~Trust~
その後漓斗は雪花に付き添われて病院へと向かった。
担任の教師がいなくなったことで自習と言うことになったが、教室に黒音達の姿はなかった。
「ねえ、やっぱりアンタも病院に行った方がよかったんじゃない?」
「大丈夫だよ。傷口は石化がなくてももう塞がったし、貧血も海里華の料理とかで何とかなるし」
体に負荷がかかったり横腹に刀傷を負ったが、逆に言えばそれ以外はまったくの無傷だ。
むしろ黒音は漓斗の心配をしている。
いくら契約者は自然治癒のスピードが早いと言っても、神経の麻痺みたいなものはどうしようもない。
だからもし漓斗の指が一生動かなくなったりなどしたら、もう土下座所の騒ぎではない。
「心配性だね、黒音君は。 あの漓斗ちゃんだよ? 黒音君と互角に戦ったんだから」
「にしても、人間不信の漓斗がヒルデ・グリムの信頼を信用するとはな」
「漓斗は昔から親に愛されずに生まれてきたの」
「親に、愛されず?」
「父親が会社にリストラされて、自殺してから人生が狂い始めたそうよ」
「だから人間不信だったのか……」
辛い思い出も楽しい思い出も、すべてを失っている黒音にはその辛さが理解出来ない。
だが親からの愛情ならば黒音も知っている。
それを与えられない辛さは、ある程度は分かる。
「ちょっと、強引すぎたか……」
「あら、今度は私なの?」
漓斗との決闘で精神を削りすぎたのか、黒音は隣にいた焔の方に頭を預けた。
海里華は自分の立場を奪われたようで、少し頬を膨らませる。
「ほら、海里華がヤキモチ妬いてるわよ?」
「なっ、ちょっ、そんなんじゃないしっ」
「……あれ、黒音君?」
少しだけ、黒音の様子がおかしい。
息づかいと言うか、寝息の音も聞こえない。
「うそ……ちょっと、黒音君の呼吸、止まってるわよ!?」
口元に耳を近づけても、胸に耳を当てても、黒音の反応がない。
紅桜の亟薙によって斬られた傷が深く、出血しすぎたのだ。
そもそもあれだけの血を流してすぐに戦闘に復帰出来た時点でおかしい。
「わ、わうっ!? は、早く病院にっ……」
「何してるの梓乃!? まさか変身して行くつもり!?」
「じゃなきゃ間に合わないよ!」
「心肺停止の重傷者を学生が担いで連れてくるなんておかしいでしょ! 海里華、救急車を呼んで」
「え、ええっ……」
焔に指示されるがまま救急車を呼び、三人は付き添いと言う形で学校を早退した。
「いやあ……お互いにすげえ重症だな」
あれから三日が経った。黒音は血液パックを点滴で繋がれ、トリアイナとの決戦を終えた後のようにベッド生活に逆戻り。
偶然にも漓斗も同じ病院に搬送されたようだ。
漓斗は両手を包帯でぐるぐる巻きにされている。
「本当に、すごい怪我を追わせてもらいましたよぉ」
「お前だって俺を心肺停止に追い込んだだろうが」
「でも生きてるじゃないですかぁ。私は一生ものの怪我になる所でしたぁ」
「でも医者からは日にちが経てば治るって言われたんだろ」
しばらく睨みあって、そしてどちらともなく吹き出した。
「なあ漓斗、お前は何で俺に決闘を挑んだんだ? 俺は条件を飲むって言ったのに」
「……確かめたかったんですよぉ。私は人間不信だと言いましたよねぇ。だから貴方を信じる為に試させてもらったんですよぉ。理不尽な戦いを挑まれても真正面から受けるのか、そして私に勝てるのかを、ねぇ」
「それでどうなんだ? お前の指を壊した俺は果たしてお前に認められたのかな?」
「まだ、分かりませんねぇ……」
ヒルデ・グリムを信用出来たからと言って、普通に誰かを信頼したりすることはまだ出来そうにない。
「だからぁ、貴方と一緒にいることで観察させてもらいますぅ。貴方や貴方の仲間の方が本当に信頼出来る方なのかを、ね」
「へ、漓斗……お前それって……」
「元より約束でしたからぁ。負けたからには貴方に従いますぅ。それにぃ、私の要求は飲んでもらいましたしぃ」
「違うよ漓斗。俺は従ってほしいんじゃない。仲間になってほしいんだ。上下なんてない、対等な関係として」
黒音に差し出された右手を、漓斗は包帯でぐるぐる巻きにされた両手で挟んだ。
「……もういいですよぉ?」
「わぅ、バレちゃった?」
「な、梓乃? 海里華に、焔まで……学校はどうしたんだよ?」
扉の前で盗み聞きをしていたのか、漓斗が扉の向こうに声をかけるとその扉は静かに開けられた。
「バカ、アンタ一人で放っとくと危なすぎるのよ」
「そんなこと言って、一番黒音君に会いたそうにしてたのは誰なのかなあ♪」
「どうやら仲間になったみたいね、漓斗」
「えぇ、見事に引き込まれましたよぉ。これも貴方の策略ですかぁ?」
「まさか、私は貴方の興味が黒音君に向くようにちょっと情報を流しただけよ」
元はと言えば焔が漓斗に黒音の情報を流さなければ、黒音と漓斗は戦闘以外で面識を重ねることもなかったのだ。
「それが策略って言うんですよこの燃えカスが……」
「な、い、今燃え、燃えカスって……」
「あらぁ、気のせいじゃないですかぁ? ところで噛ませ犬──ああ間違えた、海里華さん」
「あ、アンタ、また噛ませ犬って言ったわねっ!?」
「すみませぇん、つい口が滑って事実をぉ」
まったく悪びれることなく、驚異の毒舌を吐き続ける漓斗の矢がこちらに向かないよう、黒音は病衣の袖を巻くって左腕を出した。
「起きてるか、レーヴァテイン?」
『ふわぁ……今から寝ようとしていた所です、支配者』
「今回もありがとな。お前の特性がなきゃ漓斗に勝てなかったよ」
『いえ、私も支配者の役に立てて光栄です。私の夢でしたから』
「夢? 俺の役に立つことが?」
『はい、いつか自分の信念と言う道を曲がることなく突き進み、多くの人を惹き付ける……そんな方に仕えることが、私の夢だったのです』
「はは……俺は曲がりっぱなしだぞ?」
「ですが自分の信念を持っています。迷うことは悪いことではありません。大切なのは迷ってもちゃんと自分の道を見つけ出せることです」
だとすれば今の黒音はレーヴァテインの理想通りと言うことだ。
記憶を失って路頭に迷っても、自分自身を疑っても、今はちゃんと自分の道を進めている。
そして実際に仲間がついてきてくれる。
「アンタ、誰と話してるの?」
「へ、ああ、何でもねえよ」
「そう言えばアンタ、従えてる子が一人増えてたわよね」
「レオのことか」
「どうやって出会ったの?」
「ああ、それはな……」
魔界でフォルカスの邸に向かう途中、思わぬハプニングに見舞われた。
「なあ、この状況はなんだ?」
『簡潔に言うと、魔獣の巣に突っ込んだようね』
猫科の肉食動物に似た狂暴な魔獣の巣に、黒音達はいた。
本来の三倍以上のポテンシャルからなるスピードで飛んでいた為に、魔獣の巣に突撃してしまったのだ。
ザンナとサンティは人間の姿に変身して、三人で互いの背中を守り合う。
『悪魔、どうして我らを駆逐する……』
『私達はただ平穏に暮らしたいだけなのに……』
魔獣達は唸り声をあげながらそんなことを言ってくる。
テレパシーで頭に直接響いてくるような声に、黒音は真正面から戦う意思はないと示した。
「俺は間違ってここに来てしまっただけだ。俺はお前らに危害を加える理由がない」
『そんなことを言って……残忍な悪魔らは我々の友を、家族を殺していった……許さん……今度と言う今度は──許さないッ!!』
ライオンなどの五倍はあろうと言う巨大な魔獣が、牙を剥き出しにして、爪を露にして黒音に飛びかかってきた。
それを守ろうとしたザンナとサンティにも他の魔獣が襲ってきて、とても援護に回ることは出来なかった。
しかしそもそも、今の黒音にとってそれは無意味。
今の黒音は、この程度の相手に襲われてやるほど、遅くはない。
「やめろってば。俺らはお前らを攻撃しない!」
『うるさいッ……問答無用だッ!!』
今ならば誰にも負ける気はしないが、そもそも戦う気がないのだ。
黒音は巨大な戦斧を地面に突き刺すと、左腕に装着された盾で魔獣の攻撃を受け止めた。
『むうぅッ……流石は悪魔と言うことか……その体躯で我らの攻撃を受け止めるとは……』
「いい加減にしろ! 俺はこれから向かう場所があるんだ!」
『知ったことか!! 我らのテリトリーを犯した時点で貴様が生きる道はないッ!!』
「それこそ知ったことか! ちょっと道を間違っただけで補食されてたまるかよ!」
黒音の胴体くらいの大きさをした鋭い爪が、黒音の喉笛を狙う。
しかし黒音は避ける所か腕を広げてその爪を受け止めた。
胸に直撃した魔獣の爪は、黒音を貫くことはなかった。
漆黒の甲冑の圧倒的防御力によって、魔獣の爪を弾いたのだ。
『ぐぅ……この強さは……貴様何者だ……』
「俺は未愛 黒音。序列二十九番の悪魔だ」
ソロモン七十二柱はその名の通り、七十二の悪魔で成り立っている。
その中で二十九番と言う地位を持つと言うことは、これほどの力があってもおかしくはない。
『悪魔はその地位を利用して、魔獣同士を戦わせてそれを眺める者もいる……』
家畜を戦わせてどちらが勝つかに金を賭ける。
そんな賭博を、アズはヘドが出ると言っていた。
戦わせるより戦った方がいいじゃない、と。
……少し論点が間違っているような気もするが。
『貴様らは……生ける命を何だと思っているッ!!』
常人ならば腰を抜かして失禁しているような威圧感。
鋭い牙と爪、眼光に迫られてなお、黒音の覇気は衰えなかった。
「……失えば決して取り返しのつかない……自分の命を差し出してすら取り戻すことができない自分にとってのすべてだ!!」
今まで三人を殺す為に攻撃を仕掛けていた魔獣達が、その魔獣の攻撃に耐えていたザンナとサンティが、一斉に静まり返った。
「諸行無常……この世に存在するものはいつか壊れる。だから契約者は今って言う時間に命を懸けるんだ。これ以上後悔を重ねない為にも、悔いを残して死なない為にも」
確かに悪魔の中には娯楽の為に魔獣を駆逐する者もいるだろう。
だがそれだけがすべてと言うわけではない。
悪魔も魔獣も持っている命は一つ。
一部の悪魔は命の重さを軽視していないと言うことを、分かってほしいのだ。
『貴方は……違うみたいね』
群れの中から一頭の魔獣が出てきた。
しなやかな体をしているが、他の魔獣より小柄だ。
「俺も何人もの人の命を奪ってきた。それが契約者が生き残る道だからだ。でも俺は一度として、命を軽視したことも、罪の意識を忘れたこともない」
『……ねえボス、私この人のこと見てみたいかも』
群れの中で一番大きな体躯をした魔獣、群れのボスが小柄な魔獣の方へ近づいた。
『見てみたい……とは?』
『ついていってみたい。この人がどうなっていくのか、見てみたいの』
「……へ、それってまさか、君が俺の使い魔になるってことか?」
『ええ、私貴方のこと気に入っちゃった。そんなに真っ直ぐな目、久しぶりに見たもの』
小柄な体躯をしているが、人間の身長の三倍はある。
しかし小柄な魔獣が狼の遠吠えのような甲高い咆哮を放つと、その姿はみるみるうちに縮んでいった。
「……これなら一緒に歩いてても問題ないでしょ?」
褐色の肌に描かれたヒョウ柄模様。
金髪からひょこっと飛び出した猫耳をぴくぴくと揺らし、少女は黒音の前に膝をついた。
「これからよろしくね、ご主人様♪」
「……なあ、毎度思うんだが、なんで使い魔が人間の姿になると決まって女の子なんだ?」
「んー、男性よりも繁殖能力があるから、じゃないかな?」
「ああ、なるほど……じゃなくて。俺についてくるのは構わないが、俺の使い魔ってポジションは相当キツいぞ?」
「結構な頻度で呼ばれる……」
「メチャクチャ酷使されるわよ?」
「そこの神機二人! 確かに酷使したことがないとは言わねえがお前らだけに戦わせたことなんて一度もねえだろ!」
何度か契約者の相手を一人に任せた時はあるが、大抵は黒音も他の契約者と戦っている時だ。
決して単体で挑ませて自分は隠れているなどと言うことは絶対にしていない。
「ふふっ……面白いのね。ますます気に入った♪」
「なあ、ボスさんよ、いいのか? 俺って一応敵視されてるんだぜ?」
『構わん……その子の眼に適ったと言うことは、お前は他の悪魔のように残忍な性格ではないのだろう。それに我々は来るもの拒まず、去るもの追わずだ』
「そっか。じゃあありがたく、この子を預からせてもらう」
黒音は少女の頭に手をおき、猫耳を指でくすぐった。
「それじゃ、主従契約を結ぼうか」
「サンティ……私、契約者と使い魔が主従契約してるとこ、見たことない……」
「あらそうなの? 以外ね。神機との契約とは根本的に違うわね。神機は契約者と同等の位として条件を出す権利もある、どちらかと言うと神機の方が目上かしら。でも使い魔は完全に上下がはっきりしてる。フィディだって主に忠誠を誓ってるじゃない。そんな感じよ」
少女が黒音の手の甲にキスをすると、少女の露出した胸元に紋章が浮かび上がってきた。
それと同時に漆黒の甲冑を通して黒音の胸元が光っているのが見えた。
互いに共通する部分に同じ紋章が刻まれたのは、主従契約が成立した証だ。
そして紋章は徐々に光を失い、やがて消失した。
「これで契約は完了ね。じゃあご主人様、私に名前をつけて?」
「ああ、そう言えば使い魔と主従契約すると主人となる契約者が名前をつけるんだったな。フィディの時は最初から名前が決まってたから気にしなかったけど……うーん……」
まるでご褒美を待つ犬のように目を輝かせる少女に、黒音は注目した。
健康的な褐色肌、小柄ながら引き締まった筋肉。
狂暴な豹を思わせる牙と双眸、そしてその双眸は紅をしている。
「よし決めた。お前の名前は〈深紅の豹〉だ。イタリア語で"紅い豹"って意味だ」
「私の名前は……アマラント・ディ・レオパルド……うん、もっともっと気に入った! じゃあ今度は愛称がほしいな」
「ふむ……アリフィディーナの時はフィディに、ザンナ・マンジャーレ・アン・クリミナルの時はザンナ。サンティ・カドゥーティ・ディ・ランコーレの時はサンティ。アスタロトはアズって呼んでる。お前の場合は──レオだ。レオパルドから取ってレオにしよう」
「にゃはっ! おっけ、私はレオパルドのレオね!」
そうしてレオと主従契約を結び、黒音は魔獣の巣を後にした。
「ふぅ……何かとんでもなくトラブったが、棚からぼたもちってやつか」
『黒音、棚からぼたもちって言うのは労せずに何かを得ることよ。黒音は十分労したでしょう?』
「あんなの苦労には満たないさ。さ、とっとと騎士のとこに向かうぜ」
後ろから巨大な虎のような魔獣に見送られながら、黒音はアズのナビに従った。
「──と言うわけだ」
「アンタほんとバカなの?」
「俺もびっくりしたさ。飛ばしすぎたんだよ」
「で、そのフォルカスって悪魔の所にはどう言う目的で行ったの?」
「ああ、ちょっとした魔術を探しにな。にしても、これで俺を含めて四種族揃ったわけか」
「いよいよ残るは死神ね。頑張ってよね、待ってるんだから」
「ああ、分かってるさ。もう誰かは決まってるんだ。後は見つけ出すだけだ」
だが唐揚げをあげたあの路地裏以来、死神の少女の姿を一度も見ていない。
焔もその少女がどこにいるかは知らないらしい。
「神機の皇クラスを探してるっつってたし、まだ魔界か……それとも無謀だと知って引き返してきたか……今頃どこにいるんだろうな……」
ゴミが投げ捨てられ、ハエが漂っているような汚れた路地裏。
日の光すら届かない路地裏で、少女はビニール袋の敷かれたゴミ箱の上に腰かけて空を見上げた。
そしておもむろに右手を前に差し出すと、少女の手のひらに光が灯った。
「……〈巨人の大鎌〉……」
少女がそう呟くと、少女の手に灯る光が明確な形となって少女の手に収まった。
罪人の魂を刈り取る死神の大鎌を携え、少女は薄紫色の長い髪に指を通し、嘘のようにその場から消失した。




