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魔王が紡いだ御伽噺(フェアリーテイル) ~avenger編~  作者: シオン
~avenger編~ 第一章「蒼き女神」
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第四話『the mermaid tear』

 翌朝、黒音は後悔の海に沈んでいた。

 どうしてこの子を仲間にしてしまったのかと。

 以前企業秘密と言って聞かせてもらえなかった『どうやってうちに入った』と言う疑問。

 その疑問の答えを、先ほど教えられたのだ。


「いくらなんでも……水になってドアの隙間から入るって、水の女神ならではの究極の不法侵入だな」


「あの時はまだアンタが契約者って分かんなかったから言えなかったけど、今なら教えても問題ないわ。ちなみに水の女神じゃないわ。海の女神よ」


「あのなあ……毎朝ウマい飯作ってもらって言うのもなんだが、プライバシーってのは必要だと思うぞ」


 昔から親しき仲にも礼儀有りと言う言葉が存在して──


「プライバシーってなに? 美味しいの?」


 どうやら相当な箱入り娘らしい。

 そうでなければ、それほどまでに仲のいい関係だったか。

 ……どうしてだろう、後者だと信じたいのに前者が切り捨てられない。


「ところで、あと三日すれば休みになるけど、何か予定とかあるの?」


「予定? そうだな……家で寝る」


「アンタはバカなの? 休日よ? 外に出ようとは思わないの?」


「俺の休日を俺がどう過ごそうが俺の勝手だろ。お前にバカ呼ばわれされる覚えはねえぜ」


 毎朝早起きしている上に夜は契約者との戦いで寝不足による疲れがたまってきている。

 休日があるならば今まで寝られなかった分の時間を取り戻すのは当然だろう、と黒音は一人頷く。


「ダメよ、アンタを支える上で、体力面でも支えるわ。契約者に必要なのは連戦でも粘り強く戦える忍耐力とスタミナが大事だと思うの」


「対複数戦闘だったら特訓することはない。仮に十人、いや二十人を相手にしようがフィディがいる限り負けることはないね」


「フィディがいなくなったら?」


「忠誠誓ってるからあり得ねえが、仮にいなくなっても俺強いし。負傷した状態で死神に挑む誰かさんとは違って要領いいし」


 死神と真面目から戦って圧倒するだけの実力があることは目の前で見せつけられたし、心理戦で死神を追い払う要領も見せてもらった。

 文句なしの超一流だが、今のままでは魔王には勝てない。

 全体的な能力が魔王にはまったく及んでいないから。


「い、いくらアンタが強くても、魔王には敵わないわ」


「敵うね。契約者の力はステータスだけじゃない。その時の体調、精神状態、そして感情の強さがものを言う。力だけで戦おうとしてる時点でもう負けてるんだよ」


 何一つとして、言い返すことができない。

 戦闘センスにおいて、黒音は海里華の予想を遥かに上回っていた。

 腕っぷしから知識や経験まで、何から何まで一流だ。


「海里華、お前の仕事は俺を支えることと、チーム〈tutelary〉の女神を相手にすること、そして──俺に守られてることだ。それ以外のことは心配するな」


「わ、わかったわよ……わかったから、こ、子供相手みたいに頭を撫でてあやすのをやめなさいっ」


 必死に黒音の身を案ずる海里華を落ち着かせるように髪を撫で、優しく微笑む黒音。

 恥ずかしいのにその手を払い除けることができず、結局黒音が遅刻寸前の時間に気づくまで撫でられていた。


「おはよ、未愛君。今日は珍しく遅かったね」


「ああ、ちょっとな」


 後日顔を合わせた梓乃は、どうやらいつもの様子を取り戻しているようだった。

 そんな梓乃の頭に手をおき、海里華の時のように微笑む。


「ふあ……また撫でられちゃった……」


「あれ、ダメだな俺。人の頭を撫でるのが癖になってるぞ」


 海里華の頭を撫でてから、どうも人の頭に手をおくのが癖になってしまっている。


「あ、あの、私は嬉しいからいいよ。こうやって頭を撫でられたことないから、嬉しくて……」


「そっか、ならよかった」


 ……ん? 今なにか不自然な点を見逃した気がする。


「……気のせいか」


 くるくるの癖っ毛を指に絡ませ、髪をとかすに頭を撫でる。

 海里華の水の流れのように滑らかな手触りとはまた違った感触で、本当に犬を撫でているような感覚だ。


「わう、わふぅ……これ、落ち着くぅ……」


 もし梓乃に尻尾があったとすれば全力で振り回されていることだろう。

 ポニーテールの結われなかったサイドテールが耳のようで、ますます犬っぽさが増している。


「あー、この子ペットにしたい。緑那、お手」


「わうっ! ──はっ……」


 今のがほとんど素だったのだろう。

 とことん犬娘と言うことだ。犬の手のように丸められた手をにぎにぎと握り返し、梓乃の頭をさらに撫で回す。


「緑那、おすわり」


「わうっ……はっ……また……」


 椅子から飛び上がり、地面に着地して「おすわり」の体制になる。


「あ、緑那って以外と大人っぽいのな」


「わう? なんの、こ、と──」


 黒音の視線をたどり、ふいに顔をしたに向ける。

 スカートは下から風が吹き抜けたように裏返り、黒いレースのあしらわれた緑色の布地が──


「わふぁあぁっ!?」


 思わぬハプニングに、梓乃は黒音に背中を向けた。

 男子の視線が集中する前に、再びその場から飛び上がる。

 バク転を経て、梓乃は巻き戻したように着席した。


「おお、まさか曲芸まで出来るとは。この犬、優秀だぞ」


「み、みみみ、見たねっ!? 今見たよねっ!?」


「いや不可抗力だろ。第一調子に乗ってやった緑那にも非があると──」


「でも、見たんだよね?」


「………………はい」


 ここで言い訳してはいけない。……のだろう。

 黒音は最後は正直に認め、身を縮めた。


「放課後のスイーツ食べ歩きは未愛君のおごりだからね?」


「まあいいか。それくらいなら」


 ……まさか、梓乃がスイーツ食べたさに下着を見せるわけがない、はずだが……


「わふふ、未愛君とスイーツ♪」


 うん、ないな。これは偶然スイーツを一緒に食べる約束をこぎ着けられる理由が偶然見つかったと言う様子だ。

 人の心情にはとことん敏感な黒音だが、これは敏感やれ鈍感と言う問題以前だった。


(わふぅ、まさかおすわりしてスイーツが食べれるなんて思わなかったよ。この変な癖も時には役に立つね)


 そしてやはり、本人は棚からぼたもちだったようだ。


「もう悩んでないみたいだな」


「ふぇ──あ……」


「それでいい。緑那は笑って甘いものを食べてる時が一番可愛いよ」


「ふぇ、か、かわ……可愛いって……」


 頭を撫でる黒音の手が、ゆっくり首の方に回る。

 犬みたいに喉を撫でると気持ち良さそうにするかと思い、試しにやってみれば、これが見事にドンピシャだったらしい。


「ふぁうっ……わうぅ……そ、そこ、弱いのにぃ……」


 どうやら梓乃の場合、体の力が抜けるらしい。

 机の上に寝そべる梓乃の頭を、黒音はひたすら撫で回していた。


「はぁ……」


「あれ、青美さん、ため息なんて珍しいね」


 前の席に座る友達が、そう問いかけてくる。

 だが、青美 海里華はいつものように机上に返すことは出来なかった。


「……少し、悩みがあってね」


「そっか、やっぱりお嬢様にも悩みとかあるんだ。習い事が厳しいとか?」


「ある意味なら習い事ね。その習い事でね、同じくらいの時に始めたのに私よりも遥か先を歩く人がいるのよ」


 ──私とは違い、何も持たぬ所から這い上がってきた人が。


「その人を越えたいの?」


「そんなに大層じゃないわ。ただ、隣に並びたいだけ。でもあの人は雲みたいにすり抜けていく……」


 ──いつも私の知らない所で、形を変えて現れる雲のように。


「そっかぁ……何だか恋してるみたいだね、恋煩いじゃない?」


「そ、そそそそんなわけないでしょう! 第一アイツは私なんか、眼中にないし……」


「あ、やっぱほの字だ。眼中にあればアリなんだぁ♪」


「ち、違うわよっ……ただ、私は傍にいれればいいの。もう、一時も離れたくないから……」


 もうこれ以上、自分の知らない所で彼が傷つくのを、耐えることはできない。


(アイツに降りかかる災難はこの私、海の女神が受け止める……その為にはまずアイツに並ばなくちゃ。でもどうするべきかしら……)


『一番の近道は海王の(ポセイドン・)三叉槍(トリアイナ)の欠片を集めきることだけだよ』


(それさえ集まれば、私の力は完全となるわけね。絶対集めてやるわ)


 今集まっているのは柄の部分が付け根まで。

 残れば最重要部分とされる三叉槍の本体を見つけるだけ。

 それが探し出せるのは水属性最上級の力を持つ海里華だけだ。


『幸い残りの半分は全部この街の周辺にあるみたいだし。やっぱりこの近くで行われたんだよ。海王と海帝の決戦が』


(ついでにネプチューンの槍も集めちゃいましょうか。神話の武器が二つもあれば無敵よね)


『今はまだ無理だけど、もう少し成長したエリちゃんならポセイドンの槍とネプチューンの槍を同時に使いこなせるかもね』


 ネプチューンもポセイドンと同じく、別の神話での海の神だ。

 そしてその槍を使いこなせるのは、やはり海里華だけだ。

 神の武器、神機を操れるのは六種族の中でも死神と女神だけ。

 神の武器は神にしか扱えないのだ。それに神機にはそれぞれ適性があり、例えば炎の神は水の神機を使うことができない。

 ポセイドンの槍やネプチューンの槍は水属性の最上級の神機。

 つまりこの世界に存在する契約者の中でその神機が使いこなせるのはたった三人。

 元の所持者であるネプチューンの契約者、ポセイドンの契約者、そして海の女神アクアスと契約する海里華のみだ。


(それが本当なら、もっと頑張らないとね。これは槍術とか習っといた方がいいかしら)


『いや、多分パパが泣いて止めると思うよ?』


(まったく、あの親バカは……護身術だって言ってでも習っておくべきよ。そもそも私本物の槍なんて扱ったことないし)


『そだね、エリちゃんはおっきな槍を作り出して使ってたし、あれは形を形成して打ち出すだけだから槍術とは言わないよね』


(そうだ、私にはいい特訓相手がいるじゃない)


『あ、そっか。今は一人ぼっちじゃないんだね』


(……一人ぼっちって所に何だか他意を感じたのだけれど、きのせい?)


『ふえ、別にエリちゃんが素直になれない頑固者だから一人ぼっちだったとか思ってないよ? ──はっ……』


(……アクアス、今晩はご飯抜きね)


『ふええ!? 女神でも空腹だと力がでないんだよっ!?』


(知らないわよ、その辺の雑草でも食べてなさい)


 目から塩水を流す海の女神に、海里華は思わず吹き出した。

 ただし誰にも気づかれないように。


(ほんと、この子が傍にいると不思議と元気が出るわ。この子と出会わなければ今ごろ私は海のそこで眠ってたんでしょうね)


 どれだけもがいても抗えず、水流と言う虚無をすり抜けるだけ。

 どんどん重さを増していき、ついには言うことを利かなくなる体。

 思い出すだけでも、口の中に広がる塩の味が鮮明に浮かび上がってくる。


(だからこそ私は全てを沈める……待ってなさい、私の片割れ)


 陰陽対極図を二つに分けたような白い勾玉を、海里華は力強く握りしめて胸に当てた。


          ◆◆◆


「……で、なんで俺はこんな所で紅茶を飲んでるんだ?」


 何重にもコーティングされた装甲の壁に囲まれながら、黒音は骨董品のようなティーカップとそれに注がれた高級な紅茶をすする。


「だから、特訓に付き合ってもらう為よ」


 黒音が今いる場所は、海里華の自宅の地下にある武器格納庫だった。

 武器格納庫と言っても格納されている武器はすべて厳重なセーフティロックが施され、強化ガラスに閉ざされている。

 海里華曰くお父様の趣味だそうだ。

 だが黒音はそれよりも、海里華の家が超がつくほど金持ちだったことに驚愕していた。

 初めて会った時からどこか気品はある奴だなとは思っていたが、まさか本物のお嬢様だとは思わなかった。


「何の特訓だよ? 確かに俺は夜遅くにしか集合場所に行かねえが、何故にこんな空気の薄い場所で特訓?」


「地下なんだから仕方ないでしょう。それよりも、ここならバズーカを吹っ飛ばしても壊れない頑丈な装甲で囲まれてるわ。つまり契約者どうしが戦闘してもそう簡単には壊れない」


「ふむ、まあ肩慣らしにはなるだろ。俺はお前と戦えばいいんだな?」


「ただ戦うだけじゃダメなの。私は槍を使わなくちゃならない。だからそこにある鉄棒に私の水流を纏わせて戦うわ」


「槍で戦う……? なんで槍なんか……」


「アンタは好きな武器を使っていいわ。普段の武器で戦ってもいいし、そこら辺にあるものは全部使っていいわよ」


「なるほど、じゃあ俺はいつも通りの武器と……普段は使わないが、この剣とセットの盾を使う」


 そう言って黒音が虚空に手をかざすと、どこからともなく漆黒の盾が現れた。

 狂暴な獣を連想させる禍々しい剣とセットと言う割には、呼び出された盾は荒々しさこそあるが、どこか洗練された美しさがあった。


「この剣の名前は咎人を喰らう牙ザンナ・マンジャーレ・アン・クリミナルと言って、一般的には〈命を喰らう少女(ダーインスレイヴ)〉と呼ばれてる。ある人から譲り受けた剣だ」


 死神の作り出した剣を砕いた剣、それがこれだ。

 盾の美しさに霞んで分からなかったが、禍々しいだけでなく研ぎ澄まされた剣ならではの美しさがある。

 それこそその剣に意思が宿っている(・・・・・・・・)と錯覚するほど。


「んでコイツは堕ちた聖徒の怨みサンティ・カドゥーティ・ディ・ランコーレだ。 またの名を〈蛇の揺り籠(アイギス)〉と言う。二人とも最高位の神機だから、お前の親父さんが集めてる武器や兵器とは根本的な作りが違うぜ」


 ミサイルやライフル銃、もっと言えば戦車や核兵器でさえ、結局は人が作った物だ。

 しかし神機は神が創りたもうた神話の産物。

  銃一つとっても神機はスプリングも弾丸の制限もない、オーバーテクノロジーの極みなのだ。

 刃毀れも、老化と言う概念すら存在しない。

 ──だがそんなことよりも、神機の根本的な性能なんかよりも、もっと気になることがある。


「どうして……どうして死神でもないアンタが神機を使えてるの……ッ!?」


 そう、神機は神以外は絶対に使うことはできない。

 それは決して変わることのないことわりだ。

 それを覆せる者はいない。だが現に黒音は神機を使っているし、それが神機かどうかの真偽も必要ない。

 黒音の剣と盾からは一目で神機と分かるほどの貫禄が伝わってくるから。


「ああ、俺のパートナーだけ例外なんじゃね?」


「そんなわけないでしょう!? 理に例外もクソもないわ!!」


「お嬢様がクソって……アズって死神と仲良いらしいから、神機を使えるようにしてもらったんだろ」


『もしくは死神と一緒にいた時期が長かったから死神パワーが移ったとか?』


「そんなことって……」


 にわかには信じがたいが、それ以外の可能性が考えられないのも事実だ。


「ま、まあいいわ。始めましょう」


 あまりに驚愕したので気をとりなおすのに時間がかかったが、精神は落ち着いた。

 何回か深呼吸を経て、海里華はパートナーのアクアスと一体化した。

 エメラルドブルーの鱗に包まれた下半身は尾となり、小さな宝石が密集してビキニのような形になったものを胸に纏う。

 頭のサイドで縛られたラージツインテールがほどけ、頭の上に金色のティアラが乗った。

 左腕に水瓶を抱え、海里華は女神となって降臨した。


「お待たせ。アンタも一体化すれば?」


「やっぱ最初から変身するのな。──アズ、行くぞ」


 右手の禍々しい剣と左手の美しき盾を空中に高く投げ、黒音はアズと一体化した。

 パズルのピースのように細かいパーツが、黒音の体を足の爪先から覆っていく。

 やがて首の付け根までを甲冑が覆い尽くすと、黒音の頭を漆黒のフルヘルメットが覆った。

 瞳の部分の紅いガラスが輝き、全身の甲冑、その結合部すべてに青い光が走る。

 丁度降ってきた剣と盾を持ち、構えをとった。


「よし、どこからでもかかってこい」


 これが黒騎士の本来の姿。紅いラインの走る漆黒の剣と、黄金色の蛇が描かれた漆黒の盾をかまえ、背中に広がる漆黒の翼をマントに変形させて、風もないのに抑えていても滲み出る魔力がマントを揺らがせる。


「それじゃ遠慮なく──〈蒼き流れ星ブルー・ザ・シューティングスター〉!」


 何の変哲もない鉄棒も、エネルギーを纏わせれば契約者の立派な武器となる。

 聖力を水へと変換し、常に鉄棒に纏わせている為、切断能力もある。

 それを一際大きく纏わせ、先の方に溜め込んだエネルギーを打ち出した。


「即興で作り出したには上出来だ。だが──」


 黒音はその場から一切移動することなく、盾を水流に向けた。

 そして水流は盾にぶつかった瞬間に消失する。

 しばらくのタイムラグをおいて、何かが落ちたような音が格納庫に響いた。


「な、何をしたの?」


「簡単な話だ。水をコンクリートに変換した」


「水を石化させたって言うの? あ、ありえない……」


「忘れたのか? コイツらは神機だぞ?」


 アイギスの特徴は使用者が指定したものを石化させると言うものだ。

 使用者の視界に入っていないと石化出来ないと言う条件はあるが、石化出来ないものはない。

 マグマだろうが雪だろうが、その形を残したまま、石と言う物質に変換する。

 だから盾にぶつかって無数に散らばった水流が石化し、ビーズのようになって部屋中に落ちたと言うわけだ。


「言っとくが、これは水と言う流体を石っつう個体に変換してる。だから中身から水流の質量を増やせば解ける、みたいな単純なモンじゃねえからな?」


 性質そのものを変換しているのだから、外側も内側も関係ない。

 表面を石化させているわけではないのだ。


「つ、つまり、私も石化出来るの?」


「ああ、だからな?」


 ──ピシッ……

 そんな音とともに、海里華の浮力が失われた。

 急に下半身が重たくなり、海里華は思わず手をついて倒れた。


「なッ……尾が……私の下半身が……ッ!?」


「こう言うこともできる。だから俺は普段からコイツのことを使わない。一歩間違えれば、地球って星を石に変えちまうことも出来るからだ」


 途方もない喪失感と、恐怖が海里華の背筋を駆け抜ける。

 石化した自分の尾に恐る恐ると言った様子で触れ、その指先が石化したことにさらに驚愕した。


「なっ、嘘……い、いや……っ──」


「安心しろ。触れたら石化する能力はない。あくまで俺の視界に入ってるモンを石化できるだけだ。そして、俺の石で元に戻すことも出来る。──やれ」


 黒音が盾にそう命じた瞬間、表面が剥がれるように海里華の尾に瑞々しさが戻った。

 指先も色を取り戻し、自由に動く。そして先程弾かれた水流も元に戻り、地面に広がった。


「は、ぁ……はぁ……っ」


(……元に戻すのが遅ければ過呼吸を引き起こしてたな。だから嫌なんだよ……)


 胸を押さえて肩で息をする海里華に、黒音はため息をついて諭した。


「あのな海里華、お前は海の女神だろうが。石化した足を切り離してもまたすぐに復活するだろ。この不死身の流体娘」


「ぁ……は……あ、そ……そう、ね……そう、だったわ」


 水属性は特訓さえすれば自分の体を流体に変換することが出来る。

 海の女神ともなれば造作もないだろう。

 だから下半身が失われても、必要最低限の水さえ補給できれば復活する。


「お前な、自分の体が石化したことにパニクって冷静な判断が出来なかったんだよ。まずは精神力と忍耐力を鍛えなきゃな、チキン海里華」


「な、誰がチキンですってっ!?」


「悔しけりゃ俺の石化攻撃を完全に克服して見せろ」


『エリちゃん、黒音さんの言ってることは正しいよ。今のは焦る所じゃなかった。冷静な判断が出来なかったエリちゃんの落ち度だよ』


 アクアス自身も、海里華が石化されても焦ることはなかった。

 それは冷静に状況分析出来ていた証拠だ。


「っ……もう一度よ。戦闘を再開しましょう」


「えっとな、勿論する気はないが、海里華の全身が一部残らず石化した時点で海里華は間接的に死ぬぞ。そして頭だけを石化された時もお前は死ぬ。脳ミソを石化されちゃ手だてがないからな」


「う、そ……で、でも負けないわよ。その恐怖に勝って私は強くなるわ」


「……五十点かな……まあいいか、やるぞ」


 浮力の戻った尾を打ち、再び浮上する海里華。

 親指を爪を噛み、黒音を観察する。

 あの盾が一つあるだけでも、海里華に勝機はない。

 これがもし本当の戦闘ならば海里華はとっくに石像だ。


(……ん? 確か──)


 ──安心しろ。触れたら石化する能力はない。あくまで俺の視界に入ってるモンを石化できるだけだ。そして、俺の意思で元に戻すことも出来る。──やれ──


(つまり、視界に入ってなければ石化出来ない!)


「どうした海里華、来ないのか? だったらこっちから──」


「今行くわよ。さあ、覚悟なさい。これが〈雨の膜(アンブレラ)〉よ!」


 海里華を隠すように、豪雨の分厚い壁が展開される。

 黒音は海里華の姿を確認出来ず、仮に〈雨の膜〉を石化させても次々と新たな膜が展開される。


(さしずめアイギスキラーってとこか……だが)


 黒音は剣をその場に突き刺し、盾を構え直した。


「ザンナ、ちょっと待っててくれ。サンティ、一瞬の隙を狙うぞ」


(何重にもコーティングされた装甲の地面に軽々と突き刺した……? なんて性能なのよ……)


 アイギスの盾をまったく見当違いの方向に向け、精神を集中する。

 すると、不自然な音が海里華の側で響いた。


「う、そ……なんでッ……!?」


 黒音は海里華の姿を見てもいないのに、海里華の右手が石化した。

 海里華は慌てて石化した右手を水流に変換した二の腕から引き抜き、新たな水流で腕を形跡する。


「視界に入ってなければ石化出来ないんじゃなかったのッ!?」


「ああ、だから視界に入れた。武器を展示してる強化ガラスに反射した海里華の姿を目視したんだ」


 本人を直に目視せずとも、何かに映った姿を目視しただけでも目視に入るのか。

 海里華は視界に入る自分の腕だった石を蹴飛ばし、全方向に雨の膜を展開した。


「これで狙えないわ。でもこちらからはアンタの姿が完璧に見える。私は遠隔でも水を操れるの。だから何もない所でも、私の聖力があれば水を産み出せ──」


「残念ながら、お前の敗けだ」


 雨の膜の向こうで、指の鳴る音が響いた。

 すると突如海里華の視界が暗く遮られる。

 どうやら雨の膜を石化されたようだ。

 だが心配はない。これを退かせばまた雨のベールを展開出来──


「ない……全方向に展開した雨の膜が一斉に石化して、身動きが取れないッ!?」


「石化すれば密度は百パーセント。その大きさなら約四十キロくらいか。成人女性と同じ体重だ。助走の出来ない密閉された空間で、どうやってそれを退かす?」


 押してもびくとも動かないし、壊そうとしても強度が高く水流では壊せない。

 限界まで圧縮した水流の刃なら鋼鉄すら引き裂けるのだが……


「言い忘れてたが、密閉されてるから酸素も限られてる。早くしないと酸欠で窒息するぞ」


 酸素が不十分な為、うまく頭が回らない上に息が苦しくて水流を圧縮するまで集中出来ない。


「お前なら石の壁と地面の僅かな隙間から水になって脱出出来るだろ?」


「そうしたら、すぐに石化するでしょうが……っ」


 唯一の通気孔を閉じられてたまるか。

 海里華は何とかそれを退かそうと、自らを水流に変換して水瓶から水を噴射。

 それを吸収して膨張していく。


(水になれば一時的に酸素を必要としなくなる。これで膨張しながら策を考えましょう)


『エリちゃん、黒音さんのいる正面とは逆、真後ろの方にも隙間はあるよ』


 真っ暗な空間の中でも、僅かに光が差し込んでいる。

 黒音の気配を感じる方向とは真逆の方向から、水流をカテーテルのようにして噴出した。


「……まさか酸欠で倒れたんじゃあるまいな?」


『……あの子にしては考えたじゃん』


「どう言う意味だ?」


『今にわかるよ。やっぱ危機的状況に追い込まれた人間は面白いね』


 ──思いもよらぬ才能を開花させるんだから。


「うおっ!? サンティがッ!?」


 いつの間にか背後から這いよっていた水流が、黒音の手からアイギスの盾を絡め取った。

 水流に閉じ込められたアイギスが、重さで水流の底に沈んでいる。


「逆転の〈極小水爆(アクアボム)〉!!」


 密閉された石の空間に閉じ込められた海里華が、限界を越える質量の水流となって石の空間を内側から破壊する。


「まさか質量を増やして破壊するとは。しかもサンティを俺の手から奪った。やるじゃねえか」


「まったく、ただでさえ地下で空気が薄いのに、さらに密閉したとこに閉じ込めるんじゃないわよ」


「本当に完全に克服しやがったな。よし、これで心置きなく戦える」


「……へ?」


「ん? あれ、言ってただろ? サンティは普段から使ってないんだぞ?」


 つまり黒音は、石化などと言う小細工に頼らずとも強い……?


「もうっ、なんなのよっ! 人がせっかく苦労して攻略したってのに!」


「悔しいか? でもその悔しさが力になる。うまく行った時の高揚感と壁にぶつかった時のその悔しさ。絶対に忘れるな。飴と鞭がお前をさらに強くする」


『ププッ……あの人の受け売りだ……♪』


「うっせ。強い奴は皆自分より強い奴を真似て強くなるんだよ。まあ例外もいるけど」


 黒音は水流に閉じ込められたアイギスの盾に意識を集中し、それを握るようにして腕を引く。

 するとアイギスは本当に握られているように黒音に引き寄せられ、最終的に黒音の手に収まった。


「サンティ、もう休んでていいぞ。ありがとな」


 アイギスの盾にそう言葉をかけると、アイギスは自らその姿を消した。


「アンタ、武器に話しかけるなんて、寂しい人?」


「普通ならな。でもコイツらは神機。立派な自我がある。だから俺が命令すれば──」


 地面から引き抜かれ、再び黒音の手に戻った禍々しい剣がいきなり発光しだした。

 黒音の手に戻ったかと思えば、突如ひとりでに黒音の手を離れた。

 まるで糸で操られているように向きを変え、海里華の方に切っ先を向ける。

 海里華は咄嗟に水のバリアを展開したが、剣は難なく水のバリアを貫いた。

 そして、眼前まで迫った剣は時間が止まったように海里華の鼻先でその動きを止めた。


「こんな風に動いてくれる」


「っ……はぁ……まさか遠隔でここまで自由自在に操るなんて、やるわね……」


「……まだ気づかねえか。ザンナ、姿を表せ」


 今度は切っ先を黒音の方に向け、一心に飛んできた。

 黒音は避けることもせずに胸で剣を受け入れる。

 剣は黒い甲冑をすり抜け、黒音の胸を大きく貫いた。


「黒音ッ!! ……黒音……?」


 ……おかしい。いつまで経っても刺された部分から血が吹き出さない。

 剣はとっくに黒音の胸を通りすぎている。

 なのに貫かれた甲冑には傷一つなく、黒音もピンピンしていた。


добро по(ようこそ、)жаловать(歓迎する)


「……Как называ(サンティよりも)я Zanna ра(ザンナを先に呼)ньше, чем (び出すなんて、) Санти(珍しい)


 黒音の背後に、背中をつけてもたれかかる少女がいた。

 腰まであるワインレッドの髪は、少女の身を守るようにふわふわと少女を包んでいる。

 長い前髪の隙間から覗く相貌には、神機の証拠であり、最高位の証であるオリジナルのエンブレムが刻まれている。

 瞳に刻まれる唯一無二のエンブレムこそ、量産型ではないと言う証明だ。

 ダーインスレイヴと入れ替わった少女は、黒音の左手に自分の右手を重ねた。


Я хочу взя(お前の)ть напрока(力を借)т вам силу(りたい)


Это все(いつも)гда дело(のこと)……」


 海里華の耳には聞きなれない言葉。

 だがニュアンスである程度予想できる。これはロシア語だ。

 ダーインスレイヴとは北欧、ロシアを含める北ヨーロッパに伝わる魔剣だ。

 ロシア語で話しているのは、ロシアにいる期間が長かった為だろう。


「こ、黒音? アンタの背後にいるのは、誰?」


「ああ、この子はダーインスレイヴのザンナ。コイツの異名であるザンナ・マンジャーレ・アン・クリミナルからとったんだ」


Несмотря н(長い名前)адлинных и(なのに)мен Просто(単純な呼)е имя(び方)……」


「うっせえ。ってか通訳めんどいから日本語で話せ」


「わかった……ダーインスレイヴのザンナ……よろ」


「適当だなおい……まあいい」


 ダーインスレイヴの少女、ザンナと繋いだ手を引き、海里華の前に立たせる黒音。

 やる気や気力などが心底尽き果てたような半眼と、これまたやる気の削がれるバスローブ姿。

 背中を合わせていたことで黒音自身も気づかなかったが、ふわふわの髪の毛にも少し水滴が滴っている。


「……なあザンナ、お前なんでそんな姿なの?」


「へ、見てわからない……? お風呂上がりだから……」


「そうじゃなくて! お前は剣だろうが! 錆びるぞ? いつか錆びるからな!?」


「知らないの……? 神機は衰えを知らない不老の存在……錆びたりしないし、欠けても修復される……」


「そう言う問題じゃ──ああもう、めんどい。仕事だ。目の前の敵を殲滅しろ」


「敵……? 敵……敵……あ、いた……」


 お風呂上がり立てでのぼせているのか、しばらく辺りを見回した後にようやく海里華の姿を視界にとらえた。


「お風呂上がりに激しい動きをすると頭がくらくらするのに……」


「貧血か! ほうれん草とか食えよ!」


「いや、私剣だし……」


「それさっき俺が言ったんだからな!?」


 シッシッ、と黒音のことを手で払いのけ、ザンナは海里華に向き直った。

 バスローブに手をかけて大きな動きでバスローブを脱ぎ捨てると、ザンナは本来の服に身を包んでいた。

 重ねてきた戦闘の数を物語るボロ布のような衣装。

 長いスカートの丈は無惨に引き裂かれ、コルセット型に包まれた上半身の部分は半分を失っており、代わりに血が染み込んで赤黒く染まってしまった包帯で身を包んでいる。

 戦慄をそのまま体現したようなその姿に、海里華の身は本能的に震えた。


「あの子を喰らえばいいの……?」


「あー、うん、でも死なない程度にな」


「……契約する時に言ったはず……私は一度呼び出されれば命を喰らうまでは戻らないと……」


 一度鞘から抜いてしまうと、生き血を浴びて完全に吸い取る、すなわち命を喰らい尽くすまでは絶対に鞘に納まらないと言われている魔剣。

 それがダーインスレイヴだ。

『ひとたび抜かれれば必ず誰かを死に追いやる。その一閃は的をあやまたず、また決して癒えぬ傷を残すのだ』

 初めてザンナを使った時に、ふいにそんな言葉が頭によぎった。

 それがザンナの、ダーインスレイヴの創造者による言葉だったのか。

 なんにせよ、呼び出されたからには必ず命を食らわなければ戻ることはない。

 ──だが、黒音はその伝説を軽く覆したのだった。


「そっかぁ、俺の友達にウマいスイーツをひたすら食べ歩く奴がいるから、功績をあげたらソイツに会わせてやろうと思ったのに、仕方ないなぁ」


「っ……」


 突然顔を伏せてぷるぷると震えだしたザンナの耳元で、黒音は最後のトドメを刺した。


「お前の大好きなチョコレートのソースがたっぷりかかった特大のイチゴパフェチョコソーススペシャルを、タダで食わせてもらえたのになぁ」


「~~~~~~~~~~~~~っ!!」


 口の端からよだれを垂らし、目に涙を一杯に溜めたザンナが、勢いよく黒音の方に振り返った。


「こ、今回だけ、だから……っ」


「よーし、いい子だ。帰りにファミレスでティラミス食わせてやる」


「俄然、やる気出た……!!」


 先程まで半眼だった瞳が、一気に全開まで見開かれる。

 海里華はその姿に、神機が本当にすごい存在なのか疑わしくなってきた。


「なんで神機が餌付けされてるのよ……」


「いいか?お前がやることは二つ。手加減なしで海里華を限界まで追い詰めろ。死ななければ致命傷になる攻撃も許可する。幸いアイツは物理攻撃を無効化できる流体体質だからな」


「ちょ、致命傷ってどう言うことっ!?」


 聞き逃せない言葉に飛び上がり、思わず尾を打って身を乗り出す。

 しかし黒音に手のひらを突き出され、すぐに制止される。


「もう一つは……?」


「お前の特性を使うことも許可するが、精神までは壊すな。あの子は一応俺の幼馴染みだ」


「な、一応ってどう言う意味よっ!」


「わかった……九割弱、間接的に殺す……」


「まあ簡単に言えばそんな感じだ。生きてて大きな傷が残らなければ何してもいい」


 なにやらとてつもなく物騒な会話が海里華の耳にはいってきた。

 一体これから何をされるのか、海里華は両手の鉄棒を握りしめ、身震いを殺した。


「えー、これからザンナと戦ってもらう。一応槍を使わなきゃとのことだからお前は鉄棒二本縛りだ。ザンナは剣一本で相手する。一応生かしておいてはくれるらしいが、死ぬ気で来ないと再起不能になるかもしれん。ファイト」


「いやファイトって!? どう言う意味よ!?」


「さっきから意味ばっかり求めるな。優秀なお嬢様なら与えられた課題を文句言わずにこなせ」


「っ……わ、わかったわよ!」


 痛い所を突かれ、言葉に詰まる。

 だがそんな海里華に追い討ちをかけるように、黒音はさらなる重圧をかけた。


「ちなみにお前がもし、万が一ザンナに勝つようなことがあればフィディを追加する。フィディはすべてのステータスにおいて俺とは一線を隠すからな。再びファイト」


「嘘でしょ!? 最高位の神機とアンタを全治二週間にまで追い込んだ六芒星のドラゴンを同時に相手しろってのっ!?」


「なにも最初からとは言わないさ。最初はザンナ一人だ。だが努々忘れるな? ザンナは最高位の神機だ。そう易々とフィディの相手が出来ると思うなよ?」


 黒音に、厳密には黒音が提示したスイーツに背中を押され、ザンナは武器の時の自分と同じ姿の剣を握りしめ、重心を低く構えた。

 ほんの少し上半身を上げ、再び体制を落とすと同時に駆け抜けた。

 地面を蹴る音すら立てず、服と肌が擦れる音しか響かない。

 まばたきを一回する頃には、もはや懐に入られていた。


(っ……!? 速いッ……でも──)


 瞬時に体を流体に変換し、ザンナの一太刀を腹で受け止める。

 刀が通り過ぎた腹は一瞬で結合し、すぐさま形を取り戻す。

 ──が、それと同時に格納庫に絶叫が響き渡った。


「あッ……あ"ァァァァ──ッ!?」


 瞳が血走り、身体中から汗が吹き出し、思わず腹を抱いてその場に突っ伏す。

 あまりの痛みでアクアスとの一体化が解け、人魚から人間の姿に戻った。

 物理攻撃が無効化されるはずの海里華の体が、ザンナの刃で真っ二つに切り裂かれたのだ。

 しかし実際には切り裂かれてもいないし、刃が通り過ぎた所は綺麗に結合していて傷一つない。

 だがザンナが斬ったのは海里華の体ではない。


「咎人は一度死に、生まれ変わっても悪事を繰り返す……ならば感覚を殺せばいい……身を斬っても駄目ならば、精神を絶ち斬れ……」


「ぁあッ……がぁあッ……な……ん、なの……これはぁッ……!?」


「ザンナの名は〈咎人を喰らう少女〉だ。ザンナは相手を斬ることも出来るが、本来の特性は痛覚を斬ることだ。身を斬ることで伴うであろう痛みを痛覚に伝達する。だから例え流体になっても一度ザンナの刃が通り抜ければ痛みは伴うんだよ」


「そん、な……バカなッ……」


 だが神が創りたもうた神話の産物に、法則などと言う形は無意味だ。

 法則を作るのは常に神。その神が痛覚を切り裂く刃を造ったのだ。

 その時点でそれは一つの法則となる。


『エリちゃん、しっかりして! 体には傷一つないんだから、多分幻覚か何かだよ! 斬った相手の感覚に作用する魔術ならいくらでもある! その痛みは幻だよ!』


「ちなみに今海里華が感じてる痛みは本物だぞ? ザンナは痛覚を真っ二つに斬ったんだ。それに実際も錯覚もねえ。斬られたのは事実だ」


「斬られても死なない……だから何度でも死ぬ時の痛みを感じられる……タチが悪いでしょ……?」


「自分、で……言わない、でよ……っ」


 何とか膝をついて状態を起こすことに成功したが、丁度へそ辺りに横に紅い切り傷が走っている。

 血は一切出ていないし、そこを触っても傷口に触れた痛みは感じない。

 本当に斬られた時の痛みしか感じないようだ。


「それはザンナに斬られた証明だ。ザンナの意思で消すことも出来るが、今は限りなく実戦に近づける為、あえて残しとく。戦闘が終わったら消してもらえ」


 特性を使うことも許可するが精神までは壊すな。

 まさか痛覚を狂わされて精神崩壊させるなと言う意味だったとは。

 ようやく痛みが収まり始め、震える足で仁王立ちした。


「ま、さか……生きてる、うちに……上半身と下半身が真っ二つにされる痛みを体験させてもらえるなんて……ある意味、光栄だわ」


「それだけ大口が叩けるなら……黒音の言う通り手加減なしで良さそう……」


 堂々と仁王立ちして(おかないと痛みで足が震えて立っていられない)海里華は、再びアクアスの手をとって人魚の姿へと一体化した。


「黒音……〈千刃煌牙ティスィチ・リェーズヴィエ〉をやってもいい……?」


「殺さなけりゃ問題ない。どうせお前の特性なら体に傷がつくこともねえしな」


「わかった……殺さないけど、やり方は一任してもらう……」


 殺害以外の許可をすべて取り、ザンナは再び海里華に向き直った。


「これから十回くらい斬る……だから頑張って避けて……」


「あら、わざわざ、教えて、くれるのね……さっきは、油断したけど……もう無駄よ……」


「……本来の百分の一とはな……ロシア語の分からない海里華に対しての最大の皮肉だな」


「行く……〈十刃煌牙ヂェーシチ・リェーズヴィエ〉……!」


 自分の分身であるダーインスレイヴを逆手に持ち替え、再び体制を落としたザンナ。

 海里華は痛みの余韻を振り払い、尾を打って構え直した。


「御愁傷様……」


 黒音がそう呟く頃には、海里華は空中へと投げ出されていた。

 本当に一瞬。ザンナが地面を蹴った一瞬の後、海里華の体に十の刀傷が走る。

 無論本当に斬れたわけではないが、痛覚は逃れることが出来ない。

 刃が通り抜けた部分に、耐えがたい激痛が刻まれた。

 あまりの激痛に意識が何度も飛び、ショックで過呼吸を起こす。


「おい、ザンナ、これは……」


「問題ない……ちょっと軽めの、踵落とし……」


 自分を抱いて激しく浅い呼吸を繰り返す海里華の背中に、容赦なくザンナの踵が降りかかる。

 その衝撃が海里華の全身に広がり、一瞬呼吸が止まる。

 一度リセットされた呼吸が、再び正常に戻った。


「俺も驚く荒治療だな。これは、本当に任せて良さそうだ。俺は武器を鑑賞してるから、ザンナはスイーツの為に頑張れ」


「わかった……スイーツは、貰う……」


「ぁ……が……」


 もはや痛覚なのかすら理解できない。

 痛覚が敏感すぎて、一周して痺れてきた。

 立つことも、指一本動かすことも叶わない。


「……もしかして、これで終わり……?」


 目の前のスイーツへの切符が抵抗を止めたことに、ザンナは分身のダーインスレイヴを腰の帯に差し込んだ。

 ──刹那、ザンナを大量の水が包み込む。


「かかった、わね……」


「──ゴボッ……!?」


 限界まで圧縮された水流が、深海のような重圧を持ってザンナを押さえ付ける。

 重圧に耐えきれなくなったザンナの体が軋みだし、とうとう腕や足がへし折れた。

 だが水中なので絶叫することも敵わず、ただ酸素を奪われる。

 肋骨がへし折れ、肌を突き抜けて露出し、内蔵に突き刺さった。

 水流の球体が真っ赤に染まった瞬間、それが凝縮される圧力に耐えきれず破裂した。

 残ったのは塩水を浴びたダーインスレイヴの魔剣のみ。


「よくも、私の痛覚を好き勝手にしてくれたわね。百倍返しよ。叫ぶことも抗うことも出来ないまま、押し潰されるがいいわ」


「……まさか、ザンナを倒すとは……だが、痛覚が狂って動けなかったはずだぞ?」


「一発食らった時点でもう身体中の痛覚が麻痺してたのよ。だから二発目を食らっても、正座した足をつつかれたようにしか感じなかったってわけ。まあお嬢様の演技力を甘く見るなってこと」


 ザンナが戦闘不能に陥ったことで、海里華の体に刻まれた無数の刀傷が綺麗さっぱり消え去った。

 それと同時に痺れた痛覚も元に戻り、普通に立てるようになる。


「サンティに続き、ザンナまでもを攻略されるとはな……しかも初見でだ。流石としか言いようがないぜ」


「ね、ねえ、さっき思わず押し潰しちゃったけど、彼女大丈夫かしら?」


 内蔵やら骨やらがぐちゃぐちゃになっていたが、果たして無事なのだろうか。

 まさか壊れたりは──


「問題ない。人間の姿はあくまで見てコピーしたものを投影してるようなものだから、痛みこそ伝わるが、次呼び出した時にはもう元通りだ」


「そう、よかったわ……それより、随分好き勝手やってくれたわね」


「でも修行にはなっただろ?」


「ハチャメチャすぎて槍の練習にならなかったじゃないっ!」


 そもそも本来の目的は実戦の中で槍を使い方をマスターすることだ。

 だが今回は石化する恐怖と痛覚を狂わされる激痛を刻まれただけだ。


「ああ、そうだったな。つか槍術の教室にでも通えばいいじゃねえか」


「お母様が許してもお父様が許さないわよ……」


「怖いのか?」


「あまりにも娘依存症なせいで危険なことはさせないのよ。要するに超過保護」


 ティーカップを両手に、重厚そうな扉を足で押して開ける海里華。

 こう言った所を見ると、海里華が本当にお嬢様なのか疑わしくなってしまう。


「あら、すっかり暗くなっちゃったわね」


 エレベーターを降りて地上に戻ると、外はもう薄暗くなり、月が上っていた。


「……なあ海里華、一緒に来るか?」


「無論よ。ティーカップを預けてくるから、少し待ってて」


 使用人の人にティーカップを預け、上着を羽織った海里華が、再び黒音の元に戻ってきた。

 黒音も海里華から預けていたパーカーを受け取り、腕を通す。


「が、柄にもなく緊張してきたわ」


「何でだよ? 怖いのか?」


「違うわよ、誰かと一緒に戦うなんて初めてだから、変に緊張しちゃって……」


ウブな奴だな。安心しろ、お前は俺が守ってやる」


「っ……あ、ありがと……」


 思わず顔の熱が上がり、顔を伏せる。

 昔から変わっていない、ふいに胸を跳ねさせる一言。


「ふ~ん、アンタはこんな所から来てたのね」


 いつもの電波塔の足場へとフィディに連れてもらい、町全体を見下ろす。


「い、以外と高いわね……」


「落ちてもフィディが拾ってくれるから大丈夫だ」


「ターゲットは──まだいないみたいね……」


「ちょっと早すぎたか……」


 その場にあぐらをかこうとした黒音を、海里華が抱えて制止する。


「──いえ、そうでもないみたいよ」


「……お出でなすったらしいな」


 視線の先にいたのは、白いドレスを纏う金髪の少女と、薄緑色の電流を纏う狼のようなドラゴン。

 やっとまともに戦闘が出来るらしい。

 ここ数日は集まりが悪かったが、白騎士と死神の少女以外は全員集合だ。


「ねえ黒音、ドラゴンは私にやらせて」


「ああ、異論ねえ。その代わりあの金髪は俺が貰う」


 アズの手を引き、漆黒の甲冑に身を包む黒音。

 甲冑のサイズで一回り大きくなり、身長が二メートルに届きそうだ。

 海里華はエメラルドブルーの鱗に下半身を包み、水瓶を左腕に抱える。

 尾の長さが加わり、同じく身長が二メートルに近づく。


「じゃあ、飛ぶぞ」


「へ、飛ぶ?」


 海里華の右手を掴み、強引に足場から飛び降りる。

 手を掴まれているせいで飛ぶこともできず、地面にまっ逆さまに降りていく。

 地面すれすれで衝突しそうになった瞬間、黒音の背中に黒い翼が現れ、空高く引き上げられた。


「……………………ちょっと」


「くはぁっ! やっぱこれやんねえと始まらねえよな」


「死ぬかと思ったじゃないっ!?」


「バカか。契約者が地面に落ちたくらいで死ぬかよ。これやると気が引き締まるんだよ」


「こっちは寿命が引き締まったわ!」


「そんなことより、あっちも気づいたらしいぜ」


 どこからともなく現れた巨岩と、射抜くような雷撃が二人に迫る。

 雷撃はフィディが盾になり防ぎ、巨岩は海里華の水流の刃が切り裂いた。


「ご挨拶だな、ドラゴンと堕天使」


「でもこんなの、全然効かないわ」


「あら、少しはお出来になられるようですわね」


『っ……人魚の女神……』


 ドラゴンと堕天使が横にならび、黒音と海里華も合わせて並ぶ。


「なあ堕天使のお嬢さん、ダンスの相手をしてくれないか?」


「ええ喜んで、堕ちたナイトさん」


『また来たんだね、人魚の人……』


「前の私と思わないことね」


 四人がエネルギーを練り、黒音とドレスの少女は抜刀のような構えを取り、ドラゴンは猫が威嚇するように背中を丸め、海里華は水瓶を構えた。

 臨戦態勢のまま石像のように動かない四人。

 ふいに風が吹き抜け、その風が完全に消えた瞬間、四人は一斉にその場を踏み出した。

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