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魔王が紡いだ御伽噺(フェアリーテイル) ~avenger編~  作者: シオン
~avenger編~ 第六章「紅き天使・後編」
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第四話『conflagration&Nothingness』

 雲の上に存在する、浮遊する島。

 その名は天界、別名楽園(エデン)

 天使の住まう場所であり、神のいる神界の下段に位置する。

 そんな天界の丘で、赤毛の少女が大の字で寝転がっていた。


「あー……マジで何すればいいか分かんない……」


「マスター、せめて体を動かしましょう。このままでは鈍るばかりです」


「分かってるけど、何か違うのよ……ただ特訓すればいいわけじゃないはずなの」


(……マスターは知識やセオリーではなく、直感で動くタイプ。今までその直感が外れたことは、恐らくただの一度もない。そのマスターが違うと言えば、何かが違うのでしょう)


 マスターを疑うなど、忠誠を誓った者として許されない。

 ウリエルはただ焔の直感に従い、側で待機した。


「はあ……せめて戦力の確認でもしましょうか」


 正確に自分の戦力を把握していなければ、そも話にならない。

 焔はウリエルを含めて、使い魔や神機を整列させた。


「まずパートナーのウリエル」


「はい、マスター」


「次に神機のクララ、ラボーテ」


「はいな!」


『私も頭数か。よかった』


「そして最後に新戦力、ラヴル」


『おうっ!』


 無敵の聖剣と謳われたクラウ・ソラス。

 天翔る翼、一角の聖獣クサントス。

 そして十二宮神機の獅子座、蒼獅子ラヴェーリオル。


「まさに圧巻……でも、これでも白夜には届かないのね」


「相手は二段階も上のステージにいます。それに何より、私達が相手にするのはあのジブリールです」


「気になってたんだけど、そのジブリールってどれだけ強いの?」


「天使最強です。そのあまりの強さと、天使とは思えない冷酷残忍な性格の為、神によって封印されていたはずですが……」


 黒音と焔の二人がかりでも一切通用せず、漓斗はジブリールのコピーを何体も産み出しても一掃された。

 四大チームの契約者の中でトップクラスは間違いない。


「それを白夜が目覚めさせたってことなのね。一体何を考えてるのかしら、何であのバカはそこまでして力を求めるの……?」


「さあ、ですが……昔優しかった人が力を求める時は、大抵自己犠牲の為です」


「あら、先客ですの?」


「へ、ああごめんなさ──って師匠!?」


「焔じゃありませんの! お久しぶりですわ!」


 焔の頭上、寝転がっているので頭の先にドレスを着た少女がいた。

 いかにも由緒正しいお家柄と言った雰囲気の少女は、焔の側で膝を折り、黒と金の混じった髪を耳にかけて微笑んだ。


「貴女がどうしてここに?」


「今特訓の為にここにいるの。そう言う師匠は?」


「今は休暇ですわ。多分他のメンバーも各自の世界に行かれているはずです」


 ドレスを着た少女は焔の隣に腰掛け、焔の頭を自分の膝に乗せる。

 焔が師匠と呼ぶ割には、どちらかと言うと優しい姉に近い。


「そっか、皆元気?」


「ええ、でも一つ悲報がありますわ。あの律子が、野良の契約者に負けたんですのよ」


「え、あの姐さんが!? 一体誰に!?」


 せっかく久しぶりの再会で膝枕を満喫していた焔だが、絶対に負けないと確信していた人の敗北を聞いて思わず飛び上がった。


「死神ですわ。色欲の死神アスモデウスと名乗られたそうです」


「へ、し、色欲の死神……? じゃ、じゃあ遥香が、あの姐さんを……」


「色欲の死神をご存知で?」


「ええ、私のチームメートよ。最近加わったばっかりなの」


 今度は自分から膝に頭を預け、少し得意気そうに微笑む。

 焔にとって、自分のチームメートが師匠の仲間に勝利したと言う事実は、例え姐さんが六芒星封印を施していたとしても、とても嬉しいことだった。


「そうなんですの、焔がスカウトした契約者なら律子が負けても仕方ありませんわね。なんたって私の弟子なのですから」


「あー、ごめん師匠。私スカウトされた側なの」


「焔を、スカウト……? では、色欲の死神も?」


「うん、私のライバルなの。しかも私達の中で一番最初にリミットブレイクに至ったのよ」


 それはもう得意気に、しかし少しだけ悔しそうに。


「なっ……そ、その方のお名前は?」


「未愛 黒音君よ。魔王に復讐する為に契約者になったらしいわ。今は記憶がないらしいけど」


「記憶喪失ですの……それに、魔王に……? あの魔王だけは気に入りませんわ。戦いは部下に任せて自分は玉座でふんぞり返っている……」


「ねえ、師匠はさ、私のチームに魔王がいるって言ったら信じる?」


「まさか、知っているでしょう? 魔王の素質を持っている契約者は半人半魔。そんな存在は〈tutelary〉の守護する魔王か、フルしかいませんわ」


 その半人半魔が自分のチームにいて、その人がリーダーで、しかもその証拠に魔王しか扱うことの出来ないレーヴァテインを使っているなどと、流石に信じてはもらえないだろう。


「ですがその口ぶりだと、本当にいるんですのね」


「うん……本人は自分が復讐する相手と同族ってのを嫌ってるみたい」


「……特訓と、仰っていましたわね。何の為ですの?」


「兄貴をぶっとばす為ってのは今でも変わってない。でも今は……大切な仲間の願いを叶える為に強くなりたい。兄貴をぶっとばすのは、ついででいいわ」


 少女の膝から再び頭を起こし、焔は紅の双眸で少女を捉えると、巨岩よりも揺らがぬ覚悟に満ちた、凄絶な笑みを浮かべた。


(この顔が出来る者は、自分の選択に一切の迷いがない者だけですわ。貴女はもう至っているのかもしれませんわね)


 少女は自分の背後に二体の騎士を控えさせ、ドレスのレースを翻させて立ち上がった。


「いいでしょう。では私が再び、貴女を鍛えて差し上げます。その覚悟はありますかと、私は伺いません。何故ならば貴女はすでに一度、私の修行に耐え抜いてますから」


「ありがとう。またよろしくお願いするわ、レイチェル師匠」


 最初期、完全初代の天使、アダムと悪魔のイヴ。

 その二体と対峙して、焔は改めて戦慄を覚える。

 師匠は、レイチェル・サウザンドと言う一人の契約者は、六芒星封印のたった一つも解除せず、この迫力。

 〈strongestr〉の第二位と豪語し、認めさせるだけの覇気。

 ほんの微塵すら、勝てるかもしれないと言う可能性を意識させない威圧感。

 最強だから全の頂を統べるのではない。

 全の頂を統べるから最強なのだ。


「貴女が仲間の為に求める力は単純な戦闘力ではありませんね。言わずとも分かります。隔てを超えるレベルにまで達したと言うことですわね」


「そう、私達六人は人間の世界でたった三日間、至ることを目標に互いに背を向けた。三日後私と黒音君が戦う。私が黒音君のチームに正式に入るのは三日後の決戦後よ」


「たった三日? それではこちらの時間で六日間……一週間の猶予すらないんですのね」


「ごめん師匠、いつも無茶なこと言って……」


「いいえ、丁度いいですわ。貴女も知っての通り、私達が単独行動出来る日数は三日間。こちらで六日間。幸い貴女は才能に恵まれており、限界へ至る可能性は十分ですわ」


「後はパートナーと隔てを超えて、パートナーを喰らう」


 兄貴をぶっとばすことは、黒音を魔王の元へと送り出すことに繋がる。

 いずれは茜とも決着をつけなくてはならない。

 だがもし正式なチーム戦になれば、茜と戦うのは黒音なのだ。


「ダメダメっ……悩んだってどうしようもないんだから。今は師匠の修行に専念しなきゃ」


「今回の目標はリミットブレイクですが、結論から申しまして無理です。ですから、今回は隔てを超えることとイートカバーを経ることだけを考えなさい」


「へ、私リミットブレイク出来ないの? てか、イートカバーってなに?」


「パートナーを喰らう儀式のことをイートカバーと言いますの。いきなりぶっ飛んだ目標を掲げた所で、不可能なことは不可能です。ならばまずは出来ることからこなしましょう」


 レイチェルの言っていることはもっともだ。

 黒音が柊に言われた時リミットブレイク出来なかったように、窮地に追い詰められたからと言って誰しも至れるわけではない。

 それに仮に至ったとしても、本気の四大チームを相手にすれば所詮は付け焼き刃だ。

 ならば四大チームの契約者が経てきたフェーズを辿ってこなしていくしかない。


「ねえ、四大チームの契約者と私達普通の契約者の差って何なの? ただ隔てを超えてイートカバー? を経てるか経てないかの違いだけなの?」


「イートカバーの知識を持っていてそれを知らないんですの? 我が弟子ながら呆れましたわ。まさかイートカバーを経ただけで終わりなわけありませんわ。イートカバーは尋常ならざるパートナーとの絆が導くもの。隔てを超えてイートカバーを経た後にそれを仕上げる最終段階があります。それが隔て、イートカバーに次ぐ第三の段階」


 隔てを超えることはパートナーとの境をなくすこと。

 イートカバーは実際にパートナーと融合すること。

 そして最終段階はそれらの縫い付け、言わば仕上げだ。


「イートカバーを経た次に待つもう一つの儀式は、種族との親和性を高める魔術です。これはイートカバーを経なければ不可能ですわ。何せ、自分の種族を人間と六種族のハーフにするのですから。あらかじめパートナーと融合していなければ無理です」


「た、ただでさえ人間やめてるのに、私羽が生えて頭の上に輪っか浮かべなきゃなんないの?」


「違います、発想としては間違ってはいませんけれど。イートカバーでパートナーと融合したのは、あくまで慣らす為です。イートカバーが意味を成すのはその次。パートナーから預かった半分を完全に自分のものとするのです。そうすればめでたく天使と人間のハーフの完成ですわ」


「いやめでたくないし……それってつまり魔王になるってことよね!?」


 半人半魔が魔王だとすれば、半人半聖は聖王と言った所か。

 だが理論的には魔王と同じ存在を人工的に作り出していると言うことだ。


「魔王は常にその状態。私達は一体化した時のみ魔王と同じ状態になれると言うことですわ」


「で、でも師匠や他の四大チームは変身してない時でも強いじゃん。それはどう説明するの?」


「簡単ですわ。それこそ私達四大チームの契約者が六芒星封印を施している理由……私達はイートカバーで融合している為、常に一体化しているような状態。私達四大チームの契約者は自由にリミットブレイクを引き出せます。と言っても、擬似的なリミットブレイクです」


「擬似的な……リミットブレイク……?」


 つまり裏を返せば、黒音や〈tutelary〉の守護する魔王はリミットブレイクした時の戦闘力が通常時と言うことになる。

 それに重ねて本当のリミットブレイクまでしてしまえば、その戦闘力は計り知れない。


「前に教えましたわよね? 四大チームの契約者は全員が全員リミットブレイクに至る直前にいる不安定な存在だと」


「覚えてるわ。……まさか、全員がリミットブレイカーなのに、自分の限界を理解出来ていない……?」


「ええ、だから私達は分割してリミットブレイクを発動出来ますの。限界を超えれば制御など到底不可能。ですが我々は制御しています。制御しなければ使えない力など、欠陥と限界だらけではありませんか」


 あくまでも四大チームの契約者はリミットブレイクには至れない。

 ただ誰よりも近い位置にいるだけで、真には届かない。

 しかし本当の魔王はリミットブレイクを制御するのではなく、リミットブレイクを取り込む。

 限界を超えて制御出来ないはずの力を我が物のように。

 いろいろ難しいことを連ねられたが、結論はこうだ。

 四大チームの契約者が強いのは魔王を模倣しているから。

 そして魔王はそのオリジナルなので、絶対的に強い。


「魔王ってほんと化け物なのね……」


「化け物などと、その黒音さんとやらの前で軽々しく口にしてはなりませんわよ。本人が魔王と言う存在を嫌悪しているならば尚更ですわ」


「分かってるわよ。黒音君は魔王である前に私のライバルで仲間で親友なんだから」


「それがお分かりなら問題ありませんわね」


「にしてもまさかイートカバーの行き着く先が魔王だったなんて。皮肉なものねえ」


「確かに、この技術は英雄と謳われる〈Heretic〉が産み出したものですのに、蓋を開けてみればその原理は魔王になること。間接的に英雄が魔王に屈していると言うことになりますわ」


 ……ん? 今何かとんでもないことを聞いた気がする。

 この技術は英雄と謳われる〈Heretic〉が産み出したものですのに、だと?

 つまり今の四大チームがあるのは、すべて英雄のおかげと言うことではないか!


「あ、あの人達はどんだけ偉大なのよ……」


「英雄の技術は尋常ならざる覚悟と器がなくては継承することが出来ません。英雄の技術に認められたのがたまたま私達だったと言うわけですわ」


「私達はずっと〈tutelary〉のことを敵視してきたけど、アイツらも英雄に認められてるってことよね」


「そうですわ。でなければ私達は他のチームと一括りに呼ばれることを断じて認めません」


 もし〈strongestr〉が〈tutelary〉達を認めていないならば、今頃四大チームと言う言葉は知れ渡っていないだろう。

 〈strongestr〉が片っ端から潰してしまうから。


「さあ、お話はここまでですわ。まずは隔てを超えましょう。そんなに難しく考えることはありませんわ。ウリエルと一体化して、私と戦えばよろしいのです。戦いの中で融合する感覚を掴みなさい」


「ま、まさか"知恵の実"を使ったりはしないよね?」


「当然、あれは奥の手ですわ。貴女の相手をするのは私とアダムの二人。イヴは待機ですわ」


 ……どちらかと言うと、アダムよりもイヴと戦いたかった。

 レイチェルは〈strongestr〉の天使、つまりイヴよりもアダムの方が主力なのだ。

 実現不可能とされた、前代未聞の多重契約。

 今まで多重契約した契約者は何人かいたが、天使と悪魔の二体と多重契約した契約者はレイチェルが初めてだ。


「行きますわよ、アダム」


『イエス、マイプリンセス』


 レイチェルの傍らに控えるのは、獅子を象った甲冑を纏う白い騎士。

 六芒星封印を解除する気はないようだが、師匠は最初から一体化して戦って下さるそうだ。

 透き通った白と七色のクリアパーツ、それらを整え彩る金色の枠。

 ドレスに包み隠されていない瑞々しい四肢は、指先に至るまですべて白と金のパーツに包み込まれる。

 やがてレイチェルの顔を、獅子をイメージしたベネチアンマスクが覆った。


「貴女は私の弟子ですわ。ですが私は初対面の時から一度たりとも、貴女のことを下に見たことはありません。ですから最初から本気で参りますわよ」


「本気とか言って、封印は一つも解かないのね。まあ解かれたら手も足も出なくなるんだけど」


「封印はないものと思ってくださいな。ですが……貴女の力が封印を解くに値すると認識すれば、どうでしょうね」


 焔の背中に嫌な汗が伝った。

 ただの特訓と分かっていても、気高くも心優しい師匠だと理解していても、いざ対峙するととてつもない恐怖を覚える。


「こ、こっちだって最初から本気よ。ウリエル!」


 さあ、再び師匠との特訓が始まる。

 黒音君と戦う前の、最後の調整と行こう。

 焔は死の覚悟さえ決めてクララの柄を握りしめた。


「つ、疲れた……」


 アズの邸、その地下にある闘技場で、黒音は文字通りぶっ倒れていた。

 フィディの威圧のせいで敵に回ったザンナとレーヴァテインを相手にしながら、フィディから放たれる即死級の攻撃を避け続ける。

 そんな無茶なことをしていた黒音は、早々にぶっ倒れてしまったのだ。


「なあアズ……俺ら隔てを超えなくちゃならないんだろ? なのに何でお前は高みの見物なんだよ?」


「部下達の手前、格好悪い所は見せられないでしょう。でもものを壊さずに戦える場所はここしかない。でもここは常に部下の悪魔が訓練として戦っている。仕方なかったのよ」


「黒音様、すごかったよ!」


「流石は君主のパートナー!」


 客席から沸き上がる鳴り止まない拍手と喝采が黒音の耳を突き抜けた。

 アズは辛うじて右手を天井に飛ばす黒音を抱き抱え、闘技場から姿を消した。


「さあ、肩慣らしはこれくらいでいいでしょう。それじゃあ隔てを超えるわよ」


「な、ちょっと休憩させろよ。さっきの見てただろ」


「別にいいけど、焔に抜かされるわよ?」


「焔に……抜かれる……分かった、じゃあやるぞ」


 アズは黒音がどう言うことを言われるとエンジンに火がつくか、完全に理解している。

 黒音は一度ライバル視した相手には、絶対に追い抜かれたくないのだ。

 仮に相手が自分の実力を上回っていれば、追いつき追い抜く。

 身を呈してでも仲間を守り抜くことが黒音のプライドだとすれば、どれだけ無理をしてでも追いつこうとすることは黒音の意地。


「隔てを超えることは案外簡単よ。怒りなさい。そうね、貴方にとってもっとも効果的なことは……仲間を殺された時かしら」


 想像しなさい、とアズは黒音の意識に語りかける。

 目の前で仲間が無惨に傷つけられ、殺されていく様子を、涙を流して唇を噛み締めて傍観する自分の姿を。

 また何も出来ないまますべてを失う恐怖を。


「ふざ、けるな……俺はもう失わねえ……守りたいモンは何がなんでも守り抜く……その意思が揺らいだことは、ただの一度もねえッ……!!」


(……すごい。ただ仲間が傷つけられることを想像しただけで、怒りの感情が黒音の魔力を引き上げている……でも、黒音だけが怒ってもダメ。私がともに怒らないといけない)


 今度は"仲間"と言う不確定なものではなく、その人物をより現実的に想像させる。

 たった一言、アズはこう言うのだ。


「黒音、貴方が目の前で殺されるのは私よ」


 そして自分が目の前で殺されるのは、無論黒音だ。

 互いがもっとも大切にしている、パートナー同士。

 互いが互いの死ぬ様子を想像すれば、隔てと言うものはいとも簡単に溶けてなくなってしまうのだ。


「「変……身……ッ」」


 守れなかった自分への怒りと悔しさ、失った悲しみと後悔。

 ただの想像ごときに高められた二人の負の感情は、本能で互いが一つになる言葉を二人に発言させた。

 黒音とアズの胸から放たれた太く黒い糸は、二人の中心で結び付き、二人を急激に締め上げる。

 だが自然と痛みは感じない。何故ならば、もう二人の間に"二人"と言う概念は存在しないから。

 二人を繋ぐ糸はやがて二人を一つの存在とし、二人の間に隔てられた壁を引き裂いた。


「あぁッ……はぁッ……これが、隔てか……」


『と、とてつもなく熱い……まるで溶かされてるみたい……こんなの、以前は……』


 二人の間に隔てられた壁が取り払われた今、二人はいびつな破片に砕かれたバラバラのチョコレートが湯煎を潜って溶け合ったような感覚に包まれている。

 互いの熱が混じり合い、感覚が曖昧になった。

 甲冑に包まれた黒音からは、アズの脚に刻まれているタトゥーのような紋章が首から下の全身に浮き出ていた。


「感じるぞ、お前の鼓動……」


『私もよ黒音……私達はもう、二人じゃない……』


「「完全なる、一人……」」


 こうしていとも簡単に隔てを超えた黒音は、驚異的なスピードで消費した魔力と体力を回復した。

 契約者は感情の変化に比例して、その可能性が変化する。

 たった一つでも、パートナーと共有した感情を限界まで高めると隔てを超えるに至るのだ。

 しかしその限界値が高すぎる為、ここまで容易に超えられる契約者はほんの一握りしかいない。

 そう、例えば六つの世界でそれぞれ修行しているたった六人とか。


「あ、案外簡単だったな……いや、もしかしたら皆はもっと早く隔てを……」


『さあね、でもこれで遥香に追いついたわね』


「遥香のことをライバル視するのはちょっと厚かましい気もするが、そうだな」


 ようやく型に流し込まれ、その形を明確なものへと完成させた"黒騎士"は、再びフィディを呼び出した。

 髪の毛を煤で汚されたことを未だに怒っているらしく、フィディは珍しくそっぽを向いていた。


「なあフィディ、もう一回相手してくれよ。もうさっきみたいに髪を汚したりはしねえからさ」


「……マスターの頼みとあらば、受けないわけにもまいりません。ですが、よろしいのですか? マスターが隔てを越えられた以上、もう手加減は致しませんよ?」


「いらねえよ。今の俺はお前よりも強い。そしてこれは慢心じゃない。試そうぜ」


 再び戻ってきた闘技場には、部下の悪魔はたった一人も残っていなかった。

 こうなることが分かって、アズがあらかじめ退場させたのだ。

 魔術によって照らされた闘技場の中心で、三度二人は対峙する。

 一度目はドラゴンエンパイアの雷降り注ぐ鉄の山。

 二度目は先ほどの闘技場での模擬戦。

 主従契約を結んでからはたった一度しか戦っていなかった。


「……アスタロト様、リミッターの解除を許可願います」


『いいわ、好きになさい。これからの戦い、貴女もリミッターをかけたままでは通用しないわ』


「リミッター……? おいまさか、これ以上強くなるのか?」


『ええ、フィディは雷属性最強の紫電龍アリフィロムと鋼属性最強の金剛龍インライディナのハーフ。その位は六芒星のその先、七芒星に至る』


 六芒星のドラゴンには希に、突然変異の個体が生まれることがある。

 その要因は様々で、死ぬ一歩手前に追い込まれたドラゴンが単体でドラゴンソウルやリミットブレイクを発動した時など。

 そしてそれらの特異個体のことを総じてこう呼ぶ。

 ──〈禁じられた存在(バランスブレイカー)〉と。


「天地よ狂え……〈禁じ手(バランスブレイク)〉!!」


 狂ったように爆ぜたフィディの龍力が、そのまま烈風となってフィディを覆い尽くす。

 銀色の髪はさらに長く、その銀瞳は瞬く星のように煌めき。

 へそを露出したミニスカートの軍服が弾けて消える。

 吹き荒れる銀色の風から解き放たれたフィディの手には、黒い指ぬきグローブがはめられており、脚は靴底の厚いブーツが包んでいる。

 腕と太股を除いた胴体を包む黒いボディースーツのおかげで、輝くような銀髪がさらに映えて見える。

 露出した腕には、銀色の羽がタトゥーとして刻まれていた。


「お、おい、こんな姿、俺は知らねえぞ……!?」


「当然で御座います。この姿を知っているのは記憶を失う前のマスター、そしてこの力を目覚めさせたのも、以前のマスターです」


 マスターである黒音により近づく為に、フィディが自ら願って至ったバランスブレイクだ。

 言わば今のフィディは魔龍、悪魔とドラゴンのハーフと言うことになる。

 紫電龍アリフィロムと金剛龍インライディナのハーフを加えるならば、フィディはクォーターと言うことにもなり得る。

 すべてをいいとこ取りしたフィディの戦闘力は、もう以前の比ではない。


「では参りますよ。ターゲット、ロックオン致します」


 フィディの左目が金色に光り、三枚の魔方陣が浮き上がる。

 三重に重なった魔方陣が互いの感覚を確かめるように動き、そして一定の位置で停止した。


「何だ、あれ……まるでライフルのスコープみてえな……」


『強ち間違っていないわ。あれはまさにスナイパーライフルのスコープと同じ、一度ターゲットと定めた相手をそのスコープに収めると、幻術も妨害も通用しない。超高性能な追跡マシーン』


 まっすぐこちらに向かってくるフィディを、黒音は限界まで引き付けて寸前で回避行動をとる。

 だがフィディにはお見通しだったようで、すでにスピードを落としていた。

 緩やかに反転したフィディは、肩甲骨の辺りから白銀の翼を放って黒音を追跡する。


「スピードも洞察力も桁違いだな……だが」


 黒音は手刀で迫るフィディの手首を掴み、勢いに任せて地面に叩きつけた。

 あまりの早業でフィディですら感知出来なかった。

 フィディが叩きつけられた闘技場の地面にクモの巣状の亀裂が広がり、砂埃を巻き上げる。

 奥歯を噛み締めたフィディだが、それは一瞬のことですぐに体制を立て直した。


「まさか……肉弾戦でマスターが私に肉薄するとは……」


「お前こそ、よく今の俺についてこれたな」


 今の黒音は隔てを超えたばかりで、魔力が有り余っている。

 フィディも同じくバランスブレイクを発動したばかりだ。

 しかし一瞬ながら本気を出したフィディに対して、黒音は未だ全力を出してない。

 先ほどフィディを地面に叩きつけたのも、フィディの勢いを利用してやったものだ。


「手加減なさらないでくださいマスター。でなければ力試しになりませんよ」


「それもそうだな……俺の元に来たれ、白銀の剣レーヴァテイン」


 黒音の左腕には九つの錠が埋め込まれた円盤形の盾、右手には真っ白な雪原を思わせる透き通った刀身。

 日本刀のような鋭い輝きとともに、その剣は顕現した。


「九つの門に封じられし紅き双刃、爆ぜろ……〈開錠〉!!」


 ザンナを左手で逆手に、レーヴァテインを空高く投げると、黒音は焔から託された憐の門を開錠した。

 爆ぜ狂う炎が黒音を包み込み、紅蓮の翼が黒い翼と重なる。

 吸い込まれるような陽炎の中、黒音は二振りの神機に紅の炎を灯した。


「紅き門……〈憐の勇気〉……骨の髄まで溶かし尽くす」


「マスターにそれが出来ますか? 無論、実力的な意味です」


 今の黒音が仲間だからと言う理由で手を緩めるはずがない。

 海里華との戦いで学んだのだ、ただ情が深いだけでは仲間を守ることは出来ないと。

 時には心を鬼にして自分を追い込まなければ、真に強くはなれないと。


「流石と言う他ねえな……」


 憐の門はスピードと攻撃力を大幅に高める速攻型で、最高速に達した一太刀は亜音速にも及ぶ。

 それを目視して手刀で払っているのだから、もういっそのこと笑えてくる。


「フィディの肌は鋼鉄、確かに俺の熱なら溶けるが、溶けた肌を再構成するスピードが勝れば俺の攻撃は無効だ」


 本来は流体のように再構成は出来ないが、黒音の熱に溶かされた鉄は流体だ。

 海里華みたく瞬時に元通りと言うわけにはいかなくとも、フィディの基礎能力ならば数秒で復活出来る。


「……まだ、甘さがありますね」


 フィディは何回か黒音の太刀筋を観察すると、その数秒後にザンナとレーヴァテインの刀身を素手で掴んだ。

 ぎょっとして二振りを引こうとするが、フィディは自分の手が焼けて溶けることも構わずに、二振りを自分の方に引いて鋼鉄の額を黒音の額にぶつけた。


「ぁがあッ……!?」


 甲冑で守られているのに、黒音の額にハンマーで殴られたような衝撃が伝わった。

 額から零れる流血で視界が朱色に染まる。

 これまで一度も見たことのないフィディの形相に、黒音は震えを止められなかった。


「私がこのリミッターを解除したのですよ……? いつまで甘ったれている気ですかッ……!!」


 フィディが悪魔の力を、鋼と雷の他に闇の属性で己を汚した意味をアズは知っている。

 フィディが悪魔の力を受け入れたのは、黒音との親和性を高める為だけではない。

 最強と名高い誇り高き混血の龍が強くなる為とは言え、悪名連なる六種族最弱の悪魔の血を受け入れると言う、黒音に己のすべてを託して忠誠を誓うと言う覚悟の表れだ。


「恐れ多いことですが、本気で魔王を倒す気はおありで御座いますか? 海里華様や皆様が自分の願いを後回しにしてまでマスターの目的にご協力して下さっているのに、貴方はいつまで馴れ合いをしている気ですか? 海里華様との戦いでリミットブレイクされた時、お気づきになられたでしょう……!」


 黒音の殻は仲間に依存していたことだ。

 それを自覚して初めてリミットブレイク出来た。

 しかし柊に言われた時リミットブレイク出来なかったのは、再び海里華が戻ってきたことに安心したからだ。


「んなことは……誰よりも自覚してるッ……!!」


 ザンナとレーヴァテインを離し、黒音はフィディの胸ぐらを掴んで頭突き返す。

 勿論フィディの肌は全身が鋼鉄なのでつつかれたほどのダメージもないが、黒音は自ら甲冑の頭部パーツを消した。

 頭蓋骨が軋む嫌な音を感じながらも、黒音は額をひ弱な力で押し付けながら猛る。


「焔の願いを叶える為にも、魔王に挑まなくちゃならないし、魔王に勝たないと先に進めねえ……海里華の姉ちゃんも、漓斗の妹にも──」


「それが馴れ合いだと言うのです!! 本当にご自分の願いを叶えたいのならば、他人のことなど考えず自分の願いの為に突っ走ってはどうですか!!」


「他人だと……? そも俺が魔王に挑む為には海里華達の力がっ……」


「では海里華様が契約者と分かる前まで、マスターはどうしようとお考えでしたか?」


 海里華と初めて出会った時、厳密には契約者として再会した時、黒音は完全に一人で戦う気でいた。


「じゃあ、アンタは今何人の契約者とチームを組んでるの?」


「へ、え? チーム?」


「そうよ、全六種族が一人ずつ、計六人で構成されるチームのことよ。まさか、魔王に挑むのに一人で行く気?」


「そ、そんなわけねえだろうよ」


 あれからだ、黒音が仲間に依存し始めたのは。

 信じられるものが極端に少ない以前は、仲間や友達と言う存在がとても魅力的に思えた。

 楽しいことを分かち合える友達に、辛い時は支え合える仲間。

 孤独の中アズとたった二人で死線を潜り抜けてきた極限状態、黒音は自分の精神状態を保つ為に何度も友達を作った。

 だがその度に人質にとられ、また惨殺され、心に酷い傷を負ってきた。


「お願いです、マスター……どうか、以前の誇らしいマスターに戻ってください……」


 強さの伴わない優しさは優しさとは言わない。

 それはただの"言葉"に過ぎないのだ。

 元々馴れ合うことはあまりしなかったが、一度仲間や友達と認識した者は敵の命を奪っても守る行動力のある人物だった。

 魔王を倒した後、次代の魔王としての汚名を背負っていくだけの覚悟を持った器だった。

 決して自分を飾らずありのままを見せる、自信に満ちた君主だった。

 だからこそフィディは黒音に忠誠を誓ったのだ。

 しかし今の黒音はただ絆を求めて自己犠牲を繰り返し、ただ仲間に心配をかけるだけの存在。

 フィディにとってそれがどうしようも納得出来なかった。


「今のマスターを、マスターとは認められません……」


「……俺に何が足らない、それは理解出来てる……力も覚悟も器も、何もかもがない。だって俺は未だに、魔王に挑む為の明確な目的が見いだせてねえから……」


 仲間を失うかもしれない戦いに、何故挑まなくてはならない?

 確かに英雄を越える約束はした、でもそれは勝敗をかけた戦いにすぎない。

 魔王との戦いは、〈tutelary〉との戦いは正真正銘命懸けだ。

 こちらが命を奪わずとも、相手は狙ってくる。


「フィディ、俺はどうすればいい? 俺はどうすれば、元の俺に近づける……?」


「情けない……以前のマスターは決して他人に答えを求めませんでした。その答えは自分の力で見つけてください。……勝手ながら、暇を頂きます」


 今になって額の痛みがぶり返してきた。

 嫌なほど頭に響く鈍痛は頭突きによるものか、それともフィディから言われた言葉によるものか。

 黒音はその場に寝転んで闘技場の天井を眺めた。


「俺の何がダメなんだ……何がフィディを失望させた……」


「あの子はね、記憶を失う前の貴方にとても憧れていたの。自分よりも遥かに弱いはずなのに、この人には絶対に敵わないと思わせるそのオーラ? それが忠誠を誓った理由だって」


「俺はそんなに強くねえよ……仲間に頼らなきゃ戦えないし、現に俺は梓乃達を仲間に率いれる時も、何度も仲間を危険にさらした……」


「……今の貴方には負担よね、今の貴方は以前の貴方とは別人なんだから。別にね、あの子が求めているのは以前の貴方じゃないの。ただ自分の目的と行動に自信をもってほしいだけなのよ」


 トリアイナに海里華を乗っ取られた時、黒音はただ海里華を救うと言う明確な"目的"の為に、己の身を危険にさらしてでも救おうとした"行動"に、揺るぎない"自信"を持っていた。

 だが次第に黒音は仲間の力に溺れ、自分を見失っている。

 その姿がフィディには耐え難かった。


「貴方は優しいし、力もある。でも自信がないだけ」


「魔王に勝てるかどうかって自信か……ああ本当は怖い……実際は勝負にもならなくて、目の前で次々と海里華達が殺されちまうのかもしれないって考えると、怖くて決断出来ない……」


「今の貴方には覚悟も自信も行動力も目的も、すべてが欠けている。フィディが惚れ込んだ貴方にあったすべてがね」


「俺がさっき手加減したことで、フィディは完全に愛想尽かしちまったんだな……俺の覚悟のなさと目的に対する自信の薄さに……」


 だが生憎、フィディの憧れた未愛 黒音はもういない。

 記憶にこだわることはもうやめにしたのだ。

 それが弱さと言うならば、受け入れてもらうしかない。

 もしくはこのまま戻ってこなければいい。


「ちょっと外出てくる……」


「あまり遠くに行っちゃダメよ。大気汚染があるから」


「ああ、気をつける」


 ザンナもレーヴァテインも、全戦力をアズに預けて黒音は邸を後にした。

 大気汚染により木々は枯れ、大気中に漂う魔力が結晶となって地面を飾る魔界の道。

 薄暗い空間は二重に重なった不思議な月により照らされ、妙に落ち着いている。

 ここはまだアズの敷地内なので、悪魔の姿は見えない。


「……隔ては超えられた。後はパートナーを喰らってリミットブレイクに至る。でも、今の俺は殻だらけでとても至れそうにねえな……」


 肌寒い細道、そこはもうアズの敷地ではなく、大気汚染が広がる死の道だ。

 一応アズの邸に設定した転移魔方陣があるが、今戻るのは少し気が引けた。


「……人間……?」


「っ……誰だ──って、女の子……?」


「ここはアスタロト公の敷地が近い……あなたは……?」


「俺はアスタロトの契約者、未愛 黒音だ」


「アスタロトの……でもまだ弱い……」


 黒音の前に現れたのは、まるでお人形のような格好をした、またお人形みたいに無表情の少女だった。

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