第四話『true blue ocean』
『ごめんね二人とも、いきなり〈soul brothers〉のリーダーと戦いだしたから、これは大変だって思って』
「それよりも大変なことが目の前にありますわ」
「海里華、今まで何をしてたの?」
「ええ、準備をしてたのよ。私の願いを叶える為のね」
海里華の意味深な発言で、五人は変な緊張感に包まれる。
「黒音、今から私と戦って」
「は、はあ? 何言ってんだよお前、何で俺とお前が……」
「嫌なの? 私と戦ってもアンタは何一つとして得るものがないから? 私みたいな噛ませ犬と戦った所で、無駄だってこと?」
「そ、そう言うわけじゃねえよ。理由がねえからだ。俺とお前が争う理由がな」
「争いじゃないわ。決闘よ」
海里華のその言葉を受けて、その場が凍りついた。
海里華の口から、黒音に向けて決闘が宣言された。
「お言葉ですが、貴女の実力では黒音さんには勝てませんわよ? 貴女はこのチームの中で最弱。なのに実力で私達を率いれた、文字通りチーム最強の黒音さんに貴女は……」
「そうね、アンタが一番私を底辺に見ていたものね。親友である梓乃と幼馴染みである黒音は別として、焔、黒音と互角に戦う高水準のアンタは私のことを低レベルと見ていたでしょう」
「そんなことないわよ、私は貴女のことを認めてたわ」
でも自分より上だとは見ていなかったはずだ。
だが今日を境に、それは覆されることとなる。
「さあ黒音、私と戦って。大丈夫、失望させたりしないわ」
渋々と言った様子で、黒音はレーヴァテインの切っ先を海里華に向けた。
「こうして戦うのは二回目か。あの時はお前の特訓だったよな」
「ええ、でも今は決闘よ。殺す気で来て。じゃなきゃ、今の私じゃまず相手にならないから」
それは自分が下か、それとも黒音が下なのか。
この場にいる全員は自分が上と言っているようにしか聞こえなかった。
「和真との勝負を中断してまでやるんだ。本気で行くぞ」
黒音は巌の門を閉ざし、霆の門を開く。
梓乃から授かったこの力を使えば、海里華は無事では済まない。
しかしそれは本人たっての要望だ。
「神機奥義……〈白銀の稲妻〉!!」
ドラゴンソウルを発揮した梓乃の奥義と互角に渡り合ったこの奥義で、速攻で勝負を決める。
レーヴァテインの刃から放たれた、うねり進む霆。
それは海里華の体を貫くことなく、すべて海里華の体に吸収された。
しかしこの奥義に持続性はない。
体を突き抜けてもそこに留まることは……。
「……こんなものだったのね、梓乃と互角の力って」
文字通り透き通る海里華の体に、電流のダメージは一切加わっていないようだった。
レーヴァテインの刀身から霆が消え去るとともに、海里華の瞳が失望の色へと染まる。
「やっぱり今の私には無駄みたい」
「どう言う、ことだ……? どんな仕掛けだ!?」
「今私の体を構成する水の質は純水……純水は絶縁体だから電気を通さないのよ」
「バカな……だからって、レーヴァテインと梓乃の力が合わさった霆を、こうもあっさりと……」
これでまず最大の弱点である雷属性を完封した。
次に出てくるのは言うまでもない。
「な、ならもう一回漓斗の力だ」
先ほど閉ざした巌の門を再び開き、四方八方にファンネルを展開する。
「幾重の断層!! 消去する陣形!!」
「それも意味はないわね。どれだけ攻撃した所で……」
まさに蜂の巣状態になるまで撃ち抜かれた海里華は、時間を巻き戻した。
実際は巻き戻したりなどしていないが、そう錯覚するほどの凄まじいスピードで損失した体が再構成された。
「死神が不老不死のように、女神も神。不老不死なのよ」
さらに水属性と言う条件が加われば、心臓を潰されることもなく、頭を消し飛ばされてもすぐに再構成する。
「ちっ……だが──」
「だが、いくらこちらの攻撃が効かなくても聖力が切れれば勝機はある、そう言いたいの?」
海里華は黒音の考えを先回りし、それをすぐに否定する。
「残念だけど、今の私の聖力は以前の十倍よ」
一気に勝機を詰まれた黒音は、その言葉に絶句するしかなかった。
以前の十倍? 一体どうしたらたった数日間でそれほどのレベルアップが出来るのか。
「ちなみに、成長したわけじゃないわ。ただ元の力を解放しただけ」
「で、ではこれが本来の力だと、そう仰りたいんですの?」
「そうよ。ねえ、アンタ達は〈Stairsr〉って知ってる?」
「たしか……何年か前に壊滅した有力なチームのことよね。それがどうしたの?」
「たった一人の契約者の手によって数分のうちに壊滅させられたそのチーム……本来なら次世代の英雄になってたはずのチームは誰に壊滅させられたと思う?」
自虐的な瞳で、渇いた表情で、海里華はそう問いかけた。
「ま、まさか、エリちゃん……」
「無駄話が過ぎたわね。さあ、決闘よ。これは過去との決別と、アンタを支えていく為の踏ん切りをつける為……だから私は絶対にアンタに勝つわ」
海里華の右手には金色の錨がついた槍、左手には銀色の錨がついた槍が握られている。
それは本来実現不可能な海王の双槍だった。
「行くわよトライデント、トリアイナ」
「なっ、トリアイナだと!? お前、トリアイナって言ったら……」
「ええ、以前私の体を乗っ取った神機よ。でも今は私の仲間」
『ふん……此方はいつでもお前の体を奪うことを考えている』
金と銀の槍を持ち、神タイプの使い魔に跨がる海里華。
だがまだアクアスと一体化はしていない。
「どうして変身しない?」
「勝負にならないからよ。本当はレプンもトライデントもトリアイナも……私一人で戦う気だった。でもアンタはここぞと言う時に予想だにしない力を発揮する。だから私はアンタが奇跡を起こしてもそれを押し潰せるだけの圧倒的力を引っ提げてきたわ」
無茶苦茶な組み合わせだ。
黒音の心を支配するのは、遥香と対峙した時の、絶対的な力差の感覚。
恐怖心と言うものだった。
「ちょっと大人げないんじゃない?」
黒音の隣にもたれ掛かり、焔は隙をついて黒音の右手に握られているレーヴァテインからファーストキーを抜き取った。
「なっ、おい何を──」
「我は紅蓮を統べる熾天使なり……はぁッ……!!」
とてつもない熱量が、一気にファーストキーへと注がれる。
熱はやがて炎となり、新たな形を作り出した。
「水属性の海里華相手に通用するかは分かんないけど、私の力を貸したげるわ」
焔の指先に引っかけられているのは、炎属性の力を宿したルビーの鍵。
遥香に預けた霞の門を開く鍵を合わせれば四本目だ。
「これは……ありがたく貰うぜ焔、お前の力」
黒音はファーストキーをレーヴァテインの剣に差し直し、続けて火属性の鍵をレーヴァテインの盾に差し込んだ。
「九つの門よ開け……我は憐の門を願う……」
込められて鍵を右に捻ると、いきなりレーヴァテインの盾から何かが飛び出した。
それは一瞬のうちにどこかへ消え、解錠は不発に終わる。
黒音は何度もルビーの鍵を捻るが、反応はなかった。
「とんだこけおどしね。焔の力が込められてなかったんじゃない?」
「バカな……九つの門を開く鍵を生成するにはとてつもない量のエネルギーが必要だ。不発に終わるようなエネルギーじゃ鍵を作ることすら……」
「私は人を驚かせることが好きなのよ。その性格が鍵にもインプットされたみたい。落ちてきて、紅蓮の炎!」
焔が大きく両腕を広げた瞬間、黒音の頭上から炎の柱が降ってきた。
炎の柱に飲み込まれながら、黒音の体は紅の甲冑に包まれていく。
「そうか……これが俺のライバル、焔の力……〈解錠〉!! 四つ目の力〈憐の勇気〉、発動だ!!」
紅く燃えたぎる炎の翼と、燃え盛る炎の甲冑。
真っ赤な炎に染まる黒い翼と、その下には真っ赤な炎を灯した白い翼が生えている。
天使と悪魔の力を合わせた、前代未聞の傑作。
本来魔力は聖力を犯し、聖力は魔力を打ち消すはずだ。
しかしレーヴァテインと言う器を通したことで、共存しないはずの力が融合した。
「文字通り火力が上がったわね。でも所詮は火属性……私の敵じゃないわ」
「それはどうかな? ライバル同士が合わさった時の力、嘗めんなよ?」
黒音の手のひらと足の裏には、それぞれ小さな魔方陣が張り付いている。
それは以前〈tutelary〉の優とコロナと戦った時に黒音と焔の二人が使っていた、瞬間的にスピードを上昇させるものだ。
「ブーストエンジン、振り切るぜ。レーヴァテイン、ザンナ!」
右手にレーヴァテイン、左手にザンナを持ち、二刀流で海里華に突っ込んだ。
「無駄よ。銃も剣も私には通用しない」
「神機奥義──紅蓮刃!!」
紅蓮の炎を纏った二振りの刃が、海里華の体をすり抜けて蒸発させる。
濃い霧が立ち込めたように、辺りに水蒸気が充満する。
「……今私が指を鳴らせば、アンタ達の体内に取り込まれた水蒸気が一気に膨張して内臓を破壊するわ」
でもそんなことはしない。
殺すことが目的ではないから。
海里華にとっての勝利は、黒音達全員に自分の力を認めてもらい、全員を屈服させることだ。
「私はもう一切のダメージを受けない」
「らしいな。でもザンナの刃なら?」
「痛覚に直接伝わる攻撃ね。でも無駄。今の私ならあらゆる感覚を操作出来る」
体を水に変換出来る能力を持つ為、感覚すらも制御出来る。
だからザンナの特性で痛覚にダメージを与えようとしても、そもそも痛覚を遮断するのだから無意味だ。
「一つだけ、アンタが私に勝てる方法を教えてあげる」
それは限りなく不可能に近い方法。
だが現状で、もっとも勝てる可能性のある方法。
「私の体が再構成出来なくなるまで蒸発させ続けなさい」
聖力が尽きれば、海里華は体を再構成することが出来ない。
だが今の海里華の聖力を消耗させるのは、あまりにも終わりの見えない話だった。
「簡単よ、その二刀流で私のことを斬り続ければいいの。そうすればいつか私の聖力も尽きるわ」
ただし素直に斬らせてやるとは言っていない。
とうとう海里華が反撃に出た。
両手に携えられた海王の三叉槍を振り回し、神タイプの使い魔レプンの背中を軽く蹴った。
レプンは海里華の合図を受け、猛スピードで突っ込んでくる。
「海王の突進!」
大気圏に突入した隕石が如く、水の膜を纏った海里華とレプンは、渦巻きながら消失した。
「なっ、消えやがった!?」
「黒音君後ろっ!!」
梓乃の叫びにより、何とか反応出来た。
いつの間にか背後に回っていた海里華が、二本の槍を回転させる。
黒音はそれをレーヴァテインとザンナの刀身で受け止めた。
「バカな……早すぎて、見えなかった……」
「いいえ、早いんじゃないわ。これは多分……」
「そうよ、アンタがさっき私を斬って蒸発させたことで辺りに水蒸気が充満したわよね」
「まさか……水蒸気を伝って瞬間移動が……?」
真っ青になった漓斗の推測は、海里華の無言により肯定された。
「私を斬れば斬るほど私のフィールドを広げることになる。でもアンタが勝つには私を斬って蒸発させ続けるしかない。最悪の悪循環ね」
遥香と戦った時もこのような絶望感を受けたが、今回はさらに酷い。
勝率は皆無。万に一つも勝てる可能性がない。
遥香の時はまだ明確な勝ち方が確立されていたが、海里華との戦いは別だ。
攻撃すれば自分の首を絞めることになり、逆に攻撃しなければずっと勝てない。
「例えどれだけ使い魔を展開しようが、神機の特性をフルに使おうが、私は負けない。今までずっと側でアンタの戦い方を見てきたから、攻略法を編み出すのは簡単だったわ」
一番の天敵はライバルである焔でも、深影でも和真でもない。
もっとも近くで自分を支えてくれていた仲間だ。
「降参してもいいのよ? その時は私がこのチームのリーダーになるから」
裏切り者と罵られてもいい、卑怯者と軽蔑されてもいい。
だがこの勝負だけは引くわけにいかない。
必ず真っ向から黒音を下さなければ、踏ん切りがつかない。
「バカ、梓乃達を命懸けで率いれたのは俺だぜ? 俺がリーダーになる。それだけは譲れねえな」
別に海里華にリーダーの座を譲ってもよかった。
遥香にだって本当は譲るつもりでいた。
二人とも黒音よりも何十倍も強いから。
チームでもっとも実力のある者がリーダーを勤める、そう考えていたはずなのに。
今となってはリーダーの座を譲りたくはない。
死に物狂いで仲間を率いれてきたのに、みすみす誰かにその勲章を渡すことは、どうしてもしたくなかった。
「フォートレスもサンティもエネルギーの消耗が激しいし、模倣式の武器も分析済か……残されてるのは霞の門……」
あの戦闘力があれば辛うじて海里華と渡り合えるだろうが、下手をすれば今度は誰かの命を奪いかねない。
「クソッ……マジで手がねえ……」
「諦めなさい。アンタは私に勝てない」
「黒音、次は私が戦う。多分、ううん絶対に……今の貴方じゃ勝てない」
確かに遥香ならば今の海里華と互角以上に戦えるだろう。
だがすべてを賭けた決闘を誰かの手に委ねるのは、何か違う気がする。
「それでも俺が戦う。俺が戦わなくちゃいけないんだ」
今まで解放してきたレーヴァテインの力はほとんど使いきった。
もっとも有力と思っていた霆の門がまったく通用しなかったのだ。
海里華の水属性の力を封じでもしない限り、勝利は不可能。
「……昔から変わってないわね。どんなことに対してもまっすぐで、皆にバカにされても頑張って、そして最後には皆を驚かせる」
「貴女は黒音さんの幼馴染みでしたわね」
「ええ、昔からずっと側で黒音のことを見てきた。私よりずっと先を行く黒音のことを」
いつも、いつも背中しか見ることが出来なかった。
いつも手を差し伸べてもらう側だった。
だがこれからは私が手を差し伸べるのだ。
「さあ、どうしたの? アンタの全力ぶつけてみなさい」
「……こうなったら……梓乃、漓斗、お前らの力を借りるぞ」
「へ、どう言うことなの?」
「もう貸しているではありませんか」
「違う、二人の力を、同時にだ」
前々から考えていた。
レーヴァテインの二つ目の力を解放してから。
同時に二つ以上の力を解放出来ないかと。
「そ、そんなことが可能なんですの?」
「やってみるさ。行くぞ……九つの門よ開け……我は霆と巌の門を願う……〈二門解錠〉!!」
梓乃の力が込められたエメラルドの鍵と、漓斗の力が込められたトパーズの鍵を差し込み、同時に捻る。
溢れだした雷属性の龍力と、土属性の零力。
それらが合わさり、新たな姿を形成した。
「これが〈二門解錠〉……〈霆降り注ぐ巌の大地〉!!」
透き通った緑色の電流が表面を這う、土属性の甲冑。
棘々しい表面に加え、雷属性で作られたエメラルドの膜が羽を作り出している。
七色の羽をした孔雀のような翼を広げ、黒音はレーヴァテインの剣とザンナを逆手に持ち変えた。
「どれだけ攻撃力を上げても、電圧を上げても無駄よ。今の私にはあらゆる攻撃が通用しない。今更力を合わせた所で……」
「……雷属性の浸透力……土属性の柔軟性……」
ぼそぼそと呟いたその二つの言葉が、海里華の顔色をほんの少し変えさせた。
「今度は俺の番だ」
羨望は変わらない。ただ海里華の体が再構成出来ないまでに聖力を削るだけだ。
変えたのは聖力の削り方。
「サンティの石化能力にビビってたお前じゃねえことは分かった。ならこっからは本気だ」
黒音は奥義を発動するでもなく、ただ海里華に斬りかかった。
海里華は咄嗟に身を引き、遅れて引いたツインテールを数センチほど切り落とした。
「海里華が初めて避けた……!」
今まですべての攻撃を避けずに受けていた海里華が、初めて黒音の攻撃に対して回避行動をとった。
「無駄だ。もうお前は瞬間移動出来ない」
二振りの刃に切り落とされたツインテールの一部が、形そのままに土と貸した。
パラパラと崩れ去ったツインテールの一部が、風に吹かれて消失する。
「こ、黒音さん、今のは……」
「ただ土属性の攻撃を当てても意味はない。でも水に変換された海里華の体に土属性の力を浸透させれば?」
「そうかっ……! 雷属性は土属性の力を海里華に浸透させる為の伏線!」
龍力を帯びた雷属性、零力を帯びた土属性。
その二つを同時に対処するすべは、海里華にはなかったらしい。
「このままお前を斬り続ければ、水蒸気を充満させることなくお前の聖力を削れる」
「やるじゃない。流石は黒音ね。でも、蒸発させずに私の体に触れたわね?」
黒音が自分の攻略法を見つけ出すことは予想の範囲内だ。
だからその対処法も編み出していた。
黒音には銃のような飛び道具も、使い捨てられる武器もない。
攻撃する為には必ず海里華の体に触れなくてはならないのだ。
「神機だからって甘く見ない方がいいわよ。私も神様だってこと、忘れないでね」
海里華の体に触れたレーヴァテインとザンナの刀身が急速に錆び始めている!
だがそれは当たり前のことだ。
海里華とアクアスは海を司る女神。
自分を構成する水を海水に戻し、女神の力で高められた海水を神機が浴びればどうなるか、考えるまでもない。
「確かに塩には錆びを促進させる効果があるが、神機が錆びるなんざ、あり得るのか……!?」
「神機を造るのは神よ。だから同じ神機同士か、神ならば神機にダメージを与えられるわ」
麗しい白銀の刀身をしていたレーヴァテインは、力を加えればすぐに折れてしまいそうなほど錆び、透き通るような黒い刃のザンナは透明感を失い、くすんだ赤茶色に変色した。
「すまない二人とも……俺のせいで……」
『心配には及びません支配者、時間が経てば完全に元に戻ります』
『私達こそごめん……役に立てなくて……』
やっと調子が上がり始めたかと思ったら、唐突にして主力の二人が戦闘不能となった。
残されたのはサンティとフィディにレオだけだ。
だが今の海里華ならば、全身を石化させた所でアクアスが新たな体を作るだろう。
フィディの肌は鋼のボディ、海里華の体に触れた瞬間、一瞬にして銅像にされる。
レオは格闘能力を省けば普通の女の子と変わらない。
万事休すとはこのことか。
「素直に白旗をあげれば二人は治してあげるわ。どうする?」
黒音にとって、もっとも効果のある言葉だ。
つまらない意地を張るくらいならば、素直に負けを認めて早く二人を治してもらえばいい。
『ダメです支配者、負けを認めてはなりません!』
「私達はまだ戦える……ちょっと錆びたくらいで、私達は壊れたりしない……!」
「……このまま戦えばお前達は壊れる……刀身がポッキリ折れるかもしれない……それでもやるのか?」
『無論です。支配者のお役に立てるのならばこの命、喜んで差し出します』
『私は今は黒音の神機……だから決定権は黒音に委ねる……』
「そうか……なら後一太刀、一回だけ無茶を許してくれ」
『はい、支配者!』
『俄然、やる気出た……!』
錆び切って指で撫でただけでも刃が欠けてしまいそうな二振りの剣を再度構え、黒音は自分の中に残るほとんどの魔力を二つの刀身に流し込んだ。
二つの刀身は、黒音の強烈な魔力による負荷に耐えきれず、悲鳴をあげて崩壊し始める。
「なっ、何をしているんですの!? 今の状態でそんな魔力を注いだらッ……」
「ザンナちゃん達が壊れちゃうよッ!?」
「黒音君、完全に壊れてしまったら、もう二度と元に戻らないかもしれないのよ? それでも……やる気なの?」
「この一撃で勝負を決める……勝負が終わった後、海里華に修復してもらえばいい」
「そう……ならその一撃受けてあげるわ。その上で私が勝利する」
巌の門を閉ざし、今度は霆の鍵と憐の鍵を組み合わせて〈二門解錠〉した黒音。
一回り、また一回りと欠けて縮んでいく刀身を、皆もう見て眺めることは出来なかった。
「神機奥義・改二……〈最後〉……!!」
限界まで溜め込まれた魔力を、二人は苦痛を噛み殺しながらその刀身に留める。
そしてついに、すでに原型を留めていない刃が海里華の体に衝突した。
「ぶったぎれッ!! すべてを浸食しろッ!!」
海里華は何の仕掛けもなく、体を純水に戻して最低限の防御策のみをとった。
刀身の真ん中に地割れのような亀裂が走り、レーヴァテイン達の刃はついに消失する。
手足を力任せに引きちぎられるような激痛が、二人の神機を襲った。
いくら神機が不死身だとは言え、痛みを感じないわけではない。
自分の本体である武器が破壊されれば、それ相応の痛みが伴う。
「あ、ぐッ……あああああああああああッ!?」
すべての攻撃が通用しないはずの海里華に、初めてダメージが通った。
それも海里華が無駄と切り捨てた電気によってだ。
「かはッ……なに、この痛みはッ……体が、痺れるッ……」
「お前は海水で二人の刃を浸食した。それがお前が浸食された理由だ」
海水を構成するのは水と塩と微量の金属。
海里華は自分の体を構成する水を海水に変えてレーヴァテイン達を侵食した。
結果刀身に付着した塩分と刃毀れした刀身の欠片が僅かに海里華の体に取り込まれ、構成する水を純水にしても海水と同じ成分になったと言うわけだ。
「まさか、あの時……〈二門解錠〉を実践した時にはもう、こうなることが予想出来ていたの……?」
「まあな……でもその代償はでかかったぜ」
本来絶対に超えられないはずの壁を超える為に支払った通行量は、黒音にとってもっともダメージのある代償だった。
「二人とも……本当に悪かった……」
『いい、のです……こうして、支配者のお役に立てたのですから……』
『私は満足だった……エルザの所にいた時はこんなハラハラした戦い……出来なかったから……』
「でも……ぅっ……はあ……私を倒すには、至らなかったようね……」
レーヴァテイン達の決死の一撃は、確かに海里華に致命傷を与えた。
だがそれは致命傷に過ぎない。
海里華を戦闘不能にする決定的な一撃とはなり得なかった。
「いい加減にしてよ……エリちゃんのバカっ!!」
「っ……梓乃……」
「何でこんなことするの!? こんな戦いに何の意味があるのさ!? 私達仲間なのに、友達なのに……何でッ……」
「梓乃、分かってとは言わない。黒音に恨まれても仕方ないってのも理解してる。でもね、これは私の覚悟なの。例え黒音に大きな心の傷を与えたとしても、私は越えなくちゃならない……」
でなければ一生、あの人には届かないから。
片割れに勝つ為には、大きな変化が必要なのだ。
「私は黒音を支えるつもりが、黒音に甘えていた……今まで一度として役に立ったことがない。それこそ、漓斗に噛ませ犬とバカにされるほどに」
黒音なら何とかしてくれるかもしれないと、今までの戦いをすべて黒音に任せてしまった。
その結果、黒音は何度も大怪我を負い、その度に私は胸を痛めて泣くばかりだった。
だがこれからは違う。黒音に勝てば、変われる気がする。
「この決闘は今までの私から決別する為の儀式。過ちを言い訳に自分に背を向けてきた自分への試練なの」
「なるほどな……なら俺も軽い気持ちでやっちゃダメだよな。お前がその気なら、俺はお前が心置きなく前の自分と決別出来るよう、本気で挑む」
サンティの特性を使うには、多くの魔力を消費する。
フィディを出せばレーヴァテイン達の二の舞になる。
レオを出した所で、生身の戦闘員が二人になるだけだ。
いくら海里華が大ダメージを負っていても、今のままでは到底勝つことは出来ない。
「……黒音、私の鍵を使う?」
遥香の首に下げられた、アメジストの鍵。
それはレーヴァテインの三つ目の力を使う為のものだ。
だがそれを使ってしまえば、取り返しのつかないことになる。
「いや、ダメだ……今の俺じゃ使いこなせない。ましてや今はほとんどの魔力を消費してる。それを使うのは俺とお前が二人っきりで、誰かを殺さなくちゃならないって時だけだ」
それこそ、魔王を倒す時までとっておくつもりだ。
「でも、その鍵以外にエリちゃんに対抗するすべなんて……」
「ない、でも引く気はもっとない。俺は海里華にとって最高の壁であらなくちゃならない」
やがて黒音は考えることをやめ、拳を構えた。
武器がないから何だ、この身が砕けようとも仲間の為なら意地を張り続ける。
それが仲間と言うものだ。
「黒音……ありがとう……私も全力で行く。トリアイナ、トライデント……〈深海の音響〉展開」
海里華を挟むように、海里華の両側に静止する二人の神機。
二人の神機は互いの間にエネルギーを集中させ、海里華の目の前に海里華の身長と同じサイズのハープを出現させた。
海里華はそれに手をかざしながら、アクアスと一体化した。
下半身を覆うエメラルドブルーの鱗は以前にも増して輝いており、肩や腕には同じ鱗がうっすらと浮き上がっている。
それに以前はなかった、天女の羽衣のようなものが海里華の背中に輪を作っていた。
「これが十割の力、そのすべてを解放した私の姿よ」
まさに神の威光。
全身から溢れでる神のオーラに、弾ける七色の輝き。
本能が跪けと無理矢理膝を折ってくるような美しさ。
鋭い日本刀を鼻先に突きつけられたような遥香の威圧感とは違い、すべてを上から押し潰すような万物を超えた威圧感だ。
「流石は原初女神の一柱か……目の前にいるだけで、体が痺れてくる……」
死神の遥香でさえ顔をしかめて距離をとるほどの聖力。
それを間近で浴びる黒音は、その死神よりも数段弱い悪魔だ。
「さあ、行くわよ。抵抗出来るならして見せて。神機奥義・極……〈海姫の歌声〉──」
水流で形成されたハープの弦に指をかけ、海里華は静かに息を吸った。
それから五人の頭は真っ白になった。
心のすべてを持っていかれるような、暴力的なまでの美声。
極上の歌声が、五人の耳を撫でた。
体の力が自然と抜けていき、その歌声はまるで戦を嫌うように戦意を忘れさせていく。
(すべてを無力に変える絶対支配の美声……この音色には死神すらも抗うすべはないわ)
これはあのお姉様から居場所を奪った原因の一つ。
幼い頃から歌が好きで、私はいつもお母様に歌を聞いてもらっていた。
その歌声は次第にお姉様の居場所を奪い、お姉様を追い詰めた。
すべてに長けた才能を持っていたからこそ、もっとも大切なものを失った原因。
(思う存分に聞き惚れるといいわ……私の忌々しい歌声にね)
『黒音、黒音ってば、目を覚ましてよ!?』
虚ろな瞳で、ただ海里華の美声に心を支配される黒音。
そんな相棒に、アズは一体化を解除していきなり回し蹴りをぶつけた。
綺麗にこめかみにヒットしたアズの蹴りは、見事黒音の意識を奪い返した。
「いてえッ!? 何だ、何なんだ!?」
『よかった、目が覚めたんだね』
「何で変身が解けて……ってか、皆どうしたんだ? 魂が抜けたみたいに……何がどうなって……」
黒音は脱け殻のように虚ろな五人の額に、順にデコピンした。
「わうっ!? 痛いっ! なにこれっ!?」
「~~っ……何ですの、この痛みは……」
「ふにゃあっ……い、痛い……っ」
「いったぁっ……何なの急にっ……」
順に目を覚ました一同は、額を押さえて悶絶する。
無意識で完全に体の力を抜いていた為、身構えることなくデコピンをまともに受けてしまった。
「しっかりしろよ、俺と海里華の決闘なんだぞ?」
「わ、わう……どうなったの?」
「まだまだ、これからだ」
海里華の最大最強の奥義を防いだとは言え、圧倒的不利の状況が覆ったわけではない。
この絶対的な力を埋める為には、小さい子供が考えたような"不老不死で絶対最強のキャラ"みたいな力が必要だ。
だが殺伐としていて無慈悲な契約者の世界で、そんな馬鹿馬鹿しい力がいきなり手に入れられる未来は期待出来ない。
「神機の力は無効、こっちの手は全部通用せず、相手は気まぐれ一つで再起不能に出来る。これがもしゲームならクレーム殺到だな」
やみくもに殴ったり蹴ったりしても、体力を消耗するだけだ。
さっきみたいな一撃必殺の大技はもう通用しない。
「黒音、アンタの可能性を見せて。私を限界まで追い詰めて!」
怯む黒音に痺れを切らし、海里華から攻撃してきた。
二本の槍の間に形成された水のハープから繰り出される、縦横無尽の水流。
一撃で身を引き裂くような水流が、際限なく飛んでくるのだ。
「クソッ……アズ、もっかい変身だ!」
再び黒い甲冑に身を包んだ黒音は、必死に水流の間を掻い潜りながら海里華に接近した。
結局序盤とやることは変わっていない。
海里華の聖力が尽き果てるまで、とにかく攻撃するしかない。
「そんなものなの? もっと限界まで力を出して!」
黒音が放つ拳のラッシュを無視し、海里華は自分の拳を黒音の顔面に突き立てた。
その瞬間、黒音は少しだけ頭を引いて自ら額を拳にぶつける。
「ぐっ……アンタ、正気?」
「あ、たまが……でも、俺を殴るには体を一度流体から肉体に変える必要がある……肉体に戻った瞬間、不意の一撃は効くだろ」
「まあ確かに、でもダメージ量で言えばアンタの方が相当よ?」
亀裂が走り、先ほど四人を目覚めさせたデコピンをぶつけるだけでも壊れてしまいそうな甲冑のヘルム。
ぶつかった衝撃が脳を揺らし、軽い脳震盪を起こしていた。
(ヤバい……視界が、定まらねえ……流石に、無茶だったか……)
素手で殴った海里華よりも、甲冑のヘルムに包まれた黒音の方がダメージを受けている現状。
今までどれだけ仲間に頼っていたかが思い知らされる。
仲間が増える毎に一人では戦えなくなり、挙げ句の果てには自ら仲間を傷つけたり、自分に尽くしてくれた神機に計り知れない痛みを与えてしまった。
「やっぱ俺は……一人の方がいいのかもしれない……」
水流のハープを維持したまま、トリアイナとトライデントの激しい突きが襲ってくる。
だが黒音は顔を伏せたまま、それらをすべて手刀で払った。
「なっ……攻撃が、通らない……?」
物理的な攻撃が通らないのならば、水流で攻撃するまで。
海里華はハープの弦を弾き、無数の水流を黒音に飛ばした。
だが黒音はそれすらも、目視して避けていく。
「そんな、バカな……何なの、リミッターが外れたみたいに……」
武器もなく、魔力も尽き果てそうな一人の契約者に、何故すべての力を解放した自分の攻撃が当たらないのか。
「ふざけないで……トリアイナ、神機奥義!」
今度は個別に奥義を発動し、海里華はトリアイナを回転させる。
トリアイナの切っ先に集中された水属性の力が、ついに頂点に達した。
大きく振りかぶったトリアイナを、海里華は全力で降り下ろした。
海里華の手を離れ、視界を逃れて光の筋と化したトリアイナはまっすぐ黒音を捉える。
「〈泉神の制裁〉!!」
『朽ち果てよ、此方を断じた愚かな者よッ!!』
「ダメだ……見えてるよその攻撃……」
黒音はほんの少し身を右に傾け、左手一つでトリアイナを掴まえた。
強烈な勢いに体を引っ張られながらも、黒音はトリアイナの一撃を片手で受け止める。
「何の、冗談よ……これは、奥義なのよ……? 何で限界直前のアンタが、素手で止めるのよ……?」
完全に推進力を失ったトリアイナを、海里華に向かって投げる黒音。
切っ先を向けて投げるのではなく、ただ適当に放ったような感じだ。
「俺はずっと、一人で戦ってたはずだ……記憶を失う前もきっと……」
誰かに頼らなければ勝てない、そんな生易しい世界ではない。
だからたった一人でフィディに挑み、死に物狂いで食い下がったし、元々エルザの神機だったザンナに認めてもらう為に生身丸腰で向かっていったりもした。
戦う時は常にたった一人だった。
「そう……海里華や梓乃、お前達だったんだ……」
いつの間にか限界と言う壁を作っていたのは、自分を支えてくれる仲間自身だった。
今なら分かる。真に、自分に足りなかったものが何か。
「俺の限界はお前らだったんだよ……〈限界突破〉……」
──ついに、至った。
黒音の身を包む甲冑の表面が弾け飛び、濃密な瘴気が黒音を包み込む。
淡い光に包まれた黒音は、己の身を包む甲冑を振り払った。
新たに黒音の体を包む甲冑は、起伏がなく空気抵抗の少ないフレームだった。
だが黒音の頭上に展開された魔方陣から、次々と甲冑のパーツが落ちてくる。
甲冑のパーツはそれぞれ決まった場所に装着され、黒音の全身は重厚な鎧に包まれた。
最後に黒音の頭部を魔力のベールが覆うと、黒いフレームの上に金色の仮面を被ったようなフルヘルムが現れた。
黒音の変化が収まると、その場にいる契約者は全員が畏怖の念を抱いた。
誰もがここにいる未愛 黒音と言う名の契約者を恐れた。
この場にいる契約者の頂点に君臨しているのは、七つの大罪の死神である遥香でも、原初の女神と契約している海里華でもない。
己の限界を超越した黒音なのだ。
「〈限界を越えし者〉……〈黒き終焉〉……」
「至ったの……? あのリミットブレイクに……黒音君が……?」
この場にいるただ一人、焔だけは黒音の絶大な力に畏怖しながらも、先を越されたと言う悔しさに歯噛みしていた。
「梓乃さんとの決戦で、レーヴァテインを呼び覚ます引き金ともなったリミットブレイクの片鱗が、ついに開花しましたわ……」
「っ……リミットブレイクした所で、私には勝てないわよ。いくら魔力があっても私にはあらゆるダメージが通らないんだから」
海里華の強さは、魔力の量や腕力の強弱でどうにかなるものではない。
柔よく剛を制す。
今の海里華はリミットブレイクした所でもうどうにも……。
「俺の元に来たれ、白銀の剣レーヴァテイン……」
「なんですって……? 刀身の折れたレーヴァテインで戦う気……?」
「無茶だよ! もうレーヴァテインはっ──」
遥香と焔を除き、三人は黒音の無謀に絶句した。
だが今度は、魔王だけが使うことを許された神機の力に、驚愕することとなる。
「レーヴァテイン……〈無制限形状〉……」
刀身の折れたレーヴァテインは、黒音のリミットブレイクに合わせて進化を遂げたのだ。
左腕に装着された盾は円形から五角形となり、九つあった鍵穴は中心へと集中している。
最大の特徴は、レーヴァテインの本体となる剣が盾に差し込まれた状態で現れたと言うことだ。
前まではファーストキーで解錠出来る一番目の錠に封印されていたはずなのに、これは最初から本体が登場している。
さらにその剣も、盾と同じように大きく形状が変化していた。
持ち手の部分には漓斗の扱うレイピアのように手の甲を覆うプロテクターがあり、翼の形をしたそれは盾から刀身を引き抜くと左右に開いて翼を広げたような形状となった。
鏡と見間違えるほど輝かしい刀身には、レーヴァテインの表情が映っていた。
『只今戻りました、支配者』
「よく戻ってきた……海里華、二つ言っておく。このレーヴァテインはお前の海水を浴びようが、ありったけの聖力をぶつけようが、もうかすり傷一つ与えられない。二つ目、お前の体質は確かに並みの攻撃は通らない。だがその特性が封じられればどうだ?」
海里華の特性、水属性の力で体を流体に変え、あらゆる攻撃を無効化する。
それを封じられる手があると言うのか。
この場にいる中でただ一人、何千年もの知識をアダマスと共有する遥香だけは、その方法に察しがついていた。
「黒音がレーヴァテインに選ばれて、そのレーヴァテインを使いこなせている二つの理由……一つ目は黒音が魔王の血統だから。二つ目は──〈無属性の可能性〉……」
何も持たぬからこそ、すべてになれる。
黒音はアズと契約して悪魔と死神の共通属性である闇属性を持ちながら、無属性の力も宿している。
その為、無属性専用のレーヴァテインと相性がよく〈九つの門〉の力を十分に解放出来るのだ。
だが〈無属性の可能性〉は、文字通りレーヴァテインとの相性を高めるだけではなく、まだまだ可能性がある。
例えば、一定以上まで高めた無属性の力を相手に流し込むと、一定時間のみ相手の属性を無属性に変えられる、とか。
「〈強制上書き〉……!」
未だ黒音がリミットブレイクに至った衝撃に怯む海里華の不意を突き、黒音は海里華の手首を掴む。
海里華は一瞬反応が遅れたが、すぐに体を水流に変化させて黒音の拘束を逃れた。
「無属性だか何だか知らないけど、私にはあらゆる攻撃が──」
「なら、デコピンを受けてみろよ。さっき俺が四人の目を覚ます為にやったように」
もし本当に水属性の力が働いているならば、流体となった海里華の額に黒音の指が埋まり、下手をすれば引きちぎられる。
だがもしも水属性の力が働いていなければ、限界を越えた力のデコピンが海里華の額を穿ち、頭蓋骨を破壊するだろう。
「降参するなら今だぞ。俺はお前の覚悟に答えて全力で行くつもりだ」
「……上等じゃない。私はもう負けない……罪を言い訳にしてきた私はもう卒業するのッ!!」
トライデントとトリアイナは、海里華の尋常ならざる覚悟を受けて互いにいがみ合うことを忘れる。
海里華に握られた二人は、海里華の手のひらから伝わる聖力の熱さに、武器の姿でありながら身を震わせた。
「神機奥義・終ッ……〈海を結ぶ死の三角形〉ッ!!」
トライデント、トリアイナ、レプンから絞り出された全聖力 が、海里華に注がれる。
水のバリアを纏い、海里華は限界まで尾に力を込めた。
「レーヴァテイン……神機奥義……!!」
「私達の鍵を使わずに、レーヴァテインだけで!?」
レーヴァテインが使える奥義は、ほとんど相手を撹乱したりするものだ。
レーヴァテインのメインとなる能力は、属性の力を解放する〈解錠〉だ。
属性の力を解放していないレーヴァテイン単体の奥義では、海里華の全身全霊の奥義を防ぐことなど──
「〈白銀の終焉〉!!」
銀色の粉雪に包まれたレーヴァテインの刀身は、黒音の魔力にコーティングされて白銀を漆黒へと染める。
レーヴァテインの二つ目の特性、威力の倍加を限界を越えて発揮した一撃。
それは不可視の一太刀だった。
「沈みなさいッ!!」
力を貯めた尾で、虚空を思いっきり蹴る。
バネのように貯めた力を解放し、四人分の聖力を受けて黒音へと突進した。
「白銀一閃……はァッ……!!」
破格の魔力が込められた一太刀は、海里華の体をすり抜けた。
レーヴァテインの刃は、海里華の肉体を傷つけることなく聖力だけを刈り取ったのだ。
力を失った海里華はバランスを崩し、黒音はその隙を狙って自分の体を後ろに倒す。
そして正確に、確実に、海里華にレーヴァテインの峰を当てた。
ただそれだけで、海里華は吐血して意識を失う。
「冷静さを欠いた……それがお前の敗因だ」
「ぅ……ぁ……わ……たし……は……」
糸が切れたように、海里華は無防備に黒音へ体重を預ける。
黒音は身に纏う甲冑のヘルムを外し、海里華を抱き締めた。
「終わった……んだよね……」
「ふ、ふん……結局最後は呆気ない幕切れでしたわね。やはり噛ませ犬は噛ませ犬ですわ」
「漓斗、声が震えてる……海里華が負けたのは、黒音が強かったから。私が海里華と戦えば、多分私は負ける」
まさかあの遥香が海里華のことを自分より上の存在として認識する日が来るとは、この場にいる誰もが想像していなかっただろう。
「でも凄いよ黒音君っ! まさかリミットブレイクするなんてさ!」
「流石に今回はダメかと思ったけど、貴方なら勝つわよね」
「この戦いだけは負けるわけにはいかなかったからな。海里華の覚悟はしっかりと受け止めさせてもらった」
仲間を切り捨てるのではなく、一度初心に帰って孤独に至った黒音。
仲間に依存していたことが、黒音にとっての殻だったのだ。
「とにかく帰るか。俺は海里華を家に送り届けてくる」
『黒音さん、エリちゃんは両親に黙って家を出てきたから……』
「アクアス、だったら転移魔方陣で家に送り届ければいいか」
こうして海里華との決闘は幕を閉じた。
これで本当に五人集まったのだ。
残るは焔のみ。海里華に勝てた今、もはや誰にも負ける気はしないが、焔が相手では油断出来ない。
黒音はベッドの上で寝息を立てる海里華を見つめ、そしてすぐに転移魔方陣を潜った。




