第3話 始まりの街
遅くなってすいません!
ハンデルという街は僕が住んでいた村とは比べ物にならないほど大きな場所だった。
地面は綺麗に舗装されていて、大通りの両端には色んなお店が建ち並んでいる。何よりすれ違う人の数が尋常じゃない。
周囲は活気に満ち溢れていて、あちこちから明るい喧騒が飛び交っていた。
「……凄い」
これが街なんだ。凄すぎる。同じ辺境地の筈なのに、こんなに人が集まってるなんて。
僕は目の前に広がる光景を前にすっかり気圧されてしまった。同時に、初めて見る景色に期待と興奮を隠せない。なんだか落ち着かなくなってしまい、キョロキョロと辺りの様子に視線を彷徨わせてしまう。その滑稽な姿は我ながら田舎者みたいだ。いや、田舎者なんだけど。
とりあえず、まずはギルドに向かおう。元々そのつもりだったんだし。
僕は気を取り直して大通りの上を歩き、村で何度か見かけた竜の看板を探した。
「……って、もしかしてあの大きい建物……!?」
大通りの最終地点、つまり街の最奥から聳え立っているお城のような大きな建物。そこには僕が探していた竜の看板がこれまた大きく飾られていた。
なんていうか、上手く言葉が出てこない。僕は夢でも見てるんだろうか?
「おい兄ちゃん。何ボサっと突っ立ってんだよ。通行人に迷惑だろ?」
「わわっ! す、すみません……!」
どうやらあまりにも衝撃的過ぎて長いこと立ち尽くしていたらしい。僕は背後から唐突に話し掛けられて激しく体を震わせた。
「がっはっは! 別に謝るほどじゃねーよ。初めてこの街を訪れた奴は、大抵あのギルドを見て同じ反応をするからな」
「そ、そうなんですか……?」
「おうよ。兄ちゃんもそのクチなんだろ? 良かったら俺が色々教えてやろうか?」
僕の後ろに立っていたのは灰色の髪を後頭部で一纏めにしているおじさんだった。体はかなり鍛え上げられているみたいで、腕の太さが半端じゃない。捲くっている袖がパンパンに膨らんでいた。
あんな腕で掴まれたり殴られたりしたら痛そうだな。そんなことを考えながら僕は目の前のおじさんに苦笑いを浮かべる。
「あははは……遠慮しておきます」
「まあまあ! 子供がそんなに遠慮するもんじゃねーぜ? 大人の厚意は有り難く受け取りな!」
「は、はひ!? すみません!」
バシンッ! と肩を叩かれて涙目を浮かべる僕。
どうやらこの体は強化されているといっても、痛覚を和らげてくれるわけじゃ無いらしい。ということは防御力も普段どおり紙装甲だったりするんだろうか。ちょっと不安だ。
僕はおじさんに肩を組まれると、逃げ出すこともできずにそのままギルドまで連行された。
「なあ兄ちゃん。なんでこの街のギルドがあんなに馬鹿でけーか知ってるか?」
「い、いえ……」
「それはな、この街がギルド発祥の地だからさ! だから冒険者の間ではハンデルのことを『始まりの街』なんて呼ぶ奴もいるんだぜ?」
「始まりの……街……」
僕はおじさんが持つ豆知識を頭のメモ帳に書きとめながら、目の前に佇む巨大なギルドを仰ぎ見た。
御伽噺から実話まで至る数々の伝説。『冒険』を象徴する存在、竜。
看板の中に隙間無く描かれたそれは、まるで英雄を待ち構えているかのように真っ直ぐと前を見据えていた。
「こんな田舎には王都みてーに立派な騎士様がいねーからな。昔は自分達でモンスターやダンジョンの脅威から街を守るしか無かったのよ。それが時代の流れで組織化していき、国そのものにも認められて現在のギルドになったわけだ。今じゃ世界中に必要とされて色んな場所に支部ができている。まったく、この街の人間としちゃあ鼻が高い話だぜ!」
「へぇ……この街ってそんなに凄い歴史があるんですね。知らなかったです」
「がっはっは! これで一つ賢くなったな、兄ちゃん」
おじさんはそう言って愉快そうに笑うと、僕を置いてさっさとギルドの中に入ってしまった。僕は慌ててその後ろを追いかける。
そしてギルドの中に足を踏み入れた直後、僕は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
「……わぁ!」
そこは僕が思っていたよりもずっと広くて立派な場所だった。
床一面にびっしりと敷き詰められた大理石。天井まで高く伸びた白石柱。奥に沢山並べてある掲示板。数箇所に分かれた受付窓口。
そして何よりも僕が興奮を覚えたのは、この空間を埋め尽くしている冒険者達だった。
彼等は全員武器を携帯していて、ギルド内の各施設をたむろしている。中には隅の方に備え付けられたベンチに座って楽しそうに談笑する人達も見受けられた。
「がっはっは! 驚いたか?」
「おじさん!」
「おいおい、俺はまだ三十路だぜ? おじさんはやめてくれよ」
「あ、ごめんなさい……」
「がっはっは! まあ俺のことはジャンって呼んでくれ。それより兄ちゃん、今更だが冒険者志望かい?」
「あ、はい! 僕はライトって言います!」
本当に今更だけど、僕はジャンと名乗ったおじさんの質問に大きく頷いた。
ギルドに名前を登録して冒険者になれば、依頼を受けたり、モンスターの素材を売ったりしてお金を稼ぐことができる。ぶっちゃけ、勢いで村を飛び出した僕にとっては唯一の生命線だ。
一応は他のお店で働かせてもらうって考えもあるけど、それだと「強くなる」って理想から遠退いてしまう気がしてちょっと……。それに村じゃ薬草摘みか畑仕事しかしてこなかったから、あまり雇ってもらえるとは思えない。
「そうかそうか! じゃあもし泊まる場所が必要なら俺んとこの宿を使いな。冒険者には安く提供してるからよ」
「あっ……宿……!」
ジャンさんの一言に僕は愕然とした。
村を出て冒険者になることしか考えてなかったから、どこで夜を明かすかなんて全く考えてない。というか、そこまで気が回らなかった。
「がっはっは! その様子だと何も考えてなかったな? それなら今夜はうちの宿で決まりだ! 登録が終わったら『鋼の巣穴』って所に来な。大通りに面しているからすぐに分かる筈だ」
「わ、分かりました! ……ってあれ、もう帰っちゃうんですか?」
「がっはっは! 新参者は大事な顧客になりやすいからなぁ! 見掛けたらとりあえずお節介焼くことにしてるのよ!」
ジャンさんはそう言って一頻り笑うと、踵を返してギルドの外に消えてしまった。
どうやらあの人の親切にはちゃんとした打算が含まれていたらしい。だけど、不思議と騙されたって気はしなかった。ひょっとして商魂逞しいって言葉はこういうことを言うのかな?
まあ少なくともこれで今夜の宿には困らない筈だ。冒険者になれば安くなるって言ってたし、一日分の宿泊費くらいは払えるよね……多分。
僕は安堵と不安を同時に抱えるという、やや複雑な心境のままギルドの受付窓口へ向かった。
「あの、冒険者になりたいんですけど……ここの窓口で大丈夫ですか?」
「はい大丈夫ですよ。冒険者志望の方です……ね?」
「あの……?」
偶々空いていた窓口に座っていたのは眼鏡を掛けた茶髪の美人だった。
ギルドの制服である黒のスーツが似合っていて、胸部にはアリスと比較にならないほど立派な膨らみが宿っている。だけど顔立ちが少し幼いせいか、年上の女性って感じよりも身近なお姉さんって表現が近い雰囲気を漂わせていた。
「……ねえ君。ほんとに冒険者になるつもりなの?」
「は、はい!?」
受付のお姉さんは突然身を乗り出して僕の顔を覗き込む。その際、彼女の胸がカウンターの上に押さえつけられて必要以上に強調されていた。
僕は咄嗟に背中を逸らしてお姉さんから一歩分の距離を取る。それでいてカウンターの上に視線を固定しつつ、彼女の質問に頷いた。
「だけど君……冒険者っていうのは危ない仕事なんだよ? 強いモンスターと戦わなきゃいけないし、怖いダンジョンに潜らなきゃいけないし……それに、そんな格好じゃあちょっと心配っていうか、かなり不安になるっていうか」
「えっと……」
お姉さんに指摘されて、僕は恐る恐る自分の姿を見下ろして見た。
着ている服は上下共に村で愛用している布服で、冒険者の装備には程遠い。それに一応リュックの中に調理用の包丁が入っているけど、戦闘に使っていたナイフは森で失くしたままだ。そのせいで今の僕は丸腰状態。他の冒険者達と違って、何の武器も携帯していない。
……なるほど。お姉さんの言いたいことはなんとなく分かった。確かに今の僕はただのひ弱な子供にしか見えない。自分で言ってて悲しいけど、冒険者になってもすぐ死ぬようなイメージしか湧いてこなかった。自分で言ってて悲しいけど!
「あのね……悪いことは言わないから冒険者はやめといた方が良いと思うの」
「いえ! 僕は冒険者になりたいんです!」
「……本気で言ってるの?」
「は、はい!」
気のせいかお姉さんの瞳がさっきよりも鋭くなる。だけど僕は負けじとお姉さんの顔を見つめ返した。
ぶつかり合う黒い目と翡翠の瞳。
勝利したのは僕の方だった。
「はぁ……分かった。じゃあこの登録用紙に必要事項を書いてくれる? 分からない部分は無理に埋めなくても構わないから」
「あ、ありがとうございます!」
諦めたように溜息を吐いたお姉さんから、僕は一枚の登録用紙を受け取った。
カウンターに備え付けられていたペンを握って、上から順に空欄を埋めていく。
だけど、最後の項目を見て僕の手は止まった。
「あの……『アドバイザーを希望しますか?』って場所に最初から丸が付けてあるんですけど。アドバイザーって何ですか?」
「あら、聞いたことない? 新人冒険者は最初の一ヶ月間、ギルドの担当員から基礎知識を教わるかどうか選択できるのよ」
「……選択できてないんですけど」
「当然よ。君には悪いけど、一人で放り出したらあっさり死にそうなんだもの」
「あははははは……」
この人、はっきり言うなぁ。
僕は内心で傷付きながらも、なんとか引き攣った笑顔で取り繕った。
それに何も知らない僕にとって、冒険者の基礎知識を教えてもらえるというのはかなり有り難い。だからお姉さんの独断に文句を言うつもりも無かった。
「多分アドバイザーはそのまま私になると思うけど……文句を言うなら今のうちだよ?」
「いやそんな! 文句だなんて……! えっと、あの、ご教授、よろしくお願いします!」
「うんうん。素直な子は好きだよ。こちらこそよろしくね」
悪戯っ気のある不敵な笑みを浮かべたお姉さんは凄く魅力的だった。僕は急激に顔が熱くなるのを自覚しながら頭を下げる。
そんな僕の態度に気を良くしたのか、お姉さんは優しく僕の髪を撫でてきた。……ふわぁああああっ!?
頭の中が真っ白になる。そのくせ彼女の手の感触だけははっきりと感じるのだから、もう、なんというか、どうしようもない。
べ、別にこれは恋とは全然関係ないことだから、喜んでも大丈夫だよね? 爺ちゃんだって『女性との接触は役得だと思え』って言ってたし!
「……もしかして照れてる? ふふふ、可愛いなぁ」
「べ、べべべ、べちゅに照れてないですから!?」
そんなこんなで、無事に冒険者登録の手続きは進んでいった。
変更点があります。
予備知識→基礎知識
別にこの時点でならまだ予備知識でも意味合いが通じるんですけど、冒険者になった後に使うと違和感があるので、後半のことも考えて基礎知識に変えさせていただきました。




