~The day that my was born~
彼女が明確に私の中で確立されたのは、丁度十年前の頃。
私が、ママに憧れを抱き始めた頃だ。
ママは物知りで、どんな人にも分け隔てなく接することの出来る優しい人。
ママは優しいだけでなく、全てにおいて強かった。
何者にも屈しない精神と、全てを打ち砕く力。
皆はそんなママに敬意を表して〈大地の恵み〉と呼んだ。
私もママと同じ力を持っていたけど、ママには遠く及ばない。
私は小さい頃の記憶がない。だからいつからその力を持っていたのかも分からない。
ただはっきりとしているのは、これは生まれた頃から持っていた力ではないことと、私はママの本当の娘でないこと。
それを知った時、彼女は現れた。
◆◆◆
カーテンの隙間から差し込む日差しが、ベッドの上で可愛らしく寝息を立てる少女を照らし出した。
明らかに寝癖だけではない跳ね方をした髪は、どこかライオンのたてがみを思わせる。
少女は毛布を足に挟みながら、枕を腕に抱いている。
お世辞にもいい寝相とは言えない少女の部屋に、何者かの足音が近づいてきた。
フローリングに爪が当たる音を鳴らし、扉の前にすっと近づく。
そして壁にもたれかかりながらドアノブに手をかけると、器用に扉を開けて少女に近寄った。
そして叫んだのだ。
「ワン!」
──と。
「ん……ぅん……わぅ……おはよ、ロウ……」
いつまで経っても起きないご主人様を、階段と言う険しい道を登り、ドアノブと言う絶壁を器用に開けて起こしに来たのだ。
すべてはご主人様の学校への遅刻を防ぐ為と、自分の空腹を満たす為に。
「もう起きる時間なんだね。ありがと、起こしてくれて」
ロウと呼ばれる大型犬の頭や首を撫で回し、ベッドから起き上がる少女。
するといつの間にか上のボタンが外れていたのか、少女の体からストンとワイシャツが抜け落ちた。
「わふ……そー言えば昨日は着替えずに寝ちゃったんだっけ……」
昨晩はとてもあそこに迎えるほどの気力はなかった。
学校では隣の席にいる友達が、災害に巻き込まれて大怪我をしたと知らされたから。
昨日の原因不明の津波に巻き込まれて、全身に切り傷を受ける重傷を負った。
それを聞かされた時は何も考えずに、教えられた病院へと走った。
途中で合流したもう一人の友達が大丈夫だと言ってくれたから、病院の購買でお見舞いのお菓子を買うことが出来るまでに落ち着いた。
ビニール袋に名一杯お菓子を詰めて、友達のいる病室へ向かった。
そしたら先客がいて、その先客は今もっとも会いたくなかった人物だった。
その人は私が知らないうちに私自身の手で傷つけていて、本人は気づいていないけれど、私はそれを知ってからその友達とはあまり話していなかった。
昨日病院でも──
「えっと、じゃあ私も帰るね」
「あら、アンタももう帰っちゃうのね」
「うん、でもまたくるよ」
「お菓子ありがとな。ゆっくりもらうよ」
「うん、じぁあ明日の放課後にね。ばいばい」
いつの間にか、避けるようになっていた。
そんなことがあって、精神的に疲れて着替えることも忘れ、そのままベッドへとダイブしたのだった。
思い出したら出したで気力が削られる。
「わぅ……でも学校行かなきゃ……あ、ロウの朝ご飯もだよね」
ご主人様の心情を察してか、ロウはご主人様の足にすり寄った。
「慰めてくれるんだね、ありがとロウ……大好きだよ」
階段の時はロウを抱っこして階段を降りる。
登るときは問題ないが、降りる時は足を滑らせる可能性が高いのだ。
ドッグフードと牛乳の皿をロウの前におき、少女は学校へ行く支度を始める。
替えのワイシャツと下着のセット、ニーソックスをタンスから引っ張りだし、そして昨日脱ぎ捨てたままの制服のスカートを集め、バスルームのかごに放り込んだ。
「ロウ、食べ終わったら一緒にお風呂入ろうね」
「ワン!」
少女はドライフルーツとコーンフレークを皿に入れると、そこに牛乳を注いだ簡単な食事を用意した。
ロウが食べ終わるのに合わせて少女も完食し、ロウを引き連れてバスルームへ入っていく。
ロウのマッサージもかねてと言い訳してじゃれ合い、結局はギリギリの時間に家を出る。
「ロウ、帰ってきたらお散歩いこうね」
ロウに見送られながら、少女は家を後にする。
そして少し先の方を歩く一つの影を見つけて、切り替えたはずの心が揺らぎ始めた。
「エリちゃん……」
「あら梓乃、おはよう。朝からしけたツラしてるわね。どうしたの?」
「う、ううん、なんでもないよ」
──仮に何かあったとしても、言えることじゃない。
今私の目の前で笑うあなたの命を、過失で奪いかけただなんて。
「運命は残酷だなあって……」
「へあ? 梓乃のくせに偉く乙女チックなこと言うじゃない」
「ちょ、それは失礼だよ! 乙女チックって、私だって乙女なんだよ?」
「乙女? 落ち目の間違いじゃない?」
「お、落ち目って……まだ何にも登ってすらないのに……」
見事な切り返しで相手を落としていく毒舌っぷり。
梓乃は肩を落としたまま、それでも微笑む。
こうしていつも通り、幼馴染みとして笑っていられる時間が、何よりも暖かい。
「えへへ、エリちゃん、だ~い好きっ♪」
「ちょ、梓乃ったら、こんなとこで抱きつかないでよ! どうしたのよ今日、なんか偉くテンション高いじゃない?」
そんな小さな所にも敏感に気づいてくれる。
やはり私の幼馴染みと言えばこの人しかいない。
「ねえエリちゃん、もし私がエリちゃんのことを傷つけたとしても、許してくれる?」
「変なこと聞くわね。……場合にもよるけれど、アンタなら大抵のこと許せるわ」
「えへへ、ありがと」
「やっぱり、今日のアンタ、少し変よ? 熱でもあるの?」
「ううん、それより走らないと間に合わなくなっちゃうよ? いこっ!」
やっぱりエリちゃんはエリちゃんだ。
初めてできた心を許せる人。この人を傷つけてしまった代償は大きい。
だから、もう後ろを見ることはやめにする。
「ちょ、引っ張るなぁっ──!」
梓乃に引きずり回されながら登校する羽目となった海里華。
学校についた頃には、海里華はもうほとんど蒸発していた。
「ああもう……この子ってほんと愚直なほど無鉄砲ね……」
水属性の女神だけに、体温が上がると肉体を構成する水分が蒸発するのだ。
だから猛暑の時は背丈が縮んだり外見が幼くなっていたりする。
「エリちゃん頭から湯気上がってるよ?」
「アンタが走らせるから熱くなったのよ。てか湯気じゃなくて水蒸気ね」
と言ってもどう言う意味かまではわからないだろうが。
「ねえエリちゃん、これからもずっと幼馴染みでいてね」
「何よ改まって。当たり前でしょ?」
「えへへ……じゃねっ」
……最近、梓乃はよく辛そうに笑うようになった。
いままでの何も考えていないような無邪気な笑みとは違い、胸の中で常に葛藤しているような。
考えすぎならばそれでいいが、海里華は幼い頃からあんな顔をよく見ている。
だから何を思ってあんな顔をしているのかは分からないが、どう言う心情なのかは分かる。
あれは後ろめたいことがある時や、こちらに気を使ってる時の顔だ。
思い詰めすぎて危険な方向に向かわなければいいが……。




