第41話
明らかに肩の力を失くし、無気力な表情で準備運動を続けるテンジ。
その様子を隣で見守る愛佳は、少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべながらスポーツドリンクをちびちびと飲んでいた。
「テンジ君もいりますか?」
「あー、うん。ありがとう」
不意にペットボトルを渡され、テンジは何も考えることなくごくりと一口飲み込んだ。
何口か飲んで、ようやくテンジはそのペットボトルが開封済みだったことに気が付く。そしてそれを渡したのが愛佳だったことに、今更気が付くのであった。
「あっ」
「どうかしました?」
「い、いや、何でもないよ」
ダンジョンでは何度も間接キスをした仲なのだが、テンジはいまだに慣れてはいなかった。そもそも探索師同士で間接キスを気にすること自体がおかしいのだ。
テンジは無気力に、愛佳はやる気の満ち溢れた表情で待ち続けること二十分。
ようやく集合時間となったその時、まるでタイミングでも見計らったように累が集合場所へと現れた。
いつも通りの群青の制服の中には黄色のインナースーツを着込んでおり、背中にはテンジと同じように協会印が刻印された武器収納バッグを背負っている。ちょっと高価なやつだ。
累はテンジとは違い、登校の際にも長物の槍を持ち歩いている。固有アビリティ《雷槍》の能力を最大限に発揮するには、槍が必須なのだ。意識が高いと言うのか、なんというのか。
と、テンジは怪訝な面持ちで累をジッと見つめた。
「おう、待たせたな。それじゃあ行こうか」
「いや、ちょっと待ってよ累」
何事もなくサブダンジョンへと向かおうとした累の肩を、テンジはがっしりと掴み止めた。
小鬼二体分と赤鬼リングで攻撃力を上乗せされたテンジの力は常人の二倍以上の腕力を有しており、自分が容易に止められたことに累は驚いていた。
「天城……握力強いな、さすがにびっくりした」
「まぁ、暇さえあれば筋トレ器具握ってるからね……って、そうじゃない」
「どうした?」
「どうした? じゃないよ。僕、今日がチャリオットの入団試験だなんて一度も聞いてないんだけど。そもそも朝霧さんと二人で権利を買った的なこと言ってなかったっけ?」
累はその言葉を聞いて、ようやく状況が理解したような顔をした。
「あぁ、そのことか。むしろ嬉しくないのか? 通常、ギルドの入団試験は三年次に行われるテストだ。それを俺が一年生の段階で受けられるように手配したつもりだったんだが……それも【Chariot】の入団試験だぞ?」
累の言い方に悪意がないことを知ったテンジは口を閉ざした。
まさか、本当に善意のつもりでやっていたとは思っていなかったのだ。悪戯好きな累だからこそ、これも悪戯なのかと考えていた。
そこでテンジは累の正当性に気が付く。
確かにチャリオットのテストに一年生から参加できるのは、これからの探索師にとってプラスでしかない。
チャリオットは日本でもトップ10にはいるほどの有名ギルドだ。加入条件に『三等級天職以上』とはあるが、それは入団以前から三等級天職を持っていなくてはいけないわけではない。ギルドに加入してから三等級天職を取得した探索師も、チャリオットには何人も在籍している。
それに世界には天職を削除する天職を持つ探索師もおり、テンジのようにすでに天職に覚醒した場合でも、これから三等級天職に変更することは十分可能なのだ。
「ま、まぁ……確かにありがたいんだけどさ。一言くらいはほしかったな」
「それはすまんな。ちょっとしたサプライズをしたい気持ちがあったことは認める」
すんなりと謝罪した累に呆れつつも、テンジたち三人はサブダンジョンに向かって歩き始めた。
今回の目的地は横浜、赤レンガ倉庫。そこの海に面する端の場所にサブダンジョンのゲートが発生したらしい。
こうしてテンジは日本でも有数のギルド【Chariot】の入団試験を受けることになったのである。いや、なっちゃったのである。
テンジはどう振舞うべきか頭を悩ませるばかりであった。天職のことはもちろんだが、これからの振る舞いについても心配だった。
とりあえず――。
そっと、赤鬼リングを外しておくことにした。
† † †
テンジと愛佳、累の三人はチャリオットの入団試験会場へと到着していた。
試験会場の集合場所にいた参加者であろう人数を見て、テンジは度肝を抜かれていた。
「すっご」
「本当にすごいですね。一体、今日は何人の方が試験を受けるのでしょうか?」
「叔父に聞いた話だが、事前応募で3000通も応募があったらしい。そもそも年に一人か二人しか受からないのに、なぜ高望みをするのか俺にはわからないがな」
累はさらっと述べたが、テンジと愛佳はその応募数を聞いて驚くほかなかった。
ぽかんと口を開き、累の凄さを改めて感じるのであった。
ざっと数を数えた感じでも、ここには100人ほどしかいないように見える。
あと5分で集合時間になるので、ほぼこれが全ての試験参加者と言えるだろう。
テンジは軽い気持ちで累に相談したつもりだったのだが、想像よりも凄い場所に連れてこられたなと思うばかりであった。
「さ、さすがは稲垣炎の子供だね」
「全然、褒められている気はしないな。まぁ、親の権力を使わずして俺たちがここに立てるわけがないから、認めるよ。親父と叔父に頼んだからな」
「それにしても……今年は3000も応募があったの?」
「あぁ、それは叔父のニュースがあったからだろう。御茶ノ水ダンジョンの構造変革に飲まれ、それこそ裏ダンジョンに隔離されたのに、あのレイドは最も生存率が高かったからな」
英雄としてはやし立てられた五道もいて、日本でも有数のギルド。
これだけで応募数がこんなにもあがるなんてテンジは知らなかった。チャリオットは毎年1000人くらいから選抜試験を行うと知られている、それこそニュースとして毎年取り上げられるくらいだ。
だが、今年はその三倍である3000人から選抜試験を行うらしいのだ。自然と、委縮するテンジがいた。
「最初の足切りは何を見てるんだろうね」
「事前に二か月かけて全員と面談をしたと聞いているぞ」
「そ、そんなに前から!? なんか僕、申し訳ない気持ちになってきたんだけど……」
テンジはふとした思い付きで累に電話し、一昨日にこの試験に参加することに決まったのだ。
そりゃあ、面接で落とされた人たちのことを考えると申し訳なくなるのも頷ける。
「そんな心配するな。叔父はテンジのことを気に入ってるからな、邪険にはされないだろう」
「そうだといいけど……」
そんな会話をしながら、三人は集合場所で待機していた。
周囲には100人近くの試験参加者が集まっている。その中には日本探索師高校の生徒もいれば、普通の一般人の姿も見える。
何を基準に選ばれた人たちかはわからないが、全員が鋭く熱い心を研ぎ澄ませていた。
もしチャリオットに入団することができれば、その人の将来は約束されたようなものである。お金、人気、強さ、全てを手にすることができる。望むもの全てを手に入れるのが探索師であり、その頂点の一角と言っても過言ではないギルドに加入できれば、それこそ手に入らないものの方が少ないだろう。
この赤レンガ倉庫前の広場には、日本探索師高校の生徒たちだけを睨むような視線がいくつもあった。
割合的には日本探索師高校の生徒は10人ほどしかおらず、その他90人近くが一般からの参加者であろうとわかる。日本探索師高校では、ダンジョンに関する何かに関わるとき、制服の着用が校則で決まっているのだ。
しかし、その敵対視線にも頷ける理由があった。
日本探索師高校に入学できるだけでも、ある程度の才能が認められた者たちである。一般参加者の中には、日本探索師高校の受験を落ちた人もたくさんいるのだ。
では、なんでトップ10ギルドであるチャリオットの入団試験に10人程度しか姿を現していないのか。
それは、日本探索師高校の三年生の生徒の多くはすでにこの時期になると入団するギルドが決まっているためである。
隣にいる累や愛佳のように、日本探索師高校には黄金の卵たちが集まる学校なので、事前にスカウトを受けることが多いのだ。
逆に考えると、三年の時点で入団試験を受けている者はそれほどの力がないとも言い換えられる。だからこそ、一般参加者たちは彼らを敵対視線で睨んでいたのだ。
「なんか、敵対視線が多いね」
「そ、そうですね……少し委縮してしまいます」
「そんな雑魚どもの視線など気にするな。俺と朝霧はスカウト組として参加しているんだ、誇らしく胸を張っていればいい。テンジもあのダンジョンを何度も生き抜いた猛者だろ? 何を怖がる要素がある、たかが一般人に恐れるな」
堂に入ったような物言いをする累に、二人は「確かに」と思い、ゆっくりと心を落ち着かせていくのであった。
しかし、累の言葉が聞こえてしまった一般参加者たちは、さらに敵対視線を鋭くさせ舌打ちを響かせる者までいた。
そんな彼らを見て参加者のレベルの低さを知った累は、はぁと呆れの溜息を吐いた。
「どうしたんですか?」
「いや、もう試験は始まっているというのに馬鹿が多くて呆れただけだ。二人は今まで通り日本探索師高校の生徒としての誇りをもって立っていればいい」
「はい、よくわかりませんが、私はもう緊張していませんので大丈夫です」
愛佳はなぜ累が呆れているのか察知できずに、いつものペースと可愛らしい笑顔で答える。
テンジもそんな二人を頼もしく思いつつ、自分はどう立ち回るべきか考えるのであった。
(本当なら辞退した方がいいんだろうけど…‥‥そういうわけにもいかないんだよな。累も朝霧さんも、二人は真剣にチャリオットに入団するために参加している。もし僕が辞退したら、二人の合否に影響が出てしまうかもしれない)
二人の真剣な精神統一を横目で見ながら、テンジはそう思うのであった。
と、その時であった。
ついに集合時間が過ぎた。
参加者の前に、チャリオットの正規メンバーたちがぞろぞろと姿を現す。




