プロローグ 僕は振られて死にました
――心臓が今にも爆発しそうだ!
僕は心の中で叫んだ。
頭の中は真っ白で、手足は未だに震えてる。ちゃんと呼吸が出来ているのかも分からない。
何度落ち着けと自分の腹を殴っても、この体はちっとも言うことを聞いちゃくれなかった。
まあ無理もない。だって僕は今日、大好きなあの子に『告白』するんだから!
子供の頃からずっと一緒だった幼なじみのアリス。
いつも可愛らしい笑顔を浮かべてくれる彼女に、僕はこの熱い想いをぶつけるつもりだった。
「す〜は〜! す〜は〜! ……うう。深呼吸しても緊張が抜けない」
正直言うと、今すぐここから逃げ出したい。そりゃあもうどうしようもないくらい逃げ出したい。
だけどここで逃げるわけにはいかない。ここで逃げてしまったら、僕はいつまで経っても彼女に振り向いてもらえない。ずっと『お友達』のままでいるのは……嫌だった。
アリスは超絶可愛い女の子だ。きっと他の男達が放っておかないだろう。
もしもどこかの男とアリスが付き合う、なんてことになったら僕はショックで死ねる自信がある。いや、死ぬ。確実に。
「――ライト。こんな村はずれに呼び出して一体どうしたの? 大事な話があるって聞いたけど……」
「ア、アリス!?」
思考の海に沈んでいて、アリスが目の前まで近付いてるのに気付かなかった!?
ああ、相変わらずアリスは綺麗で可愛いなぁ。髪は太陽のように赤く、風に流される光景は見ているだけで心を奪われる。そして同色の瞳もまた美しく、宝石のようにキラキラと輝いていた。それに、こう、なんていうか……十五歳を迎えた彼女の姿はどこか色っぽい。ほんとに女の子って感じがする。
「……ライト?」
「うわぁっ!?」
アリスが僕の顔を下から覗き込んできた! なんか凄くいい匂いがする!?
どどどどどうしよう!? まだ心の準備が出来てないぞ!?
僕はもう何も考えることが出来なくなって、パニック寸前にまで追い込まれてしまった。
……ええい! ここまで来てうじうじするな僕! この子に僕の気持ちをありったけ伝えるんだろう!? 行け! 行くんだ! 前へ進めぇ!
「アリス!」
「な、何……?」
思わず叫んでしまったせいか、心臓が馬鹿みたいに大きな音で脈打っている。全身の血が沸騰して、頭の中から湯気が噴き出してしまいそうだ。
だけど、僕は覚悟を決めた。
「僕は……君のことが好きだ! どうか、僕と付き合ってください!」
――言ったぁああああああああああああああああああああああ!
僕、今、告白したよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?
恥ずかしい! 恥ずかしい! 恥ずかしい!! 今すぐここから逃げ出したい! というか跡形もなく彼女の前から消え去りたい! 何なんだこれは!?
全身が真っ赤に染まっていくのを自覚しながら、僕は心の中で悶絶した。
だけど逃げるわけにはいかない。だって僕はまだアリスの返事を受け取っていないから。
恥ずかしさを押し殺して、僕はアリスの顔をじっと……見れなかったから頭の方に視線を向けた。どうやったって目を合わせることなんてできない。僕の意気地なし。
赤い髪を靡かせているアリスはしばらく呆けたように黙っていた。だけどその後、彼女はゆっくりと頭を下げて――。
「ごめん。ライトとは無理」
――しっかりと拒絶の言葉を口にした。
「……え?」
世界は色を失った。
「ごめんね。ライトは出来の悪い弟って感じで、恋愛対象としては見れないんだ」
「あ……え……?」
これは、聞き間違いかな? え? 絶対、幻聴だよね?
だだだだだだってだって! アリスはいつも僕に優しくしてくれるし、モンスターから逃げ出しても他の人と違って責めないし、そ、それに……バレンタインだってチョコを!
そこまで考えて、さっきの言葉が脳裏に浮かんだ。
「出来の悪い弟……?」
僕は、男として見られてない……?
口に出した言葉は滑稽なほどに掠れて聞こえた。口の中が乾いている。頭の中でこれ以上は聞きたくないと、弱虫な僕が叫んでいた。
だけど……アリスはいつもの可愛らしい笑顔を向けながら言った。
「うん。弟だよ。それもすっごく手の掛かる面倒臭い弟。だけど問題はそこじゃないんだよね。ていうかほんとに今まで気付かなかったの? ある意味そっちの方がびっくりだよ」
「気付かなかったって……何が?」
「私、もう付き合ってる人がいるから」
「――――」
嘘だ。そんな言葉すら、もう僕の口からは出てこなかった。
まるで地の底に叩き付けられたようだった。彼氏の話で惚気始めるアリスが、なんだか別人のように見える。僕はこの現実を受け入れることを全力で否定することしかできなかった。
頭の中で何かがガラガラと崩れていく。
心がバキバキと音を立てながら壊れていく。
僕の世界は呆気なく終わりを迎えてしまった。
「あはははははっ! 見てたぜアリス! 傑作だったなぁ!」
「あ、クライン! もう、笑っちゃ可哀想でしょ? 確かにちょっとおもしろかったけど!」
僕の後ろから一人の男がやってきて、気安くアリスの肩を抱きしめた。
その光景に、僕は思い切り目を見開いた。
「クライン……!? なんで、お前みたいな奴が……!」
「ああ? そりゃ決まってんだろ。泣いてばかりで煩わしいだけの雑魚と、村を守れるくらい強ぇ俺と比べて、どっちがより男らしいかって話だよ。お前もこいつの幼なじみだったら知ってんだろ? こいつの好みがどんな奴かよ」
「えへへ。ごめんねライト。そういうわけだから、あんたとは付き合えないの!」
「……そ、そんな!」
だってそいつは……クラインは、毎回僕のことを虐めてきて、君は、それをいつも守ってくれたじゃないか!? なのにどうして。なんでだよ……!
僕は両目から涙を浮かべて、目を覚ましてくれとアリスに叫んだ。
だけどその瞬間、彼女の顔から突然笑顔が失われる。むしろ鬱陶しそうに僕を睨みつけていた。
「……何それ? もしかして私がアンタみたいな駄目男に惚れたと思ってたの? 馬鹿みたい。ていうかキモイから!」
……やめてくれ。
「はぁ〜。わざわざ来て損したな、アリス。こんなくだらないことで呼び出されたんじゃいい迷惑だ」
「別にクラインは呼ばれてないでしょ? まあ、迷惑なのは確かだけど。それよりも……ねえライト。全然分かってないみたいだから教えてあげるけど、私が今まであんたを助けてきたのは、単純に周りにいい顔がしたかったからよ」
……やめろ。やめてくれよ!
「この際はっきり言っておくけど、私とあんたはただの幼なじみ。そうじゃなかったら多分、会話すらしてなかったと思うわ」
やめろ……っ!
「まあ普通、こんな女々しい奴はお断りだよなぁ! あははははは!」
「もうやめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
もう何も聞きたくなかった。
何も知りたくなかった。
何も見たくなかった。
何も信じられなかった。
「……ふぐっ! ううっ……!」
頭の中が熱い。奥歯に割れんばかりの力が入った。耳の奥がキンキンする。目からボロボロと涙が零れ落ちた。
僕は二人から背を向けて……逃げ出した。
畜生! 畜生! 畜生! 畜生! 畜生! 畜生! …………畜生。
情けなかった。自分が。
僕は自分のことしか見えなくて、他のことを全く見ようとしてこなかった。だから、こんな当たり前の事実に今まで気付きもしなかった。
僕は弱くて、臆病で、泣き虫で、一人じゃ何にもできない駄目人間で……!
何も言い返すことなんてできやしない。何も否定なんかできやしない!
だけど、だけどアレは無いだろう!?
アリスは僕のことを何とも思っていなかった。それどころか毛嫌いしていた。そして僕を虐めていたクラインのことが好きで、僕への優しさはただの偽善だった。
僕はずっと陰で笑われていたのか? 彼女の良いように利用されていただけなのか? ……そんなのってあんまりじゃないか!
爺ちゃんが昔言っていた。『女は強い男に惹かれるもんだ』って。だから、こうなったのか? 僕が弱かったから、男らしくなかったから、こんなことになったのか!? 悪いのは全部、僕だったのか……っ!?
「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい!
「……見返してやる! 絶対、見返してやる!」
僕は怒りに身を任せて、村の外に飛び出した。
向かったのは少し離れた場所にある陰鬱とした森の中。
ギルドが危険区域に指定しているモンスターの巣窟だった。
僕は護身用のナイフを振りかざして、暗い木々の隙間を突貫する。
「ああああああああああああああああああああああっ!」
いつもなら出会った瞬間に逃げていたゴブリンにも、僕は怯まずぶつかりに行った。
殴られても関係ない。痛みを感じる暇もない。
僕はただ、ナイフをゴブリンの眉間に目掛けて突き刺していた。
そんな危なげな戦闘をこの後何度も繰り返す。気が付けば着ている服はボロボロで、青痣や赤い傷に塗れた肌が冷たい外気に晒されていた。
『ギャアアッ!』
「あああああああああっ!」
『グエベッ!?』
「ていりゃあああっ!」
許せなかった。言われっぱなしの弱い自分が。
情けなかった。好きな女の子に笑われた自分が。
惨めだった。あの二人から逃げ出した自分が。
悔しかった。悔しすぎて、自分に殺意を覚えた。
だから見返したかった。変わりたいと思った。弱い自分を否定して、女々しい気持ちを捨て去って、ただただ愚直に強さを求めた。
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
「!?」
そこで思考が止まる。
大分奥まで森の中を進んだ時、凶悪そうな咆哮を上げながらそいつは現れた。
小柄なゴブリンとは比べ物にならない巨躯の鬼人。若干赤みがかかった肌色で腕は丸太のように太く、頭からは二本の角が生えている。
そんな大型モンスターを目の当たりにして、僕は恐怖しながら叫んだ。
「――オーガ!?」
それは僕の戦意を削ぐには十分過ぎる存在だった。
これまでモンスターと遭遇した時に行い続け、すっかり体に染み込んだ「逃げる」という選択肢が脳裏に過ぎる。
だけど足が動かない。恐怖で体が震え、地面に縫い付けられたみたいに動けなかった。
あぁ……僕は、こんな所で死ぬのか。こんな暗くて寂しい所で、一人で。
歯がガチガチと鳴り響く。顔は涙ですっかりぐしょぐしょに濡れてしまった。
死ぬ。絶対死ぬ。……殺される!
僕は絶望した。
「あ……あ……助けて。誰か……助けて!」
僕は無様に悲鳴を上げることしかできない。
己の無力さを酷く痛感した。
そしてようやく理解した。
この世界は自分の思い通りになんて絶対ならない。奇跡なんて夢物語だ。
オーガの腕の動きが、驚くほどにゆっくり見える。
頭の中で走馬灯が映った。
爺ちゃんと二人で暮らした記憶。爺ちゃんが死んでから過ごした記憶。虐められた記憶。アリスと一緒に遊んでいた記憶。
そして、アリスに告げられた一言。
『ごめん。ライトとは無理』
一瞬、体の震えが止まった。同時にオーガに対する恐怖よりも、己に対する怒りの方が上回る。愚かだった自分に吐き気がした。
弱さに甘んじて、自分の欠点から目を逸らして、そのくせ自分の望みだけは叶えようとして……我儘にも程がある。情けない。死ねばいいのに。
幼なじみの冷たい視線と、青年の蔑みが何度も頭の中で再生される。そのたび二人に怒りを覚えて、自分を殺したくなった。
「ちっくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
地面を強く蹴りつける。僕はオーガに向かって突撃した。そして――。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
――寸分違わず僕の頭上にオーガの腕が振り下ろされた。
気が付くと僕は地面に伏せていて、視界は真っ赤に染まっていた。
痛みを感じなかったのが幸いしたのか、死への恐怖は感じない。
ただ、全てに対する諦念だけがそこにあった。
(ああ……僕は馬鹿かよ)
そこまで自覚した直後、僕の命の灯火はあっさりと消えた。




