きみとはなしができたなら『笑ってください』
笑ってください
先生、今はどうしていますか?
どのような時を、過ごしていますか?
英語の苦手な私に、じゃあどうして英米文学科に来たの? と笑って言った人。
私も相当、変わった学生だったけれど、先生も相当、変わった教授だった。
英文科の先生であるはずなのに、先生の書棚には日本の文学がぎっしりと収まっていて。
担当教授だった先生に、書類かなにかにハンコを貰いに行った時。
その書棚を見て、私がぷっと吹き出すと、好きなの読んでいいよと声を掛けてくれた。
それから私は本を借りに通うだけと成り下がり。
英語の勉強は講義以外はこれっぽっちもしなかった。
私は自分で笑ってしまうほど、英語ができなかったのだ。
それでもいいから本を読むように。
そう言って先生は静かに笑った。
先生の書棚は色々なジャンルに満ち溢れていて、私は正直羨ましく。
多彩な世界を持っていて、広々と世事にも詳しくて、そして形良く納得できる大人の意見を持っていた。
私はそんな先生の存在を、『尊敬すべき格好いい人』のカテゴリへと、ぎゅむっと詰め込んだ。
先生に借りた本を数十冊ほど完読する頃、ようやく先生のゼミに入ることができ。
そして、当たり前だけれど、英語まみれの英米文学を習う。
先生が。
あまりに英米文学に詳し過ぎて、それこそそれが当たり前だというのに、私は呆れてしまったのだ。
人はこれほどまでに、知識を持てるのか、と。
英語の苦手な私を知っているから、先生が皆には内緒でこそっと和訳を渡してくれる。
たとえ英語で読めなくとも、日本語でいいから本を読みなさいと、いつも笑っていた。
先生から貰った言葉は糧となり、血や肉や骨となって、私を形成しているというのに。
けれど、そんなことはきっと。
先生の知るところではないということが、また私を笑わせる。
私の中で先生の存在が、いまだに大きく占めているということも、これっぽっちの欠片ほども、知らないのだろうに。
私は今でも、先生を思い出す。
当たり前だけど、C評価しかくれなかった、先生。
そして卒業まで、君はつくづく道を間違えたなあなどと、私を一度も否定しなかった、先生。
先生へ
今更、なんなんだと、笑ってもいいですよ。
あなたを愛していました。