第五話『blue ocean』
ついに開戦の火蓋を切った四人。
黒音は海里華とドラゴンの戦いに邪魔を入れまいと、ドレスの少女を連れてその場から離脱した。
黒音が戦闘のステージに選択したのは列車の線路が敷かれた鉄橋だった。
細い柱の上に着地し、飛んでくる巨岩をダーインスレイヴの魔剣、ザンナで真っ二つに切り裂く。
「あら、わざわざ二人から引き離したりなんかして……別に私はドラゴンとは組んでいませんわよ?」
「そんなつもりはねえさ。それよりここって、舞踏会のステージにはもってこいじゃないか?」
「奇遇ですわね。私もそう思っておりましたわ」
鉄橋の柱に降り立った彼女は、腰に差している六本の剣の内、一本を鞘から抜き放った。
落ちることもいとわず、一直線に鉄橋の柱を突き進んでくる。
「ほう、精神力や忍耐力は海里華よりも上か。はぁっ!!」
彼女が抜刀したのは、特別製のレイピアのようだ。
フェンシングのような突きで、巧みに黒音の剣撃をいなしている。
「流石だよ、よければ名前を教えてくれないか?」
「黄土の堕天使、では少し品がありませんわね。……では私のことは絆狩りとお呼びください」
「ボンドキラー……? いかにもって名前だな。俺の名は──」
「知っていますわ。黒騎士ですわよね。私、貴方のことを狙っていますの。貴方は金になりそうですわ」
「金か。お前は金が目的か」
「ただ今私、金欠ですの。廃墟に住み込んで、毎日おにぎり一つと野菜ジュースのパックのみ……」
「何か見かけによらず可哀想な生活してんな……思わずポケットマネーを払いそうになったぜ」
まあそんな気は一切ないがな。黒音は心のなかでそう毒づいた。
そもそも金に困っている契約者など腐るほどいる。
契約者になれば願いが叶う可能性を得るのだ。億万長者を望む者がいないわけがない。
「ザンナ、姿を表せ!」
ザンナをボンドキラーへと投げつけ、ボンドキラーはレイピアでさばいて跳ね返す。
そして跳ね返った刃が、黒音の胸を貫いた。
「なっ……剣が胸に、吸い込まれた……!?」
黒音の胸を通りすぎ、突如として黒音の背中に人間の姿をしたザンナが現れた。
水圧で押し潰された体は嘘のように無傷で、相変わらずボロ布のような戦闘服をまとっている。
「ザンナ、行け。俺はフィディで行く」
「おっけ、任せて……」
武器状態のダーインスレイヴを持ったザンナが、鉄橋の柱をかける。
一発でもボンドキラーの体にヒットすれば戦況は大幅にこちらへ傾く。
黒音はフィディに騎乗すると、紫電を飛ばしてザンナを援護した。
「特殊模倣式戦術〈十手と神々の黄昏〉、始動!」
再び魔方陣の中に帰ったフィディと入れ替わり、別の魔方陣からワインレッドの甲冑が現れた。
甲冑がザンナを包み込むと、ザンナの纏う甲冑の背中から、八本の腕が飛び出した。
それぞれハンマーや大鎌、剣などの武器を持っている。
「この姿は……まるで〈近付き難き女神〉ですわ……」
「それだけしゃないぜ。他の神々から託された神機も人工神機として再現されてる。これがザンナのもう一つの姿だ」
フィディの特性は等価交換。
自分自身を等価として支払うことで、それと等価の戦闘アイテムを一時的に交換して呼び出すことが出来る。
別次元に保管してあるアイテムを黒音のいる世界に留めておく為に、フィディを別次元に送って保管してあるアイテムと交換すると言うわけだ。
呼び出せるアイテムは現時点では七つ。それすべては元英雄の特徴を真似た模倣品ばかり。
だが性能は英雄に迫るものもある。
それの一つが、今ザンナが纏っている元英雄の女神を真似て作った〈近付き難き女神〉の甲冑だ。
「さあ、十個に増えたザンナの痛覚への直接作用攻撃に勝てるか?」
たたでさえ高スピードな上一度喰らえば強烈な痛みを伴うザンナの攻撃が、十手に増えたのだ。
スピードはそのまま、手数が十倍に増えた。
これを呼び出したからにはもう黒音に出番はない。
あるとすれば、敵のボンドキラーが粘って、ザンナの纏う甲冑の制限時間を終えた時か。
「これくらい……捌いてみせますわ」
腰から引き抜いたもう一本のレイピアで、ザンナの放つ十手に対抗するボンドキラー。
流石にレイピア二振りでザンナの本気モードと互角に渡り合われると、いよいよ気持ち悪くなってくる。
「何者だあのお嬢さんは……腰に残り四本。本気の三十パーセント強って所か……」
『あの人、開戦初日に死神と戦ってた人だよ』
「どおりで……ザンナがこうもあっさり捌かれるとは」
「サンティは──使えないか……これは最終手段だ」
『黒音、あれっ!』
アズに指摘されて、咄嗟にザンナの方を見る。
ボンドキラーは三本目のレイピアを抜いており、逆手に持って三本同時に振るっている。
これでもまだ本気の半分も出していない。
まだ腰に三本内刀されているのが証拠だ。
「っ……きゃぅっ……!?」
三本のレイピアを同時に降り下ろされ、ザンナは十本の腕を集結、すべての武器で受け止めた。
力同士の攻めぎ合いに陥り、そして押しているのはボンドキラーの方。
スピードや判断力、反射神経に加えてパワーもザンナよりも数段上だ。
やがてザンナの纏う甲冑の腕が軋み始め、終いには一本ずつひしゃげていく。
「もういいザンナ、下がれ!」
ザンナは甲冑を脱ぎ捨て、バックステップで黒音の方へと戻る。
脱ぎ捨てられた甲冑は光に包まれてその姿を消した。
代わりに再びフィディが戻ってくる。
「面目ない……」
「いや、今ので数じゃ勝てないってことがわかった。それだけでも十分だ」
「じゃあ、どうする……?」
「俺が行く」
ザンナを剣の姿に戻し、フィディを待機させる。
「さあ、再開しようか」
「ええ、貴方のことを待っていましたわ」
ボンドキラーがさらに四本目のレイピアを抜き放った。
四本のレイピアが揃った瞬間、上の刃と逆手に持っている下の刃が光だした。
収縮された光は半球体型のビームカッターと変貌する。
これにより攻撃範囲がさらに広がった。
「四本目を抜かせたのは貴方で二人目……さあ、私を楽しませてくださいまし」
「上等だ。お嬢さんがそう来るなら、俺も手加減はなしだぜ。サンティ!」
虚空に突如現れた神機の盾、アイギス。
サンティと呼ばれる神話の盾を、黒音は左手に装備した。
「本来二人ともの力は早々使うことはないんだが、最近使う機会が増えてるな。それほど歯応えがある奴がいるってことだが、なっ!」
ダーインスレイヴを大きなアクションで降り下ろす。
すると予想通りにボンドキラーは背後を取りに来て、黒音はダーインスレイヴの刀身の平で映し出したボンドキラーのレイピアに狙いを定め、アイギスの力を解放した。
「なっ……私のレイピアが、光を失った……!? 貴方、何をしたんですの?」
「さあな、そのうち分かるんじゃね?」
ここでいい気になって種明かしすれば負ける。
このレベルの相手に小細工はそう何度も通用しないのだから。
「どうした? ダンスなんだから踊れよ? もしかして怖いのか?」
結果が予想出来るからこそ迂闊には動けない。
ザンナに触れれば痛覚に直接ダメージを与える。
目視で狙いを定められればサンティで石化させる。
近距離ではダーインスレイヴが、遠距離ではアイギスが動きを封じる。
全距離に対応できるオールマイティーなバトルスタイルこそが黒音の強みだ。
(コイツ、結構出来るな……)
(この方、出来ますわね……)
実力者によくある硬直状態だ。
こちらでも、ある意味硬直状態が続いていた。
「はぁ……はぁ……やるじゃない」
『くっ……はぁ……そっちこそね』
実力がまったく互角の為、互いに消耗するだけで決着が着く気配がまるでない。
「にしても、どうして本気を出さないの?」
『なんで、そんなこと言うのかな?』
「いくら私が修行したからって、アンタは雷属性のドラゴン。どうしてもアンタの方が有利でしょう」
実力差があっても属性の相性で勝負は変わってくる。
実力が同じならば尚更だ。属性を抜けば海里華とドラゴンの戦闘力はほぼ互角。
そこに属性と言う要素が入れば、勝負は見えたようなものだ。
『あなたを……傷つけたくないから……』
「はぁ? 何様のつもりよ。属性の優劣はあるだろうけど、私はそれを埋めるつもりで行くわよ」
『でも……私は……あなたを……』
「私は本気のアンタを倒したいの! リベンジなんだからアンタも本気で──」
『私はあなたを傷つけたくないのッ!!』
「っ……!? もしかして、私の知ってる人……?」
『……知らない……私はフェンリル……〈終焉の悪戯〉の一柱!!』
ドラゴンの纏う電流が激しさを増し、臨界点を突破する。
薄緑色だった電流は黒い火花のような小さい電流へと変わり、ドラゴンの姿も変わり始めた。
先程までは巨大な狼のような姿だったが、今は黄色い体毛に包まれたフェレットのような姿をしている。
フェレットと言っても、体躯は新幹線と同じくらいの太さがある。
全長も十メートルはゆうに越える長大なフォルムをしていた。
「姿が変わった!? 二段階も変身できるなんて聞いてないわよっ!!」
『我が名はセリュー……セリュー・エヴァンス』
「セリュー……? そんな子、知らないわよ……?」
『当然です。私と貴方は初対面です』
黄色い体毛から迸る黒い火花が、針ネズミの針のように硬化し、新たな姿のドラゴンはそれを鎧のように纏った。
「無駄話はここまでです……霆の巫女、還りて廻ります……」
空高く舞い上がったドラゴン、セリューは空中で弧を描くように飛び回り始める。
電流の輪となったセリューは自分の尻尾の先を銜えた。
完全な円となったセリューは、電流の輪となって輪の中心に電気を溜め始めた。
黒い針にも同じく黒い火花が迸り、火花の電流が連結してさらにその電圧を増す。
「なん、なのッ……この電圧はッ……自慢の髪が、じりじりになっちゃうじゃないッ……」
『エリちゃん逃げて!! この電圧はヤバいよ! 今すぐ逃げてッ!!』
「無理よ……あれは多分砲台の仕組みになってる。どの方向に逃げても自由に方向転換出来るはず。遠くに逃げても、あの規模ならもう無駄……私達の悪運も尽きたわね」
『どうして! どうしてそんな余裕そうにしてられるの!? あれを食らったら死んじゃうんだよっ!?』
「ええ、そうでしょうね。でも尽きたのは私の悪運。もう片方はまだ、尽きてないわ」
「ザンナ、明日は好きなだけ好きなモン食わせてやる! だから死ぬ気でソイツを足止めしろ!!」
「俄然、やる気出た……!!」
ひしゃげてほとんど使い物にならない特殊模倣式戦術の甲冑を纏い、ザンナはボンドキラーの猛攻撃をいなしていく。
その間に黒音がセリューと海里華の間に入り込み、セリューの帯電する電流へ向かってアイギスの盾を向けた。
「サンティ、全力で固めろ! 〈醜く煌めく蛇の瞳〉!!」
「召されよ……〈豪雷電磁砲〉!!」
黒く細い電流を纏う図太い黄色の電流が、超特大の電磁砲として放たれる。
黒音はアイギスの盾を前方に突きだし、電磁砲を受け止めた。
放たれた電磁砲がどんどん石化していく。
だがどれだけ石化させても止めどなく電流が注がれる。
「アイツの帯電量が勝るか、俺の石化スピードが勝るか、面白えッ!!」
全方向に飛び散る電流が激しく火花を散らし、しばらくの間攻防が続いた。
「今のうちに逃げろ、とは言わないのね」
「ああ、これくらいで守れなきゃお前とチームを組む資格はねえからな」
「変なプライド……でも嫌いじゃないわね」
「フィディ! 電気を吸収しろ!」
『イエス、マイマスター』
これ以上電流を受け続ければ、アイギスに負荷がかかりすぎて最悪破裂する。
だからここからはそのばかでかいエネルギーをすべてフィディに溜めさせてもらう。
紫電龍のハーフであるフィディならば電気はお手の物だ。
「いいか海里華、そろそろザンナの方も限界だ。これだけの攻撃をしたアイツはもうほとんどエネルギー切れだろう。そこを狙え」
「言われなくとも。フィディちゃんを貸して。こっちが片付いたらそっちに行くわ」
「それまでに終わってるかもな。よし行くぞ!」
フィディの支配権を一時的に海里華へ預け、黒音はサンティを片手にザンナを拾う。
「よう、また俺のザンナが世話になったな」
「私と踊っていると言うのに、他の方に目をくれるなんて、酷いですわ」
「そりゃ悪かったよ。俺もここからは本気で行くぜ」
相手の実力はある程度図ることが出来た。
海里華の方もフィディがいるから余程のことがない限り負けないはずだ。
これで気兼ねなく戦うことが出来る。
「やっと私も全力を出せそうですわね」
最後の二本を抜刀するようだ。
が、その抜刀方法があまりにもぶっ飛んでいた。
あらかじめ持っていた四本のレイピアを空に投げ捨て、残り二本の柄に手をかける。
落ちてきた四本のレイピアを受け止めたのは、蜂蜜色をした金髪だった。
金髪から細い束が四つ分けられ、その一束一束が剣の柄を掴む。
「おいおい、まさか髪の毛が手の代わりになるってのか……?」
「驚きました? 髪に零力を纏わせて操っているんですの」
堕天使特有のエネルギー、零力。
それを髪に纏わせることで、髪を手のように操ることが出来る。
剣を持てるまではいいが、計六本のレイピアを同時に操るなど、人間の処理速度を遥かに越えている。
「私の必殺奥義〈八岐大蛇〉を存分に味わいなさい」
「大蛇って……カッコつけてるとこ悪いが、大蛇の首は八つだ。だがお前が使ってる剣の数は六本。二本足らねえぜ」
「……よもや、内刀しているのがこのレイピア六本だけだとでも?」
「……ま、まさかとは思うが、その髪の毛の中に隠してる、とかじゃねえよな?」
「そのまさかですわ。私、昔から器用な上に人を驚かせることが好きなんですの。六本だろうが八本だろうが処理しきれますし、髪の中にレイピアを内刀するなんて奇想天外なことも大好きですわ」
髪の毛の多さや長さが少し気になっていたが、やはりこんな隠し球を持っていたとは。
「どおりで髪が長いと思ったよ! くそったれ!」
これで本当に八首の大蛇を体現したことになる。
一斉に襲い来る八つのレイピアを、黒音はアイギスで防御しながらダーインスレイヴで払う。
八本の剣を自由自在に操り、アイギスとダーインスレイヴの隙を狙おうとする剣。
攻撃に移る所か、レイピアが直撃するのも時間の問題だ。
「あははは! どうしましたの? 本気を出すのではなくて?」
「うおおッ……こんなの、器用とかそんな問題じゃねえ!」
「うふふ……私が強すぎて不思議ですか? では私の強さの種を、一つだけ明かしてあげますわ。私の契約相手、アザゼルなんですのよ」
「アザ、ゼルだと……!? 堕天使の帝、アザゼルだってのか!?」
ふむ、なるほど、それでこんなに強いのかー。納得だな──
「って納得出来るか!」
「ふあっ? 驚きましたわ、いきなり大声を出さないでくれません?」
「うっせ、かまととぶんなよ」
今黒音が持てるカードのすべては神機ダーインスレイヴ、神機アイギス、使い魔のフィディ。
そして自分自身と、おまけに海里華。
この中で使えるのはダーインスレイヴとアイギスのみ。
フィディは海里華に預けているし、主力のダーインスレイヴも防御に回すしかない状態。
アイギスだって目視して狙いを定めなければ力を発揮出来ない。
簡単に言えば、完璧な手詰まりである。
「クソ、ここまでか……」
「もう諦めるんですの? では金をおいて去りなさい。命までは奪いませんわ」
「そう言えば、お前金が目的だったな。一時休戦と行こう」
ダーインスレイヴとザンナを一度鉄橋の柱に置き、財布を取り出す黒音。
その仕草を見て、ボンドキラーも八本のレイピアを収めた。
「今日の所はこれで勘弁してくれねえか? どうやら連れがピンチらしいんでな」
「あら、随分物分かりのいい方ですわね」
「勘違いするな。今日はこれで見逃してやるっつってんだよ。負け惜しみじゃねえが、勝てないから渡すんじゃねえぞ? 時間がねえから渡すんだ。とっとと受け取れ」
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ……あら、気前がいいですわ。今度お茶でもしません?」
「断る。何が悲しくて素性明かしてお茶代払わなきゃならん。テメェに割いてる時間はねえんだよ。とっとと失せろ」
「はぁい、毎度あり、ですわ♪」
まるで玩具を貰った子供のように去っていくボンドキラーの後ろ姿を、黒音はただげんなりして見送った。
「……俺、金払って契約者追い返したの初めてだぞ」
『私も初めて見たよ。それより早く海里華ちゃんのとこに行かなくちゃ』
「ったく……なんでフィディがいるのに押されてるんだよ……相手はもうガス欠──待てよ、もしあれが何発でも撃てるなら……」
だとすれば面倒な敵とかかわり合ったものだ。
「おい海里華、どうしたんだ? 片付いたらこっちに来るんじゃなかったのか?」
「あ、アイツ……想像以上にやるわね……」
「海里華、こっちはもう追い払った。一旦戻るぞ」
「嫌よ! 私はコイツに一泡吹かせるの!」
「海里華!!」
電流の音が響き渡る夜空で、自然と静寂が訪れる。
始めて見たかもしれない。黒音が怒った所なんて。
「戦況をよく見極めろ。このまま戦っても何も得るものがない。勝っても消耗するだけだ。もし本当に差しでやればお前は絶対に勝てないんだよ。だから、勝てる可能性を手に入れるまで無闇に戦うな。いいな?」
「……うん……ごめん、なさい……」
「よし、それでいい。またしごいてやる」
フィディの鋼鉄の肌を盾に、二人は退却する。
降り注ぐ電流をフィディがすべてカットし、二人が無事に逃げ終わったことを確認すると、フィディは魔方陣の中へと消えていった。
◆◆◆
五千円の出費の後、戦場を離れた二人。
一体化を解除すると、すぐさまパートナーが抱きついてきた。
黒音にはアズが、海里華にはアクアスが飛びかかる。
相当に心配だったようだ。二人とも、こんな戦いは毎度経験していると言うのに。
「心配かけたわね、アクアス」
『ほんとだよ、エリちゃんのバカ!』
「悪いなアズ、今月はカツカツだぜ」
『いいよ、黒音が無事だったんだから』
泣きじゃくるパートナーの頭を撫でながら、黒音は海里華の頭も撫で始めた。
「プライドの高いお前が、よくあそこで引いたな」
「ふぁ……だ、だって、アンタがあんなに血相変えて言うから……」
すっかり優しい表情に戻り、いきなり褒められたことで海里華の頬は赤く染まっていく。
そしてパートナーの二人は空気を読んでいますと言わんばかりに二人から距離を取った。
「海里華、お前まだ時間あるか?」
「ええ、お父様は海外だし、お母様はもう眠っていらっしゃるわ」
「なら、少し付き合え。初の夜遊びと行こう」
「ふぇ、よよよ夜遊びって……っ」
海の女神と言い張る割には、こう言う所で怖がる。
そんな所が可愛くて、変におかしくなってくる。
「な、何がおかしいのよっ」
「いや別に、可愛いなって思って」
「か、かわっ……」
ゆでダコもビックリの赤面様。
黒音はそんな海里華の手を引きながら、夜の街へと消えていった。
「うふふっ、これでしばらく食事には困りませんねぇ♪」
スキップで夜の街中を歩く少女がいた。
先程服屋で新調したばかりのホットパンツと、ボーダー柄のノースリーブシャツ、そしてこれは昔から着古している黄色のパーカーだ。
流石に下着の上にパーカーだけでは寒いので、安めの服を選択した。
ふわふわの金髪と、こぼれんばかりの胸。
なによりその美貌が皆の目を引く。
だが少女はそんなことは眼中にないようで、先程手にいれたお金で好きに食べ歩きしている。
その後ろからは高身長の青年が彼女を守るようについてきていた。
「漓斗、いい加減にしないとすぐになくなるぞ?」
「いいんですぅ。次は契約者ごと売り飛ばして、ガッポガッポ稼ぎますからぁ♪」
焼き鳥をぺろりと完食し、次の店に向かう。
その彼女の手には、とある人から巻き上げた千円札が二枚ほど握られていた。
◆◆◆
財布の中を覗き込みながら、黒音は下っ腹を押さえる。
仕送りは一ヶ月に一回で二十万円。
最初は目を向いたが、実際に生活してみるとそれくらい必要になってくることに驚いた。
だがいつも六万強も余るのに、どうして貯金できないのかが不思議だった。
余分な分は送らなくていいと言おうと思ったが、それが治療費に必要になった時初めて必要最低限の金額なんだと思い知らされたのだった。
最近は怪我も少なく節約しているから貯金はあるが、それはもう使う予定が決まっているのだ。
「あぁ……腹減った……なんで今日に限って弁当がねえんだよ……」
──ごめんなさい、お弁当作り忘れちゃったの……思った以上に聖力の消費が大きかったみたいで、今日は休むわ……──
「もう少ししごかねえとな。あんなんで体調崩してたらいつか絶対に取り返しがつかなくなるぞ」
「なに? もしかしてもう誰か引き込んだの?」
「いやな、海の女神が仲間に加わったんだが、ソイツが無鉄砲で困って──ってうおッ!?」
「来ちゃった♪」
お茶目に舌を出す少女こそ、黒音と互角に渡り合い、そして一体化後の姿が黒音と瓜二つだった契約者、紅嶺 焔だ。
「白騎士! ってかお前最近出席悪いよな」
「そりゃ私にだって事情はあるもの。はいこれ」
「これは、数量限定で手に入れることが困難な黄金のカレーパン……! いいのか?」
「今月キツいんでしょ? 私もそんな時あったし」
黒音の隣にもたれ掛かるように座り、微笑む焔の手には食べるものが何もない。
まさか自分の食べる分を削って──
「今日はクリームパンの気分ね。あ、コーヒー牛乳を忘れないでね」
「誰に話しかけてるんだ……?」
「はい、ありがと」
焔が虚空に向かって話しかけたと思ったら、突如焔の手の中に指定したクリームパンとコーヒー牛乳のパックが収まっていた。
「ど、どう言う仕掛けだ!?」
「私のパートナーに買ってきて貰ったのよ。まああの子のことだから私の気分を察してあらかじめ買っているのだろうけど」
焔の手にクリームパンとコーヒー牛乳が現れた時、まったく気配を感じなかった。
そして上空から落としたわけでもない。
つまり堂々と黒音の目の前に来て焔に手渡ししたと言うことだ。
「お前のパートナー……何者だ?」
「私のパートナーはウリエル。熾天使、智天使の二つに所属してる大天使よ。ウリエル、こっちへ来て」
まるで元からそこにいたかのように、彼女は焔の前に跪いた。
頭を下げて次の命令を待機しているようだ。
パートナーと言うより主従契約を結んだ下僕のように見える。
これが本当に大天使の姿なのか。
「もう堅苦しいわね。頭をあげて崩しなさい」
「は、仰せのままに」
顔をあげた大天使は、やはり熾天使、智天使の両方に属していると言うだけあってとてつもない威圧感があった。
レオタードのような形状の白い衣装と、白いブーツ。
片方で三枚、計六枚の翼を広げている。
クリムゾンレッドの髪が日の光に当てられてさらに紅く輝いた。
紅の双眸が見開かれると、六枚の翼は光の粒子と化して消え去った。
「仰せの通り、崩しました」
「いや、崩してほしいのは羽根の有無じゃなくてね……」
「なるほど、俺とは逆のパターンか……よし、カレーパンのお礼も含めて、俺のパートナーを見せてやる。アズ」
ウリエルの隣に、歪な魔方陣が描かれる。
そこから姿が編み込まれるように光の糸が交差し、少女の輪郭を形成した。
そして一瞬の間をおいて、黒い薔薇の花びらが散り、少女が現れた。
青によった薄紫の髪は日の光を反射し、紅の瞳には不規則な紋章が描かれている。
ニーソックスのように太ももの下半分までを覆う個性的なタトゥーが特徴的だ。
ミニスカートの黒いワンピースを纏い、少女はウリエルへと飛びかかった。
「お姉さん綺麗だね。これから時間ある? 少しお茶でも飲みに行こうよぉ♪」
「そのような命令は受けておりません。五秒数えるまでに離れなければ侵害行為と見なし消し飛ばします」
まるで酒に酔った親父のような喋り方でウリエルにまとわりつき、髪を撫でたり胸を揉んだりと好き勝手にウリエルで遊ぶアズ。
そんなアズに、ウリエルは容赦なく殲滅宣言をした。
「ダ~メ♪ 仲良くしようよ、私達のパートナーは仲良いみたいだよ?」
「なっ……聖力が、練れない……? 何をしたッ……!」
消し飛ばそうにも、それに必要な聖力を練ることが出来ない。
先程体を触られた時に何かをされた。
「少し魔力を流して攻撃出来ないようにしただけ。多分焔ちゃんの意思で簡単に消し去れるよ」
「マスター、早くお願い致します! 体内に悪魔の魔力があると考えるだけで、背筋がむず痒くなりますっ……」
「いい機会よ、貴女も友達を作りなさい」
「マスター!」
「ほらほら、焔ちゃんの許可も貰ったし、仲良くしよ?」
「マスターの名を気安く呼ぶな!」
パートナーの方も好きに仲良くやっているようだ。
黒音は久しぶりに見たアズの本当に楽しそうな顔を見て、何だか複雑な気分になった。
「俺といる時はあんな心底笑ったような笑顔、見せてくれなかったんだけどな……」
「ウリエルもそうよ。さっきの言葉聞いた? 消し飛ばす前に五秒待って上げるって。本当ならあんな妨害魔術、一瞬で消し飛ばせるくせに」
「つまりアズはウリエルの素直になれない性格を読んでわざと理由を作ったってわけか」
もはや何の抵抗も無駄だと悟ったのか、ウリエルはアズのなすがままになっていた。
アズはウリエルの膝の上に乗り、ウリエルの手を引っ張って自分のお腹に回した。
形的にはウリエルがアズを膝に乗せて抱き締めているような格好だ。
「私が相手じゃ、ちっとも心を開いてくれなかったのに、あの子といると表情が豊かになってる……」
長年一緒にいるからわかる。ウリエルは、本当は心の中で、微かに微笑んでいる。
「えへへ~ウリエル暖かい♪」
「悪魔に名を呼ばれるなど、汚らわしい……先程のでいい」
「先程の? もしかして~お姉さんってやつ?」
「そうだ、貴様ら悪魔に気安く名を呼ばれては天使の威厳が──」
「もしかして、姉妹に憧れてるの?」
いきなり核心を突かれ、ウリエルのポーカーフェイスはたちまち崩れ去った。
「っ……!? そんなわけがあるか! 仮にそうだとしても悪魔などと御免だ!」
「私ウリエルさんが望むなら妹にもお姉ちゃんにもなるよ?」
「そ、そんな甘言、この私に、通じると、思うなよ……」
「あ、いま甘言って言った。これで姉妹に憧れてるって肯定したね」
「なっ、貴様はめたな!?」
怒っているように見えて、アズを膝からどけようとはしない。
そんな小さなこと一つ一つが、ウリエルがアズに心を許している証拠だ。
「それでそれで、本音はどうなの?」
「………………………………お姉ちゃんがいい」
「やった! お姉ちゃんが私のこと認めてくれた!」
「アズは人の心にすいすい入り込むからな。いつのまにか心を許しちまうんだ」
──悪魔に目をつけられたが最後、悪魔は必ず欲しいものは手に入れる。
「これからよろしくね、お姉ちゃん♪」
「まったく、お前と言う悪魔は……まあ、いいか」
初めて、今初めて、目に見えてウリエルが頬を緩めた。
自分の意思でアズの頭を撫でて、アズを抱き抱えた。
「……どうした? 目に埃でも入ったか?」
「ん、なんか、そうみたい……えへへ……」
顔を背けて、肩を震わせる焔の頭に手をおく。
灯火のように暖かくて、さらさらした焔の髪を、黒音はウリエルが怒り出すまで撫でていた。
◆◆◆
ある公園の池で、夜になると池の中心が光ると言う噂があった。
時折池から聞こえてくるのは、呪われそうなほど不気味な女の声。
誰もが恐怖して、その原因を調べようとはしない。
だが一人だけ、息継ぎなしで海底に潜れる海の女神だけは、例外だった。
(本当にこんな所に泉神の三叉槍の最後のパーツがあるの?)
『他にそれらしき反応もないし、ここが一番怪しいよ。それに、現に異常なほど強いエネルギーを感じる……』
(まあ、さっきから変に息苦しくはあるけれど……)
水中ならばこそ自由に呼吸が出来るはずなのに、妙に気管が細まったような息苦しさがある。
学校を休んでまでその反応を追いに来たのだ。
池の水中に潜ってまでだ。これでガセだったら本気で怒って──
『エリちゃん、発見だよ。あれ見て』
(あれが……トリアイナの最後のパーツ……)
泥にまみれ、底に突き刺さっている切っ先の部分。
あらかじめ持ってきた槍の棒の部分を近づけると、沈んでいた切っ先がひとりでに浮き上がってきた。
(この棒に引き寄せられたってことは……!)
『本物だよ! これで揃ったんだ! 神機のパーツが!』
水属性最高の女神だけが使える神機トリアイナ。
それがとうとう、海里華の手の中に収まった。
(これで私は、とうとう片割れに並んだ。そしてあのドラゴンにも勝てる……)
『汝の望みは何だ……?』
(へ、アクアス、何か言った?)
『ううん、私は何も言ってないよ?』
頭に直接話しかけるような声は、アクアス以外に考えられない。
ならば気のせいと言うこと──
『汝の望みは何なのだ……?』
(やっぱり……誰なの? アンタは誰?)
『此方の名はトリアイナ。汝の持つ槍の意思なり』
(トリアイナって……この神機に宿った自我ってこと?)
『物分かりが良いな。そうだ、此方は先の闘いで粉々に砕け散った。だが汝の行いで此方は甦ることが出来た。汝の願いを、一つ叶えてやる』
(願いを叶えるって、どんなことでも?)
『無論。ただし、死者を蘇らせると言う願いならば気を付けよ。死者の意思と汝の意思が合致しているとは限らん』
つまり、誰にも負けない力を手に入れることも、万物を従わせることも、不老不死になることさえ──
『悩んでいるな……悩め、悩み倒せ。此方はその間に汝の意思を頂く』
(意思を、頂く……? どう言う意味なの?何をする気──)
そこで、海里華の意識は途切れた。
次に海里華が意識を取り戻したのは、黒音や海里華の住む街が、水没寸前に追い込まれた時だった。
◆◆◆
カレーパンの粉を払い、黒音はその場から立ち上がる。
すっかり仲良くなった姉妹、もといアズとウリエルは、離れるのを惜しむように手を繋いでいる。
「さて、そろそろ戻るか」
「ええ、二人とも、もしもうちょっといたいならここにいてもいいわよ。飽きたら戻ってくるといいわ」
「放課後までにここに戻ってくれば街で遊んでてもいいぞ」
「ほんとっ? お姉ちゃん、いこっ!」
「ちょ、引っ張るな!」
二人が屋上から飛び降り、街にいこうとした瞬間、甲高い音が黒音と焔のスマホから鳴り響いた。
「うお、うるせえな」
「津波警報……? ここ一応都会みたいなものよ? 川はあっても海なんか──」
「ふ、二人とも……あれ見て……」
アズが指指す先には確かに、本当に津波が押し寄せていた。
一体どこから流れてきたのか。波は勢いを増すばかりで、収まる気配もない。
こんな所で津波が起こると言うことは、
「契約者が原因ね」
「えらくでかいことするな」
「どうするの? このままじゃこの街、沈むわよ?」
「無論、叩き潰す。焔は確か火属性だったな」
「火属性って言うか、炎属性……? もっとかしら……」
火や炎と言ったレベルの火力ではないので、正直自分でも何属性なのか計りかねている。
溶岩ではないし──ひとまず爆炎属性と言うことにしておこう。
「とにかく火属性なんだな? だったら津波を蒸発させろ」
「……はぁっ!? あの規模の津波を蒸発させろって!? い、いくらなんでも無理よ! 一瞬で消されるわ……」
「じゃあせめて街が沈まない程度に蒸発させて、とにかく津波を食い止めろ。その間に俺が犯人を潰す」
「無茶苦茶言うわね……犯人の居所は分かるの?」
「ああ、エネルギー反応が大きい場所が──今特定出来た。近所の公園だ」
「流石、仕事が早いわね。確かに、これは私にしか出来そうにないわ」
「俺の仲間なら水はお手のものなんだが、連絡がとれない……」
先程から何度か電話しているが、出る気配がない。
津波をどうにかしようともう行動しているのか。
ならば途中で合流するしかない。今は緻密な作戦を立てている時間はない。
「そうだな、現地到着まで五分、倒すまで十分だな。最低でも十五分は稼いでくれ」
「分かったわよ、ウリエル、久しぶりに本気で燃やすわよ」
「畏まりました、マスター」
「ウリエル、悪いな。また今度アズと遊んでやってくれ」
「き、気が向いたらですからねっ」
いつの間にか気を許していたことに顔を赤くし、そそくさと焔の影へと戻っていくウリエル。
アズも同じく黒音の影へと戻り、それぞれ行動を開始した。
「あはははは! 泣け、喚け、絶望しろ! 此れが我が三叉槍の力なり!!」
ある公園の上空に、自分の身長と同じくらいの槍を振り回す人魚がいた。
エメラルドブルーの鱗に覆われた尾を打ち、左腕に抱えた水瓶から大量の水を呼び出す。
「流石は海の女神に認められた器……お陰で此方の力を全快で使えるぞ」
『ふざけないで! 街を沈める気!? 早く私から出ていきなさい!!』
人魚の中に存在するもう一つの意思が、表に出ている意思へ抵抗を示す。
「黙っておれ小娘風情が。この体はもう此方の物じゃ! 此方は再び世界を沈める。もう誰にも邪魔させず、世界を我が手中に納める! それが我が主の願いじゃ!!」
『だからネプチューンはアンタと戦ったのね、アンタを止める為に……』
「その名を口にするな!! 虫酸が走るわ……彼奴のせいで我が主は永き眠りに着く破目となった……」
『自業自得じゃない。世界は誰のものでもないわ。世界は誰のものでもあり、誰のものでもない……世界はその世界に住む人達が作っていくものなんだから!』
「ええい黙れ! 尻の青い娘が知った口を利くな!」
表に出ている意思が、今にも押し潰されそうなほど弱くなっている意思へとさらに重圧をかける。
元々一つしか存在しない器に二つの意思が存在していると、その分体に負担がかかる。
体にかかるその負担は、意思の力が弱い方にほとんどかかってくるのだ。
つまりこのまま重圧がかかり続ければ、いずれ弱い方の意思は消滅する。
「見つけたぞ──って海里華!? なんでお前が……」
「ほう、同族が来たの。名を名乗れ」
『黒音、来てくれたのね……!』
漆黒の甲冑に身を包み、鋼のボディを持つドラゴンに騎乗して現れた黒騎士。
黒音はほんの数秒海里華の目を見つめ、そして口を開いた。
「俺は未愛 黒音だ。お前、海里華じゃねえな。お前こそ名乗れよ」
「我が名はトリアイナ。神機トリアイナじゃ」
「神機だと? トリアイナっつったら、泉の神ポセイドンの槍の名前じゃねえか……」
「ほう、よく知っておるの。そうじゃ、此方こそが主、ポセイドンの槍、トリアイナじゃ」
「死んだ神様の槍がなんで海里華の格好してるんだ?」
「死んでおらん!! 今は眠っているだけじゃ!!」
「どっちでもいい。海里華は無事なんだろうな?」
「ふん、この体はその海里華とやらの体じゃ。此方の意識をこの娘の体に入れ、体を乗っ取っている。海の女神に認められたこの体があれば、我が主を蘇らせることが出来るやもしれん。邪魔をするならば容赦はせんぞ」
「こっちも仲間を危険に晒されてるんだ。あったま来てんだよ!!」
爆発的に跳ね上がった黒音の魔力が、渦巻く水流を吹き飛ばす。
状況はよくわかった。つまり海里華の体を乗っ取っているトリアイナの本体、三叉槍を破壊すれば海里華は解放されると言うことだ。
「海里華、ちょっと痛むぞ」
『構わないわ! 私はどうなってもいいから、早く私を止めて!』
海里華の声は聞こえてこない。だが何をいっているかは手に取るように分かる。
自分を犠牲にしてでも止めてくれと、そう言うに違いない。
アイツはどんなに自分が酷い状態でも過保護な母親のように朝御飯を作りに来る。
「海里華は俺にとって欠けちゃならない存在なんだ。テメェの好きにはさせねえぞトリアイナ!!」
目には目を、歯には歯を、神機には神機だ。
今回は海里華の体を無傷のまま、トリアイナを追い出さなければならない。
ならば痛覚に直接作用し、身体に傷を与えず攻撃出来るダーインスレイヴの魔剣がもっとも効果的だ。
「ザンナ、もう金欠になるほどスイーツは食わせてやってるが、今回はマジで頼む。海里華の体を傷つけないようにトリアイナの意識を追い出してくれ」
『今回は神機として戦う。主を思って復活に尽力することは認める。でもそれに関係のない者を巻き込むのは同じ神機として許せない……!!』
ダーインスレイヴに魔力が集結し始めると、突如黒音の回りにダーインスレイヴの魔剣が無数に現れた。
これがダーインスレイヴ、ザンナの本領発揮。
ダーインスレイヴの分身を無数に産み出し、連続で切り込む痛覚崩壊の奥義。
海里華はザンナの攻撃を経験している為、免疫がある。
だがトリアイナはまだ一度もザンナの特性を経験していない。
「食らえ! 神機奥義〈千刃煌牙〉!!」
「良いのか?」
トリアイナの眼前で止まったダーインスレイヴ。
黒音が力一杯押してもダーインスレイヴは拒むように動かなかった。
『黒音、ダメ……トリアイナは、何か企んでる……』
「ふむ、良い判断じゃの。此方は神機の特性を打ち消す特性を持っていてな。もしこのまま汝が剣を降り下ろしておれば、この娘の体は真っ二つじゃ」
「なにッ……!?」
『黒音、いいから斬って! このまま街を水没させるくらいなら……私は喜んで死ぬ!』
「黙れ小娘。小僧よ、この娘を傷つけられたくなければ抵抗するなよ。久しぶりじゃな、誰かを痛ぶるのは」
『何をする気……? まさか、やめて……黒音を傷つけるのだけは──』
「水達よ、刃となりて抗う者すべてを切り刻め!!」
水瓶から現れた水の塊が、水の刃を放つ。
黒音は避けることも封じられ、漆黒の甲冑に刻まれた。
圧縮された水流の切断能力は、侮りがたいものがあった。
甲冑は簡単に切断され、中身の本体、生身を傷つけられるのも時間の問題だ。
「ぎゃはははは! ひれ伏せ人間! 神の怒りを買えばどうなるか、身を持って知るがいい!」
『やめて……黒音は……黒音だけは……私はどうなってもいいから、黒音だけは!』
「黙れと言っている! 彼奴は此方に逆らったのじゃ。刃を向けたのじゃぞ! 極刑と決まっておろう」
尚も降り注ぐ水の刃を、黒音は身一つで受け続ける。
ついに生身が露となり、そこへ集中的に水の刃がぶつけられた。
「いや……黒音だけは傷つけないで……黒音は私の、唯一の拠り所なの……黒音がいなくなったら、私……もう、生きていけない……」
「生きていけない、じゃと? 汝、生きていくつもりでいたのか? 汝は此方に体を明け渡した後消滅するのじゃ。一人でいるのは寂しかろう? だから二人仲良く地獄に送ってやると言っておるのじゃ」
「やめろ! 海里華を傷つけるな!」
「互いが互いに庇い合いよって……鬱陶しいわ。どっち道汝らは仲良く消滅するのじゃ。庇い合おうがすべて無駄なり」
小さな津波ならばすぐに蒸発出来ていたが、街を飲み込むほど巨大な津波は流石に蒸発しきれなかった。
「黒音君、まだなの……? もう十分経っちゃったわよ……?」
『黒音さんと思われる魔力がどんどん減っています。おそらく苦戦しているかと』
「っ……流石に一人じゃこんなの……っ」
「アスモデウス、防壁はこれであってるの……?」
『ええ、あってるわ。初めてなのに上出来よ。でもこの規模じゃ、その大きさだと足らないわね』
いきなり巨大な防壁を展開した契約者が、焔の隣に現れた。
死神と契約している少女だ。
少女は少しずつ防壁の規模を巨大化させながら、水が侵入しないように地面に防壁を突き立てた。
「貴女、確か死神の契約者……どうしてここに?」
「ん……黒騎士……? でも白い……? ま、いいわ。私、この街に住んで……いえ、寝て……でもなくて、とにかく津波が来たら寝る場所がなくなるの……」
以外に、いややはり単純な理由だった。
だが援軍には変わりない。焔は死神の少女に近づき、手をとる。
「お願い、力を貸して」
「別にいい、けど……どうするの……?」
「防壁を大きくするコツはね、パン生地を棒で伸ばしていくようなイメージなの」
「パン生地を……棒で伸ばす……? こんな感じ……?」
焔にコツを教えてもらった途端、少女の防壁の規模がさらに巨大化した。
巨大化の規模はとめどなく広がり、ついには街一つを覆うような大きさにまで巨大化する。
「流石死神ね……化け物じみてるわ」
「でも、薄く伸ばしたせいで強度は期待出来ない、と思う……」
「ええ、だから何枚も重ねるの。同じ防壁を何枚も重ねれば強度は倍々と高まっていくわ。私も協力する」
「分かったわ……やってみる」
白騎士、焔と死神の少女が、何枚もの防壁を築き上げる。
その間も、黒音はトリアイナの攻撃を受け続けていた。
甲冑はもはやその原型を止めず、崩壊している。
今は体の表面に魔力の防壁を薄く張り巡らせて耐えているが、それも長続きはしない。
「ええい、どれだけしぶといのだ! もう飽きてきたぞ!」
「へっ……だったら、海里華の体から、出て行くんだな……」
「断る! この体があれば我が主は復活出来るのだからな!」
水流は圧縮してハンマーの形となり、黒音を横に叩きつけたり上へ跳ねあげたりと、無茶苦茶に弄ぶ。
そして落ちてきた所に水流の刃の集中攻撃を受けた。
「ああもう、見てられませんわね」
「ぐ……ぁ……おま、えは……」
霞む視界で捉えたのは、黄色の刺繍が施された白いドレスを纏う堕天使、絆狩りの姿だった。
絆狩りは遥か空中からレイピアを投げ、トリアイナの手へと突き刺す。
思わぬ不意打ちにトリアイナは己自身である槍を手放し、手のひらを貫通するレイピアを無理矢理引き抜いた。
「この方の体を傷つけたくないようですが、簡単な話ですわ。的確にその槍を破壊すればいいだけの話。それにこの方は水属性なのですから、生きていれば傷などいくらでも消し去れますわ。一時的な痛みならば、問題ありませんわよね?」
「お前……なんで、助けてくれたんだ……?」
「勘違いしないでくださいまし。これはこの間頂いたお金の借りを返しに来ただけですわ」
「ぐ、ぬぅ……! 調子に乗るなよ小娘に小僧……この娘の体さえ手に入れられれば、娘の生死など関係ない。汝らが生かしておこうとも、此方の手で殺せることを忘れたのか?」
「はっ……! や、やめ──」
「はぁッ!!」
トリアイナは自身の横腹に、圧縮した水流の槍を深々と突き刺した。
水流の槍が肉を貫通し、鮮血を撒き散らす。
これは痛覚だけではない。本当に体にダメージがあり、血が出るのだ。
「あははははは! 小娘の悲鳴が此方の耳に響くわ。まあ小娘の声は汝には聞こえていないだろう──が、な……」
「おい……」
一瞬、世界が制止する。
時間が止まったかのように、音が消え、まばたきを忘れる。
そこにいたのは紛れもなく死神の姿だった。
「貴様、誰の仲間に手を出している……」
「っ……貴方、なんて魔力量、ですの……!?」
「もう……本気で容赦しねえ……アズ、変身だ……!!」
『おっけ、もう一回いくよ……!!』
黒音の身を包む魔力が、再び甲冑となる。
跡形もなく崩壊された甲冑が、黒音の魔力を帯びて急速に修復されていく。
亀裂や破損は目立つが、戦闘続行は可能なまでに復元出来た。
「サンティ……両手と尾を石化させろ」
『任せて、神機の特性を打ち消すなんて言ってたみたいだけど、本体である槍が離れればその特性は無意味よ』
ボンドキラーがトリアイナの手から本体の槍を手離させたことで、神機の特性を打ち消す特性自体を打ち消した。
これでトリアイナの両手と尾の自由を奪い、拘束出来る。
「ぐっ……こんなもの、すぐに──」
『無駄よ、アンタが本体の槍を手放したから、私の意識も復活してるのよ』
「これは、海里華の声か! 無事だったんだな!」
『当たり前よ、そこのドレスの人が機会を作ってくれなきゃ危なかったけどね』
「私は黒騎士に金の借りを返しただけですわ。後はお好きに」
「あんがとな、絆狩り。この前のお茶の誘い、乗ってやってもいいぜ。勿論俺の奢りでな」
「私の気が向けば、また接触してあげますわ」
薄い黄色の光を帯びる翼で風を打ち、空高く飛翔する絆狩り。
黒音は声には出さずに礼を言い、すぐにトリアイナへと向き直った。
『黒音、今なら神機の特性は打ち消せない! だからザンナちゃんでドカンとかましなさい!!』
「任せとけ! 一瞬で決める!」
再び出現した無数のダーインスレイヴと、両手で握られたダーインスレイヴの本体。
尾を石化されている為、逃げることはできない。
そして手を石化されているせいで槍を持つことも敵わない。
「これで終わりだ!! 神機奥義〈千刃煌牙〉!!」
無数のダーインスレイヴが次々とトリアイナの槍を貫いていく。
槍は砕けずに、痛みだけがトリアイナに伝わる。
海里華の体にではなくトリアイナの槍に直接攻撃することで、トリアイナの痛覚にだけ作用するのだ。
そして最後の一太刀はダーインスレイヴの特性を使わない本来の一太刀。
特殊攻撃ではなく、刃としての物理攻撃。
縦に降り下ろされた一撃は、寸分のズレもなく、見事に真っ二つに切り裂いた。
「ぐ、あああああああああああああ!! 此方は、此方はぁッ!! 絶対に、次こそはッ……我が主をぉッ……あがああああ──」
トリアイナの意識反応が消え、海里華の体は糸が切れたように倒れた。
だが寸前で黒音が抱え込み、力一杯抱き締める。
「ん……ぁ……黒音……あり、がと……」
「海里華……無事でよかった……」
「ま、街はどうなったの……? まさかもう──」
「いや、向こうは別の契約者が当たってる。信用出来る奴だから心配するな」
「そ、か……よか──」
体に負担をかけすぎたせいで、ついに意識を保っていられなくなったようだ。
ぐったりと体重を預け、眠っている。
『一件落着、だね』
「ああ、もう一踏ん張りだ。焔の方へ向かうぞ」
黒音自身も魔力の消費と身体的ダメージが多大なせいで、少しでも気を抜けば意識を持っていかれそうな状態だ。
だが大きな役目を任せたからには報告しなくてはならない。
だが空を飛べるだけの魔力も残っていないので、フィディを呼び出した。
ボロボロの体をフィディに預け、右腕でフィディに掴まりながら左腕で海里華を抱えた。
だが焔の所に到着した頃には津波は消え去り、水飛沫が降り注ぐだけに止まっていたことに安心し、海里華のように意識を失った。