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魔王が紡いだ御伽噺(フェアリーテイル) ~avenger編~  作者: シオン
~avenger編~ 第一章「蒼き女神」
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第三話『sei di inizio』

 今より数時間ほど遡り、学校の昼休み。

 今はもう使われていない部室の屋根上で、寝息を立てる一人の少女がいた。

 日の光を浴びて明るい朱色に光るセミロングヘア。

 桜の花びらのような薄ピンクの唇に、目の下に影を作るほど長いまつげ。

 屋根の上に堂々と投げ出された足は慎重の半分以上を補っている。


「ん……んぅ……ぁふ…………お腹すいた……」


 やがて長いまつげが持ち上げられ、紅の双眸が露になる。

 上体を上げるに伴ってセミロングの髪がなびき、少女はめいいっぱい背筋を伸ばした。


「チョココロネとコーヒー牛乳が欲しい」


 少女がそうこぼした瞬間、どこからともなくビニールに包まれたチョココロネとコーヒー牛乳のパックが少女の隣に現れた。

 少女は何事もなかったかのように、最初からそこにあったかのようにチョココロネを右手に、コーヒー牛乳のパックにストローを突き刺した。


「ありがと、いただくわね」


 虚空へ向かってそう呟き、赤毛の少女はチョココロネに頬張りついた。


「そう言えば、黒騎士の情報はどうなった?」


 再び虚空にそう問いかけ、少女は数秒の間を置いて頬を緩めた。


「そっか……やっぱこの学校の生徒なんだ。これは面白くなってきたわね、ウリエル」


 不適に微笑む少女のいる屋根上が、不自然な音を立てて軋みだした。

 鉄板の温度が急激に上昇していき、陽炎を生む。

 やがて熱せられた鉄板は少女のいる中心から真っ赤に溶け始め、水飴のようにぽたぽたと下に落ちていく。

 だが中心にいる少女だけは火傷所か熱さすら感じていない様子で、溶け始める鉄板の上で微動だにしていない。


「さあて、貴方はどれだけ私を熱くしてくれるのかしら……復讐の契約者、黒騎士……!」


 ついに少女が炎そのものとなって屋根上から焼失し、髪の毛一本すらも残らなかった。

 少女がいなくなったことで熱量が加わることはなくなったが、それでもあまりの熱量に鉄板が耐えきれず、溶けてどろどろになった鉄があめ玉のように地面に転がり、屋根が崩壊した。


「剛電龍……? ドラゴンの使い魔ですって……!?」


 黒音が従えているのは使い魔と呼ばれるドラゴンのしもべ

 契約者はパートナーとなる種族とは別に近衛兵として別の種族を従えることがある。

 いわゆる主従契約と言うものだ。

 本来はその使い魔が元いた場所に待機させており、必要な時だけ自分の元に呼び寄せる仕組みになっている。

 だが主従契約も契約には変わりない。

 パートナーと契約している上に使い魔も契約するとなると、それだけ負担がかかる。

 その負担を補えるほどの実力がある者だけが自分の使い魔を従える。

 そこまでは対して驚きには値しない。

 だがそれよりも驚くべきことは、ドラゴンを使い魔に従えていることだ。

 三芒星までならば従えている契約者も多いが、四芒星からは戦闘力が破格な為、従えることはほぼ不可能。

 エネルギーの保持量で言えば死神が一番上だが、エネルギー量を除いた戦闘力でならばドラゴンがトップだ。

 それが六芒星さいじょうきゅうともなれば、もはや言うまでもあるまい。

 驚愕する人魚を無視して、黒音は〈双龍の仔〉の頭部を撫でた。


「コイツの通称はフィディ。勿論、六芒星同士の間に生まれた子だからコイツも六芒星だ。フィディ、挨拶しろ」


『イエス、マイマスター』


 紫電を纏う鉄体の龍、フィディは鉄龍の特徴でもある長い首をもたげてマスター、黒音の指示に従った。


『我が名はアリフィディーナ。マスターからはフィディと呼ばれている。誇り高き金剛龍と紫電龍の間に生を賜った混血の龍だ』


「コイツはとにかく強いぞ。なにせ、俺でさえ手懐けるまでには全治二週間の負傷を負ったくらいだからな」


『二十日間の激戦の後、私はマスターに従うことを誓ったのだ』


「全治二週間って……嘘でしょ……?」


 悪魔の身で死神が作り出した武器を一太刀で砕くような化け物が全治二週間とは。

 だが最終的にはそのドラゴンを従えたのだ。

 やはり底が知れない。人魚はさらに距離を取り、悪魔と死神のにらみ合いを観察した。


「何が相手でも関係ない……私に見えないものなんて何もない……だから勝利すらも──見える……!!」


 先に仕掛けたのは死神。再度創造した濃密な魔力の剣だ。

 止めどなく産み出され、そして絶え間なく発射される頑丈鋭利な剣を、黒音は一切避けようとしない。

 瞳を閉じて文字通り見向きもしない黒音の前に、鋼鉄のボディを持ったフィディがガードに入った。

 防御力にかけて鋼鉄龍の右に出る者はいない。死神が創造した剣をものともせず、己の身を盾に跳ね返す。

 集中砲火を受けても、フィディのボディに傷がつくことはなかった。


「もう終わりか。だったらこっちも行くぜ。フィディ!」


 再び聴覚が麻痺するほど甲高い方向が響き渡り、夜空に紫電がつんざく。

 するていきなり空に黒雲が集い、銀翼が風を纏った。


『これは不自然よ……〈属性エレメント〉があのドラゴンには複数宿っているわ。鋼鉄龍は土属性の突然変異である鋼属性、紫電龍は雷属性……二つならまだしも、雲属性も風属性も持っていないはず……』


 契約者を含める全ての種族には、それぞれ様々な属性が振り分けられている。

 例えば人魚ならば海なので、水属性に該当する力を使える。

 だが該当する属性以外の力は使えないのが普通だ。

 フィディに該当する属性は鋼属性と雷属性の二つ。逆に言えばそれ以外の属性の力は使うことが出来ない。

 だがフィディは自分の意思で風を呼び寄せ、自分の意思で翼に風を纏わせている。

 それは間違いなく属性の力を使ったものだ。


「フィディが鋼属性と雷以外の属性の力を使ってるから混乱してるな? だったら特別にその種を教えてやる。本来該当する属性以外の属性は使えないはずなのに何故フィディには複数の属性の力が宿っているのか……俺は誰だ?」


 唐突にそんなことを言い出した黒音。それがヒントだと言うように死神の少女に目線を定めた。


『俺は誰だ、ですって……? どう言うこと……? 黒騎士……? いえ、悪魔……ま、まさか……』


「六種族の突然変異には希に、属性を持たない奴がいる。それが〈無属性の可能性ニエンテ・ポッシビリタ〉だ」


 後半から人魚の知識と理解を越えていた。

 死神の知識量を持ってしても驚愕を禁じ得ない可能性。

 無属性を持っている悪魔は後にも先にも序列一位の悪魔だけだ。

 その他の無属性の悪魔など、誰も耳にしたことはない。


「さあ、種明かしはここまでだ。フィディ、本気で行けよ。〈クアトロ・アトリビュート(・デル)・マルテッロ〉!!」


 翼に纏う烈風が、夜空に集まる黒雲が、身を包む鋼鉄の鱗が、フィディのあぎとに溜まる紫電が、一斉に放たれる。

 烈風が刃となり、黒雲が紫電を増幅させ、鋼鉄がそれをコーティングする。

 まさに鉄槌。四属性の相性が見事に噛み合っている。

 属性同士が互いに互いをカバーし合い、さらにその威力を増している。

 これは剛電龍としてのフィディの超ハイスペックと、黒音の〈無属性の可能性〉が合わさったからこそ編み出されることの出来た最高クラスの必殺技だ。

 

「ジ・エンドだ」


 立てた親指を逆さまに、黒音は背中を向けた。

 盛大な爆発の後、人魚に近寄る。

 ──刹那、異常な光景が二人と一頭の前に広がった。

 噴煙が晴れ、再び露となったその姿は、右手で攻撃を受け止めた少女の姿だ。

 微かに震える少女の手のひらからは、薄い煙が上がっていた。


「……痛い……これが攻撃……?」


「バカなッ……!?」


 死神が相手だと思って出力はほぼ最大に近かったと言うのに、相手はまったく効いていない。

 魔力の三割を持っていかれて手のひらの火傷だけとは、あまりにもお釣が合わない。


「クソ……やっぱ死神を相手にするのは無茶なのか……?」


『まだだよ黒音、アレがあるでしょ?』


「な、アレって、アレのことか? でもアレはまだ練習中で、成功した試しが……」


『あの人を信じよう。黒音に出来ないことをあの人は教えない』


「ったく……いつの間にそんなスイッチ入ったんだよ……」


 本来ならば確実性のないことはほとんど反対するアズが、自分から成功率の低い選択肢を選ぶなど。

 何かしらの糸が切れたに違いない。


「まあいい。こうなりゃ自棄だ。フィディ、崩せ」


 鋼の鱗を纏うフィディのボディが、渦巻く紫電に包まれた。

 フィディを包む紫電が薄い膜の球体となり、心臓のように膨張と収縮を繰り返す。

 高温で熱せられた油が弾けるように、紫電に包まれた繭のような表面が弾け飛ぶ。

 星の形に凝縮したボディが、その姿を露にした。


「……マスターの仰せの通り、崩しました」


 腰まで延びた麗しい銀髪と、銀髪の隙間から広がる鋼鉄の翼。

 彼女の体を包むのは腹回りを大きく露出したスーツと、太もも上までのミニスカートは軍服のようなデザインの黒い戦闘服だ。

 深く被られた黒いキャスケットのつばからは、猫のように瞳孔の鋭い薄紫色の双眸が覗いている。

 全長四メートルはあろう長大な蛇のようなドラゴンが、人形のような顔立ちの、黒音と同年代くらいの少女へと姿を変えた。

 銀髪の少女、フィディはかかとを揃え、本当に軍人のような体制で黒音の傍らに控えた。


「ドラゴンが……女の子になった……」


『これは予想外ね……人間の姿に変身するドラゴンなんて、生まれて初めて目にしたわ……』


 困惑している死神の少女に、再び黒音は不敵な笑みを向ける。


「今から行うのは凶悪な、まさに悪魔的な戦法だ。死神だからって油断するな? 本気で来ないと十秒も持たねえぞ?」


 黒音がそう告げて指を鳴らすと、フィディが黒音の隣に並ぶ。

 二人が同時に息を吸い込んだ瞬間、二人は鏡に写したようにまったく同じ構えを取った。


特殊模倣式戦術とくしゅもほうしきせんじゅつ金銀境界の矛盾デュランダル・パラドックス〉、始動」


 黒音が暗号のような言葉を並べ、フィディが黒音の動きを写したように同じ動きをする。

 黒音が両手を縦一線に突き出すと、フィディは両手横一線を突き出した。

 黒音の両手に金色のハルバード(槍に斧を刃をつけた武器)が現れ、フィディの両手にはサーベルタイガーの牙のような刃をした短剣が二本現れる。

 それぞれの武器を掴んだ腕から光が溢れ、二人の腕を肩まで包み込む。

 黒音の方は身に纏う漆黒の甲冑を黄金に染め上げたような鎧が両腕に、フィディの方は彫刻のように繊細な羽の刻印が刻まれた白銀の鎧が両腕に装着された。

 武器の召喚と一部的な変身を終えた二人は、ようやく別々の構えを取った。


「これが黄金の英雄と」


「最賢の英雄の姿です」


 この場にいる人魚と死神の少女パートナーである死神だけはそのが何なのか理解できたらしい。


「これは、最期の盟約(ラスト・レガリア)……その模倣……!?」


『……えらいものを出してきたわね……彼、何者……?』


 死神すら大いに警戒させるその構え。

 それは十年間にも渡ってすべての契約者の頂を統べってきた英雄の最期にして最強の構えだ。


『……気をつけて、落ち着いていけば勝てる相手よ』


 少女は小さく頷き、そして黒音に向き直った。


「私は死神……色欲の死神、アスモデウスの契約者……」


「俺は悪魔。序列二九位の大公爵アスタロトの契約者だ」


 互いに名乗り合い、一切目線を反らすことなく互いを見つめる。

 悪魔が死神に挑むと言うことは、猫がライオンに挑むに等しいことだ。

 死神も元は悪魔として生まれる。その悪魔の中でも逸脱した能力を持つ者だけが、悪魔の創造神に死神へと転生させられる。

 そして死神とて腐っても神様だ。創造神に新たな神として認められたその実力は、文字通り神がかっている。

 しかし、死神の契約者が未熟で、悪魔の契約者が熟練者ならば話は別だ。


「先攻は譲ってやるよ。ファーストレディってやつだ」


 黒音はフィディに金色のハルバートを投げつけ、両手を大きく広げた。


「契約者の戦いに性別なんて関係ない……でも斬り込めるなら遠慮しない……っ!!」


 ノーモーションで眼前に接近してきた少女の右拳を、黒音は右側にいなして自分の重心を軽く左に傾けた。

 そうすると、いとも簡単に黒音の右足が少女のこめかみに触れ、衝撃が加わる寸前で制止させた。

 足先から伝わる風圧が、少女の真っ白な長髪をゆらす。

 もしもっと勢いを込めていれば、少女のこめかみに必殺の蹴りがクリーンヒットしていた。

 一切の無駄がない、最低限の動きで少女の動きを封じる。


「言っただろ。本気で来ないと十秒も持たねえぞってな」


 完全に体の使い方を熟知し、重心を自由に動かしても決して崩れないバランスを成立させる身体能力。

 そして予想すらさせないノーモーションの攻撃を完全に読み切り、対応し、それを逆に利用する。

 悪魔と死神と言う、絶対に越えられない差を埋める驚異的な才能が、それを可能にした。


「これは挑発じゃない、警告だ。無益な戦いに命を費やするくらいならここは引け」


「……手加減されるのは、心外……仮に当たってても、私は無傷……」


『これ以上はダメよ、引きなさい。力の使い方を熟知していない今のままじゃ彼には勝てない』


「っ……分かった……そこまで言うなら、ここは引く……」


『賢明な判断よ。帰ってゆっくり休みましょう』


 加速してではなく、いきなりトップスピードでその場を離脱する死神の契約者。

 黒音から突然肩の力が抜け落ち、黄金の鎧が光となって消え去っていく。


「はあマジで焦った……この戦法まだ完全じゃねえんだよな……一時的だし消耗が激しいから実践には向かねえし……」


 今までの驚愕で飛び上がるほどの事実をすべてブラフに使って、死神を追い払った。

 しかもしばらくは襲ってこられないと言うオプション付きで。

 そんな嘘のような本当の話を、人魚は未だに受け入れられない。


「大丈夫だったか?」


「へ……ええ、大丈夫よ。でも、どうして助けてくれたの?」


「目の前で死なれちゃ、目覚め悪いからな。それに、俺が助けたかったんだ。だから礼はいらねえよ」


「でも、助かったのは事実だから、ありがとう」


「どういたしまして、もう誰も現れねえみてえだし、そろそろ帰るわ」


 フィディの頭の上に手を置き、右手の禍々しい剣を光の粒子に変換する。


「あ、あの、待って。助けてもらっておいて何も返せないのは心苦しいの……」


「別に見返りが欲しいわけじゃなかったんだが……そうだな、じゃあ万全な状態になるまで戦闘はするな。いいな?」


「へ、あ、はい……って、ええっ!?」


「今はいっつったからな? 何も返せないのは心苦しいんだろ? だったら命令は守れよ」


 まるでこれを狙っていたかのように口元を軽く緩める黒音に、人魚は返す言葉を失って背を向けた。


「わ、わかったわよ……じゃ、じゃあね!」


 エメラルドブルーの鱗に包まれた尾を打ち、人魚はその場を離脱した。

 残された黒音は、フィディをドラゴンの姿に戻してその背中に騎乗した。


「フィディ、家まで頼む。俺は疲れた。……精神的に」


『イエス、マイマスター。我が背で好きなだけ御休みください』


 フィディの背中で鎧を脱ぎ捨てた黒音が体重を預ける。

 鋼鉄の冷たさが興奮した精神をなだめ、眠気を誘う。

 次に目を開いた頃には、すっかり日は登り、相も変わらず遅れた目覚まし時計が鳴り響いていた。


          ◆◆◆


 黄土で外壁を固められた廃墟の建物。

 家電以外はすべてが黄土で再現された家具が並ぶそこは、黄色の夢幻。

 一人のお姫様とそれに仕える騎士のたった二人しかいない、夢の国だ。

 お姫様はブロックを並べて積み上げて出来たベッドの上に寝転がり、埃をかぶったカビ臭い掛け布団にくるまって規則正しい寝息を繰り返す。

 みすぼらしい、と言うより可哀想なほどの姿に落ちぶれているお姫様の元に、コンビニのビニール袋を片手に帰って来た騎士が、今にも崩れてしまいそうな廃墟の部屋へと入って来た。


「買い出しに行って来たぞ」


「あらぁ、お帰りなさぁい。もうお腹と背中がくっつきそうですよぉ」


 カビ臭い掛け布団を押し退け、段ボールすら惹いていないブロックのベッドから体を起こしたお姫様が、ビニール袋の中に手を突っ込んだ。

 目当てのものを見つけると、それを手に再びブロックのベッドに寝転がった。


「いただきまぁす」


 お姫様にはあまりにも似つかわしくない、おにぎりと野菜ジュースの組み合わせ。

 だがお姫様は嫌な顔一つせずに、むしろ嬉しそうにそれを食べ進めた。


「そろそろ働いたらどうだ? お前が働けば、一日二日でマンションの最上階に住むのも夢じゃないはずだぞ?」


「誰かと関わるのは嫌なんですぅ。私は最低限の設備と雨風防げる場所ならどこでもいいんですぅ」


 野菜ジュースのパックから「ズズ……」と空になった音が響くと、お姫様は残りのおにぎりを口に押し込み、その場から立ち上がる。


「でもぉ……そろそろ水風呂じゃなくて暖かいお湯が浴びたいですねぇ」


「……では動くのだな?」


「はぁい、そろそろ行きましょうかぁ。契約者狩りにぃ♪」


 みすぼらしいお姫様は、一瞬の間を置いて黄土色の輝きに包まれる。

 砂埃をかぶった髪は蜂蜜色に輝き、薄汚れたパーカーのジャケット一枚の体を、黄金の刺繍が施された白いドレスが包み込む。

 頭に銀色のティアラが現れると、正真正銘のお姫様となった少女は己の意識の中だけに存在する実体のない騎士とともに、黄土の廃墟を後にした。


「……では、まず最初はどなたからにいたしますの?」


 先ほどのまったりとした雰囲気は面影もなく、高貴なお嬢様と言った雰囲気に変わった少女は、形のない騎士へと問いかける。


『最近、名を挙げている契約者が一人いる。黒騎士と言う男だ』


「黒騎士、ですの……? 面白いですわ。いいでしょう、まず最初の獲物は、黒騎士にいたしますわ」


 薄い金色の翼を背中に生やし、少女は踏み出す形で上空に飛翔する。


「アザゼル……〈黄土の絆狩り〉の復活ですわ」


 残像を残して消える少女のいた場所に、淡い光を帯びた黄色の羽が舞い降りた。


          ◆◆◆


 昼の屋上、唯一の時間だけは誰にも侵害されることのない、ただ一人(本当はもう一人いるが)の空間だ。

 菓子パンとブラックコーヒーの缶を手に、黒音は日差しを浴びて日々の疲れを癒す。


「本当にここは誰も入ってこねえな」


「だから私も堂々と姿を現せるんだよね」


 いつもは実体を持たず、幽霊のような姿をして誰の目にも留まらないアズだが、ここにいる間だけは本来の姿で、実体を持つことが出来る。

 一日の間で地面に足をつけるのは昼休みの、屋上にいる時間だけだ。


「マジで落ち着くわ……このまま時間を忘れて昼寝したいくらい……」


「分かるわ。私も生徒会の仕事の合間を縫ってしかここに来れないのよね」


 ……本来聞こえるはずのない、アズとは別の声。

 焦って瞳を開くと、そこには既にアズの姿はなく、実体のない霊体の姿に戻っていた。

 黒音の目の前にいるのは、日の光を浴びて明るい朱色に光るセミロングヘアの少女。

 桜の花びらのような薄ピンクの唇に、目の下に影を作るほど長いまつげ。

 長い足を折り、膝を抱えて隣に座る少女は、どこからともなくチョココロネとコーヒー牛乳を取り出した。


「えっと……誰?」


「私? 私は赤嶺あかみね ほむらって言うの。そう言うアナタは?」


「俺は未愛 黒音だ。ってか、ここって鍵がないとこれない場所だよな?」


「うん、私って生徒会役員だからどこの鍵でも自由に使えちゃうのよね〜」


 またどこからともなく取り出した数本の鍵をもてあそびつつ、焰はチョココロネをかじる。


「アナタは生徒会じゃないのに鍵を持ってるのはどうして?」


「担任の先生に一人になれる場所をくださいって言ったんだ。毎日毎日視線を感じるからな」


「ふ〜ん……まあそのルックスじゃそうでしょうね」


 意味深な言い回しをする焔に、黒音はどこか他意を感じた。


「それどう言う意味だ?」


「わお、無自覚タイプなのね。女子に囲まれて男子に恨まれるタイプなのね」


「まあ確かに数人の男子から恨めしそうな目線で見られたことはあるが……」


 少し考えればその原因は分かりそうなものなのだが、天然鈍感な黒音にそれを求めること自体が間違っていると言える。


「一人でいたいのに私がいちゃ邪魔かしら?」


「意地悪な聞き方するなよ。でも一人くらいなら構わねえさ。それに赤嶺ってうるさそうじゃないし」


「あらうれしい。今度生徒会に遊びに来て。歓迎するわ」


「生徒会って何か堅苦しいイメージしかねえんだけど」


「そう思うでしょ? それがそうでもないのよ。お菓子も出るし紅茶は日替わりだし」


「そっか、じゃあ暇があればお邪魔するよ。暇があればって、暇しかねえんだけだな」


「私も、生徒会と言っても週に一回だから、他の日は大体皆集まってお菓子食べに来てるみたいなものだし」


 不思議と互いに馬があった。

 下手に干渉されるのは嫌いで、暇を持て余していて、わいわい騒ぐよりも少数で楽しみたい。

 そして友達といるよりも、一人いる方が喜楽だ。


「じゃあ私、生徒会の皆を待たせてるからもう行くわね」


「ああ、またな赤嶺」


「焔でいいわよ。黒騎士の黒音君♪」


「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」


 最後に特大の爆弾を落とし、焰は意地悪っぽく微笑んで屋上の扉に消えていった。

 残された黒音とアズは、体中に脂汗を滲ませて屋上の壁に身を預けた。


「あ、アイツが白騎士だったのか……」


『まったく反応を感じなかったよ……』


 あのアズでさえ一切反応を感知させない卓越したステルス能力。

 そして屋上から立ち去るときに一瞬だけ見せつけられた絶大と言っても生温い聖力。

 肩が触れるほどの真隣にいても感じず、しかしいざ解放されると身が焦げるほどの威圧感がある。


『黒音、分かってるよね? あれに勝たなきゃ……』


「ああ分かってるさ。あれに勝たなきゃ、魔王には届かない」


 黒音は開戦時に見せつけられた力が取るに足らないものだと思い知らされ、改めて自分の弱さに気づく。

 焔はもっと上の段階にいる。今の自分では絶対に到達出来ないような、破格の領域に。

 しかしそれは魔王よりも下。

 すべての契約者の頂点に立つ魔王に勝つ為には、焔のレベルで怖じ気づいていてはダメなのだ。


「……今晩もやるぞ」


『無茶だけはしないでね……』


 黒音の右手に宿る薄暗い魔力の結晶が、日の光を通して濃い紫色に輝いた。


          ◆◆◆


 空がオレンジ色に染め上げられた放課後の帰り道。

 実に三日ぶりに黒音と梓乃は帰りをともにしていた。

 相変わらずテンションの高い梓乃に引きずられ、食べ歩きしつつアクセサリーショップなどをはしごする。


「……ほんとよく食べるな」


 先ほどからパフェ、クレープ、苺大福、カップアイスと、際限なくブラックホール並みの胃袋に収めていく梓乃。

 黒音は梓乃のお財布事情よりも、梓乃の胃袋加減が心配でならなかった。


「女の子の胃袋は甘いものはいくらでも入るように出来てるんだよ」


「……何故だか全っ然羨ましくねえな」


 そんな胃袋になってしまったら懐が冷えて仕方がない。


「そう言えばさ、最近エリちゃんが未愛君とばかり帰るから寂しくてさ、今日は一緒に帰れてよかったよ」


「悪いな、海里華とは幼なじみだから、久しぶりに再会して話が弾んでたんだよ」


「ふぇえっ!? そんな話聞いたことないよっ!?」


 そう言えば海里華と梓乃は教室が別だし、ここ最近はずっと海里華と帰っていたせいで梓乃に情報が回っていなかったのだろう。


「五年以上の付き合いらし──じゃなくて、付き合いなんだ」


「そっか、じゃあ愛称とかあるの?」


「あ、愛称? 流石にそんなんまでは、まだ知らねえけど……エリ、とか?」


「わう! ほんとに幼なじみだね!」


 ……何だろう、この胸中に広がる何とも言えない感覚は。

 これが罪悪感と言うものか、今回は一際大きい気がする。


「……ねえ未愛君、私の友達の話なんだけどさ。私の友達が知らないうちに他の友達のことを傷つけてたんだ。もし私の友達が傷つけちゃった友達に助けを求めたら、未愛君が傷つけられた側ならどうする?」


 突然そんなことを聞き出した梓乃の瞳は、夕日に当てられてかいつもよりも潤んでいるように見えた。


「そう、だな……俺なら助ける、かな。どれだけ傷つけられても、俺は必ずそこにわけがあると信じる」


「そっか……えへへ……さすが未愛君だね」


 そもそも黒音が鈍感なのは色恋沙汰だけではない。戦闘での直感力や判断力以外は大体鈍感だ。

 だが梓乃の様子がどこかおかしい。それだけは鈍感な黒音にも用意に理解できた。


「緑那、もし緑那がその子のことを傷つけたとしても、その子は助けてくれると思うぞ?」


「っ……どうしてわかっちゃったのかな……」


 分かるもなにも、黒音はそれを嫌と言うほど経験してきた。

 殺してしまった相手が友達の友達などざらにあったのだ。

 憎まれていない契約者など存在しない。それに比べれば、友達同士のいざこざなど屁でもない。


「大丈夫だ。土下座してでも謝れば許してくれるさ。ほれ、甘いモンでも食べて元気だせ」


 チョコレートソースでデコレーションされたソフトクリームを、梓乃の鼻元まで持っていく。

 梓乃は鼻をすんすんと鳴らした後、ソフトクリームを唇でついばんだ。

 やっと少し笑みを取り戻した梓乃。

 しかし黒音は知らない。梓乃が悩んでいることの次元は、本当に人の命に関わることだなどと。


          ◆◆◆


 開戦三日目の夜。決しておかしいことではないが、契約者の集まりが非常に悪くなってきた。

 二日目にして半分の人数しか現れなかったが、三日目の今日は死神の少女すら現れず、黒音しかいなかった。


「あの子も少しは懲りたみたいだな」


『でも多分またすぐ来るよ。ハッタリだってバレてたらもっと早く来るかも……』


「だったら俺も、そろそろ本気にならねえとな」


『あ、反応アリだよ。あれは……』


 黒音の視線の先には、相も変わらずエメラルドブルーの尾を打って空を泳ぎ回る人魚の姿があった。

 あれほど完全になるまでは戦うなと言っておいたのに。

 死神にハッタリをかましてまで──


「アイツ……もう完全に回復してやがる……」


『呆れるほどの治癒速度だね』


「アイツが素直に引き下がったのはこの治癒速度があったからか」


 アズと一体化し、黒音の身を漆黒の甲冑が包み込む。

 黒い翼を打ち、町の中心で制止する人魚の元へと駆けた。


「よう、性懲りもなくまた殺られに来たのか?」


「アンタは……よくも私に謹慎下してくれたわね」


「おかげで野垂れ死にしなくて済んだだろ」


 黙っていれば言葉を失うほどの美しさなのに、眉間に寄せられたシワがそれを台無しにしていた。

 黒音も黒音でそれを逆撫でするように煽っている。


「その減らず口……私の幼馴染みにそっくりね」


「奇遇だな。俺の近くにもお前みたいに素直じゃねえ女がいる」


 互いに見つめ合い、そして頬が痙攣する。


『まさかと思うけど……』


 二人の声が見事に揃う。一番想像したくなかったことだが。

 思えば互いに薄々気づいていた。


「お前、海里華なのか?」


「アンタ、黒音なの?」


 また二人の声が揃った。

 海のようにウェーブを描く髪も、つり上がった目元も、若干印象は変わっているが、細部は変わっていない。

 人を小バカにした態度も、変な所で強情な所も、そして危険から守ってくれた時も、全てが似ている。


「やっぱりか。通りで頑固な奴だと思った」


「私もよ。死神に喧嘩売る悪魔なんて、アンタしか思い付かないわ」


 黒音は甲冑のフルヘルムを外すと同時に、フィディを呼び出した。

 自分で空を飛ぶ代わりに、フィディの背中に騎乗する。


「アンタ、翼なしじゃ空飛べないのね」


「悪いかよ。オメェだってその尾っぽで飛んでんだろうが」


 尾自体に浮力や推進力があるようで、重力や体重に変化はないようだ。


「……アンタ、どうして契約なんかしたの?」


「半分は記憶を取り戻す為。もう半分は──記憶をもっていた頃の俺が憎んでいたであろう魔王への復讐」


「魔王って……あの魔王?」


「そう、チーム〈tutelary(守護者)〉が忠誠を誓ってるあの魔王だ」


 迷いもなくそう言いきった黒音に、海里華はついに言葉を失った。


「あ──あ、あのね、アンタ、バカなの? 相手が悪すぎるわ」


「でも俺の記憶を取り戻す為には俺が辿るであろう道を辿っていくしかないんだ。だから俺は毎晩契約者と戦闘することで実力を磨いてたんだよ」


「だからって、魔王はダメよ……契約者の頂点よ? あの英雄が表舞台を降りたのも魔王のせいだって聞くじゃない……」


「違うね。英雄が身を引いたのは十年っつう切りのいい数字だったからだ」


 ──なあリズ、あんたは何で英雄を降りたんだ? あんたの実力なら永遠に頂点を占められたはずだぞ──


 ──もう疲れたのさ。謳われることに。それに今は私達英雄を語り継いで新たな最強がいる。私達old girl(老いぼれ)がいつまでもでしゃばっちゃ若者が伸びねえだろ──


「あの人達は魔王に負けたんじゃない。新たな世代に預けたのさ。自分達の栄光に負けないくらいの革命を起こす契約者にな。現に英雄には弟子がいる」


「そんな低すぎる可能性に、魔王を倒すことを懸けたの?」


 自分達ですら勝てないかもしれない相手に、それよりも弱い弟子を戦わせるなど。

 無駄死には必須だ。だが黒音は首を横に振る。


「低くはないさ。チーム〈tutelary〉を含める四大チームは英雄に引けをとらないくらい強い」


「でも魔王には敵わないんでしょう? だから〈tutelary〉も魔王に下ったのよ……」


「海里華、悲観しすぎだ。魔王だって不死身じゃない。それに、魔王は俺が潰す」


 その役目は誰にも譲らない。それしか進む道がないのだから。


「じゃあ、アンタは今何人の契約者とチームを組んでるの?」


「へ、え? チーム?」


「そうよ、全六種族が一人ずつ、計六人で構成されるチームのことよ。まさか、魔王に挑むのに一人で行く気?」


「そ、そんなわけねえだろうよ」


 ──ああやべえ、完全に一人で行く気だったぞ……

 よくよく考えれば魔王とぶつかる前に〈tutelary〉と戦わなくちゃなんねえんだったな。

 契約者の世界に名を轟かせる四大チームの一つの面子を全員抜きなんざ土台無理な話だ。

 でも仮にチームを組んだとしても、その中の一人は絶対に相手しなくちゃならない。

 絶対にアンフェアな状態で挑むなら組もうが組ままいが大差はない。

 ──だが、六人抜きするより一人を相手するだけの方が負担が減るのは明白だ。


「だ、だったらお前が俺のチームに入るのか?」


「へ? 私が、アンタのチームに?」


 この場から逃れる為に、不意に出た言葉。

 これで海里華が拒めばこの場から逃げることができる、はずだ。


「やっぱ嫌だろ。再会してみれば記憶を失ってる上に人を手にかける契約者になってんだからな」


「……悲観してるのはアンタの方よ。いいわ、私が女神として、アンタのチームに入ったげる」


「ま、マジでか? 言っとくが俺は絶対に勝てない相手にも平気で挑む命知らずだし、ま、守れなくなったら見捨てるかもしれないんだぞ?」


 もし自分と一緒にいれば本当に傷ついてしまう。

 ただでさえ契約者と言うことで他の契約者に命を狙われるかもしれないのに、自分といればさらにその狙いが集まるだろう。

 なにせ黒騎士と言う名は自他ともに認めるほど結構有名な通り名なのだから。

 だから自分と仲良くなった友達は皆殺された。他の契約者の手によって。


「いいわ、アンタの重荷になるくらいなら捨ててくれて大いに結構。むしろ本望よ。それに、守れなくなったら──守れる間は守ってくれるみたいな口ぶりじゃない」


「あ、揚げ足をとるなよ……もう一つ言っとくが、俺の通り名はただの別名じゃない。黒騎士ってのは、たまに一般人からも目撃されて都市伝説になってるくらい有名だからな?」


「アンタよく今まで生きてこれたわね……契約者に見つかるならまだしも一般人までって……」


 普通の契約者なら他の契約者から狙われない為に自分の契約者としての情報を意地からでも隠し通すものだ。

 しかし黒音は隠す所か公表しているようにさえ取れる。


「だって俺強いし。そも俺は今以上に強くなる為に契約者と戦ってるんだからな」


「さらっと言い切ったわね……突き抜けるほどの自信ね」


「当たり前だ。俺は金色の後継者だからな」


「金色の、後継者……?」


「あー……あんま気にすんな。それより、俺は警告したからな? これからお前がどうなろうが俺の守備範囲外だぞ?」


「わかってるわよ。自分の身一つ守れなくて契約者なんてやってらんないわよ」


 海里華はフィディの背中、黒音の後ろに騎乗すると、エメラルドブルーの尾をピチピチと跳ねさせて黒音の背中に体重を預けた。


「あぁ疲れた。さあ、出して」


「出して、じゃねえよ。フィディは運送車じゃねえぞ」


「当たり前よ。運送龍・・・でしょ」


『……………………』


 こうして黒音とフィディは言葉を失う。

 女性に口論で勝とうとするのが間違いなのか、それともこのレベルの口論に付き合っている自体が間違いなのか。

 黒音は腕に抱えていた甲冑のヘルメットを再びかぶり、フィディに命令を飛ばした。


(……果たして、こんなお転婆娘を仲間にして本当に大丈夫なんだろうか……)


 黒音は一周回って自分に呆れ始めた。

 だがこの時はまだ知るよしもなかった。

 そう遠くない未来に、彼女が女神の(goddess )(of)の女神( goddess)と呼ばれるようになることを。

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