれば、いずれは戦場に飛び込んでしまう。
それを防ぐためにぐるぐると回り続ける必要があるわけだが、それもふらつきながらだ。
自分の体が感じる重力が、真下に来たと思えば斜めになっているのが常で、これでも大真面目に操縦桿を操作しているのだが、機体はふらふらとおぼつかない。
なんとか敵機を正面に捉えると、レーダー照射を開始する。
遠くからならば敵機を捉え続けることはそう難しくなく、ロックオン完了の音と共にボタンを押した。
発射されたミサイルは白煙を噴きながら加速し、敵機に向かって突っ込んで行く。
だがあっさりと避けられたミサイルは、敵を見失ったかのようにふらふらとさ迷い、やがて燃料が切れて白煙も途切れた。そのまま海に落ちるのだろう。
機体が機械的に振動する。
ミサイルの再装填が行われるのだ。私は詳しく知らないが、胴体下部に蓋があり、その中にミサイルを付ける支柱を畳み、ミサイルを付けて元に戻すとか。
遠くからでも撃てるミサイル。細かい名前は聞いていない。この戦闘機に積んである唯一の武器で、弾の数は22発。
敵が、すぐにはこちらへ向かえない距離から撃つことができる。これを使って味方を支援するのが、素人の私に割り当てられた仕事……という話ではあったが、既に半数以上を撃っておきながら、敵に一発も当たっていない。
敵に無視されているということが、なんとなくだがわかってしまっていた。事実として、何の役にも立てていないのだ。
ゆっくりと、確実に悪くなっていく戦況に、私は何の感慨も無かった。
諦めてしまった人は、奴隷か戦死に見える自殺かの二択を、既に選んでいる人だ。
私も後者を選んだ一人なので、最早未来は決まっていると言っていい。
分岐があるとすれば、それが何分後なのか程度だ。
怒りも憎悪も、既に通り過ぎてしまった。私には何もできやしない。旧式の戦闘機に乗ってはふらつかせ、一発も当たらない旧式のミサイルを撃って、味方がいなくなれば撃たれるだけのこと。
希望も、未来も、何もない。
何も、なかった。
――はずだった。
「……!?アンノウン接近!!こっちに来る!?」
「ディクテル!そんなのより回避しろ回避!!」
「こちらアエリット!被弾した!せめてミサイル撃ち尽くすまで耐えさせろお!!」
「おい、アンノウンがミサイル発射!誰が狙われてる!?」
「とりあえず俺じゃねえ!……いや、アクイラどもに向かってる!?」
瞬間。
一機の敵機がエンジンから火を噴いた。
それまで活き活きと味方の戦闘機を食い散らかしていた機体が、エンジンから黒い煙を吐き出し、急に力を失ったように慣性移動を行い始めると、……一秒、二秒、……爆散した。
戦場のど真ん中を飛ぶその機影を、敵も味方も驚きをもって注目する。
「UPF-4!?誰だこんな骨董品持ち出した奴!!」
「そんなことよりこいつは敵じゃねえ!いや敵にするな!」
「管制機!このアンノウンを味方設定してくれ!今すぐだ!!」
「また一機墜としやがった、速ぇぞッ!俺らのUPF-16Cがヒヨコだぜ!」
味方が驚いている理由は、私にはわからなかった。聞こえてきた話をまとめるならば、あの戦闘機は古くて強いのだろう。
しかし、古いほうが強いというのを理解できなかった。そもそも敵の、戦闘機が新しいから私たちは負けているのであって、古い戦闘機が新しい戦闘機を、それも味方がひたすら苦戦していた敵機を、ああも易々と撃墜できるのか。
だが現実に、それは起きていた。それどころか、目に見えるその戦闘機は、他の敵味方の誰よりも速く飛び、どの機体よりも鋭く旋回していた。
まっすぐ飛ぶことさえできない私は、あんな飛び方ができるのかと、その動きに目を奪われた。
敵には状況の変化が予想外だったのか、敵機の動きが浮足立つようにしてふらつき始めると、アンノウンはその隙を突いて更に一機を撃墜する。
明らかに動きが鈍った敵に対し、味方が一気に攻勢をかけた。
まだ敵のほうが数は多かったが、アンノウンの後ろを取ろうとした敵機が三機を数えたために、戦況は急激に味方へと傾いていた。私もすっかり忘れていた長距離ミサイルを発射し、敵を少しでも攻撃する。……効果があるかは、わからないが。
押されている状況が改善したとは言え、味方よりも敵の戦闘機のほうが性能が高いのは相変わらずらしく、宛てのない罵りの頻度が多少下がったくらいで。
アンノウンを追いかける敵機も、いつの間にか三機から五機に増えており、一方的に追い掛け回されていた。
私を待ち受ける運命は変わらないのだと思い、しかしそれでも諦める様子のないアンノウンを見ていた、その時だ。
「えっ?」
何が起きたのか、わからなかった。
アンノウンが、くるりと、機体を横倒しに回転させた直後、背後に付いていた五機があっさりとアンノウンを追い越してしまい、一瞬にして立場が逆転してしまったのだ。
その上アンノウンは、追い越された瞬間にはミサイルを発射していたらしく、一気に四機の敵機が黒煙を吐き出し、糸の切れた凧のようにふらふらと、数秒後には下を向いて落ちて行った。
味方があれだけ苦労しながらも、まるでかなわなかった敵が。
たったの数秒で、四機も落ちた。
「……何が、起きたの?」
残った一機にアンノウンはすぐに追いつくと、何かが光線のように光った。
それが何なのかもわからなかったが、ミサイルでないことだけは確かだった。
そして、アンノウンの背後についていた五機の、最後の一機の翼が大きく火を噴き、くるくると回転しながら、海へと墜ちて行った。
……それから私はミサイルを撃つことも忘れ、アンノウンを見続けていた。
アンノウンの動きは、まるで敵の動きを読んでいるかのようだった。
敵の真横からミサイルを撃ったと思えば、その直後、敵はまるでミサイルの前に出るかのように飛行し、そのまま被弾していた。
敵に追われている味方とすれ違うように飛んだかと思えば、なぜか敵機だけが火を噴いて墜ちて行った。
逃げ回っているはずの敵に、性能には大差ないように見えるミサイルが、まるで吸い込まれるように命中する。
十秒も経てば敵が減る。
そうして一分が経った頃には、敵は残り一機となっていた。
慌てて逃げ出そうとしたのだろう、急に向こう側へと直進し始めた敵に、アンノウンは容赦なくミサイルを撃ち込んだ。
最後の敵機が、墜ちて行く。
通信機が大歓声に包まれ、アンノウンの周りに味方機が集まって行くと、まるで示し合わせたかのように三角形に並んだ。
安定した飛行。綺麗に、まっすぐに。
そして、アンノウンが真上へと機首を向ければ、味方も一緒になって、空高くへと飛んで行く。
三角形の飛行機雲が、天へと向かう矢印のように引かれた。
私は、ふらふらと飛んでいるだけだった。
私は、なぜあそこに行けないのだろうと。
私はなぜ、あのアンノウンと一緒に飛べないのだろうと。
ゆっくりと降りて来る戦闘機を見つめながら、そんなことばかり考えていた。
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