第13話 緊急クエスト
体調が戻った翌日。
ティキから貰った素材を持ってギルドに向かうと、なんだか周りの様子がいつもと違うことに気がついた。
張り詰めたような空気。まるでギルド全体が緊張しているかのような雰囲気に僕は戸惑いを隠せない。一体、何があったんだろうか?
僕は辺りを見渡しながら恐る恐るギルドの中を進んでいく。そこで、全ての冒険者が奥の掲示板に集まっているのを見かけた。
「……珍しい依頼でも張り出されたのかな?」
それなら冒険者達が注目するのも分かる。ともあれ、窓口が空いているのは有り難い。
僕は真っ先に買取窓口を訪れ、持っていた素材全てを売り払うことにした。
グレイウルフの素材を見せた時には担当職員のお兄さんが凄く驚いていたけど、すぐに気を取り直したのか何事も無かったように鑑定を進める。そして素材の代わりに硬貨で膨らんだ道具袋が僕の手元に返ってきた。
「全部で一四〇〇〇ゼニスになります。良質な素材が含まれていましたので、通常よりも高く買い取らせていただきました」
「い、一万……! あ、ありがとうございます!」
流石はランク2モンスター。素材の価値がこれまでのモンスターとは比べ物にならない。
僕は借金返済の目処がたったことと、一度に大金を手に入れたことで興奮していた。
しかし、後のことを考えると気が重くなるのも事実だ。
「アネットさんに謝りに行かないと……」
そう。僕は昨日、無断で彼女の講義を休んでしまっている。
あれだけ熱心に教育を施す人だ。多分だけど、サボりとかは許さない性質だろう。きっと今まで以上のスパルタとかが待っているに違いない。怖い。
そんなことを考えていると、別の窓口の方から名前を呼ばれた。勿論、その声の主はアネットさんだ。
「ライト君! おはよう!」
「……ご、ごめんなさい!!」
「ライト君!? ちょっと、急にどうしたの!? いきなり土下座なんて……」
「昨日は勝手に休んでしまってすみませんでしたぁ!」
誠心誠意謝るしかない。
僕は怒られることを覚悟してアネットさんに頭を下げた。
「あの、ここ人前だから……ね?」
「す、すみません……」
アネットさんに立たされて、いつもの部屋へ移動する。
だけどその時、僕は掲示板から目を離さない冒険者達の背中を見て嫌な予感を覚えた。
一体あそこに何があるって言うんだ……?
「それで、どうしたの?」
「ど、どうしたとは……?」
「ほら、急に土下座したことだよ」
「だからその、昨日は無断でアネットさんの講義を欠席したので……申し訳ないと思って」
椅子に座って縮こまっている僕は、アネットさんが今どんな顔をしているのか見ることができない。それでも必死に顔を上げようとして自分の非を告白すると、アネットさんはゆっくりと僕の傍まで近付いて、優しく頭を撫でてきた。
ふいに懐かしい記憶が想起する。
昔、僕が泣いていた時も爺ちゃんやアリスがこうして撫でてくれたっけ……。
「君は……本当に真面目なんだねぇ。たった一日休むくらい別に良いじゃない。普通の冒険者なんてそんなもんよ?」
「アネットさん……」
「安心して。君が意図的にギルドに来なかったなんて微塵も思っていないから。きっと君のことだから何か理由があったんだよね? だから、怒ったりなんかしないよ」
……天使だ。
慈愛に富んだアネットさんの笑顔に見惚れた僕は、割と本気でそんなことを思った。
「ところで、結局休んだ理由は何だったの? 慣れない生活で風邪でもひいた?」
「いえ、実はダンジョンの奥まで潜ったらモンスターの群れと遭遇しちゃいまして……あ!」
――しまった! そう思った時にはもう遅く。
「……ふーん? ダンジョンの奥まで潜ったんだ? へぇ。君は私の言いつけを守らなかったんだねぇ……?」
「ご、ごめんなさ……っ!?」
アネットさんは怒気を孕んだ笑顔を浮かべて僕の頭を撫でてきた。
「これはきつーくお説教が必要かな?」
「あ、あの……」
ギリギリと頭を強く握り締められる。
まったく笑っていないアネットさんの目はまるで「逃がさないよ?」と告げているかのようだ。僕はこの時、一瞬だけ自分の死を覚悟してしまった。
「こらこら。そんなことをしている時間は無いぞ。少年、君も速く現場に向かいなさい」
「レジーナ先輩っ!?」
そんな時、部屋の中に一人の救世主が現れた。
短めの金髪に紫色の瞳を持つ、妙に格好いい雰囲気を持った女性。レジーナと呼ばれた美女が扉の前にもたれ掛かっていた。
なんだろう。男の僕から見ても男らしい佇まいだ。立ってるだけで格好いい。
「どうしたアネット? 緊急クエストはもう張り出されているんだ。この子をいつまでもここに閉じ込めておくことはできないだろう。……あと、その親の仇を見るような目はやめてくれ」
「うううぅ……っ!」
「あああああアネットさん!? む、胸が柔らかっ! 苦しいっ!?」
アネットさんは玩具を取り上げられまいとする子供のように僕を強く抱きしめていた。そのせいで僕の顔は彼女の双丘に押し付けられるような形になってしまい……その……柔らかいっ!?
呼吸がまったくできないけれど、なんだかもう死んでもいいような気がしてきた。
「ら、ライト君!? 大丈夫!?」
「は、はい……! えっと、何があったんでしたっけ?」
「記憶が飛んでる!?」
頭がぼうっとしていて上手く働かない。凄く幸せな気分だったのは間違いないけど。
そんなことを考えていると、レジーナという女性が呆れたように溜息を吐いた。
「どうでもいいから早くしてくれ。アネット、お前も分かっているだろう」
「わ、分かってますよぉ……それくらいっ!」
「あ、あの……?」
未だに状況が分かっていない僕は、アネットさんとレジーナさんの顔を交互に見比べることしかできない。アネットさんはそんな僕の肩を強く掴み、鬼気迫るような表情を浮かべた。
「ライト君! 絶対無茶しちゃ駄目なんだからね!? 死んだら絶対恨むから!」
「うぇっ!? は、はい……っ!」
相変わらずなんのことか分からないけど、ここで否定したら殺される。そう直感した僕は無意識のうちに敬礼しながら何度も首を上下に振った。
「緊急クエスト……第一段階、モンスター掃討作戦?」
ようやくアネットさんから解放され、レジーナさんに掲示板を見るよう促がされた僕は、先ほどまで冒険者達が集まっていた場所でそんな内容の依頼書を読み上げていた。
なんでも遠からず訪れるという大災害に備えて、今の内にモンスターの数を減らしておかなければならないらしい。そして来るべき時が来たらクエスト内容が第二段階へ移行する、という寸法だ。
「逢魔ヶ時……か。世の中にはそんな災害があるのか」
ぶっちゃけ、この地域一帯がダンジョンと同じ状態になるなんて想像できない。やっぱり四方八方モンスターだらけになるんだろうか。考えただけで肝が冷える。
「またあの時みたいにモンスターに襲われたら……」
またあの時みたいに【黒撃】を連続で使わざる負えない状況に追い詰められたら、僕は一体……どうなっちゃうんだ?
夢の中で謎の声が言っていた言葉も気になる。あの男か女かも判然としない声の主は、一体何を知っているんだ? 僕は、一体何を知らないんだ? 普通に鍛えるだけじゃ魔王の力は使いこなせないのか?
駄目だ。分からないことが多すぎる。僕は肩を落として溜息を吐いた。
「とりあえず……僕も行かなくちゃ」
他の冒険者達はすでに各ダンジョンに向かっている筈だ。こんな所で僕だけ呆けているわけにはいかない。
僕は軽く自分の頬を叩いた後、気を取り直してギルドの外へ駆け出した。
*****
それは死神の足音であった。
『――――』
三つのダンジョンの中で最も危険と言われている『ギンオウ洞窟』。
その最深部にて静かに眠りについてた“ソレ”は、一歩一歩辺りの様子を確かめるように歩いている。まるで、光を求めて彷徨っているかのように。
『――ヴォ――』
白い体毛に所々染み付いているのは赤い血だ。それがモンスターの物なのか、それともここまで足を踏み入れた冒険者の物だったのかは分からない。
しかし今まさに、たまたま前を通っていたグレイウルフをそのまま足で踏み潰してしまっていた。
通路に飛び散る鮮血の飛沫。辺りに立ち込める鉄の臭い。床には無数の死体が転がり、洞窟全体を揺らすような衝撃が続く。
ただ出口に向かって。
『――ヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
それはまさに……死神の足音であった。




