第五話『Despair phoenix』
焔との再戦まで残り五日を切った。
海里華との決闘でそうとう体に負担をかけてしまった為、残りは体を休めることだけに集中しなければならない。
そして相も変わらず学校の屋上にて。
「本っ当にごめんなさいっ!」
「もういいって。別に誰かが死んだわけじゃねえんだし」
決闘を経て、ザンナやレーヴァテインを傷つけてしまったことを土下座で謝る海里華。
だが黒音は、海里華の行動に何一つとして不満は持っていなかった。
「むしろ俺は今までずっと顔を見せなかったことを謝ってほしいぜ」
「ほんとだよ! エリちゃんがいなくて寂しかったんだよ?」
「ごめんなさいね、ずっと調整をしていたものだから」
「なあお前さ、確か〈Stairsr〉を滅ぼしたっつったよな。一体何でなんだ?」
「あの時はまだ幼くて力の使い方が分からなかったのよ。アクアスがどれだけ絶大な力を持っているか、私は知らなかった」
初めて車を運転する者が、力加減が分からずいきなりアクセルを全快に踏むようなものだ。
ほんの少し攻撃しようとして、気がつけば目の前で六人もの人が死んでいた。
その過ちから海里華は自分の力のほとんどを封印しようと決意したのだ。
「じゃあ何でまたその力を解放しようと?」
「私のお姉様が……〈soul brothers〉の女神が直々にアンタ達のチームを潰しに行くって宣言してきたから」
「なっ、和真達が!?」
荒っぽい性格をしているが、和真は決して悪い奴ではない。
その和真が、黒音達を壊滅させる?
いつ自分達はならず者達の怒りを買ってしまったのか。
「私には双子の姉がいるの……その人は私のせいで契約者になり、今まで数え切れないほどの命を奪ってきた……」
黒音が退院する前日、遥香と戦った日の昼頃だ。
海里華はその反応をキャッチしていた。
「……これは……黒音、私ちょっと外れるわね」
「どうした? 過保護な親父にでも呼ばれたか?」
「ん、そんなとこ。悪いわね。梓乃、漓斗、後のことは……頼んだわね」
「ええ、承りましたぁ、けどぉ……」
怪訝そうな表情の漓斗に見送られながら、海里華は病室を後にした。
「あら、来てくれたのね、私の片割れ」
海里華が訪れたのは病院の駐車場。
海里華が誘われるように進んでいった車の影に隠れていたのは、海里華と瓜二つの女性。
「お姉様がお呼びになられましたから……」
病室でキャッチしたのは、聖力の波動。
同じ女神だけが感知することの出来る超音波のようなものだ。
海里華はそれを感知してここまで来た。
「……戦いに来たんですか?」
「いいえ、今日は挨拶に来ただけよ。私のリーダーが貴女のチームリーダーをえらく気に入ったようでね」
「お姉様の所属しているチーム……?」
「ええ、私が所属しているのは〈soul brothers〉よ。そこで情報員と女神をやってるわ」
二人の首に下げられているのは、陰陽太極図のマークを半分にしたような勾玉のペンダント。
海里華は白で、その片割れは黒をしている。
「まだ私を恨んでおられるのですか?」
「恨む? まさか……むしろ感謝してるわ。貴女が私のすべてを否定してくれたおかげで、私はこの子と出会うことが出来た」
片割れの隣にいるのは、アクアスとまったく同じ姿をした女神。
だがこちらの方がアクアスよりも少し大人びている。
「近々、私のチームが貴女のチームを潰しに来るわ。その時は皆の目の前で、貴女のことを辱しめてあげる。じゃあね」
「海深華……お姉様……」
海里華が封印していた力を解放しようとしたのは、遠くないうちに現れる〈soul brothers〉との決戦の為だ。
そしてもう一つは、大切な姉を取り戻す為。
自分のせいで変わり果ててしまった姉を元に戻す為だ。
「私はお姉様に勝たなくちゃならない。それが私の願いを叶えることに直結するから」
「それってさ……逆恨みじゃね?」
「あちゃあ……それ言っちゃうかあ……」
頭を抱える焔に、苦笑する梓乃。
それにその光景を面白おかしくと言った様子で眺める漓斗。
そして遥香はどこ吹く風と言った様子で海里華の作った弁当を頬張っていた。
「自分よりも妹の方が秀でてたから? 私なんて私なんてってか? そんなの努力してねえだけだろうが。妹が自分より秀でてたから契約者になって暴力に訴える。子供か」
「……ぷっ……くす……あははっ!」
一周しておかしくなってきた。
海里華は腹を抱えてのたうち回る。
「やっぱアンタは昔から変わってないわ。そうその通り。お姉様は子供みたいに私を逆恨みしてる。だから私はお姉様を一発殴って目を覚まさせてあげるの」
「その調子だ海里華。あんま重く考えるな。自分のせいじゃねえんだからな」
黒音は久しぶりに見る海里華の笑顔を眺め、ほとんど無意識で頭に手をおいていた。
「な、あぅ、い、いきなり、撫でないでよっ」
「あ、悪い。ついいつもの癖で……」
黒音の手が離れたことで急に寂しくなり、海里華はすぐに黒音の手を自分で頭におく。
「べ、別に撫でるなとは言ってないわよ……」
「やっぱ海里華の髪はさらさらしてて気持ちいいな」
「んっ……ふぁ……これ、久しぶり……♪」
何年か前も、お嬢様だからと海里華をよく思わない同級生にいじめられた時、黒音が頭を撫でて慰めてくれた。
だが本人はその記憶をすべて失っているのだ。
「ねえ黒音……私はアンタのこと、ちゃんと支えられてる?」
「何をバカなこと。お前がいなきゃこうして六人集まることもなかったんだ。感謝こそすれ、役立たずなんて思ったこと一度もないぞ」
「そっか……ふふ……そうよね、なんたって私は海の女神なんだから!」
いつものお嬢様モードが戻り、ツインテールをなびかせて平らな胸を張る海里華。
遥香はそんな海里華を一目見て、すぐに昼寝に入った。
「レーヴァテイン、調子はどうだ?」
『あれから変わりはありません。ザンナさんの方もとくに変わりはないようです』
「そうか。ところで……」
「どうせ私なんて……どうせ……はあ……」
「お前はいつまで落ち込んでるんだ?」
主の大切な決闘の時、何もすることが出来なかったフィディは、ザンナ達が修復された後もずっと落ち込んでいた。
白い肌に銀髪の為、余計にフィディの影が白く見える。
「属性ってのがあるなら相性ってモンがあるのは当然だ。たまたまお前と海里華の相性が悪かったんだよ」
「マスターには分かりません……大切な方の窮地を、ただ黙って見ていることしか出来ない者の気持ちなど……」
マスターに呼び出されても、依然変わらず膝を抱えて落ち込むフィディ。
そんなフィディの姿をうっすらと開いた目で眺めていた遥香が、黙って巨大化したヴィオレをけしかけた。
「っ……〈白銀の巨壁〉!」
どこからともなく現れた鋼の防御壁が、ヴィオレの鉤爪をいとも簡単に防ぎ切った。
ヴィオレは壁とぶつかった衝撃で爪が割れ、少し涙目になっている。
「あなたは強い。それこそ、ヴィオレを簡単に防ぎ怯ませるくらい。期待に応えられなかったり、主の足を引っ張っても、それは恥じゃない。大切なのは失敗から学ぶこと。むしろ私はいつまでも鬱ぎ込んでる方が主に迷惑をかけてると思う」
「遥香、案外やるな……」
「……実際の所、ヴィオレの爪を犠牲にしたんだからいつまでもウジウジしてるなってだけ。見苦しいから」
……今一瞬、漓斗よりもエグい遥香の影を見た気がする。
「やはりここか。おいお前ら」
「あ、ご主人様。どうしたの?」
昼ご飯を終え、各自自由にくつろぐ中、柊がいきなり屋上へと訪れた。
それにどこか焦っているようにも見える。
「今回用があるのはお前だ、紅嶺」
「へ、私ですか? 黒音君や、遥香じゃなく?」
「何でもお前の弟とか言う奴だ。契約者ってことを隠す気がまったくないみたいに魔力を駄々漏れさせてるし、他にも五人くらいぞろぞろ仲間を連れて──紅嶺、おい聞いてるのか?」
焔の弟を名乗る契約者が焔に会いに来たと言うことまではわかった。
だがそれを理解するよりも先に、焔が気を失ったことに皆の意識が集中する。
「おい焔、どうしたんだよ!?」
漓斗に倒れ込んだ焔に駆け寄り、必死に呼び掛ける四人。
その中で梓乃は、一人その原因を知っている為、焔の過去を語り始める。
「ほむちゃんはね、昔お兄さんが起こした殺人事件のせいで兄妹がバラバラになっちゃったの……」
「お兄さんって、紅嶺 白夜のことか。アイツが殺人事件……?」
「ほむちゃんのお兄さんが両親を殺したせいで……お兄さんの行方は誰も知らず、気づけば〈tutelary〉のリーダーに。でも弟の茜君は行方不明らしいんだ」
「だから弟って言葉を聞いて気絶したのか……」
「ワケ有りみたいだな。弟は私が何とか言って帰すから、誰か紅嶺を家に連れてってやれ」
「俺が連れてく。梓乃、転移魔方陣を頼む」
この中で焔の自宅を知っているのは梓乃だけだ。
だがどうしても、自分が焔に付き添いたかった。
「じゃあほむちゃんの家の中に直接繋ぐね」
黒音はぐったりとした焔を背負い、梓乃が展開した緑色の転移魔方陣を潜った。
「私達は教室に戻りましょう。大人数で行ったとこでどうにもなんないんだから」
「では私は少し用事を済ませてからまた戻ってきますわ。海里華さん、メールで黒音さんに伝えてくださいな。放課後また屋上にいらっしゃってくださいと」
いつの間にか変身していた漓斗が、そう言いながら自ら転移魔方陣を展開した。
「ええ、でもどうして?」
「骨は拾ってくださいな。ではごきげんよう」
会えてどうしてかは言わず、漓斗は屋上を後にした。
「……ここが焔の家か。マンションなんだな」
女の子の家に許可なく侵入すると言うのは少し罪悪感があるが、これはあくまで救命行為だ。
黒音は焔をベッドの上に乗せ、冷蔵庫に向かった。
「焔の奴、ウリエルに全部任せっきりで自分で料理してないな……?」
冷蔵庫にあるのは栄養ドリンクや既製品のみ。
お粥でも作ってやろうかと思ったが、これでは卵かけご飯すら出来やしない。
『すみません、黒音さん……私がやればよいのですが……』
「いいさ、こんな時くらい付き添ってやれ。ご飯とか片付けとかは俺らがやるから」
フィディ、レオ、サンティを護衛として焔の家に残し、黒音はザンナとレーヴァテインを連れて食材を買いにマンションを後にした。
「黒音……焔は大丈夫……?」
「気絶しただけ……そう思いたいが、なあ知ってるか? 四大勢力の契約者の中に"アカネ"って名前の奴がいるって」
『アカネ……焔さんの弟さんと同じ名前ですね』
「でも俺が知ってる限り、深影のいる〈tutelary〉や和真の〈soul brothers〉にはそんな名前の奴はいない」
「〈strongestr〉は有名すぎて六人全員の顔が割れてる……しかもその中には男が一人もいない」
"アカネ"と言う存在が仮に焔の弟と同一人物だとしても、この中にいないことは確かだ。
つまり残されているのは、素性が一切不明のチーム。
〈戦力段階〉が代名詞の、絶望の名を掲げる〈Despair phoenix〉だ。
「ただの一人も情報がない謎のチームだ。なのにいつの間にか四大勢力の一角として認められてる」
「裏で根回ししているんでしょう。四大勢力の一角として認められる方法など、弱い契約者を脅して宣伝させればいいだけです。四大勢力の中に四大勢力の名にこだわりを持つ者はほぼいませんから」
「確かに、俺らが四大勢力よりも強いとか大ボラ吹けば俺らの名は知れ渡り、一角のどっかに勝利したとでも言えば四大勢力は一瞬で五大勢力に改名されるだろ」
だがそれだけでは謳われることはない。
英雄が英雄と謳われるのは、十年間も契約者の頂点に君臨し続けたから。
〈tutelary〉が守護者と謳われるのは、魔王が直々に選び集めた直属の精鋭だから。
〈soul brothers〉がならず者と謳われるのは、誰彼構わず喧嘩を売りまくって悪名を積み上げたから。
〈strongestr〉が四大勢力の頂点と謳われるのは、個々の面子が契約しているパートナーが別次元の大物だから。
〈Despair phoenix〉は誰もが素性不明なのに、謳われる。
Despairを司るphoenixと。
「しかも柊先生は他に五人くらいを連れてると言った。アカネを含めて残り五人、計六人。それって一つのチームの人数だろ」
「では……焔さんの弟は〈Despair phoenix〉のリーダー……?」
「まだ分からねえが、恐らくは……兄貴は〈tutelary〉のリーダーに、弟は〈Despair phoenix〉のリーダーか……とんでもねえ契約者兄弟だな」
黒音達は四大チームすべてを下し、英雄を越えると言う目標を掲げている。
いずれは白夜や"アカネ"とも戦わなければならないのだ。
「こんなモンでいいか。じゃあ戻るか」
「あ、黒音……電話鳴ってる」
「誰だ……海里華か。おう、どうした?」
レジを済ませている間に、海里華から着信があった。
黒音は財布を弄りながら海里華の電話に応じた。
『大変、大変なのっ!』
「だからどうしたんだよ?」
『アンタが焔を連れて早退した後、漓斗にね、アンタに放課後また屋上に来てって伝えてくれって言われたんだけど……』
「ああ、そう言えば何か変身してたな。それがどうしたんだ?」
『あの後心配になって漓斗の空間転移魔方陣の残留を分析したら、アイツ一人で焔に会いに来たって弟のとこに行ったみたいなの!』
「なにっ……!? おい何で引き留めなかった!? 焔の弟は〈Despair phoenix〉のリーダーかも知れねえんだぞ!?」
『何ですって、〈Despair phoenix〉の……リーダー……!?』
「漓斗の零力残留、何としても繋ぎ止めとけ! 今からそっちに行く!」
買い物かごをザンナに押し付け、黒音はレーヴァテインとともにスーパーを後にした。
「間に合ってくれッ……」
多数の人が行き交う歩道のど真ん中で、転移魔方陣を展開するわけにもいかない。
焔のことはウリエルやフィディ達が看ているから問題はないと思うが、今は一刻も早く学校に戻らなくてはならない。
「済まないが、焔は今日体調を崩して欠席してる。だからお引き取り──」
「今日ではなく、今さっき崩したのでは? ふふ……姉さんは親族に対してだけ対人恐怖症を発症しますからね」
緋色の髪に、焔と同じ紅の瞳。
知的な雰囲気の青年は、回りに集まる女子生徒一人一人に笑顔を振り撒き、その度に青年の後ろにいる少女は溜め息をついていた。
「ボス……目的の人物はいないようですし、ここは一度改めてはどうでしょう?」
「そうですねえ……では伝言を頼めますか?」
「ああ、それくらいなら」
「When a black knight wakes,We begin to move,And we dominate the top,The last sacrifice is an older sister」
流暢な英語で、青年は柊にそう告げた。
それは一般人にも、他の契約者にも聞かれてはならないこと。
目を見開いて絶句する柊は、その言葉の真意を理解し、黒音と言う存在に畏怖を抱いた。
「それとこれは報告です。黒騎士が限界を越えましたよ。それではまた、羅刹の雪花さん」
女子生徒に惜しまれながら、青年はその場から去り──
「少しお時間を頂けます?」
生徒達の波を掻き分け、その場に現れたのは純白のドレスに身を包む女性。
そのわがままボディに、その場にいた男子全員が血走った目のまま卒倒した。
「あら、貴女はここの生徒さんですか?」
「わざとらしい……まあ構いませんわ。お時間よろしくて?」
「ええ、構いませんよ。でも場所を変えましょう。僕達が話をするのに、この場所は騒がしい」
校庭に出て、生徒の目が届かない死角へと入ると、漓斗を含めた七人の男女は転移魔方陣を潜ってその場所から消えた。
「光栄ですね、絆狩りと恐れられる貴女をお目にかかれるなんて」
「本題に入る前に言っておきます。私は貴方が嫌いですわ」
「おや、いきなり手厳しいですね。僕が貴女に何かしてしまいましたか?」
「その虚ろな目……その目を見る度、昔の自分を見ているようで虫酸が走りますわ」
七人が訪れたのは、使われていない空き教室。
赤毛の青年を除き、後ろに控えていた五人の少女はそれぞれ自由にくつろぎ始めた。
「わざわざ一般人の目も憚らず僕達に会いに来たと言うことは、それ相応の目的と覚悟があってのことですよね」
「ええ、私は黄境 漓斗。まずは貴方方のお名前をお聞きしても?」
「一応僕達は謎の存在として通っているのであまり名乗るのはよろしくないんですが……まあいいでしょう。チームメートに教えるくらいならいいですけど、その他の方に言い触らすのは控えてくださいね」
「意味がありませんし、他の契約者とは関わりがありません」
漓斗は確信していた。
この男と、回りにいるチームメートは誰一人として、自分に手を出すことはないと。
明らかに警戒心が無さすぎる。
それが漓斗に対して、無言の侮辱となるから。
"お前なんて警戒するに値しないんだよ"と。
「では、僕は紅嶺 茜と申します。我ら〈Despair phoenix〉のリーダーをやらせてもらってます」
「私はウェネーヌム・S・ラルアです。副長を務めています」
ワインレッドの長い髪を一束にしている少女が、茜の次に名を名乗る。
その少女が少し近づいただけで、嫌悪感を感じるほどの甘い香りが漓斗の鼻孔を刺した。
それは言われるまでもなく、すぐに分かった。
あらゆる生物を惹き付け、それらを侵食する猛毒の匂いだ。
「この子の匂いが気に入りませんか。すみませんね、ラルアは何百種類もの毒を扱う毒人間ですので、鼻を突くような毒の臭いが少しばかり漏れてしまうんです」
「香水代わりにとクロロホルムを少し……お気に召しませんでしたか」
(クロロホルムと言えば、全身麻酔薬……安全域と致死量の間が狭い上、肝臓にも有害性があり麻酔薬としてはもう使われることがなくなったもの……不味いですわ……扉を締め切った教室で長時間この臭いを嗅ぎ続ければ……)
昏睡状態に陥ることはないだろうが、一度意識を失えば覚めにくいものだ。
「私はベネティカ。ベネティカ・スレイプニル。多分一回だけ顔を合わせたんじゃない?」
「まさか……あの時馬の神機に跨がっていた堕天使……」
「せーかい。私これでも情報集め任されてんだよね」
パートナーと一体化もしていないのに、すでに体に鎧を纏っている少女。
この少女はラルアとは異なり、有毒性の匂いではなくのし掛かるプレッシャーの重さで分かる。
まるで歴戦の猛者と対峙しているような威圧感を感じる。
「この子はジョストの選手でしてね、優勝経験もある優秀な子なんですよ。幼い頃から馬と一緒に育ったそうです」
「もし万が一、私らと戦うことになるとすれば、あなたの相手は私だね」
(一見童顔の可愛らしい少女かと思いきや、正面に対峙して分かる……屈強な大男を目の前にしたような威圧感……ただの錯覚ではありませんわ)
「ホルン・ギルバトス。ヨルムンガンドのパートナーよ」
無愛想な表情とともに、羽の生えた蛇とじゃれあう少女。
以前白夜が焔の兄と明かされた時、梓乃を暴走させる原因となったヨルムンガンドの契約者だ。
首には一瞬蛇と見間違えるほどリアルな、蛇の模様をしたマフラーを巻いている。
「フェンリルの契約者は仲間なんでしょ? 伝えておいて。次会う時は必ず殺すと」
「すみません、不躾な物言いで。〈終焉の悪戯〉の魔神に酷い恨みがありましてね、それに関することになるといつもこうで……」
(焔さんと海里華と私、この三人で時間稼ぎしか出来なかったあの梓乃さんを遊ぶようにあしらったヨルムンガンドの……今の私達がどれだけ低レベルかが思い知らされますわ……)
「私の名前はヴァレン・シルベストリス。女神としては珍しい闇属性の女神よ」
闇属性の女神と言う割には、全身を金銀財宝で着飾っている上金髪なので、日差しを受ければそれを反射して眩しいくらいに光輝いている。
こちらは他の三人と違い、強そうなオーラと言うものを一切感じない。
「……これは、噛ませ犬ですわね。何ですの、女神と言うのは皆噛ませ犬なんですの?」
「なっ、噛ませ犬じゃないしっ! 強いのよ? 本気を出した私は強いのよ!?」
「見た目はお調子者の噛ませ犬と言う感じですが、一応彼女はチームの看板なんでね。聞いたことありません? 反転した双神と言う噂を」
「反転した双神の片割れ……ヘルテイト・サリヴァンなのです……」
ベネティカの眩い存在感に、完全に存在が消えてしまいそうなほど影の薄い少女。
遥香が表情豊かに思えてくるほど、悲壮感すら漂うほどの根暗さだ。
「この子は光属性の死神なんですよ。だから反転した双神。闇属性の女神に光属性の死神なんて、奇跡と思うほど珍しいでしょう?」
「どちらにしても、とても強そうには思えませんわね……」
「やはり手厳しいお方ですね。これでも全員〈soul brothers〉のメンバーを絶句させるほどの戦闘力があると言うのに……」
「あの〈soul brothers〉を、絶句させる……?」
「ええ、言っておきますが、貴女方のメンツで四大チームの契約者と互角に渡り合えるのは女神と死神、そしてリミットブレイクに至った黒騎士の三人だけですよ。貴女や他のメンツでは話にならない」
〈strongestr〉のドラゴンを圧倒した遥香と、同じく〈strongestr〉の女神と互角に渡り合った海里華。
そしてその海里華と戦いリミットブレイクを経て勝利した黒音の三人だけが、四大チームの契約者と同じステージにいる。
無力、非力、足手まといと言う言葉が漓斗の頭を木霊した。
噛ませ犬だと、最弱だとバカにしていた海里華が、今では四大チームの契約者に警戒対象として認識されるまでの存在となっている。
「私では……相手にならないと……?」
「ええ、何故皆貴女が変身していても気に止めないか分かりますか? 生身の状態でさえ、貴女を軽くあしらえるからですよ」
六人の側に現れたのは、全員が伝説級の存在。
茜の後ろから茜を包むように羽を折り畳むのは、序列三十七位でありながら永遠を生きると言われるフェニックスだ。
ラルアの隣には神の毒と恐れられる、ワインレッドの髪をした悪意の天使、サマエルがいる。
ベネティカを肩車するように、地面から這い出てきたのはオリウィエル。
形のない炎が甲冑を纏っていると言う、幽霊を思わせる姿をしている。
ホルンの隣にひょこっと現れたのは、無限に等しい長大な体をした大蛇ヨルムンガンドの頭だった。
死を司る闇属性の女神ヘカテは掻練色の髪を梳かしながら、ヴァレンの首に抱きついた。
三日月を象った派手な仮面で顔の半分を隠しているのは、光属性の死神セレーネだ。
「フェニックス、ヨルムンガンドを除いて、他の四種族は見たこともない者ばかりですわ……!?」
「当然ですよ。僕達は爪弾き者の集まり。だから僕とホルンを除いて全員が突然変異です」
ラルアのパートナーであるサマエルは、天使でありながら悪意と毒を司る天使。
ベネティカのパートナーであるオリウィエルは、あの放漫の死神ルシファーに迫ると言われる。
ヴァレンのパートナーであるヘカテは、他の女神から敬遠される闇属性であり、死を司る原初の女神。
ヘルテイトのパートナーであるセレーネは、女神から死神に転生したと言う異例の経歴を持つ。
「パートナーがどうとかと言う問題ではなく、私達と貴女では次元が違います」
「ボス、殺しますか? 目的の人物はいないのですから、もうここに長居は無用です」
「そうですね……ではラルアさん、せめて苦しまないよう、奥義で殺してあげてください」
「そろそろクロロホルムの効果が効いてくる頃です。私の毒はサマエルの力で強化されている為、本来のものより強い効果を持っています。だから……」
「しまっ……意識が……警戒、していたのに……」
空き教室を離脱するまでくらいならば余裕があると思っていたのに、毒が強化されているまでは想定していなかった。
「スコルピオ……これが私の神機です」
ラルアの両手に携えられているのは、柄頭が鎖で繋がれた二本の短剣だった。
サソリの尾を象った鍔が妖しい光を宿すとともに、二本の短剣を繋ぐ鎖が光へと変化した。
光の鎖はゴムにでもなったかのように、何倍もの長さになって部屋中から逃げ場を奪う。
その鎖も神機の為、ヒルデ・グリムでしか砕けない。
しかし何重にも部屋の壁を覆う鎖は、漓斗の拳一発で砕けるほどの強度ではなかった。
「毒はじわじわと獲物の自由を奪い、そして弱り切った所にトドメを刺す……神機奥義……〈蠍の毒針〉……」
鎖に覆われた壁を、ラルアが放った短剣が幾重にも跳ね返り、不規則な線を描く。
予測不可能な動きをする短剣を、目で追っていては間に合わない。
全方位に土の壁を張れば、短剣くらいは止められる。
〈創造〉の力で壁を作ろうとして、ヒルデ・グリムに零力を送った瞬間、漓斗の視界がぐらりと揺らいだ。
「くっ……クロロホルムが、想像以上に強いっ……」
『漓斗ちゃん、しっかり!』
『よく見ろ、鎖は壁に反射してるが、天井や床には反射してない。だからぶつかる瞬間に床に伏せれば当たらんよ!』
「では、その次は……次はそれを織り込んで天井や床にも反射されますわ……この密室空間に来た時点で、私はもう……」
「ああ、死ぬ前に一つ、いいことを教えてあげますよ」
茜は思い出したように、いや本当はこの時に言おうと取っておいたのだろう。
漓斗は精一杯の反抗を示すように、茜に唾を吐いた。
「貴様、ボスの顔に──」
「構いません。貴女の妹が〈soul brothers〉にいます。貴女のことを探しているみたいですよ?」
「なッ……伊織が、ならず者の集団にッ……!?」
「ですが貴女はここで死にます。ボスの顔を汚したのですから、当然の報いです。食らいなさい、私の毒牙を!」
むしろこれでよかったのかもしれない。
それが彼女にとって、もっともショックなことだろうから。
漓斗は瞳を閉ざし、死に備えた。だがいっこうに痛みが来ない。
恐る恐る瞳を開けてみれば、目の前には肩で息をしながら白銀の盾を持ち上げる黒騎士の姿があったのだ。
「黒音さん、何故ここにっ……転移魔方陣は二つ使ったから、こんな短時間で辿り着けるわけが……」
「バカ野郎ッ!! ったく、一人で無茶しやがって……」
ラルアの奥義を防ぎ切り、黒音は膝をつく漓斗を庇うように肩を抱き寄せた。
「俺のチームメートが世話になったな〈Despair phoenix〉……」
別にダメージを受けているわけではないが、ラルアのクロロホルムが漓斗を想像以上に苦しめた。
「すみません、ご迷惑を……」
「もういい、お前が生きてたんだからな」
「これはこれは、黒騎士さん。会えて光栄です。私は紅嶺 茜と申しま──」
「んなことはどうでもいい。お前が焔の弟か……姉とは大違いだな。悪いが俺はテメェの目が気に入らねえ」
「ボスに対して口の聞き方が悪いのです……見た所悪魔なのです……ならワタシが──」
「おい死神、俺は今虫の居所が悪いんだ。うっかり殺されないよう口を出さずにすっこんでろ」
漓斗の腕を自分の肩に回し、漓斗を担ぎ支える黒音。
黒音は死神が相手にも関わらず、殺気を剥き出しにした双眸で睨みつけた。
「何なのです、この悪魔……私は死神なのに……やっぱり殺すのです……」
「もう一度だけ言うぞ……すっこんでろ……」
殺気が威圧感となり、それが極まって覇気となる。
心臓を握り潰されるような迫力がヘルテイトを襲い、ヘルテイトは思わず尻餅をついた。
「ヘル、あなたどうしたの? 悪魔ごときの威嚇に倒れるなんて」
「っ……分から、ないのです……腰が、抜けたのです……っ」
「流石ですね、死神を威圧だけで戦意喪失させるとは」
「どうでもいいっつったろ。テメェ一体誰の仲間に手を出した?」
「心外だな……接触してきたのはそちらからですよ? 僕達は情報を提供したに過ぎない」
それが本当だとしても、六対一と言う状況はあまりにも不公平すぎる。
「なら戦うのはお前らじゃなくてそこの堕天使一人で十分だよな? 何で全員がパートナーを呼び出してるんだよ」
「黒音さん、そんなことよりも、大変なことが……」
「後で聞く……流石の俺もお前を庇いながら六人を相手にするのは無理だ……とにかく引くぞ……」
「ああ、構いませんよ。私達はもう攻撃しませんので、好きに逃げてください。伝えたいことはもう伝えましたので。では黒騎士さん、ちゃんと魔王を倒してくださいね?」
底知れぬ闇が、茜から感じられた。
黒音は転移魔方陣を展開し、漓斗をおぶってその場から離れた。
「いいのボス? あの二人みすみす逃がしちゃってさ」
「いいんですよ、今回の目的は僕達の存在を知ってもらうことです。後は余計な敵と潰し合ってもらう為……黒騎士のチームが魔王を目的としているならば〈tutelary〉との激突は不可避。そして〈soul brothers〉です。仲間思いの黒騎士ならば、ならず者のチームにチームメートの妹がいるとしれば必ず戦いに行く。これで残されたのは〈strongestr〉だけです。問題はフル・ファウストですね……」
あの存在は唯一どうしようもない存在だ。
六人でかかれば勝てると言う次元ではない。
仮に彼女を除く四大チームの契約者計二十三人で挑んだとしても、絶対に勝てない。
神を恐怖させる異質な存在、メフィストフェレス。
その契約者フル・ファウストだけは、悪魔でありながら神と対等の存在なのだ。




