第5話 鋼の巣穴
まったく、村の外は想像以上に世知辛いんだな。
僕はそんなことを考えながら大通りの上を歩いていた。
時々すれ違うお店に目を引かれながら、ジャンさんの言っていた『鋼の巣穴』を探していく。すると、ちょうど大通りの中間ぐらいの場所に、二階建ての大きな酒場が佇んでいた。
「……あれ? 酒場?」
慌ててお店の看板を確認してみる。……うん、間違いなく『鋼の巣穴』だ。
ジャンさんは確かに宿屋だって言ってた筈なんだけど……聞き間違いだったのかな? でも同じ名前なんだし、全く関係が無いお店ってことも無いだろう。
僕は念の為にということで、恐る恐る酒場の中に入ってみることにした。
「ご、ごめんくださーい」
「……おっ! 早速来たか。どうしたんだそれ? 最初に会った時よりも大分マシな格好になってるじゃねーか」
「ジャンさん! これはギルドで買った初級装備ですよ。……借金しましたけど」
「あん? 最後の方が小さくてよく聞き取れなかったんだが……」
「い、いえ! なんでもないです! それよりもここって宿屋じゃ無かったんですか?」
僕は店内の様子をゆっくり見回しながらジャンさんに尋ねた。
広いホールになっている一階には丸テーブルが五脚ほど用意してあり、それぞれの周りに椅子が四脚置かれている。そして店内ギリギリまで横に伸びているカウンター席には、背もたれの無い椅子が軽く十脚以上並べてあった。
カウンターの奥に見える物はやっぱり酒瓶なんだろうか。色んな種類の酒瓶がお店の商品みたいに隙間無く棚の中に飾られてある。
「がっはっは! ここは間違いなく宿屋だぜ? 酒場宿って奴だ。昼間は閑古鳥だが、夜になったらそれなりに騒がしい。寝るならちと早めの方が良いかもな! がっはっは!」
「なるほど、酒場と宿が一緒になってるのか。……ところで、あの、宿代の方は?」
「おう! そういえばお前、冒険者になったんだったな! 普通の客には五〇〇ゼニス払ってもらうんだが、冒険者なら二〇〇ゼニスだ。どうだ? 他の店より遥かに安いだろ。まあ安眠妨害してるから当然なんだけどな!」
「……よかったぁ」
他の宿がどれくらいするかは分からないけど、少なくともこの宿が破格に安いってことだけは僕にも理解できた。
一泊二〇〇ゼニスってことは、食事を省いた単純計算でも十日間はここに置いてもらえるってことで良いんだよな。よし! その間に沢山仕事してできるだけお金を稼ぐぞ!
僕はとりあえず三日分の料金を払って『鋼の巣穴』に泊めてもらうことにした。
「ほらよ、こいつがお前さんの部屋の鍵だ。失くすんじゃねーぞ? それと飯は別料金だ。というより、何か食いたいなら酒場の方で頼んでくれ」
「はい! 分かりました!」
どうやらジャンさんの宿は色で部屋を分けているらしい。僕は黒い札が付いた鍵を受け取ってから、二階にある自分の部屋へと向かった。
「おお!」
黒く塗られた扉を開けてみると、掃除の行き届いた綺麗な部屋が露になる。僕は初めての宿に若干興奮しながら部屋の中を見渡した。
窓は一つで、部屋の隅に小さなベッドとタンスが並んで置かれている。シャワー室も完備しているようで、値段の割には少々豪華すぎなんじゃないかと僕は自分の目を疑った。
「……僕、本当に村を出たんだなぁ」
村の外で寝泊りするという事実に、今更ながら感慨深いものを感じる。
少なくともアリスに振られていなかったら、魔王さんにチャンスを与えてもらえなかったら、僕が今ここにいるなんてことにはならなかっただろう。そういう意味じゃ、僕の背中を押してくれたアリスとクラインには感謝しないといけないのかもしれない。
そこまで考えて、僕はどうしようもなく笑ってしまった。
「なんだかんだで、まだ嫌いになれないんだなぁ」
こんなことを魔王さんが知ったら、あの人は「甘いだべ」と呆れるだろうか。それとも「優しい奴だべ」と言って笑ってくれるだろうか。
僕自身、今こんなことを考えている自分が甘いのか優しいのか分からなくなっている。爺ちゃんなら間違いなく『さっさと次の恋を探しに行かんかい!』って怒りそうだけど。
僕はベッドに横たわりながら、ぼんやりと窓の外を眺めた。
「とにかく、今はこの街でできることを……やるしか……ないよな……ふぁぁぁ……」
ちょっと、疲れが出てきたのかもしれない。
僕は大きく欠伸をしながら重くなった瞼を閉じた。
元々徹夜でこの街まで走ってきたんだ。まだ朝食も昼食も食べてないけど、今は少しだけ休んでおこう。
まどろみの中に沈んでいく思考の中で、僕はそんなことを考えた。
「……ん」
床下から騒がしい声が聞こえる。僕はゆっくりと体を起こし、閉じていた目を軽く擦った。
窓の外が暗い。ということは今は夜か。きっとジャンさんが言ってたように酒場が繁盛しているんだな。
僕ははっきりしない頭の中でそこまで考えた後、自分が空腹であることに気が付いた。まあそれも当然か。なにせ今日は一日中何も食べていなかったんだから。
「……何か、食べようかな」
流石に重いものは無理だ。いくら空腹とは言っても、寝起きはそこまで食べられない。なら軽食のようなものがちょうどいいかもしれないな。
僕は腹の虫が鳴り出すお腹を撫でながら、そっと静かに部屋を出た。
「……ん? おお、わりぃ! 起こしちまったか?」
「なんだなんだ? こんな貧乏宿に宿泊客がいたのかよ?」
「随分ひょろっちいガキだな。子供に酒はまだ早いぜ?」
「がっはっは! 昼間はずっと部屋に篭りっきりだったからな。大方小腹でも空いたんじゃねーか? なあライト」
下に降りた瞬間、むわっとした酒臭さが僕の鼻孔を襲った。
同時に強面のおじさん達に注目されて一気に眠気が覚めてしまう。僕は少しばかり震えながら、ゆっくりとジャンさんの傍まで近寄った。
「あの……安くて軽い料理って作れますか?」
「やっぱり夜食目的か? よし来た! すぐに作るからちょっとだけ待ってな!」
僕は空いていたカウンター席に座り、できるだけ身を縮めながら大人しく待つ。すると突然誰かから肩を叩かれ、機嫌悪そうに声を掛けられた。
「ちょっと貴方、その席はさっきまであたしが座ってたんだけど?」
「えっ!? あ、ああ! えっと、すみません!」
どうやら僕は知らない間に誰かの席を横取りしてしまったらしい。僕は慌てて立ち上がり、背後に立っていた黒いローブの女性に席を譲った。その直後にちょうど隣の席が空いたので、僕はやや迷いながらもそちらの席に座りなおす。
「……貴方、もしかして新人冒険者?」
「え!? どうして分かるんですか? 今はギルドカードも持ってないのに……!」
「馬鹿ね。貴方が身につけているその防具、ギルドで売ってる初級装備でしょ? 一目見れば分かるわ」
「……な、なるほど!」
アネットさん。どうやらギルドカードが無くても装備だけで冒険者の実力は判断できるそうですよ。
僕は一発で新人だと見抜かれたことに驚きつつ、勉強になるなと感心した。
まあ、どんな装備を見ても「強そう」とか「格好いい」としか思えない僕じゃ、知っていても実践できないことだろうけど。
そんなことを考えている間に、ジャンさんが温かいサンドイッチを持って来てくれた。香ばしい匂いが食欲を大いに誘ってくる。
「うちの店自慢のホットサンドだ! 熱々だから気をつけて食えよ?」
「ありがとうございます! それでお値段は?」
「がっはっは! 普通は五〇ゼニスだが、今回はサービスしとくぜ!」
「良いんですか!?」
「おう! その代わり、ちゃんとうちの常連客になってくれよ?」
「勿論ですよ!」
僕はジャンさんの粋な計らいに感謝しながら目の前のホットサンドに齧り付いた。
瞬間、カリカリに焼き上げられたパン生地がサクッと弾け、肉汁と一緒に旨みが口の中に流れ込んでくる。
「熱っ!? でも美味い!」
「がっはっは! そりゃ良かった! ……ん? なんだ嬢ちゃん。お前さんも食いたいのか?」
「……お嬢ちゃん?」
ジャンさんの視線を追って隣を見ると、さっきの黒ローブを着込んだ女性がじっと僕のホットサンドを見つめていた。いや、フードで顔が隠れてるから分からないんだけど。
彼女は僕の視線に気付くと、途端に居心地悪そうにそっぽを向く。続けて何かを諦めたように溜息を吐き、今まで被っていたフードを勢いよく取り去った。
「……あたしもこの人と同じものを頼むわ! 勿論、サービスもお願いね!」
「おいおい、可愛い顔してちゃっかりしてやがるな。まあ可愛いから良いけどよ」
ジャンさんが苦笑しながら厨房に向かっていく中、僕は呆然としながら隣の少女を眺めていた。
「……子供、だったんですか?」
「何よ。貴方だって子供でしょ? 何か問題でもあるの?」
「い、いえ!? なんでもないです!」
なんか貫禄みたいなのが漂っていたから、てっきり大人の女性だと思っていた。
それがまさか、僕と同い年くらいに見える女の子だったとは……!
僕は動揺を隠すこともできないまま、改めて少女の姿を観察してみた。
「な、何よ……。あんまりジロジロみないでくれる?」
「……」
「ち、ちょっと無視しないでよ。ねえ、あたしの声聞こえてる?」
もしもアリスを炎のような赤だと評するなら、この子は水のような青だろう。
髪の毛は全体的に水色だけど、どういうわけか毛先だけ白く染まっているという不思議な色彩を持っている。そして瞳の色は少し濃い目の青だ。
ジャンさんが言っていたように顔は可愛く整っていて、その美しさはアリスにも劣らない。
だけどアリスはクラインのことが好きで、僕のことが嫌いで、僕は弱いから振られて、僕は……!
「ちょっと! 貴方目が死んでるわよ! 大丈夫!?」
「……はっ!?」
「良かった。息を吹き返したみたいね」
目の前の少女に思い切り肩を掴まれ、僕はようやく沈んでいた思考の海から浮上した。そんな僕を見て、彼女は安堵したように息を吐く。
……危ない危ない。どうやら知らない間に心の傷に蝕まれていたようだ。気を付けないと。
「……はぁ。まったく、隣でそんな辛気臭い顔しないでくれる? やっと暑苦しいおじさん達から解放されたばかりだってのに」
「す、すいません」
「その敬語も禁止! せっかく同世代の冒険者に出会えたんだから、もっと親しげに接しなさいよ」
「がっはっは! そりゃ嬢ちゃんの方だろ? ずっと歳が近い同僚が見つからなくて、いつも寂しそうにしてたじゃねーか! こいつにまで無理に大人ぶる必要は無ぇんじゃねーの?」
「んもう〜〜〜〜〜〜! 今すっごい良いところだったんだから水差さないでよぉ!」
ジャンさんがホットサンドを持ってきながら、突然僕達の会話に割り込んでくる。
そして恐らくだけど、知られたくなかった事実を暴露されたせいか、少女は羞恥で顔を真っ赤に染めながらジャンさんに癇癪を起こしていた。
「分かった分かった、悪かったって! 嬢ちゃんがまだアイアンプレートってことは秘密にしてやるからそう怒るなよ!」
「現在進行形でばらしてくれちゃってんじゃないのよ〜〜〜〜! もう二度とジャンさんとは口利いてやら無いんだからね!?」
「がっはっは! そいつは困ったぜ! じゃあサービスの話も無しで良いよな?」
「むぐぅうううう! なんて卑怯なっ!」
僕はこの状況に全く付いていけず、ホットサンドを食べ終えた後は静かに自分の部屋へと戻ることにした。明日も早いし。
こうして僕は今日という濃密な時間に翻弄されつつ、もう一度宿のベッドで眠りにつくのだった。




