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第15話 立ち止まり、一歩踏み出す

 知らない天井だ……。

 どうやら僕は気を失っている間にどこかへ運び込まれたらしい。


 「いてて……」


 酷い倦怠感だ。体が重い。

 僕は横になっていた上体を起こして、ゆっくりと部屋の中を見回す。

 そこで、僕は誰かから手を握られていることに気付いた。


 「……」


 アネットさんだ。

 床にしゃがみ込んで、上半身だけベッドに倒れこむように眠っている彼女が、しっかりと僕の手を握り締めていた。

 僅かに目元が赤い。……泣いていた?

 よく見れば服も皺だらけだし、髪もボサボサだ。もしかすると、ずっとここで僕の看病をしてくれたのかもしれない。

 僕は乱れた髪を整えてあげようと思って、そっとアネットさんの頭に手を伸ばした。


 「……オ……トー……」

 「……っ」


 即座に伸ばした手を引っ込める。

 胸を締め付けられるような痛みが走り、僕は声を噛み殺しながらもう一度ベッドで横になった。

 そうだ。思い出した。

 あの時の恐怖を。

 自分が死ぬのではなく、誰かが人知れず死んでいくという現実。

 決して無事に帰れることが当たり前じゃない世界。冒険者に等しく訪れる死の確率。

 それら全てに、僕は恐怖した。

 僕が強くなる為に歩み出した道が、こんなにも暗く、脆く、細いものだったなんて、今まで考えもしなかったんだ。


 「……ふぐっ……ううう……ひっぐっ……」


 嗚咽が零れた。涙が零れた。弱音が零れた。

 僕が強くありたいと願い、無意識に張っていた虚構の勇気が、はっきりと音を立てながら崩れてしまった。

 本来の僕が現れる。

 弱虫で、泣き虫で、臆病で、何にもできない駄目な自分。

 僕はそんな自分が、そんな僕自身が大嫌いだった。

 ずっと心のどこかで否定していた。憎んでいた。逃げようとしていた。

 だけど駄目だ。どんなに足掻いたところで僕という本質は変わらない。変えられない。

 僕は、やっぱり駄目な僕でしかなかったんだ。


 「ライト……君?」

 「アネットさん?」


 アネットさんの手がより強く僕の手を握り締めてくる。

 そして未だに寝ぼけ顔だったアネットさんは、今にも泣きだしそうなほど表情を歪めて僕の体を抱きしめてきた。


 「ライト君っ!!」

 「アネットさん……」


 サラサラな彼女の髪を撫でる。すると、彼女はビクッと体を震わせた後、更に腕の力を込めてきた。僕のひょろっちい胸板に柔らかい物が密着してくる。顔が熱くなった。


 「あの……そろそろ離れて」

 「いや! 離れないで!」

 「アネットさん!?」


 あの、これもう全身が密着してるようなもんなんですが……!

 アネットさんがより強く僕を抱きしめてくる。その時、彼女の吐息が首筋にかかって僕の頭は沸騰しそうになった。


 「ねぇ……もう頑張るのやめよう? お金なら私が稼ぐから……ね?」

 「あ、アネット……さん?」

 「ずっと一緒にいよう? もう危ない所に行かないでよ。良いじゃない。別に戦わなくても」

 「いや、そんなわけには……あの、大丈夫ですか?」


 何かがおかしい。咄嗟にそう感じた僕はアネットさんを引き剥がそうとした――瞬間。


 「良いじゃない! なんで駄目なの!? なんで私から離れようとするの!? そうやってまた私の前から消えていくつもり!? また……またっ! また私を一人にするの!?」

 「ぐぇ――」


 ベッドに押し倒された。両腕を掴まれて、逃げ出せない状態で。

 馬乗りになったアネットさんが、光の無い目で僕を見下ろしている。


 「君は知らないだろうけど、私には弟がいたの。君と同じで十五歳で冒険者になったんだよ?」

 「アネットさん……」

 「オットーは戻ってこなかった。だからあれほど行かないでって言ったのに……!」


 アネットさんの悲痛な叫びが真っ直ぐ僕の胸へと突き刺さる。

 やっぱり弟さんの死は、今でもアネットさんの心に傷を残しているんだ。

 もしかしたらアネットさんも僕と同じように、いや、僕以上に冒険者の死を恐れているのかもしれない。


 「僕は……ちゃんと帰ってきます」

 「嘘よ! 君、ここがどこだか分かる!? ギルドの医務室だよ! 君は運ばれてきたの! 危篤状態で! 三日も目覚めなかったのよ!?」

 「……え」


 僕、そんなに酷い状態だったの……?

 突然告げられた事実に呆然とした僕は、二の句が継げずにアネットさんの顔を見ていた。

 透明な雫がぽたりと僕の頬に落ちてくる。

 アネットさんは……泣いていた。


 「……私、怖いの。ライト君が弟と同じように、帰ってこなくなるんじゃないかって……。嫌なの。君までいなくなっちゃうのは……絶対に嫌なの!」

 「……アネットさん」


 僕は馬鹿だ。

 馬鹿でクズでどうしようもないほど最低なクソ野郎だ。

 今ほど自分が情けないと思ったことは無い。

 こんな時、どんな言葉をかけていいのか分からない。アネットさんの心を癒す方法がまるで分からないんだ。そんな自分が酷く腹立たしかった。

 だけど、ここで諦める奴は男じゃない。

 『どうやってでも女の涙を止めるのが男の甲斐性だ』って爺ちゃんも言ってた。


 「約束します」

 「……あっ」


 僕は怠い体を必死に持ち上げて、アネットさんの体を抱きしめた。

 自分から女性に触れるという行為に心臓が破裂しそうになる。多分、手先も震えていただろう。それでも僕は、アネットさんに笑って欲しかった。


 「僕は絶対に死にません。信じられないかもしれないけど、何度も心配させちゃうかもしれないけど……それでも約束します。僕は絶対に死にません。必ずアネットさんの所へ帰ってきます」

 「ライト……君」

 「ちゃんと無事に帰ってきますから……だから、泣かないでください」

 「うぅ……ぐすっ……! うわああああああああああああああああああっ!」


 アネットさんは声に出して泣いた。

 僕が着ている患者服を涙で濡らしながら、子供みたいに泣きじゃくっていた。

 そんなアネットさんの頭を僕は優しく撫でてやる。いつの日か僕がそうしてもらったように、アネットさんが泣き止むその時まで、ずっと彼女の頭を撫で続けた。




 「うぅ……恥ずかしい」

 「あ、いや、その……はい」


 あれからしばらく経った後、落ち着きを取り戻したアネットさんは羞恥で頬を紅潮させていた。僕自身も、なんだか気取った真似をしてしまったようで恥ずかしい。

 そのせいでお互いに相手の顔を見ることができず、辺りにはなんとも微妙な空気が漂っていた。


 「ライト君、あのね……」

 「は、はい!」


 それでも必死に言葉を搾り出そうとするアネットさんは流石だと思う。

 僕はやや緊張しながら彼女の次の言葉を待った。


 「ありがとう」

 「――――」


 僕の顔をしっかりと見つめながら、アネットさんは朗らかな笑顔を浮かべた。

 それはまるで闇が晴れたように輝いていて、今までの中で一番自然で美しいと思った。

 胸の鼓動が高鳴る。

 僕は確かにその時、アネットさんの笑顔に心奪われていたんだ。


 「じゃあ、私は溜まった仕事があるから、もう行くね!」

 「……はい。行ってらっしゃい」


 バタバタと駆けていくアネットさんの背中を見送って、僕はしばらくぼうっとしていた。


 「いい加減……学習しろよ」


 恋愛はアリスの件で懲りただろう。二度目の人生は恋の無い生き方をしようって決めたじゃないか。だから呆けてる場合じゃない。

 僕は頭を軽く振って、気分を入れ替えることにした。

 そんな時、医務室の扉が開かれる。


 「お邪魔します。……あら、ライト。いつの間に起きてたの?」

 「ティキ?」


 中に入ってきたのは、黒いローブを纏ったティキだった。

 装備を新調したのか、その手には身の丈くらいはある大きな杖を持っている。杖頭の部分が膨らんでいるのは打撃杖だからだろうか?

 そんなことを考えている間に、ティキは僕のベッドに腰掛けていた。


 「さっきアネットさんが顔を紅くしながら走っていたけど、なんかあったの?」

 「え!? いや、別に何もないよ!」

 「ふーん。……あの人、良い人よね。この三日間ずっと貴方の面倒見てたみたいだし」

 「そ、そうなんだ」

 「ええ。まだお礼が済んでないなら、後でちゃんと言っておくのね」

 「うん、そうだね。……それにティキもありがとう。わざわざ心配しに来てくれて」


 僕が笑顔でお礼を言うと、ティキはびくっと体を震わせた。


 「な、何よ! そ、そそ、そんなの、当たり前じゃない! だってあたし達、と、ともだ、友達だし! ……友達よね?」

 「そ、そんなに不安そうにしなくても……」

 「べ、別に不安になんかなってないわよ! ただ、その、あんなことがあったし、嫌われたんじゃないかって……ごにょにょ」

 「え? なんだって?」

 「な、何でもないわよ! ……それより! あたしは貴方に聞きたいことがあるの!」


 まるでこの話題は終わりだと言いたげに立ち上がったティキは、腰に手を当てながら僕と向かい合った。


 「ライト。貴方が倒れた理由って、やっぱりあの『黒い力』が原因なの?」

 「えっ!?」

 「やっぱり……そうだったのね」


 そう言えば遺跡でモンスターに囲まれた時、僕の力は一部始終ティキに見られていたんだっけ。あの後色々あったから、すっかり忘れてしまっていた。

 ティキは納得したように頷いた後、再び僕の隣に座り直す。そして誤魔化しは許さないとばかりに僕の顔を睨んできた。


 「あれは身体強化の魔法なのかしら? 随分と独創性(オリジナリティ)に溢れた魔法だったけど」

 「いや、それは僕にも分からないよ。あれは知り合いから譲り受けた力で、僕自身の力じゃないんだから」

 「それは魔法を継承したっていうこと? だとしたらやっぱり固有魔法(オリジナル)の可能性があるわね。あんな魔法、見たこと無いもの」


 僕は半分嘘を吐いてしまった。

 だけど、そのことに気付かないままティキは勝手に憶測を立てていく。

 そんな彼女に罪悪感を感じつつも、僕は密かに「魔法って継承できるものなんだ」と感心していた。


 「ねぇティキ」

 「ん? 何?」


 気が付くと、僕はティキに質問していた。


 「他人から貰った力を自分の力みたいに振舞うことは……傲慢なのかな?」

 「……はぁ? そんなわけないじゃない。むしろそういう考えの方が気取って聞こえるわよ」

 「え? そ、そうなの!?」


 僕としては結構深刻な問題だったんだけど、ティキは軽く一蹴してしまった。


 「あのねぇ。魔法っていうのは精神力が深く関わってくるの! それなのに『これは他人の力だ』なんて考えてたら使いこなせるものも使いこなせないじゃない!」

 「――ッ」

 「……はぁ。今の反応で確信したわ。貴方が倒れた原因は魔法の暴走なんじゃないかって思ってたのよ。やっぱりそうだったのね」


 そうだ。ティキの話を聞いてる限り、『魔王の力』は魔法によく似ている。だとしたら僕が倒れた原因も力が暴走したからなんじゃないか?

 そこまで考えて、僕は一筋の光明を見出したような気がした。


 「ライト。しばらくあの黒い魔法を使うのはやめなさい。今度は本当に死ぬかもしれないわよ?」

 「……」

 「ちょっと、聞いてるの!?」

 「ごめん。僕はどうしてもあの力を使いこなさなきゃいけないんだ。そうしないと、笑って見送ってくれたあの人に顔向けできないから」


 魔王の力は強すぎる。分不相応。僕には全然釣り合っていない。

 それはきっとどうしようもない現実で、どうあっても覆らない事実だろう。

 だけど、その考え方が根本的に間違いだったんだとしたら? 僕がこの力を恐れて、無意識のうちに自分から遠ざけていたんだとしたら?

 そりゃあ使いこなせるわけが無い。だって僕自身がこの力を受け入れていなかったんだから。


 「ねぇ。ティキは他人の力……じゃなくて魔法を継承したとしたら、どうやってそれを自分の力だって受け入れるの?」


 僕が不意に尋ねると、ティキは面食らったような顔をしながら考え始めた。


 「あたしが他人の魔法を継承? そんなこと有り得ないけど、そうね。多分最初から受け入れてると思うわ。だって継承するにはまず相手に認められなくちゃならないんだもの。ということはあたしは相手の魔法を受け継ぐに値する実力者ってことでしょう? それで自分の力じゃないなんて考えるのはちゃんちゃらおかしいわ」

 「さ、最初から……か。じゃあ、自分に自信が無い場合はどうすれば良いと思う?」

 「そうねぇ。ライトの場合は真面目だから、まずは魔法の名前から変えてみるのはどうかしら? ほら、例えば剣技には色んな流派があるでしょう? それぞれ名前は違うけど、似たような攻撃は割と多い。だからそんな風に、相手の流派(ちから)を自分の流派(ちから)に置き換えてみるのよ」


 自信が無いという質問で僕の名前が出てきたのはどうしてなんだろう。いや、聞かなくても分かるけどさ!

 だけど名前から変えてみる、か。そう言えば謎の声も言ってたな。いつまでも魔王の力なんて呼ぶなって。それってつまり、そういうことかもしれない。


 ――君の力は、何の為にあるんだい?


 まだ何の答えも見つかっていないけど、当面の足がかりはできたように思える。

 僕は倦怠感が残る体で立ち上がった。


 「だ、大丈夫なの? まだ安静にしてた方が……!」

 「大丈夫だよ。体は少し重たいけど、ティキのおかげで心が前より軽くなったから」

 「あ、あたしのおかげ? えへへへ。そ、そうかしら? あ、駄目よ。足がふらついてるじゃない。肩貸すわ!」

 「あ、ありがとう」

 「どういたしまして……ん?」


 ティキは一瞬だけ不快そうに眉根を寄せたけど、すぐに頭を振って元に戻った。


 「どうかした?」

 「いいえ、なんでもないわ。ただ油断できないなって思っただけよ」

 「?」


 少し不思議に思ったけど、本人が何でもないと言うのなら僕が気にしても仕方がない。

 ティキに歩幅を合わせてもらいながら、僕はこれから先のことを考えた。


 「あの女の臭いがする……強敵ね」


 だから、そんなティキの呟きも僕の耳には届かなかった。


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