後編
日曜日。私は叫んでいた。
「嫌ですうぅ、帰ってください!」
「だめ。新聞部部長として同席させてもらうよ」
神崎くんと来未ちゃん初デートの待ち合わせ場所に部長も来てしまったからだ。それにしても部長。恐るべき情報力である。
「どうして初デートを邪魔するんですか!」
「それお前が言うか!?」
すかさず神崎くんが突っ込む。
「まあ…この方がダブルデートみたいな、周りから見たらちょうどいい感じになるのかも…?」
と、許してくれる来未ちゃんは最早天使を通り越して女神だ。その言葉を聞くとすぐに部長は歩き出した。
「じゃあ行こうか、話題のケーキ屋に」
「何で部長が仕切るんですか!?」
「賑やかだなぁ…ふふ、行こう神崎くん」
「来未、嫌だったら嫌って言っていいんだからな」
そんなこんなでデートが始まった。神崎くんと来未ちゃんの隣に駆け寄ろうとすると部長に止められてしまった。
「どうして隣に行こうとするの、後ろからの方がしっかり撮れるよ」
「あ、確かに…」
「高橋さんが今回書く記事は"2人"の記事。その空間に君はいらないでしょ」
その通りだった。部長の言うことはいつも正しい。だからこそだろうか、私が不要な存在であるという事実になぜか傷ついていた。
「記事を書く時に大切なのは事実だよ。文章に主観や私情が入ってしまったらそれはもう事実とは言えないよね」
「少し遠くから見るべき、ですか」
「うん。特に今回の君の場合はね」
少し離れた場所から見る2人は楽しそうに笑っていて、お似合いだった。前に渡り廊下から見えた2人の姿もそうだった。私の気持ちも、あの時と同じように曇る。…違う、私は今密着取材をしてるんだ。集中しないと、と脳内で喝を入れる。
ケーキ屋さんでも2人と一緒の席でケーキを食べることはなく、部長から指導を受けながら取材にあたった。部長は厳しいようで優しいような、よくわからない人だなと思う。ただ、部長と取材に集中していたおかげで、気持ちのもやもやを忘れることができていたのは有難かった。
「ここで解散にしようか」
ケーキ屋さんを出て少し歩いたところで部長が言った。1ヶ月分の集中力を使い果たした気分だ。やっと帰れる…
「高橋さんにはちょっと今から話があるんだ。ついでに送っていくよ」
現実は甘くなかった。部長からは解放されず、神崎くんと来未ちゃんにお礼と挨拶をしてから、部長と歩き始める。
「高橋さんが、どうしてあの2人を記事にしたいのかは俺にはまだ分からないよ。どう見たって平凡なカップルだ」
「はい…」
「でも君が介入したことによって、もっと話題性のある記事を書けそうだと思ってね。先週、彼女の方に質問をしたんだ」
そういって部長はポケットからボイスレコーダーを取り出した。部長と話している時はいついかなる時も、気を抜いてはいけないのだ。部長にとって録音録画は癖のようなものなのだと思う。部長は慣れた手つきでレコーダーを操作する。と、音声が聞こえてきた。
『こんにちは。来未さん、かな?』
これは部長の声だ。
『はい、そうですが…』
これは来未ちゃんの声。
『君は先日から高橋さんの密着取材を受けているよね?』
『はい』
『実際どうかな?高橋さんが邪魔だと思ったこと、あるでしょ』
全身に緊張が走る。いつかの、来未ちゃんの申し訳なさそうな表情を思い出す。思い返せば2人の空間に割って入っていた記憶しかない。邪魔、なんて当たり前かもしれない。
『それは…たしかに、私より仲良さそうだなって妬いたりはしますけど。でも、私は記事を書くのに一生懸命な明音さん、結構好きなんです』
その言葉を聞いて、安堵感とともに「ああ、この人には勝てないんだな」と感じた。勝てない、なんて、いつから勝負している気持ちだったのか。どんな勝負だったのか。
『あれ、何してるの来未』
そこで、部長でも来未ちゃんでもない声が聞こえた。神崎くんだ。
『神崎くん。ちょっとね、明音さんのことを話してたの』
『明音のこと?』
不思議そうな神崎くんに、部長が説明を始める。
『俺もそろそろ新聞部を引退しなきゃいけないんだ。次期部長候補として、高橋さんのことを聞いておきたくてね』
そうか、もうそんな季節なんだなと考えながら、今日の指導はそのためだったのかなとも思う。引退前最後の熱い指導、みたいな…。
『神崎くんは、高橋さんのことをどう思う?』
突然の部長のストレートな質問によって、私はまた緊張でいっぱいになった。来未ちゃんへの質問の時よりももっと強い緊張感。
「…ぶ、ぶちょうっ!聞きたくないです!!
我慢できなくなり部長に向かって叫んでしまった。部長は落ち着いた様子で一時停止ボタンを押した。
「高橋さん、何度も言っているはずだよ。大切なのは事実だってこと。…でもうん、この話は高橋さんの記事には関係しないか。いいよ、聞かなくても」
「えええ、でも聞かなかったら後悔するような…」
「じゃあ聞く?」
「うーーん…」
私は何をそんなに迷っているのだろう。神崎くんは、私のことをどう話すだろう。神崎くんにどう思われているかなんてどうでもいいはずなのに、ぐるぐると色々な想像が頭を巡る。どうでもよくなんか、ないのかもしれない。
「私は、多分神崎くんのことが好きなんです…一緒にいて楽しくて、私にとっては、大切な友達なんです…」
「友達、ね」
「そうなんです、だから嫌われたくない…うぅ…」
思わず涙がこぼれる。拒絶されるのが怖いと感じたのは、神崎くんが初めてだった。部長は少しため息をついてから言った。
「泣かなくても大丈夫、聞いてみたらいいよ」
「え、心の準備が」
私が言い終わる前に、部長は再生ボタンを押していた。
『どう思うって言われると難しいですけど…あいつは面白いし、新聞部の仕事でいつも頭いっぱいで変なやつだけど、俺にとっては一緒にいると楽しい存在?ですかね?』
『なるほど』
『新聞部の部長、向いてるんじゃないかなって思いますよ』
気持ちがふっと軽くなった。そこに続けて来未ちゃんが話す。
『うん、私も向いてると思います。真っ直ぐでいい人だと思うから』
そこで、部長はレコーダーの停止ボタンを押した。私の涙は止まらない。自分が認められた嬉しさとか、素敵な2人に幸せになって欲しいという願いとか。そして何故か、少しの苦しさも感じた。どうしてかは分からない。部長がもうすぐ引退することに対してだろうか。
「大丈夫?高橋さん」
「うぅ…すみません、大丈夫、です。2人のっ、いい文章を、書いてみせます」
「うん、期待してるね」
*
数日後の昼休み。やっと新聞が完成し、印刷を終えた。2人の優しさや幸福感を詰め込んだ記事になったと思っている。まずは神崎くんと来未ちゃんに渡したい、と2人を探した。思った通り、中庭で見つけることができた。静かに近寄り、後ろから声を掛ける。
「ほう、愛妻弁当ですか!?それはぜひこの記事に載せたかったなぁ」
2人は私の出没に慣れたようで全く驚いてくれなかった。
「こんな茶色いお弁当、新聞には載せないでほしいな…」
と、顔を赤らめる来未ちゃんは今日も天使だった。
「もうお前、ほんとに邪魔するなよな!」
と、神崎くんは怒っているが、気にしないことにして私は新聞の完成を伝えた。
「ご協力、ありがとうございました!記念に2人には渡しておきたくて」
意外にも、来未ちゃんは寂しそうな表情を見せた。
「取材が終わっても、私明音さんとは仲良くしたいなぁ」
きょとんとしていると、神崎くんが笑った。
「2人が友達になるのってなんか面白いな」
来未ちゃんと友達。なんだか素敵な感覚を覚えて、無意識のうちに言葉が出てくる。
「私も!来未ちゃんと仲良くしたいです!」
来未ちゃんは微笑んでくれた。
「嬉しい、今度どこか遊びに行きたいな」
「うん、ぜひ!」
ここまで勢いのままに話して、なんだか気恥ずかしくなってきた。
「じゃあ、この新聞校内に貼ってくるね!」
と話してその場から逃げるように立ち去った。新聞を貼っていると、どこからともなく部長が現れた。
「完成してよかったね」
「はい、ご指導ありがとうございました!」
「部室のパソコンのデータで読んだよ、事実が簡潔にまとめられていて読みやすかった。主観が入っていないわけではなかったけど…特にこの部分とかね」
とん、と貼られた新聞の一部分を部長が指さして言った。
「ここ、新聞は縦読みするから気づかないかもしれないけど、文章の一番上の横一列を読むと〈いつまでもお幸せに〉と読むことができる。これは意図的だよね?」
「はい、私の今の気持ちです」
「うん、面白いと思うよ」
部長に褒められて嬉しくなる。今日の私は友達も出来て、褒められて、最高の日をすごしているような気分だ。
「さすが次期部長候補だね」
「あっそこはまだ"候補"なんですね」
「うん、俺の大事な部活をそんな易々と渡すわけにはいかないよ」
果たして部長が引退する日は本当に来るのだろうか。話したいことを話し終えたのか、部長はどこかに行こうとして歩き出した。が、ふと足を止めて振り返った。
「安心したよ、〈神崎くんのことが好きです〉なんて書かれなくて」
「え!?」
「わざわざ録音を聞かせて2人を応援させる形に仕向けたのは俺の空振りだったかな」
突然、何を言っているんだろう部長は。
「高橋さんが自分の気持ちに鈍くて良かったよ」
「にぶい…?」
部長は意味ありげな笑みを浮かべて私を見つめる。
「楽しかったね、ダブルデートは」
「えっ…いや、普通に取材の指導でいっぱいいっぱいでしたけど…」
はは、と面白そうに笑って部長は行ってしまった。部長が引退するまでに部長を理解できる日は来るのだろうか。掴みどころが無さすぎる。と、そんなことよりも。
「新聞貼らなきゃ、昼休み終わっちゃう!」
幸せを書き上げた新聞を各階に届けるため、私は足取り軽く階段を駆け上がった。