~Warm cloud~
「ん……ぅ……うぅ……ここ……は……」
「目が覚めたみたい……よかった……」
目覚めて初めて視界に映ったのは、血にまみれた少女の顔。
額からの流血で右目を閉じており、口の端からも血が垂れている。
恐らく吐血した後だろう。
痛々しいほど傷ついた少女の膝に、黒音の頭は乗せられていた。
「お前は……遥香……? 何でそんなに……傷ついて……」
「何でもない。それより、何も覚えてない?」
「ああ、レーヴァテインの攻撃をヴィオレが庇ったとこまでは覚えてるんだが……それ以降が曖昧で、よく思い出せねえ……」
「そう、あの後あなたが勝った。正々堂々と、真正面から。あなたの神機の力を侮った私の負け」
「そう、か……何か違和感あるけど、勝てたんだな……」
確かに、レーヴァテインの特性〈解錠〉で雲属性の力を解放した記憶がうっすらと残っている。
何かしらの作戦で遥香の力を吸収し、遥香に勝てたのだろう。
「にしても、本当にごめんな……」
「どうして謝るの?」
「俺の目的はお前を仲間にすることだったのに……こんなに傷つけて……仲間を守る為に強くなりたいのに、仲間になるはずのお前を……」
「それだったらおあいこ。私も仲間になるはずの人をこんなに傷つけてしまったから」
遥香の視線の先を辿ると、遥香と同じく血まみれなった梓乃と漓斗がいた。
幸い二人とも五体満足に手足が残っている。
「まったくぅ、世話のかかる人ですねぇ」
「わふ、すっごく疲れちゃったよ」
この場にいる全員が重症だが、命に別状があるものは誰もいない。
「漓斗はともかく、俺と梓乃は学校に通ってる。血がついた服なんか見つかったらやべえし、魔界に行って洗濯してもらうぞ──って何だよその目は?」
「いやぁ、まさかここで服を脱げなんて言う気ですかぁ?」
「いや、処理する手があるなら好きにすればいいぞ。俺はよく返り血とか自分の血がついた服は魔界の魔術で元に戻してもらったりする」
「流石は黒音君だね。鈍感さならママ達英雄を越えてるんじゃない?」
そんな所を越えても何一つ嬉しくはない。
黒音は自分の血が染み付いた病衣をアズに預け、転移魔方陣を通すことで自宅から着替えを引っ張ってきた。
「……黒音君って女の子の前で平気で着替えるんだね」
「バカ、お前らを信頼してるから裸を見せられるんだよ」
何一つ武器を携帯していない丸腰の状態を晒すのは、完全に信頼している証。
つまり遥香も含めて、黒音に信頼されていると言うことだ。
「さてと、病院に戻らなきゃだな」
「どうせ明日で退院ですけどねぇ」
「お、マジか。ってか俺知らされてないんだけど」
「私が知らされた頃には寝ていましたからねぇ」
体に張り付いて乾燥した血が、鉄臭くて敵わない。
黒音は人が通れるサイズの転移魔方陣を展開すると、
「俺は一旦家に帰るぞ。こんな血塗れじゃ入院期間が伸びちまう」
「いや下手すると警察行きだよ……そだね、私達も帰ろっか」
「ああ梓乃さぁん、私廃墟暮らしなのでお風呂がないんですけどぉ、シャワーを貸してもらってもいいですかぁ?」
「うん、歓迎だよ。ロウも喜ぶかも」
「遥香も家に帰るのか?」
それぞれ転移魔方陣を展開する中で、一人浮かない顔をしている遥香。
それも仕方がない。遥香には家がないのだから。
「私はまたホテルに泊まる。魔石を売ればいくらでもお金は手に入るし」
「ああなるほど、魔石を作れば生活費が賄え──じゃなくて、そんな姿でホテルに言ったら騒ぎになるだろ。俺の家に来い。シャワーと着替えくらいは貸してやれる。着替えは男物だが」
「いい、の……? 私は一度あなたを……」
「でも今は仲間だ。つかそんなこと言い出したら俺の仲間になった奴全員最初は俺を殺しにかかってきたからな」
海里華は故意でなかったとしても、梓乃と漓斗の二人には暴走して殺されそうになった。
遥香との戦いなど、まだまだ綺麗な始まり方だった方だ。
「わうっ、ハルちゃんが黒音君ちに行くなら私も行く!」
「な、そ、それならぁ、私も行かせてくださぁい」
「何でだよ、お前らは自分らで何とかなるだろ」
「わうぅ……黒音君のばか!」
「もう知りませぇん。お好きにどうぞぉ」
何故か怒ってしまった梓乃は、漓斗を連れて転移魔方陣を潜っていった。
そうして残されたのは、呆れ気味の黒音と呆けた顔をした遥香の二人。
黒音はぺたりと座り込んで上目遣いの遥香に手を差し伸べた。
「それじゃあ行くか。俺はシャワーを浴びたらちょっと休憩して病院に戻るけど、行くとこがねえなら泊まってってもいいぞ」
「泊まるって、さっきまで敵同士だったのに……」
「だったら俺の使い魔を一人おいとく。それならいいだろ」
どちらかと言うと、黒音の接し方に慣れていない遥香を安心させる為におくと言うだけで、黒音にとっては遥香はもう何にも代えられない大切な仲間の一人だ。
「俺が病院に戻ったら俺の使い魔に分からないことを聞け。そうだな、フィディでいいか」
黒音が呼び出したのは麗しい銀髪にへそを露出したミニスカートの軍服を纏う、最初の使い魔であるフィディだ。
フィディは遥香の腕を自分の肩に回し、遥香の体を支えた。
「ねえ……フィディ、だったっけ……」
「はい、何でしょう?」
真夜中のリビング、バスルームからシャワーの音が静かに聞こえる気まずい空気だ。
遥香は無言で食べ物を作るフィディを眺めながら、声をかけてみた。
「あなたは私を信じられるの?」
「マスターが信じたのならば、私があなたを信じない理由はありません」
「黒音を信頼してるのね……」
「今はどうか分かりませんが、マスターが私を使い魔にしようとしていた頃、私はマスターの三倍近い戦闘力を持っていました」
アスモデウスが言っていたとおり、使い魔に選ばれる者は主の戦闘力の三倍以上だった。
ならばやはり黒音の心がフィディを動かしたのか。
「決して諦めることなく私を求めるマスターの心に惚れて、私はマスターに忠誠を誓うことを決めたのですが、マスターはそれを拒みました。自分から使い魔になれと言ってきたのにです」
「変なの……どう言うこと?」
「どうしても自分の力で私を手懐けたかったそうです。そんなマスターだからこそ、私はマスターを信頼していますし、安心して忠誠を誓えたのです」
しかしそれは単なる意地っ張りではなく、妥協したくなかったそうだ。
フィディと勝敗を決する前に、フィディが妥協して認められるのはどうしても嫌だった。
そして案の定、黒音はフィディに敗北した。
「負けといて言うのは何だけど、俺の使い魔になってくれ。そしていつか、お前を越えられるまで強くなって見せる、と。私はその言葉に心底惚れました」
「未愛 黒音……不思議。でも、嫌いじゃない。あなたが言ったこと、理解出来る。黒音は……人を惹き付ける魅力がある」
「はい、マスターには他の人にない魅力があります。常に己の信念を貫き、仲間の為ならば喜んで命を差し出す。チームのリーダーとしては、この上ない素質です」
「風呂上がったぞ。遥香も入ってこいよ」
「ふ、にゃ──ふにゃ……っ!?」
「ま、マスター! お客様のいる時くらいは衣服を身に付けてからお戻りください!」
「ああ悪い。いつもの癖だ」
腰にタオルを巻いただけの姿でリビングに来た黒音。
丁度洗濯し終わっていた病衣を羽織り、黒音はフィディの作った夜食にありついた。
「マスター、お早めに養生ください。遥香様を率いれたと言うことは次の相手はあの焔様です」
「そうだったな。今何してんだろうな。俺も結構レベルアップしたけど焔はそれの上を行くんだろうな」
「自分より強い相手に挑むのに、何で楽しそうなの?」
思えば悪魔のくせに死神の遥香に挑んできたのも解せない。
勝てない所か殺されるかもしれないと言うのに。
「そんなの楽しいからに決まってるだろ。俺なんかより強い奴なんか巨万といる。だから挑みたいんだ。俺は奇跡を信じるロマンチストだからな」
奇跡を信じていたからこそ、遥香に勝つことが出来た。
でもそれは黒音が決して望まない奇跡だった。
「……本当にありがとな。この鍵はお前に預けとくよ」
「これは、アダマスの神機奥義・皇を吸収した鍵……あなた、もしかして……」
「あの二人にもお詫びしなきゃな」
転移魔方陣を展開した黒音は、遥香の頭に手をおいて自宅を後にした。
フィディと二人残された遥香は、フィディに分からないようこっそりとヴィオレを呼び出した。
「ヴィオレ……体は大丈夫……?」
『梓乃、回復してくれた。遥香、大丈夫?』
「私は大丈夫よ……私ね……これから黒音について行こうと思うの……」
『それが遥香、決めたこと。僕は使い魔としてそれに力を貸す』
勝負に負けたわけではない。
現に遥香は暴走した黒音をいつでも殺すことが出来た。
でも殺せなかった。中庭で見た黒音の微笑みが頭を離れなかったから。
「私が黒音について行くのは私の意思……勝負の勝ち負けじゃなく、彼の本質が気に入ったから」
遥香は魔力の糸で編んだ特別製のチェーンを、黒音から預けられた雲属性の鍵に通して自分の首にかけた。
『焔様、先ほど死神の少女が黒音さんの仲間になったことを確認致しました』
「そう……準備が整ったわね。クララ、ラボーテ、ラヴル、ウリエル」
右手には水色の長剣、跨がっているのは翼を生やした白い天馬、左腕には獅子の顔を象った盾、全身には赤いラインの走った純白の甲冑。
紅蓮の白騎士が、とうとう準備を終えたのだ。
「これが本当の開戦よ。死神を従えたその力……見せてもらおうかしら」




