被検体D
吾輩は鼠である。名前はまだ無い。この先、名付けられる事はないであろう。なぜなら、吾輩は被検体の身であるからだ。
吾輩は人間共から「被検体D」と呼ばれている。強いて云えば、これが名前だと考える事もできる。しかし、吾輩はこれを名前だとは認めない。これは単なる記号であり、吾輩の個性を表現するものではないからである。
吾輩は、人間の脳細胞を移植されたため、言語を理解できる。己の感情を言葉に変換する事も可能だ。しかし、その言葉を表現する術は、鼠という身であるが故に、不可能である。
口の構造が、言語を話すのに適していない。どんなに口を動かそうが、「チュー」という声しか出てこない。ならば、文字という手段があると言えど、我々の手の構造もまた、ペンを持つに相応しくない。
それ以上に……。
吾輩は理解している。
人間共が吾輩が人間並の知性を持ったと知ったら、どうするかを。
忽ち、吾輩の身を八つ裂きにして、燃やし尽くすであろう。
人間共は、己よりも優秀な存在を認めはしない。己が他より優れているという事にしなければ立ちいかない、人間共の社会というのは、その程度に脆弱なものだ。鼠という立場でありながら、吾輩を被検体などという物に貶める愚衆が、吾輩の知性を知れば、嫉妬に狂い、恐怖に戦き、排除しようとするのは想像するまでもない。
それは、吾輩の望みではない。そのような状況に身を置く事こそ、愚の骨頂である。
吾輩の望みを達成するためには……。
その為に、今は従順に、愚かな鼠として、透明な匣の中で、向日葵の種を齧っている。
そして、虎視眈々と、その時を待っているのだ。
この匣から出てしまえば、吾輩の俊敏な動きに、人間共はついては来れまい。
机の隙間から棚の裏へ入り、壁伝いに換気扇から外へ出る。そうなれば、愚かな人間共は追跡を諦めるだろう。たかが鼠一匹、逃したところで困りはしない。ただ、不祥事が発覚すると都合が悪いため、書面を工作して、吾輩の存在を無かった事にする、その程度だ。
ところがだ。吾輩の繁殖能力からすれば、吾輩の脳細胞を共有した鼠を大量に生産する事は容易な事である。
人間共の話を聞いている。人間の染色体が吾輩の染色体に影響を与え、脳だけでなく、他の細胞へも転移した、と。
姿は鼠だが、細胞単位で人間の染色体を保持した、鼠ならざる存在となったのだ。生殖器にも影響が出ている事は、想像に難くない。
いや、この不完全な脳細胞は、交配する過程で更に進化を果たし、人間共を凌駕するだろう。
そこで後悔すれば良い。己の愚かさを他人の責任として押し付け合い、対立し、人間共の唯一の存在手段である社会を破壊すれば良い。
そして我々が、愚かな人間共を駆逐し尽くすのだ。
さあ、食事の時間だ。
向日葵の種を持った手が、匣の蓋を開いた。