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魔王が紡いだ御伽噺(フェアリーテイル) ~avenger編~  作者: シオン
~avenger編~ 第四章「紫の死神」
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第四話『sickle of adamas』

 後から追い付いたアスモデウスと一体化し、遥香はホテルの屋上を越える遥か上空まで飛翔した。

 見渡す限り、真っ青な津波のカーテンが覆っている。

 一番強いエネルギーの反応を感じるのは、一般人にも目視で確認出来る池のある公園だ。

 あそこにこの津波を起こしている契約者と神機がいる。


「アスモデウス、行きましょう」


『待って遥香、この規模の津波を起こすには莫大なエネルギーがいるはず。それも神機ですら維持が難しいほどのね』


「じゃあどうするの……っ?」


『焦らないで聞いて。あの規模なら第二波を起こすまで相当な時間を要するはずよ。なら正体不明の契約者の所に行って足止めを食らうより、先に津波をどうにかしましょう。第二波まで相当な時間がかかるなら第一波をどうにかしてからでも間に合うはずよ。それにこれだけ大っぴらにやってたら他の契約者が原因をどうにかしようとしているはず。なら私達は津波を何とかしましょう』


 遥香に納得が行くような言葉を息が切れる限界まで並べ続け、アスモデウスはまだ戦ってすらいないのに息を荒げた。


「わ、分かった……ならアスモデウスに従って、津波を何とかする。でもどうするの? 私にはあの津波をどうにか出来るほどの規模の技を持ってない」


『どっち道、遥香が学んできた体術を要してもあの規模は無理よ。なら大きな防壁を展開して街を覆いましょう。私達死神の力を持ってすれば可能なことよ。後はその防壁の形状を変化させて防壁で津波の水を包み込んで海まで転移させて──とにかく、随時指示するから、遥香はその通りに動いて』


「分かった。まずは防壁。どうするの?」


『魔力を薄く伸ばして分厚い板を作るのよ。そうね、柔らかいクラゲの頭をイメージして』


「クラゲの、頭……?」


 いまいち掴みにくいイメージとともに、遥香は防壁を展開する方向、つまり津波の方へと飛んだ。


「黒音君、まだなの……? もう十分経っちゃったわよ……?」


『黒音さんと思われる魔力がどんどん減っています。おそらく苦戦しているかと』


「っ……流石に一人じゃこんなの……っ」


 巨大な津波を蒸発させようとでも言うのか。

 一人の契約者が津波へ向かって延々と爆発に近い炎を噴射している。

 だがそんなものはバケツに張った水にマッチ棒を突っ込むようなものだ。

 何百年かけようとも津波は何ともならない。


「アスモデウス、防壁はこれであってるの……?」


『ええ、あってるわ。初めてなのに上出来よ。でもこの規模じゃ、その大きさだと足らないわね』


 遥香は白い鎧を纏った契約者を少しと降りすぎて、ひたすら頭の中でクラゲの頭をイメージした。

 何とか今いる場所から地面に到達するほどの高さにまでなった防壁を、津波と街の境目に突き立てる。


「貴女、確か死神の契約者……どうしてここに?」


「ん……黒騎士……? でも白い……? ま、いいわ。私、この街に住んで……いえ、寝て……でもなくて、とにかく津波が来たら寝る場所がなくなるの……」


 それ以上にここは初めて家族が出来た大切な街だ。

 契約者や神機の身勝手で沈められてはたまったものではない。

 白い鎧の契約者、白騎士は、少しだけ考えるそぶりをした後、遥香に接近した。


「お願い、力を貸して」


「別にいい、けど……どうするの……?」


「防壁を大きくするコツはね、パン生地を棒で伸ばしていくようなイメージなの」


「パン生地を……棒で伸ばす……? こんな感じ……?」


 白騎士にコツを教えてもらった途端、遥香が展開する防壁の規模がさらに巨大化した。

 巨大化の規模はとめどなく広がり、ついには街を覆うような大きさにまで巨大化する。

 流石にクラゲの頭では、大きくさせるのにも限界がある。

 アスモデウスよりもよっぽど分かりやすい例えだ。

 しかし無論、遥香はパン生地を伸ばした経験はない。


「流石死神ね……化け物じみてるわ」


「でも、薄く伸ばしたせいで強度は期待出来ない、と思う……」


 薄いガラス板を張っただけのような薄っぺらい防壁では、津波と接触した瞬間に粉砕されてしまうだろう。


「ええ、だから何枚も重ねるの。同じ防壁を何枚も重ねれば強度は倍々と高まっていくわ。私も協力する」


「分かったわ……やってみる」


 遥香は白騎士と協力して、ともに何枚もの防壁を築き上げた。

 強度こそ期待出来ないが三十秒に一枚のペースで防壁が重なっていく。

 こんなにも危機的状況なのに、遥香は思わずミルフィーユのケーキを想像してしまった。


「……津波と接触するまで後五分って所かしら……後十枚展開出来ればいい方ね」


「後何枚くらいあると完全にあれを防げるの?」


「そうね……数あるに越したことはないけれど、後三十枚は欲しいわね。後は津波がどこにも漏れないように封じ込められると言うことないんだけど……」


 どうやら白騎士の考えていることも同じのようだ。

 遥香は想像するものをパン生地からミルフィーユへと変更し、いっぺんに複数の防壁を作り始めた。

 複数の作業を同時に行っていると言うのに、防壁にはムラがなく、防壁同士がぶつかることなく綺麗に重なっている。


「す、凄いわね……私も負けてられないわ。クララ、来て」


 遥香が防壁を展開している間に、白騎士は一旦手を止めて誰かに話しかけ始めた。


「はいな、焔氏、何をすればいいやんね?」


 白騎士の背中から突如飛び出したのは、蒼いドレスと銀色の軽装を纏う、ミルクティーカラーの髪をした少女。

 マモンの髪よりも、少しだけ濃いくらいの髪色だ。

 クララと呼ばれる少女は、直立不動の体制で白騎士の命令を待つ。


「貴女の特性は時間経過による倍化。ならこの防壁の強度を倍化させて」


「了解したやんね!」


『あれが神機よ、遥香。神が創造した意思を持つ武器』


「あれが、マモンの言ってた……」


 遥香が複数の防壁を展開することで数を、白騎士は神機の特性で複数の防壁の強度を倍化させて質を強化した。


「これで何とかなりそうね。まだ油断は出来ないけれど、これなら行けるわ。防壁を展開しながらでいいから聞いて。今度は街を守ってるこの防壁の形を変えて津波を包み込むのよ。防壁をシュークリームのシューに見立てて津波のクリームを閉じ込めるの」


 女の子にはやはりお菓子で表現した方が分かりやすいと言う白騎士の考えは、見事にドンピシャだった。

 遥香は瞳を閉ざし、津波と言うクリームを一滴でも逃すかと言う面持ちで防壁の形状を変化させる。

 徐々に防壁が裏返り、受け皿のように津波を掬い上げた。


「クララ、水量の負荷に耐えきれるよう、防壁の強度をもっと倍化させて!」


「が、頑張るやんねッ……!!」


 主の無茶ぶりに答えようと、クララは自分の特性を全開に発揮させて遥香の展開した防壁を強化していった。

 そして数分後、あり得ない量の水が何十倍にも強化された何十枚もの防壁に包まれて、空っぽの金魚鉢のような姿になった。


「こ、これで……一先ず安心ね……」


 神機の特性を促進させる為にほとんどのエネルギーを使い果たし、白騎士は息も絶え絶えで自分の体を支える。


「ありがとう……貴女がいてくれて助かったわ」


「そんなことない……私もあなたがいたから何とかなった。ありがと」


「あら、どうやら原因の契約者に対応してた方も戻ってきたみたいよ──って、何なのその姿っ!?」


 白騎士の元にふらふらと飛んできたのは、幾重にも切り傷を刻まれたもう一人の契約者だった。

 ごつごつした鎧の背中に、一人の少女を背負っている。

 その姿は以前遥香を手も足も出させずに完封した黒騎士だった。

 纏う鎧のシルエットだけを見れば、二人の姿はそっくりだ。


「焔……津波は、どうなった……」


「この子のおかげで何とかなったわ」


「そう、か……悪い……後は、頼んだ……」


 白騎士の声を聞いて安心したのか、黒騎士は少女を背負ったまま気絶した。


「ちょ、私も聖力が残ってないのに、貴方の体重なんか支えらんないわよっ」


 へろへろの主の為に、同じくへろへろのクララも黒騎士の体重を支える為に肩に担いだ。


「ほんとありがとね。私はもう飛んでられないから、失礼するわ。また会いましょう」


 白騎士は遥香の返答を待つことなく、ビルの屋上を目指してその場を後にした。

 一人残された遥香は、しばらく放心する。

 白騎士の指示に任せたとは言え、自分が街の危機を救ったのだと。

 夢かと思っても見上げれば大量の水を封じ込めた防壁の容器がある。


『後は転移魔方陣でこれを海に投げ出すだけね。よく頑張ったわ。後は私一人で出来るから、遥香はとりあえずホテルに戻りなさい』


「ん……分かった……」


 一体化を解除し、遥香は巨大化したヴィオレの背中に乗ってホテルを目指した。


『本当によく頑張ったわね。貴女は確実に成長しているわ』


「……成長が実感出来ると、凄く気持ちがいい」


 数分後に戻ってきたアスモデウスに、遥香は思ったことを率直に述べた。


『そうね、マモンの特訓は間違ってないわ。でもとにかく今は休みなさい。向こうでの特訓で疲れも溜まってるし、さっきので相当な魔力を消費したでしょう』


 アスモデウスに言われなくとも、もう遥香は強烈な睡魔に襲われている。

 ガープとの戦闘の終盤でいつも味わっていた魔力切れの感覚だ。

 終わりなく、ずっと街一つを覆うほどの防壁を作り続けていたのだから無理もない。


「ごめんなさい……アスモデウス……少しだけ……眠る……」


 暗闇に引きずり込まれる意識は抗うことが出来ず、遥香は寝息を立て始めた。

 アスモデウスはそんな遥香に羽毛布団を着せると、転移魔方陣を展開してホテルから消えた。


『六種族の中で神機が使えるのは女神と死神だけ……それ以外だとすれば神の資格を持つ者だけなのに……黒騎士は神機の剣を持って当たり前のように遥香の作り出した剣を砕いた……』


 空中に浮遊しながら、ずっと埋まらないパズルのピースを探し続けるアスモデウス。


『それにさっきの白騎士……あの子も神機の剣を使っていた……エネルギーの質からして天使だったわ。なのに、女神と同じく神機を……ああ分からない……黒騎士も白騎士も……!』


 やがて入り組んだ思考は絡まってほどけなくなり、アスモデウスは最終的にそれを投げ出した。


『前例が無さすぎて──前例……? そう言えば、チーム〈Heretic〉のメンバーは皆神機を使っていると聞いたわ。チームリーダーのエルザ・アルベルティは悪魔なのにも関わらず、生き血を啜る魔剣ダーインスレイヴを使っていた……となると、今はもう神の資格を持たない者でも神機と契約出来るようになったの……?』


 もしくは、神機自身がその理を退けた?

 それほどまでに、神機と言う概念が生まれた時から存在している理を振り払うほどに凄い契約者がいると言うのか。


『だとすれば、説明がつかないこともないけれど……これは、危ないとかまだ早いだとか言ってる余裕はなさそうね』


 もし本当に女神や死神でない者が神機を使えるのだとすれば、遥香だっていつまでも目を背けているわけにはいかない。

 契約者としての、神格としての覚悟を自覚しなければ。


『でも遥香に相性のいい神機って……』


 今の遥香には他の契約者が涎を流して羨むほどの戦力が揃っている。

 色欲の死神アスモデウスをパートナーに持ち、雲属性最強の六芒星デイブレイクことヴィオレを従えた。

 しかも死神級の悪魔ガープと強欲の死神マモンのスパルタ特訓をうけている。

 これ以上ない好カードだが、いまいち遥香の力が伸び悩んでいる気がする。

 サタンと対峙した時は圧倒的な魔力の支配力を発揮していたが、もしそれが本来の実力ならば数十枚ほど巨大な防壁を展開した所でバテたりはしないのだ。


『何が足らないのかしら……今の遥香には……』


 何をどうすれば、燻っている遥香の才能を開花させることが出来るのだろうか。

 六芒星のドラゴンを〈使い魔〉にさせても変化なし。

 他の死神に鍛えてもらってもずば抜けて、と言うわけでもない。


『何か……何かがスイッチとなって、遥香の才能を開花させるはず……初めてあの子を目にした時に感じたあの魔性は、絶対に間違いではないはずよ……』


 今の遥香には決定的に何かが欠けている。

 そして同じように、アスモデウスの思考も一つのピースが欠けていた。

 契約者の力は"思い"によって変化すると。


「んん……にゃ……ぅ……ヴィオレ、アスモデウスは……?」


 夕方頃に目を覚ました遥香が眠たい目で辺りを見回すも、ホテルの部屋のどこにもアスモデウスの姿は見当たらなかった。


『アスモデウス、一人で出かけた。魔方陣使ってたから、多分遠く』


「そっか……ふぁぅ……よく寝た……お腹が空いたね……」


『僕も、空いた。なに食べる?』


 ベッドの上で丸まりながら腹を押さえるヴィオレ。

 いつもの鳴き声のように「くぅ、くぅ」と鳴くお腹が愛らしくて、遥香はヴィオレの体を掬い上げるようにして膝に乗せた。


「いつもならアスモデウスがいるからホテルの料理を食べるけど……アスモデウスがいないと不安。だから外で食べましょう」


『分かった。今日はどうする?』


「にゃ? 何が?」


『開戦の空、行く?』


「あ、そっか……アスモデウスが帰ってきたら相談しよ」


『呼んだかしら?』


 バスルームの方からそんな声が響くと、そこからアスモデウスが現れた。

 白い髪に水滴が滴っている。

 どうやら遥香とヴィオレが寝ている間に帰って来てシャワーを浴びていたようだ。


「アスモデウス、今日は開戦の空に行ってもいい? 昨日は煉獄龍がいるとかで控えていたけど、今日もダメ?」


『……いいわよ。遥香、これからは積極的に参加なさい』


「ふにゃ、ど、どうしたのアスモデウス? 前まではそんなに乗り気じゃなかったのに……」


『乗り気じゃなかったわけではないわ。ただ少し危なくても、経験を積むことは必要だと思っただけよ』


 いつまでも危ないことを怖がっていたら、進める道も進めない。

 契約者となった時点で、危険でない時間など存在しないのだから。


「じゃあ行こう、アスモデウス、ヴィオレ」


 広い街の上空、とくに制限があるわけでもないのに、一度に多数の契約者が集ったことから開戦の空と呼ばれるそこは、今夜も多数の契約者で賑わっていた。


「……? アスモデウス、見たことのない契約者がいる……」


 昨日まで見知った契約者以外出てこなかったのに、今日は二人ほど知らない顔がいる。


『あれは……左側にいるのは天使みたいだけれど、何か混ざってる……悪魔の気配も感じるわ。正体不明ね。どうせ新しい顔に挑むならまだ正体がはっきりしてる方になさい』


 集まった契約者の中心で、どうどうと腕を組んでいる黒づくめの契約者。

 相当に自身があるのか、それともただのバカなのか。

 どちらにせよ、二人が選択肢を間違った(・・・・・・・・)ことに変わりはなかった。


『あら、好都合ね。緑色のドラゴンが天使にあたってくれたわよ。黒騎士とドレスの契約者は……結託してるみたいね。二対一じゃ分が悪いし、黒づくめの方にしておきなさい』


「分かった。じゃあ──先手必勝……!!」


「ん……なるほど、貴様が俺の相手か」


 猛烈なスピードで、それこそ目視さえも出来ないようなスピードで突っ込んでくる遥香を、黒づくめの契約者は一切動くことなく見下ろしている。

 そしてほんの一瞬、黒づくめの契約者が腕をもたげようとした直前に遥香の手刀が降り下ろされた。


「私の技……見せてあげるわ……〈死神の大鎌〉……!!」


 遥香が手刀を降り下ろした瞬間、薄紫の線が現れた。

 いちいち魔力で大鎌を形成する時間がもったいないと、ガープに改良してもらった技だ。

 〈龍の咆哮〉を真っ二つに切り裂くような一撃が、契約者へ吸い込まれるように発射される。

 魔力を凝縮した一撃は、瞬時に契約者の体を真っ二つに切り裂いた。

 だが黒づくめの契約者の体からは一滴の血も吹き出ず、むしろ半分にされたまま生きているようだ。


「そんなものか?」


「っ……? 死体が、喋った……?」


 違う、死体が喋ったのではない。

 アスモデウスは長年の勘でそう確信していた。


「技と言うものはこうするのだ──〈幻の銃弾〉!!」


 幻覚が解け、真実の光景が露になる。

 遥香の右肩にはいつの間にか青年の人差し指が突き立てられており、胸の左側にはマスケットのような形状の長銃が突きつけられていた。

 長銃に青年の魔力が込められると、青年は容赦なく引き金を引いた。

 強大な魔力か込められた一発の衝撃を受けて、遥香は大きく後ろにのけ反った。

 おかげで致命傷にはならずに済んだが、受けた衝撃が強すぎて、意識を失ってしまった。

 そして遥香そのまま地面へと墜落していく。


『遥香、しっかりして遥香!!』


 すぐに目を覚ます気配はない。

 アスモデウスはヴィオレを呼び出して本来の姿に戻し、遥香をヴィオレの背中に乗せた。


『ヴィオレ、路地裏の方までお願い!』


『承った』


 これが二人が選び間違った選択肢。

 それは契約者の世界にその名を轟かせる四大チームの一角、チーム〈tutelary〉のエースに挑んだことだった。

 それからしばらくして目を覚ました遥香。

 小さいサイズに戻ったヴィオレに心配そうな目で見守られながら、ゆっくりと体を起こした。


「……私は……ぁっ……あの悪魔は……」


『もういないわ。貴女が気絶したから離脱したのよ』


「どうしてッ……!!」


 遥香が墜落した路地裏に、悔しさと苛立ちを孕んだ怒声が響き渡る。

 闇の中でアメジストに煌めく瞳は、焦りの色で埋め尽くされていた。


「どうして負けてばかりなの……!? 死神はすべての種族の上に立つ存在じゃなかったの……!?」


『そう、死神は最強の存在よ? でもね、知識も経験もなければ勝つことは出来ない』


「私が、無知だから……? 私が無経験だから……? だから、あなたの力を引き出せない……本当の力を……」


 雲属性最強のドラゴンを使い魔にしても、マモンのスパルタ特訓を受けても、一向に芽が出ない。

 ほんの一瞬のことだ。まるで鬱陶しいハエを追い払うかのように叩き潰された。

 そんな己の無力さに、とうとう遥香は耐えきれなくなった。


『仕方ないわ。知識も経験も、戦いの中で掴むものよ』


「でも、このままじゃ……いつか死んじゃう……」


(……死の恐怖に捕らわれ始めてる……もう、ダメなのかしら……この子の才能はとてつもない。肌で感じられるほどだったのに……)


「このままじゃ……本当に、あなたがっ……」


 ──へ? どうして自分の心配をせずに、私のことを心配しているの? ろくに力になってもいないのに。

 アスモデウスは目の前にいる少女が不思議でならなかった。


「あなたがいなくなったら……私は何を希望に生きていけばいいの……?」


『貴女って子は……』


 一瞬でも見限ろうとした私のことを心配してくれる遥香を、私は離したくない。

 アスモデウスは改めて、遥香を死ぬまで守り続けることを心に誓った。


『ねえ、貴女は本当に強くなりたい? 強くなりたいとしたら、何の為に強くなりたい?』


「強くなれるなら、なりたい……あなたの為に……生きる希望をくれたあなたの為に、私は強くなりたい……!」


『そう……なら、巨神の大鎌を探しなさい』


「巨神の大鎌……? それがあれば私は……強くなれるの……?」


「強くなれるかは貴女次第。でも何かしらの形で今の現状から抜け出せるわ」


 でも彼女に認められなくては逆に刈り取られる。

 これは大きな賭けだ。もし認められればアスモデウスは百パーセント所か五百パーセントの力を使い切ることが出来る。

 だが認められなければ肉体から魂を刈り取られ、亡骸となる。

 抜け出すのは果たして勝てない現状か、己の体からか。

 最高神の持つ最高クラスにして最固の頑丈さと切れ味を持つ神機〈巨神の大鎌(アダマス)〉は、とにかく気まぐれだ。


「それで……私が強くなれるなら……あなたの全力が出し切れるなら……やってみせるわ……」


 これが本当の三度目の正直だ。

 一度目はヴィオレを率いれたが、自分自身のレベルアップではなかった。

 二度目もアモンの特訓を受けたのにも関わらず芽が出なかった。

 だが三度目は、今度こそは結果が出ると信じて、遥香は路地裏を後にした。


『これから向かう所は魔界よ』


「魔界……? 冥界よりも浅い場所……」


『ええ、魔界と冥界の境目にある次元の狭間に向かうわ』


 次元の狭間は一度入れば絶対に脱出不可能と言われる、死の空間だ。

 そこは例え死神だろうとも、例外に漏れない。

 だがアスモデウスはあえてそれには触れず、話を進めた。


『その神機はあの白騎士や黒騎士が使っていた神機とはワンランク上のものでね、皇クラスと言われるの。主に神話の主神クラスの神が造る神機をそう呼ぶわ』


「主神って?」


『北欧神話ならオーディン、ギリシア神話の主神ならゼウスと言うように、他の神を纏める頂点の存在よ』


 主神のみが他の神に神機を創造する権利を与えられる。

 それこそが、アスモデウスが自分で神機を創造出来ない理由だ。

 ソロモン七十二柱の神、ソロモンが権利を与えていない為に、七つの大罪ほどの死神も自分で神機を創造出来ない。


「じゃあ私達が手に入れようとしてる神機はどの主神のものなの?」


『主神と言うわけではないけれど、オリュンポス十二神の主神ゼウスを産み出したクロノスの神機よ。二番目にすべての宇宙を統べたティターン神族の長なの』


「じゃあとても凄いんだ」


『まあ息子のゼウスに討ち取られて自分自身が神滅機になったのだけれどね』


「……実はショボい……?」


『いいえ、決してそんなことはないわ。なにせ、アダマス以上の切れ味をした神機は存在しないもの。だからアダマスは実質最強の神機よ。それを産み出したクロノスはとても凄い存在よ』


 長々と神話のことを語られても、遥香にはさっぱり分からない。

 だが最強と言う二文字が、一言が、遥香にすべてを理解させた。


「そのアダマスが、魔界と冥界の境目にいるの?」


『ええ、でも話じゃアダマスは相当に気まぐれらしいから、心して行きなさいよ』


「……関係ない。気まぐれだろうが最強だろうが、私は手に入れて見せる……あなたと一緒にいられないのは嫌だから……転移魔方陣をお願い。それとやり方も教えて」


『え、ええ、分かったわ』


 とうとう遥香が貪欲に力を求め始めた。

 これで遥香は契約者と言う概念に半身を沈めたことになる。

 どんなに力を手に入れても、満足することのない欲求。

 大切なものを失いたくないと言う感情だけが、今の遥香を突き動かしていた。


「もう負けたくない……もう死の淵には立ちたくない……」


 この時初めて、遥香の契約者としての願いが明確に確定した。

 大切なものを失いたくない為に強くなり、戦いたいと。


『行ったことのある場所なら頭の中でその場所を思い浮かべて魔方陣を構築するのだけれど、初めての場合は目的地の世界を選択して、目的地に該当するキーワードを書き込むのだけれ──』


 アスモデウスが言葉を最後まで言い終わるよりも先に、辺りの景色がすり替わる。

 次に現れたのは、マモンの屋敷の前だった。

 やり方を少し教えられただけで、もう行ったことのある場所へ転移したのだ。

 魔方陣を構築することなく!


『嘘でしょ……? 魔法陣なしでの次元転移って……』


 転移魔方陣には段階があり、大きく分けて下から順に空間転移、高位空間転移、次元転移と三段階ある。

 空間転移は目視出来る別の場所へ、高位空間転移は見えない遠い場所へ、次元転移は別の次元へと転移する。

 だが魔方陣を構築せずに転移出来るのは、いずれも目視出来る範囲に転移する最低段階の空間転移だけだ。

 いくら一度行ったことがあるとは言え、魔方陣を構築することなく別の次元へと転移するなど、それこそ死神でも至難の技だ。


「確かに……行ったことのある場所には簡単に転移出来る……次は行ったことのない場所……」


『頭角を現した……遥香がとうとう……化けた……っ』


「化けた……? どう言う意味? まだ変身してないのに」


 絶対的な力に完全敗北したことで、遥香の才能が急激に開花し始めた。

 負ければ死ぬ、負ければすべてを失うと言う恐怖と悔しさが、とうとう遥香の魂に火をつけたのだ。


「行きたい世界を選択する……ひらがなとか漢字で書き込んでいいの?」


『転移魔方陣は古代魔法の改良版だから、専用の文字で書き込んだ方が確実性があるわね』


「ん、分かった。なら必要最低限だけでも、その文字を覚える」


『遥香、何もそこまで……』


「出来ることは全部やる。負けない為には……勝つ為には必要なことだから」


 アスモデウスが虚空に魔力で書き出した文字を、遥香は食い入るように凝視して頭の中に焼き付けていく。

 そうして普通なら一年かけてマスターする完全な転移魔方陣を十分足らずで我が物とした遥香は、アスモデウスに頼ることなく自分で魔界と冥界の境目へと繋がる魔方陣を展開した。


「私はやって見せる……必ず強くなる……!」


 もう普通では辿り着けない境地に達しているのだが、それは戦闘力には直結しない。

 純粋な戦闘力を手に入れる為には、アダマスがいる。

 最強のパートナーと、最強の使い魔と、そして最強の神機。

 これ以上ない最高の環境で、遥香の才能は開花するのだ。


「行こ、アスモデウス」


『ええ……そうね』


 遥香が己のすべてを懸けて成長しようとしているのだ。

 パートナーの自分がいつまでも迷っているわけにはいかない。

 アスモデウスは遥香の展開した魔方陣がちゃんと構築されたものか確かめると、すぐに魔方陣へと飛び込んだ。


「……ねえアスモデウス、私の属性は雲なの?」


『そうよ。それがどうしたの?』


 魔方陣で次元を移動している間も、遥香は何かしら出来ないかと数少ない過去の戦闘を掘り返す。


「この前戦った人魚の契約者は水を操ってた。私は雲を操れるの?」


『まあ、使う魔力を削減する為には魔力を自分の属性に変換させて使う方がいいわ』


「なら属性の力を使う方法を教えて」


 遥香が知識を求めるのは決して好奇心ではない。

 形振り構っている余裕がない故に、アスモデウスの持つ知識を根こそぎ吸収しようとしているのだ。

 もしアスモデウスと同じくらいの知識や経験を積むことが出来れば、とてつもないステータスとなる。


『ヴィオレは自分の体積を自由に変化させられるでしょう? それは小さくなった時の姿がイメージ出来ているからよ』


「つまり、想像力が重要……」


『まあ、砕いて言えば契約者は夢を実現させる為の方法だから』


 契約者と言う概念が生まれたのは、ある三人と一匹と一柱の願いからと言われている。

 (すべ)てを失った少女は悪魔に魂を売ることを願って、自分にない何かを持った友達を産み出し続けた。

 谷底に墜ちた少女は天使に救われることを求めて、分け隔てない慈愛を探求し続けた。

 忘れ去られた少女は天使を裏切り邪に堕ちて、聖と邪の狭間に飛び込み新たな無を受けた。

 捨てられた仔犬は九つの自然に包まれて、悠久に往ける強さと賢さを得た。

 病に倒れた少女は苦しむことのない永久に心を馳せて、無限の概念に心を与えた。

 非力に打ち拉がれた悪魔は神を怨んで、自らを神として邪の真髄に至った。

 それが六種族(ヘキサ・イクシード)の最初、〈原点の種族オリジン・オブ・イクシード〉だ。


「ん……そろそろ出口みたい……」


 流石に次元を越えるだけあって、以前ドラゴンエンパイアに行った時ほどの数分を要した。

 視界に広がっていたのは、冥界に似た空間。

 だが冥界ほど薄暗くはなかった。


「っ……何だか息苦しい……」


「それはそうよ。ここは世界の境目、つまり国境線。空気も漂う魔力の波長も、二つの世界が交わる所だもの」


 気圧が変化すると耳鳴りがするように、世界が変われば体調の変化もある。

 それが九つの属性が入り乱れる六種族の世界と言うことだ。


「この中に飛び込めば……アダマスと会えるんだ……」


「待って遥香、アリアドネの糸がないと戻ってこれなくなるわ」


「アリアドネの糸……? 確か困難な問題を解く意味で使われる言葉……?」


「魔力で編んだ糸を外の木にくくりつけて、後はこれを伸ばしながら進めば確実に帰ってこられるわ」


 魔力の糸を編んで伸ばし続け、帰る時にはそれを伝えば元の出口に戻ってこられる。

 アリアドネの糸をそのまま実現している。


「でも……それがないと無事に戻ってこられない所にアダマスはいる……」


「自分を作った主がいなくなったことで自分も消えようと次元の狭間に飛び込んだらしいわよ。でもアダマスは皇クラスの神機。次元の狭間に迷い込んだくらいで消滅はするはずないわ」


 固唾を呑んで次元の境目を凝視する遥香。

 もし帰ってこられなければ、そんな最悪の結果ばかりが頭に浮かぶ。

 だがそうならない為のアリアドネの糸だ。

 遥香はアスモデウスが編んだこの魔力の糸を信じて、それを強く握って次元の狭間に飛び込んだ。


「なに、ここっ……気持ち悪いっ……」


 シャボン玉の表面のようにぐにゃりと歪んだ景色が、どこに視線を向けても広がっている。

 前後左右所か上下すらもはっきりとしない。

 重力はなく、少し息苦しい。


「ここが次元の狭間よ。転移魔方陣は目的地がはっきりしているから安全だけれど、ここは完全に独立した一つの世界。だからどこにも繋がってないし、どこにでも繋がってる。絶対にその糸を離しちゃダメよ。その糸を失えば、もう二度とここから出ることは出来ない」


「それでも……それでもやる……私は強くなりたい……!」


 アスモデウスと一体化し、背中に翼を広げて難とか平衡感覚を掴む。

 アリアドネの糸を足首にしっかりとくくりつけ、遥香は終わりなき次元の狭間を泳ぎ始めた。


「あ……息苦しさに慣れてきた……」


『死神は空間の対応力に優れてるのよ。でも逆にドラゴンは自分の属性が苦手な属性の場所だと力を発揮出来ないの』


「水属性のドラゴンが火山にいると力が出せないってこと?」


『ええ、あってるわ。……にしても、これじゃあどこに行けばいいかまったく分からないわね』


「……この空間に意識を集中させて別の反応を探す……」


 すでに次元の狭間と同化しているともう打つ手はないが、この空間とは違う波長の反応があればそれがアダマスと言うことだ。

 遥香は全神経を次元の狭間に集中し、意識を広げた。


「エネルギーの流れを感じる……もしアダマスが流されてるなら……この流れを辿れば……」


『でも何千年も前のことだし、どこまで流されているか分からないわよ?』


「でも他に方法はない。可能性があるなら、しらみ潰しに試すしかない」


 死神の魔力は無限に等しいが、完全な無限ではない。

 対して次元の狭間は宇宙と同じと言っても過言ではない。

 限りなく無限に等しい有限と、限りない無限。

 はたして遥香はアリアドネの糸を紡げる限界を迎える前にアダマスを見つけられるのか。

 無限に近い有限のタイムリミットはそこだ。


「ひっ……なに、あれ……っ」


 怯える遥香の視線の先には、細く黒い糸に包まれた人骨があった。

 しかも一部だけでなく、一人分すべてが揃っている。


『あれが闇雲に次元の狭間に飛び込んだ契約者の末路よ。次元の狭間の謎を解き明かそうとして脱出出来なくなり、その生を終えたのね。……本来契約者は死んだら灰になるのに……』


「本当に……脱出出来ないのね……」


 自分の足にくくりつけられた、文字通り命綱を見つめ、遥香は再び固唾を呑んだ。


『言い忘れてたけれど、今回はドラゴンエンパイアの時みたいに食料とかを持ってきてないから、空腹の限界もタイムリミットよ』


「にゃぅ……死神なのに、足枷が多い……」


『一応人間の体だから。あくまで身体能力が超人的になって、超能力が使えるようになるだけで、食事や睡眠が不必要になるわけじゃないわ』


「自由になったはずなのに、人間の体からは逃れられない……私は逃れる気ないけど」


 別に不老不死になって人間の枠を越える為に、契約者となったわけではない。

 ただ大切なものを失いたくないだけなのだ。


「……まだ……見つからない……」


『……遥香、もう一日は経ってるわよ。あれから何も食べてないのだから、一旦戻りましょう? 今度は食料を持ってきて……』


「ダメ……時間が……惜しい……折角ここまで進んできたのに……全部台無しになる……」


 たかが一日何も食べていないだけだ。

 死神ならばそれくらいで死ぬわけがないと、遥香は何も摂取せず休むことなく、エネルギーの流れに従って次元の狭間を進んでいた。

 体温も徐々に下がり始めている。

 アスモデウスと一体化しているおかげで辛うじて意識を保てているが、ただでさえ酸素の薄い場所で丸一日何も食べていない体では持つはずがない。


『どこまで続いているかも分からないのに無茶よ。一旦帰りましょう?』


「無茶でも何でもやるのッ……私は今を失いたくない……絶対にッ……!!」


 アリアドネの糸が繋がっている限りは万が一と言うことはない。

 ならは限界まで探し続けるのみだ。

 ……と半場自棄で暴走している遥香。

 アスモデウスと出会う前は二日間も何も食べなかったことだってあった。

 たった一日くらい、何と言うことはない。


『ヴィオレ、もしもの時は頼むわね……』


『分かっている。任せておけ』


 意識を通じて会話するアスモデウスとヴィオレ。

 ヴィオレは万が一の時入り口からアリアドネの糸を引っ張って遥香を脱出させる為にあえて連れてこなかった。


「ずっと同じ景色で……進んでるのか、戻ってるのか……分からないけど……エネルギーの流れからすれば……確実に進んでる……このまま行けば……多分……」


 時々魂が抜けたように反応しなくなる遥香。

 不眠不休で無飲無食。酸素も薄まっている為、いつ気絶してもおかしくはない。

 それに長時間変身を維持するのにも体に負担がかかるのに、それを丸一日以上も続けている。

 もう限界が来ているのだ。

 普通の人間ならばとうに"ぶっ壊れて"いる。

 契約者でも普通は不可能だ。しかし遥香はアスモデウスを失いたくないと言う気持ちだけで意識を保っている。


「あと……もう少しよ……もう……少しで……アダマスと……」


『……遥香? どうしたの、遥香ッ……』


 先ほどまでは意識を失ってもすぐに戻っていたのに、今は失ったまま戻ってこない。

 とうとう気力ではカバーしきれないほどの限界が来てしまった。

 魔力こそまだまだあり余っているが、体力や精神力は著しく消耗している。


『ヴィオレお願い、早く引っ張ってっ!』


『承った』


 随分進んだせいで引き戻すのにも時間がかかる。

 だがヴィオレがアリアドネの糸を咥えて力一杯引っ張ると、遥香の体は一気に進んできた道を戻っていった。

 そして、遥香が戻ってきたのは開始から一日半もの時間が経ってからだった。


『過労に栄養失調……このままじゃこの子が壊れる……』


 負けられない、死にたくない、失いたくない。

 そんな感情に押し潰されて、遥香は今にも壊れてしまいそうだ。

 純粋で素直だから、物事に一生懸命に取り込み過ぎる。


「おい、大丈夫か?」


 ふいに聞こえてきたその声の主は、黒髪に黒い瞳をした青年。

 こんな入り組んだ路地裏まで来たと言うことは、遥香の魔力を辿ってきたに違いない。

 ならばこの男は契約者だ。


「あ……ぅ……お腹、すいた……」


「飢え死に一歩手前か。食い物でどうにかなるなら食え」


 青年は左手に持っていた唐揚げのパックを遥香の前においた。

 遥香は体をぴくりと反応させ、いつもの毛布を被ったまますぐに唐揚げに食いついた。


「契約者でありながら飢え死にしそうとは……漓斗とは大違いだな」


『誰だか知らないけれど、私のパートナーを助けてくれてありがとう』


「お、おい……ザンナの奴、どこが死神じゃないことは確かだ……魔力こそ微弱だがコイツは……バリバリの死神じゃねえかッ……!?」


 アスモデウスの姿を見て狼狽する青年。

 ここに来るまでは微弱な反応だった為に弱りきった悪魔とでも思っていたのだろう。

 だが弱りきってはいても一応一つの国を任された死神だ。


「し、失礼だが、アンタみたいな高潔なお方が選んだパートナーがなんでこんな所で飢え死にしそうだったんだ?」


『死神に対して"高潔"は皮肉ね』


 こんな時だと言うのに、慌てふためく青年を見て楽しいと思ってしまった。

 だからつい心にもないことを言っていじめてしまう。


『まあいいわ。今私達はある神機を捜しているのよ。でもその神機は少し特別なもので、捜す場所は魔界なのよ。この子ったら必死になっちゃって数日間何も食べずに……』


「魔界の神機っつったら、人間界にあるものとはワンランク上の神機・皇ってことか」


『ええ、宇宙の心理に関わる概念を持つ一つ上の神が造り出す神機。それが皇クラス。今のこの子にはそれが必要なのよ』


「七つの大罪の一柱であるアンタがいながらか?」


『力の使い方が分からない子に私は重荷よ。だからまずは経験と知識を積ませるの』


「あんまオススメは出来ねえな。仮に失敗すれば命そのものを持ってかれるぞ」


『覚悟の上よ。私はこの子のことを信じてるの。この子の隠れたたぐいまれな才能をね』


「まあ、アンタらの問題だから自由だが、その神機を捜し出すまでにまた空腹で倒れるかも知れねえし。ちょっと失礼するぞ」


 唐揚げを完食して一息ついた遥香の額に、青年は人差し指の先を触れた。


「ん……な、に……?」


「次に戦った時は前戦った時よりもいい戦いが出来るようになるおまじないだ」


 青年が遥香に施した"おまじない"が、そんなに不確定曖昧なものでないことくらいは、疲れているアスモデウスでも容易に察しがついた。


「じゃあな。もう野垂れるなよ。それとこれはアドバイスだ。剣に対して背後を取るな。銃に対して突き進め」


 意味不明の言葉を残し、青年は歳上の女性を連れて路地裏を後にした。

 そんな後ろ姿を、遥香は不思議そうに見送っていた。


『あの子、まだこの子のバトルスタイルを見たこともないのに。それ所か今が初対面なのに、私さえ分からないこの子の短所を見抜いたの……?』


 刃に当たりたくなくて無理に背後を取りに行こうとするせいで大振りの斬撃に対抗出来ず、銃弾が怖くて距離を取ろうとするから相手の攻撃範囲を広めてしまう。

 初心者にありがちな分析ミスだ。死神ほどの高ステータスを持っているのならば、多少攻撃を受けた所で屁でもない。

 ならばなるべく真正面から接近した方が勝機は上がるのだ。

 ……だが、残念ながら遥香はその初心者のミスを犯す段階にも到達していない。

 今まで一度として、契約者とまともな戦いをしたことがないからだ。

 初めての戦いはドレスを着た堕天使。

 あの戦いはそもそも、戦いと呼べるかどうかすらも曖昧な結果だった。

 二度目は強力な使い魔を従えた黒騎士。

 英雄の力や能力を模倣した鎧と武器を呼び出して戦うのは、あまりにも意外でアスモデウスが撤退させた。

 三度目は四大勢力の一角、そのエース。

 力の分析をする暇もなく、一瞬で叩きのめされた。

 根本的な技術と経験の次元が違う。


「アスモデウス……」


『ああ遥香、よかった……話せるまで回復したのね』


「ごめんなさい……一人で突っ走って……また迷惑かけて……」


『いいのよ遥香、貴女が焦るのも無理はないわ。だから──』


「だから……」


 アスモデウスが紡ごうとしていた言葉が、遥香によって止められる。

 そして、


「だからこれからは、私とアスモデウスとヴィオレ、皆で頑張ろう?」


『遥香……! ええ、そうね、勿論よ!』


『遥香、僕も頑張る。一緒に突っ走る!』


 負けたからと言って、後がないからと言って一人で気負うことはない。

 そんな時こそ仲間に頼ればいいのだ。

 遥香は改めてそれを認識した。


「あ、そう言えば……さっきの人の名前を聞き忘れた……」


『また会えることが出来ればその時に聞けばいいわ。……それにしても』


 先ほどの青年が遥香に施したのは、三つの効果を掛け合わせた〈三重魔術(トライ・スペル)〉だ。

 一つ目は瞬発力を上げるもの、二つ目は遥香自身の身体能力を上げるもの、そして三つ目はそれらが自動的に薄まっていく(・・・・・・・・・・)もの。

 二つ目まではまだ予想出来たが、まさか三つ目の魔術をそのように設定するとは。

 そもそもあの一瞬で的確に選んだ魔術を三重術式に構築するなど、まず不可能に近い。

 魔術同士が効果を阻害しないよう調整するのには、相当な技術が必要となってくるのに。


『遥香の実力が上がることを計算して一時的な効果にした……必要以上のアシストをして成長を妨げない為に……』


 もし本当にそれを計算していたとすれば、彼は未来を見て行動しているに等しいことをしている。

 だが未来視に匹敵するこの術式は、確かに緻密に計算されたものだ。


『私は死神だと言うのに……畏怖の念を抱かずにはいられないわね』


「アスモデウス、私ね、気を失う直前に微かに魔力の流れに乱れがあることに気づいたの。もしかしたら、そこにアダマスがいるかも知れない。ねえアスモデウス、次元の狭間の中に転移することって出来る?」


『出来ないことはないわ。そもそも転移魔方陣は指定された次元の狭間を通って移動するものだから。次元の狭間も例外に漏れないはず……ちゃんとその場所に着ける保証はしないけれどね』


「体に糸を繋いだまま転移してからも魔方陣を消さなければ、仮に間違っても取り返しがつくはず」


 空腹が満たされて少し冷静が戻ったのか、遥香はアスモデウスの思い付かないような方法を考え出した。


『流石のビギナーズラックね』


「違うわアスモデウス。これはreal a()bility()よ」


 初めて見た気がする。遥香の自信に満ちた表情を。

 今までは半分破れかぶれと言った様子でアスモデウスの言うことに従っていたのに、今はもう自分の意思で危ないことに挑戦しようとしている。


『ふふ……そうね、それは紛れもなく貴女の実力よ』


 ……それから三日後、遥香はアダマスと契約を交わした。

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