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魔王が紡いだ御伽噺(フェアリーテイル) ~avenger編~  作者: シオン
~avenger編~ 第一章「蒼き女神」
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第二話『the mermaid story』

 次の日の朝。相も変わらず目覚まし時計が鳴り響き、夢に浸る黒音の意識を引っ張りあげる。

 こちらも相変わらず宙に浮遊して実体のないアズ。

 黒音はそんなアズにおはようを言うでもなく、ベッドに腰かけて自分の手のひらを凝視した。


『どうしたの黒音?』


「いや……昨日の感覚がまだ残ってるんだ……」


 何もない手のひらを見つめ、瞳を閉じ、昨日の光景を思い出す。

 初めてと言う訳ではないが、とても久しく全力の魔力をぶつけた気がした。

 異常な量の魔力を使ったせいで手先の痺れが残っているのがその証拠だ。


「やっぱ止められねえな……この感覚だけは」


 自分の中に流れるすべての血が沸騰したように心の奥底から燃え上がるこの感覚。

 それは紛れもなく、何かを求める欲望ではなく、力を持つ者としての戦闘本能。

 これだけはどうしようもない。

 肉食獣に終われた草食動物が死に物狂いで逃げる生存本能と似ているのだ。


「そう言えば、海里華は来たか?」


『ううん、まだ来てないよ』


 昨日は突如キッチンにいて仰天したが、今日はまだ来ていないらしい。

 黒音と同じ学校に通っているのだから、そう毎日これるわけもないのは当然か。


「じゃあ今日は俺が作るぞ」


 自室の扉を開けたと同時に、インターホンの音が鳴り響く。

 こんな時間に誰が来たのか、黒音は嫌な予感を禁じ得なかった。


「ああ、来たか。遅か──」


 玄関の扉を開いた瞬間、黒音は石化したように硬直する。


「ごめんなさい、来るのが遅れて……」


 そこにいたのは、全身包帯まみれの姿で足を引きずっていた海里華だった。

 昨日、今と同じ場所、黒音の家の前で別れた後、海里華の身に一体何があったのか。

 黒音は見るも無惨な姿に傷ついた海里華を抱き抱えるようにしてリビングに連れた。


「一体どうした? 何があったんだ?」


「これは、その、家の階段で転んじゃってね……」


「ばかたれ、そんなときまで来なくていい! ちゃんと養生してろ!」


「だって、心配だったんだもの……アンタのこと」


「俺の心配より自分の心配をしろ、こんな状態で……」


 海里華の体が傷ついた不安感とともに、海里華が自分で怪我したことで安心している自分がいる。

 もし誰かにやられて、俺が守れていないとすれば、俺はまた後悔することになる。


「もうこれ以上何も失いたくないんだ……お前までいなくならないでくれよ……」


「黒音……ごめんなさい、家に帰るわ……」


「いや、今からまた来た道を戻るのは辛いだろ。俺が帰ってくるまではここにいろ。俺が帰ってきたら家まで送ってやるから」


「そんな、そこまで迷惑はかけられな──」


「俺が迷惑と思ってないからいいんだ。俺への迷惑を心配するなら俺に心配をかけさせるな」


 有無を言わせず、海里華の鞄を肩にかけ、本人を腕に抱えて自室に戻る。


「ちょ、これ、お姫様だっこ……っ」


 一瞬で顔を真っ赤に染める海里華にしかし、黒音はそんなこともお構いなしに自分のベッドに海里華を放る。

 ベッドに横たわる海里華に掛け布団を着せ、顔元に近づいた。


「安静にしてろ。俺のことを一生支えるんだろ? ならいつでも万全な体調にしとけ。いいな?」


「……うん……ありがと」


 赤面した顔を隠すように、海里華は掛け布団の裾を引っ張って鼻下まで顔を覆う。


「じゃあ俺は学校行ってくるから。なるべく早く帰ってくるからな」


「うん、アンタも気を付けてね」


 海里華に見送られながら、黒音は自宅を後にした。

 それから数分後、海里華は目元に腕をおき、軽く天を仰いだ。


「ほんと、私ってばか……」


『ほんとほんと、何で告っちゃわなかったの?』


「そんなこと出来るわけないでしょ……ってそうじゃなくて!」


 突如虚空から現れた白いワンピースの少女に、海里華はプロがかったツッコミを決めた。

 黒音にかけてもらった布団を抱き締め、至る所に巻いた包帯を撫でる。


「そう言うわけじゃなくて、アイツにあんなに心配かけちゃって……」


『エリちゃんって変な所で律儀だから、つい後先考えずに行動しちゃって空回りするんだよね』


「ドストレートに言わないでよ……」


『じゃあその怪我はなに? 後先考えずに突っ込んだ結果がそれだよね?』


「さらに傷口をえぐらないで……元はと言えばそれが原因で黒音に心配かけちゃったのよね……ああ、最悪だわ……」


 時間は昨日の夜に遡る。

 幸い梓乃も用があるからと言っていたので、昨日も梓乃に断って黒音と一緒に下校していた。


「勉強とか、分からない所はある?」


「いや、いくらなんでも早過ぎるだろ。初日も同然だぞ」


「それもそうね。あら、着いたわね」


「やっぱ送っていこうか?」


「いいわよ、大丈夫。それと晩ご飯のおかずが冷蔵庫の真ん中に入ってるから、暖めて食べてね」


「仕事早えな……悪いな、いただいとくよ」


 昨日はこのまま黒音と分かれ、早足で帰宅した。

 今日は特別な用があったからだ。

 昨日の夜、ある探知機に、あるものが引っかかった。

 私はそれを為留めなくてはならない。

 これはゲームの話ではなく、現実の実際の話。

 そして私は予定していた時間を迎え、私は自宅の別館へと移動した。


「さて準備は良い?」


『うん、いつでもいいよ。じゃあ改めて、サーチ開始!』


 英里華の隣、英里華の手を小さな手で握り、遥か先の地平線を見つめている少女。

 その少女が解析した情報を、英里華は脳内で直接受け取る。


「ふ〜ん……これは、なかなかね……」


『凄いよ、こんなにおっきな反応が五つもなんて』


 別館の屋根の上で、少女はそう微笑んだ。

 英里華は夜風に蒼く長い髪をなびかせ、白いワンピースを纏う少女の手を引いている。


「違うわアクアス、六つよ。だって私達もベリーベリー強いもの」


『そだね、じゃあ一緒に行こう? 今夜の波は大っきいよ』


「望む所よ。さあ、行きましょう──」


 英里華は屋根の瓦を踏み込み、英里華に手を引かれた少女、アクアスはその場から飛び上がる。

 アクアスは海里華に溶け込み、青白く姿を変えた。

 莫大な質量の水が突如出現し、英里華の体に吸収されていく。

 英里華の体は生まれたままの姿となり、下半身はエメラルドブルーの鱗に覆われる。

 ビキニのように蒼いベールが胸元を覆い、背後に巨大なハープが現れた。

 左腕に水瓶を抱え、人魚となった英里華は薄く微笑む。


「私達のステージへ……!!」


 水流の矢と化してエネルギー反応が集まりつつある街の中心、その上空へと突き進む。

 そして、六人もの契約者が同時に街の上空へと集合した。


「私の相手は誰かしら?」


 わざと誰かは狙わず、不規則に圧縮した水流の弾丸を放つ英里華。

 それをすべて蒸発させたのは、ビルの屋上に足を着く、薄緑色の電流を纏う巨大な狼だった。


「なるほど、アナタって訳ね」


『お魚だねっ、これは美味しそう! こんがり焼いちゃうよ!』


 対戦カードは決まった。

 英里華は電流を纏う巨大な狼、もといドラゴンへと圧縮した水流の刃を浴びせた。


『まだまだッ! 甘いよッ!』


 それを食らってほとんどダメージを受けていないドラゴン。

 それ所か、攻撃を自分から受けにいっているようにも見える。


「やるじゃない。でも、これは受け切れるかしら?」


 突如、ドラゴンの頭上に巨大な水の集合体が現れた。

 大量の水は見えない膜に包まれているように、丸い形を保ったまま空中に静止している。


『なになに? 滝修行でもさせる気なの?』


「そうね、確かに滝よ。でもね、これは世界最速の滝。それにアナタはどう対処するのかしら?」


 たぷたぷと、風の影響を受けて波打つ水の固まりが、ゆっくりと槍の形に変形していく。


「アンタの纏ってる電流の鎧と、私の絶対不可避の水槍すいそう……どちらが勝つかしら?」


『面白いじゃん、その槍が私を殺すのか、それとも槍を私が蒸発させるのか……全力で参るよ』


 だめ押しと言わんばかりに、ドラゴンの頭上に存在している巨大な槍を小さくしたような短剣サイズの槍が現れた。

 あれが一発でも直撃すればドラゴンの身を裂く。

 英里華はそう確信していた。なにせ、あの刃は鋼鉄を豆腐のように引き裂くのだから。


「受けなさい! 〈深き海の聖槍デプス・オーシャン・ロンギヌス〉……追突!!」


『受けて立つよ! 〈電鎧鋭刃ボルティクス・オーレギオン〉ッ!!』


 ドラゴンの体から発せられた何億ボルトもの電流が剣の形へと具現化し、振り下ろされた槍を迎え撃つ。

 辺りは水蒸気で埋め尽くされ、そしてつんざくような叫び声が水蒸気を振り払った。


「かは……っ」


『勝負アリ、だね。私の電流は何人たりとも超すことは出来ない。〈終焉の悪戯(ロキ・ザ・ミスチフ)〉を嘗めないでよね』


「は、ぁ……少し、油断し過ぎじゃない?」


 相当なダメージを受け、しかしそう絞り出した英里華。

 その手にはドラゴンの肌からむしり取った鱗があった。

 エメラルドグリーンに輝くそれを、英里華は左腕の水瓶の中に放り込んだ。


『いつの間に……っ』


「相手が水の使い手だからって嘗めすぎたようね。水の使い手でも、私は超高校級。海を司る女神よ」


 人間と契約することの出来る六つ種族、その中でも最高位の力を持つのが女神だ。

 ドラゴンには階級が存在し、形としては本来存在しない一芒星から階級のように表される。

 一芒星は力を持たない幼体。二芒星も子供のようなものだ。

 ドラゴンは三芒星から戦闘力が身に付く。そしてその中でも五芒星以上は一流と言われている。

 しかし女神はすべてが最高階級の六芒星のようなもの。

 なにせ神様なのだ。概念の数だけ存在する無限の神、それが女神。

 その中でも自然に関する女神は更に上位の力を発揮する。英里華と契約している女神、アクアスを構成する概念は海。

 水属性の更に上位に存在する海と言う概念から生まれた女神だ。

 つまり最高位の女神。いくら水の使い手でも他とはレベルが破格に違う。


『これは相当凄い相手みたいだね。面白そう、じゃあ本気で行くよっ!』


「望む所よ。精々、後悔しないでね」


 ドラゴンの背中に電流が集合してできた翼が現れると、ドラゴンはビルの屋上から飛び立った。

 それに対して英里華も夜空を海の中にいるように駆け巡る。


「私の聖力量を嘗めないでもらいたいわね、水蒸気すらも私の支配下よ」


 悪魔と死神が操るのは魔力、天使や英里華と言った女神が操るのは聖力だ。

 その名の通り魔力と聖力は正反対の存在で、魔力が負の感情で強くなるのに対して聖力は正の感情でその力を増していく。

 聖力を増させる代表的な原動力は使命や純真などだ。

 英里華が抱いているのは前者の方。とある使命だけを胸に宿してアクアスと契約している。


「契約者なら誰でもそうだろうけど、私は誰よりも、誰にも負けられないのッ!!」


 莫大な聖力が渦巻き、それがすべて水流へと変換される。

 そこに海が現れたかと錯覚させるほどの水量が、圧縮されてドラゴンに牙を剥いた。


『うひゃあっ!? こんな数と量、対応しきれないよっ!』


 そこで初めてドラゴンが攻撃を回避した。先ほどまで攻撃はすべて電流で蒸発させていたのに。

 そこに何か理由があると、英里華の勘が告げていた。


(どうして攻撃を回避したの? 今まで蒸発させていたのは牽制の為? ……いや違う、攻撃を蒸発させなかったんじゃない、させられなかったのね)


 もし予想通りだとすれば、ドラゴンはしばらく攻撃出来ない。


(一発の攻撃にかかるコストが大きいのね)


 契約者や六種族を構成する血液のようなもの、それがエネルギーだ。

 魔力や聖力と言ったものは無限ではなく、必ず枯渇する。

 時間が経てば自然に回復するが、戦闘中は限られたエネルギー量でやりくりしなくてはならない。

 簡単に言えば命懸けの家計簿と言うことだ。

 ある程度は原動力からエネルギーを増やしたり強化したりできるのだが、器となる者の所要量の限界を越えれば器が崩壊する。

 そうならない為にパートナーとなる種族がブレーキをかけるのだが……


「アクアス、飛ばすわよ」


『いいよ、どんどんいこっ!』


 長く経験を積み、実力を磨きあげた契約者ならばそれを自分で制御できるようになる。

 パートナーにブレーキをかけると言う役目を与えないことで、パートナー自身も本来の実力を出しきることができるからだ。

 つまり、一見後先考えずに連続で大技を放っている者の中にこそ、実はとてつもない実力者がいたりする。


「このまま押し切るわよ! 〈深き海の槍〉……追突!!」


 もし相手が回避と物理攻撃しか出来ないのならば、今が勝負の決め時だ。

 海里華はしこたま聖力を込めて二発目の水槍を放つ。

 絶対不可避の槍が、今度はドラゴンの背後から迫った。

 ドラゴンはおとりの水流の刃に気を取られている。

 気づいたとしてもその頃には肉体の中心を穿うがたれて肉片と化しているだろう。

 ……そう思われた。


『待ってましたぁッ!!』


 雷鳴が轟くような咆哮の後、先ほどとは比べ物にならない電流が放たれる。

 全方位に打ち出された電流は周りの水流の刃ごと水槍を蒸発させた。

 訪れた静寂の中で、あまりの電圧に感電して己の身を抱く海里華の姿があった。


『これが私の広範囲防御技、〈雷霆招来インドラ・ライディーン〉、弐の型、刺盾さしだてだよ』


 まさか必殺技を完封された上で無力化されるとは。

 生命維持の為に残りすべての聖力を使いきり、海里華は満身創痍。

 対してドラゴンは未だに生き生きとしている。


「くっ……油断してたのは、私の方だったみたいね……今回は、出直すわ……っ」


 ドラゴンはそれ以上追撃することもなく、海里華に背を向けて去っていく。

 他の戦闘を見学するようだ。

 海里華は身を引きずりながら自宅へと帰っていった。

 そして後日、今に至る。


「黒音に心配をかけたのもそうだけど、私あのドラゴンに情けを掛けられちゃったのよね……それが一番悔しいわ……」


『だったら今度は情けを掛ける方に回ればいいんだよ! 次は絶対に勝つ、その心意気を忘れないでね』


「……ええ、そうね、こんな所で止まってるわけにはいかないものね」


 大量の電流を浴びたが、幸い神経系は麻痺していないし、外部の怪我だけで済んだ。

 だから黒音にも誤魔化すことが出来たのだが……


「黒音……早く帰ってこないかな……」


『まだ家を出て一時間も経ってないよ』


「なっ、こっ、そんなことは百も承知よ! 独り言にいちいち返答しないでっ!」


 掛け布団の中で体を丸めながら、海里華は成長した幼なじみの姿を思い浮かべる。

 昔の活発な雰囲気は薄まり、どこか落ち着いていて、クールな性格をしていた。

 ちょっと癖っ毛な黒髪も、本人は自覚していない美形も、女子の好意に気づかない天然さも、すべてが昔のまま。

 変わったとすれば、中身が丸まま空っぽになってしまったことだろうか。


「せっかくまた会えたのに……忘れちゃってるのね……」


『……ねえエリちゃん、もし黒音君が契約者になってたら、どうする?』


「はあ? 藪から棒に何よ?」


『いいから、どうするの?』


「そうね……勿論止めるわ。契約も解約させる。……余程の理由がなければ、ね」


 もし逆の立場ならば、黒音は命懸けで私を止めるだろう。

 でももし私の覚悟が本物だと悟れば、必ず力を貸してくれる。

 黒音の覚悟が本物なら、私も契約者として力を貸すと断言できる。


(黒音……アンタも堕ちちゃったのかな……私みたいに……)


          ◆◆◆


 昼休み、黒音は女子から向けられる疑惑の目線から逃れる為に、本来は来られない屋上にいた。

 雪村先生に女子からの視線が痛いからどうにかしてくれとダメ元で頼み込んだら、なんと特別に屋上の鍵を渡してくれたのだ。

 言ってみるものだな、と実感のないまま屋上に訪れ、今は一人っきりだ。

 ……厳密には二人だが。


『ねえ黒音、海里華ちゃん大丈夫かな?』


「まあ打ち身だけだから大丈夫だとは思うが……」


『そうじゃなくて、なんか黒音の家で家事とかしてそう』


「……あり得る。アイツ変な所で律儀だからな」


 一生支えると言って大怪我を負っているのに朝ご飯作りに来たり、まだ初日も同然なのに勉強の心配したり……

 これではまるで過保護な母親だ。


「アイツ……もしかして俺の母親代わりになろうとしてるのか……?」


『鈍感な黒音にしては勘が冴えてるね』


「お前は知ってたのか?」


『うん、黒音が記憶を失う前まであの子、お母さんを失った黒音の為に黒音のお母さんの分まで頑張らなくちゃって張り切ってたから』


 それが本当だとすれば、迷惑などと言う話ではない。

 彼女に計り知れない負担をかけていた。それも数年以上もの間ずっと。

 黒音が母親と一緒に焼け死んだと思っていたであろう二年前は尚更だ。

 今までプレッシャーに感じていた重荷が降りて楽だ、などと思うような性格でないことは鈍感な黒音でも容易に理解できる。


「……絶対に守ってやる……この俺の命に懸けて……絶対に」


『黒音、分かってる? 自分の本当の目的』


「……どちらにせよ、記憶を取り戻さなきゃその目的を達成しても達成したに入らない」


 愚直なまでに一途なその瞳に、アズはとうとう根負けしたようにため息を吐く。


『……分かったよ、黒音は一度決めたら命張ってでも曲げないからね』


「悪いな、初めて自分の意思で決めたことなんだ。だから絶対に曲げたくない」


 彼女には知らないうちに迷惑を掛けすぎた。

 肉体的にも、精神的にも。今度は自分がそれに答える番だ。

 黒音はそう胸に誓い、空を仰いだ。


          ◆◆◆


 スーパーでゼリーや変えの包帯を買った後、帰宅する黒音。

 玄関の前に着いた瞬間、鍵を差し込むまでもなく玄関の鍵が開けられる。


「……俺、寝てろっつったよな?」


「お帰りなさい、だって落ち着かなかったんだもの。何時間もの間なにもせずに寝てたと思ってるの?」


「……二時間前後」


「…………」


 ものの見事に図星だったようで、海里華は言葉に詰まって下を向いた。


「ほれ、ゼリー買ってきたぞ」


「そんな、気を使わなくてもいいのに」


「あほたれ、気を使ったんじゃない。じっとしてられないならこれでも食ってろって意味だ」


「ご、ごめんなさい……」


 子猫を親猫が運ぶように首の後ろをつかみ、海里華の場合は制服の襟を掴んで、リビングのテーブルまで引き連れた。


「包帯変えるぞ。服脱げ」


「ふぇっ、ふ、ふふふ、服をっ……!?」


 いきなりの脱衣指示に、海里華は顔を真っ赤に染める。

 海里華の心境を欠片も知らない黒音は、尚も包帯を広げて海里華に詰め寄る。


「服着たままで包帯が巻けるか。つか風呂入った方がいいよな。女子って毎日風呂は欠かせないんだよな」


「で、でもシャワーとか、傷口に染みるし……」


「だよな。ならせめてタオルで拭いとくか」


「だ、だからアンタは何でそんな──って、アンタにそんな下心があるわけないか……」


「何をブツブツ言ってるんだ?」


 黒音が何よりも誰よりも友達思いで、下心で動いたことなんて一度もないことなど、五年以上もの付き合いで深く理解している。

 黒音は本当に海里華の体を案じて言ってくれているのだ。


「じゃ、じゃあ、頼んでいい……?」


「ああ、任せとけ。これからは支えられるだけじゃなくて俺も海里華のことを支えるからな」


「……! うん……えへへ……♪」


 笑顔になった海里華の頭に手を置いた後、黒音は洗面器とハンドタオルを取りに洗面所へと向かった。


          ◆◆◆


 開戦二日目の夜。黒音はいつもの鉄塔で街を眺めていた。

 今感じられる反応は一つ。自分とは比べ物にならないほど強い魔力を持った死神と言う種族。その契約者だ。

 白騎士と言う契約者も今夜は現れていない。

 割り込みの期待できない戦況で、自分より圧倒的に強い相手に挑むのは得策と言えない。

 死神を相手にするならば最低一人は共闘者が必要だ。

 なにせ死神は六種族の中でトップの力を持つ粉う事なき最強。

 死神一人を相手に女神が三人ほど集まってやっと勝てるかどうかの化け物だ。

 女神が実質無限に存在しているに対し、死神は世界中に数えられるほどしかいない超少数実力者だ。

 女神があらゆる概念から生まれるのに対し、死神は人間の抱く負の感情を概念と動力源に存在している。

 つまり概念一つ一つの力を個々が一つずつ保持している女神とは正反対で、すべての負の感情と言う壮大な一纏めを超少数で平等に分配している。

 女神が数ならば死神は質。いくら女神が強かろうが、所詮は数でしかない。

 一対一で死神に勝てる道理など存在しない。

 そして女神ですら差しでは勝利不可能な相手に、一人の悪魔が勝てる道理も、また存在しない。


「海里華、大丈夫かな……」


『大丈夫だよ、黒音が一生懸命手当てしたんだから』


「だといいな……さて、そろそろ帰るか──」


 電波塔から飛び降りようとした瞬間、突如としてもう一つの反応が街の中心に割り込んできた。

 反応からして、これは天使か女神だ。


『黒音、あれは女神だよ。一人で死神に挑むみたい……』


「無茶だ、勝てるわけねえ……されにあの人魚の女神って、昨日ドラゴンと激戦繰り広げてた奴だろ……!」


 あれはど激しい戦いを終えてすぐ後日に死神と戦うなど無謀の極み。

 ただでさえ必敗の相手に手負いの身で挑むとは、何か深い事情があるのか、あるいは仇──


「ああもう、アズ、援護しにいくぞ!」


『ふえぇえっ!? 相手は死神だよ!? 仮に共闘しても手負いがパートナーじゃ逆に足手まといに──』


「だからって放っとけるわけねえだろ! 目の前で殺られちゃ目覚めが悪いんだよ!」


 有無を言わせず、黒音はアズと一体化して黒騎士の姿となる。

 右手で禍々しい長剣の柄を握り締め、電波塔から飛び立った。


「そこの死神、私の相手になってもらおうかしら」


「ん……あなたが、女神……?」


 羊のような角を生やした死神は、正面に立つ人魚へとそう問いかけた。


「ええそうよ。死神と対局の存在である私が相手よ」


「えっと、よろしく……」


「へあ? へ、ええ、よろしく……?」


 予想の斜め上の言葉を返す死神の少女に、早くもペースを崩される人魚。

 だがすぐに集中力を立て直し、聖力を高め始めた。


『エリちゃん、あまり体に負担を掛けられないし、大技はしっかり見極めて使うんだよ』


「言われなくても一番理解してるわよ……っ!!」


 声に力を込め、水瓶から水刃が飛び交う。

 死神はそれが眼前に迫っても目を閉じることなく、首にすれすれの肩で受け止めた。


「なっ、一切動かないですって……!?」


 攻撃されても一切ノーモーションで、水刃が進行方向を変えることなく直撃した。

 にも関わらず、死神は眼前に刃が迫ってきても条件反射でまぶたを下ろすこともなかった。

 完全に嘗められている。でなければ目が見えていないかだ。

 人魚は確信する。絶対に前者だと。


「……今のはなに……?」


『ただの水鉄砲だから気にしなくていいわ』


「ああ、水鉄砲……へ、水鉄砲……? なんで……?」


 恐らくパートナーと会話しているのだろう。

 そのパートナーが水鉄砲と言ったのだ。

 普通の契約者相手ならば一発で腕か足の一本は飛んでいるような一撃を、心臓の真隣に食らっておいて。


「くっ……やっぱり死神を相手するのは無茶だったの……?」


「……もう終わり……? ならこっちも行く……」


 再びノーモーションで、突如人魚の眼前に五本のいびつな剣が現れる。

 人を貫く為だけに産み出されたような、貫通性の高い形状だ。

 死神が振るう剣としては最適なフォルムをしている。

 ほんの少しでも動けば串刺しにされる。眼前にある五本の剣がそう忠告していた。


「……どう……? 上手に出来てる……?」


『ええ、初めてにしては上出来よ。魔力を形として具現化させるなんて、早々出来る芸当じゃないもの』


 それは決しておだてているわけではなく、本当の話。

 人魚のようにエネルギーをあるものへと変化させることならばある程度の実力でも出来ることだが、エネルギーを変換させることなく元の質のまま形を作ることは一流の契約者でも早々出来ることではない。

 だがその分、変換させた物質よりも高いクオリティで再現される。

 つまり威力も殺傷能力も格段に向上していると言うことだ。


「じゃあ……頑張って避けて」


 絶対不可避の距離に剣を配置した本人が、頑張って避けてねと。

 つまりそれは間接的な言葉で──


「切り裂け! 〈断絶ヴェリアリする(・オブ・)暗黒ダークネス〉ッ!!」


 五本の剣が動き出す寸前、真横から五本の剣がバラバラに砕かれる。

 破片から顔をかばった腕の隙間から、日本刀ほどの長さの長剣を降り下ろす黒い甲冑の騎士が見えた。


「アンタ、何でっ……」


「お前は馬鹿かアホなのか? そんな聖力量で死神に挑むなんざ三下以下の所業だ!」


「っ……悪魔のくせに大口叩かないで!」


「だったら今からその悪魔の力とやらを見せてやる。テメェは下がってろ」


 死神を相手に相当な自信をの覗かせる黒い騎士に、人魚は言葉を失って後ろに下がる。

 どちらにしても今の人魚の聖力ではどうにもできはしない。


「さあ死神、この俺、黒騎士の戦い方を見せてやる」


 黒音が不敵に微笑み指を鳴らした瞬間、黒音の背後に巨大な魔方陣が現れた。

 幾重にも重なった輪と輪の間に読み取ることのできない不可解な文字が連なる。

 やがて完全に魔方陣が完成すると、背後から雷鳴が響いた。

 薄緑色の電流を纏う狼のようなドラゴンではなく、鋼のボディを持つシャープなフォルムの龍だ。

 体全体がダイアモンドのような煌めく鱗で構成されており、その肌を紫色の電流が絶え間なく這っている。

 腕はなく、その代わりに片方だけでも二メートル以上はある翼の間接部分に小さな爪が四本並んでいた。

 形的には鳥のような形をしている。


「コイツはな、金剛龍インライディナと紫電龍アリフィロムの間に生まれた〈混血の(ハーフドラゴ)仔龍ニューム〉……剛電龍アリフィディーナだ」


 黒音がそう言い終えると同時、剛電龍の凄まじく甲高い咆哮が夜空に響き渡った。

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