第191話
「【八岐大蛇 一の首】伊吹童子ッ」
テンジが力を振り絞って、酒呑童子の真名を叫んだ。
次の瞬間――。
テンジのすぐ背後に一枚の観音開き扉が現れた。
真っ白な扉。
そこに阿鼻叫喚な彫刻が施されており、扉の一番上には退屈そうに酒を飲み干す巨漢の鬼の彫刻があった。その周りにも幾人かの鬼の姿があり、そんな鬼に挑む五人の人間の彫刻が描かれている。
そんな地獄を体現したような扉がギギギギッと、異音を鳴らして開く。
地獄の灼熱を表すような赤黒い赤鬼種特有の油膜が隙間から見える。
ゆらりと、一体の鬼の影が映る。
「王崩れがいけしゃあしゃあと……いつからお前たちは、俺たちと同じ土俵に立てると思った? 笑わせるな」
一歩、伊吹童児がこの地に足を踏み入れた。
「ルォォォオッ!?!?」
その鬼が空間を超え、この世界に定着した瞬間だった。
テンジを除くここにいた全員が、意志に反して地に跪いていた。
両膝、両手、全てを地面に押し付けていた。
本能が、跪けと命令してくるのだ。
正確には全員が四肢を地面に伏せている訳ではなかった。
目の前のモンスターだけは気力でなんとか片足を踏ん張っている。
伊吹童子に対する気力か、はたまた反骨芯なのか。奴は両膝を着いてはたまるかという気持ちだけで、なんとか片膝だけは地に足着けないように抗っていた。
自分の生存本能に、強い意志だけで抗っていた。
それでもブルブルと小鹿のように足が震えてしまう。
今ここになぜ自分がいるのか分からなくなっていた。
なぜ自分は伊吹童子にひれ伏さなければいけないのか分からなかった。
自分こそが、王の一角だと思っていた。
だけど、違った。
自分は本物の王ではなかったことを、今、ここで知った。
ズルリと、テンジの腹からモンスターの腕が力なく抜け落ちいく。
それと同時にテンジも意識を失いかけてしまう。体が言うことを聞かない。
全身から体温が消えていき、視界が霞んでいく。
(あぁ、あの時とまったく同じだ……)
そう思いながら、テンジは横へと力なく倒れていく。
「小僧を助けるのは、これで二度目だな。危うい王だ、もう少し気合で耐えられんもんか」
気が付けば、テンジの横に伊吹童子がいた。
面倒くさそうに袖を引っ張りつつ、逆側に倒れようとするテンジを捕まえておく。まるで汚いものでも触っているかのような対処法だと、倒れながらテンジは思っていた。
伊吹童子の出現で、途端に静かになった戦場。
そんな戦場で伊吹童子がひょうたんに入った酒を豪快にゴクゴクと飲んでいき、ぷはぁと酒吐息を吐いた。そして小さな声で、言った。
「来い『木霊』。癒せ」
伊吹童子がそう言うと、伊吹童子の背中に携えられていた一本の刀が煙となって空気中に掻き消えた。それと同時に、傍には見たこともない色の地獄扉が現れた。




