第11話 弱虫魔王
僕は震えていた。
攻撃することもできないほど。逃げ出すことも許されないほど。
頭の中が真っ白になり、僕は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
『グルルル……ッ!』
一体だけならどうにかなったかもしれない。二体程度なら平静を保っていられたかもしれない。しかし現実はあまりにも非常で、僕達の目の前に現れたモンスターは軽く十体を超えていた。
「グレイウルフの群れ……これはかなり不味いわね」
不味いなんてもんじゃない。これはどう見たって絶望的だ。
僕はこの状況でも冷静なティキを羨ましく思いながら、「何を暢気なことを」と正気を疑いたくなった。
『『『ガアアアアアアアアアアアアアアッ!』』』
「――ッ!」
「……ひぃっ!?」
グレイウルフ。
それは脚力に特化した二足歩行の灰色狼だ。
まるでオーガを彷彿させるような体躯を持ち、鍛え上げられた肉体は強靭な体毛によって覆われている。その上、他のモンスターに比べて知能も高い。
間違いなくこれまで戦ってきた相手とは比べ物にならない強敵だ。
「ティキ……っ!」
「落ち着きなさいライト。それと、絶対に背中を見せちゃ駄目よ」
「う、うん!」
初めて遭遇するモンスターの団体に僕はもうすっかりびびってしまっている。
情けない話だけど、僕はティキに頼る以外にこの状況を打開する術を持たなかった。
なにせグレイウルフはランク2に分類されるモンスターだ。普通に考えればランク1冒険者が戦っても勝てる相手じゃない。というかランク2冒険者でもこの数が相手じゃ話にならないだろう。
第一、冒険者とモンスターじゃ与えられるランクの意味がまるで違う。
冒険者の場合、ランクを決めるのは良くも悪くもギルドの評価だ。それは仕事に対する姿勢だったり、回収してきたモンスターの素材だったり、依頼の達成数だったりと様々な要因が関わっている。
しかしモンスターの場合はもっと単純。冒険者達が身を持って体験した強さがそのままランクへと置き換えられているのだ。つまり冒険者のような信頼度ではなく、ただただ純粋な脅威度だけがランクとして反映されている。
だからこそ勝てない。それが嫌というほどに分かってしまった。
「幸い、グレイウルフは警戒心が強いモンスターよ。武器を構えていればすぐに襲ってくることはない筈。……ゆっくり、ゆっくり後退していくの。決して弱みを見せちゃ駄目」
「う、うん……」
悔しい。
何もできない。
こんな時こそ魔王の力の出番なのに、体が震えて思うように動かない。
僕は……やっぱり弱虫だ……。
『グルルル……』
『グアアアアッ!』
「たくっ! 油断無いったらありゃしないわね!」
ティキは指揮棒のような杖を構えながら、反撃を許されないこの状況に歯噛みしていた。
当然だ。ティキの魔法は発動するまでに一瞬の“溜め”が必要となる。ただでさえ魔力に敏感なモンスターがその隙を見逃す筈がない。
せめてこれが一対一の状況なら他にやりようもあったんだろうけど、こうも多勢に無勢じゃどうしようもないのだ。
生き残る方法は唯一つ。
僕達には後退という選択肢しか残されていなかった。
『――』
「嘘だろ……っ!?」
だけど、僕はダンジョンというものを甘く見ていたのかもしれない。
突然感じた嫌な気配。それが僕達の向かう先から漂っている。
ティキもすぐに同じ感覚を覚えたのか、武器を前に構えたまま首だけを背後に回していた。
『――』
『――』
『――』
通路から現れたのはたった一体のスライム。
しかしどういうわけか、スライムは広間に入った直前から分裂を始め、次々とその数を増やし始めていた。まるで、僕達の逃げ道を塞ぐかのように。
――ダンジョンは奥へ進むほど何が起こるか分からない。
悪夢のような光景を前に、アネットさんの言葉が脳裏を過ぎる。
同時に、スライムの一体が僕達に向かって飛び掛ってきた。
『ガアアアアアアアアアアアアッ!』
それが合図だと言わんばかりにグレイウルフ達も動き始める。
絶体絶命、万事休すだ。
僕は久しぶりの走馬灯を目に焼き付けながら、自らの終わりを悟った。
――美少女が困っていたら死んでも助けろ!
少なくとも、そんな声を聞くまでは。
*****
きっと祖父は英雄譚が好きだったのだろう。
瞬間的に切り替わる走馬灯を見ながらライトはそんなことを考えた。
今でもはっきりと思い出せる。
祖父と過ごした思い出。祖父が口にしていた教訓。祖父が憧れていた英雄達の物語。
全て覚えている。忘れたことなど一度も無かった。
彼の教えは、しっかりとこの体に刻み込まれているのだ。
だからこそライトには分かった。
祖父なら言う。『英雄の偉業には美女が付き物』なんて豪語していた彼なら、絶対に言う。
自分の為なら負けてもいい。常に他者を思いやれ。誰かの為に命を懸けろ。女の子なら死んでも救え。
女好きでもあったあの祖父ならば――ライトが初めて憧憬し、英雄のように眩しく見えたあの人ならば。
絶対に女の子を見捨てる筈が無いのだ。
「――あああああああああああああああああああああああああああああっ!」
動機は不純。理由は明白。
しかしそんなことはどうでも良かった。
「こくげきぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
初めてできた冒険者仲間をこんな所で死なせたくなかった。
魔王に恥ずかしい姿を見せたくなかった。
今でも自分を支えてくれる祖父に認めて欲しかった。
そんなどうしようもないちっぽけな衝動が、弱虫の体を爆発的に突き動かす。
気がつけばナイフを握っていた拳に漆黒の光を纏っていて、真っ先に接近していたグレイウルフを殴り飛ばしていた。
『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?』
爆砕。
「こく……げき……っ!!」
魔王との戦いにおいて習得した唯一の必殺技。
その連続使用には驚くほどの激痛が伴ったが、今ここで使わないという選択は存在しない。
続いて飛び掛ってきたもう一体のグレイウルフを粉砕し、勢いのまま身を捻って背後に迫っていたスライムを跡形も無く蒸発させる。
その瞬間、ライトを除いた全ての生き物が、まるで思考を放棄したかのように停止した。
「……ライト? その目……」
鮮血のような深紅の輝き。
見る物全てを萎縮させるような力強い眼光が、少年の双眸から放たれている。
それはこれまで本人も気付いていなかった確かな変化。魔王の力を使う際に必ず生じていた現象だった。
『……グルルルッ!』
『ガ、ガアアッ!』
少年は気付かない。
狼達が恐怖していることに。
『――ッ』
『――ッ!』
少年は気付けない。
自分が何者であるかということに。
「モンスター達が震えてる? ……こんなの、初めて見たわ」
理解していても、自覚することはできない。
それはきっと己を卑下し続けている限り、決して変わることが無いのだろう。
だがこの時。この瞬間だけは間違いなく――
「ティキを……守らなくちゃ……っ!」
――少年は紛うこと無き『魔王』だった。
*****
『ガアアアアアアアアアアアアッ!』
――視える。そう思った時にはもう体が動き始めていた。
「【黒撃】!」
勢いで名付けただけの全力パンチ。
この技は思ったよりも威力があり過ぎたようで、僕自身にも反動として凄まじい衝撃が返って来る。どうやら時間を置いて使う分には問題無さそうだけど、こうして連続行使を続けていると体に負担が掛かるみたいだ。というか、既に全身が引き千切られるような激痛に襲われている。視界は涙で濡れていた。
『グアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』
僕は飛び掛ってきた三体のグレイウルフを一発の拳で打ち返し、そのまま広間の壁まで弾き飛ばした。続けて襲ってきたスライムを『ラーテイル』で切り裂き、素早く回転。振り向き様にもう一本のナイフを投げつける。
魔王の力で投擲された刃は驚異的な速度で滑空し、見事にグレイウルフの左胸を貫いた。
「……こんのぉ! ライトばっかり襲ってんじゃないわよ! ゲイルブラストッ!」
どういうわけか、周囲のモンスターは全て僕だけに集中している。そのおかげでティキは誰にも邪魔されることなく魔法を振りかざすことができた。
彼女の手から撃ち出されたのは翡翠に輝く風の渦。それは凄まじい速度で地面の上を疾走し、僕の背後に密集していたスライムの群れを一掃した。
「ありがとうティキ!」
「どういたしまして!」
やっぱり魔導士って凄い。あれが魔法の持つ本当の力なんだ。
あくまで一体ずつしか戦えない僕と違って、ティキは一瞬でモンスターの群れを殲滅してしまった。……格好いい!
なんだか彼女の姿が頼もしく思え、ともすれば心に希望が湧いてくる。
僕は両手で『ラーテイル』を握り締め、残ったグレイウルフに向かって駆け出した。
「……やっと出られたね」
「ええ! レアアイテムも手に入ったし、格上のモンスター素材も手に入ったし、今日の探索は上々の結果を迎えたわね!」
「ティキはあんなことがあっても元気だなぁ」
僕達がダンジョンを抜け出した時、辺りはすでに暗くなっていた。
しかしティキが持っている稀少品、『月光花』の光が淡く僕達を照らしてくれている。あの騒動を切り抜けた後、広間の隅っこに咲いているのをティキが目敏く見つけていたのだ。
そして僕は全く知らなかったんだけど、この『月光花』は高等回復薬の原料になるらしく、ギルドで高く買い取って貰えるらしい。
危険な目に遭うだけの価値は……あったのかなぁ?
「あんなことがあったからよ! あたし達、あの絶望的な状況から無事に生き残れたのよ? これが物語ならまさしく英雄譚よね!」
「確かに、ティキは英雄みたいに格好よかったよ」
「はぁ? 何それ、皮肉?」
「ええ!? なんでそうなるの!?」
月の光を宿す花を、ティキは大事そうに抱きしめながら豪語する。だから僕もそれに便乗しただけだったんだけど、なぜか彼女に睨まれてしまった。
やっぱり女の子だから、格好いいより可愛いって言われた方が嬉しいのかな? でも格好いいって思ったのは本心なんだよな……。
僕が戸惑いを隠せないでいると、ティキは小さく溜息をしながら僕の方を向き直った。
「あ、あた、あたしには……その……ライトの方がかっこえういりゅ〜〜〜〜っ!」
どうやら舌を噛んだらしい。
ティキは顔を真っ赤にしながら口元を押さえ、若干涙を浮かべている。
そんな彼女がどうしようもなく可愛くて、そして可笑しくて、僕はついつい笑みを零してしまった。
「わ、笑うなぁああああああ!」
「痛い痛い! ごめんっ! ごめんなさい……っ!?」
僕に笑われたティキは体をプルプルと震わせた後、癇癪を起こしたように僕の背中をポカポカと叩き始めた。その様子は傍から見れば愛らしいんだろうけど、当事者としては笑えない。それくらい本気の力で殴られた。
完全に僕の自業自得なんだけど、やっぱり女の子って怖い。これからはなるべく怒らせないようにしないと。
僕はこのことをしっかりと頭のメモ帳に刻み込んだ。
少年はフラグが立ったことにも気がつかない……。




