第三話『Naglering』
学生達や家族連れの人達が一番集まりやすい夜のファミレス。
キノコの入った煮込みハンバーグを美味しそうに頬張るアズを、黒音は優しいお兄さんと言った様子で眺めていた。
黒音はミートパスタをフォークでつつきながら、コーヒーをすすっている。
「黒音? 食べないの?」
「いや、この騒がしい空間で集中するにはどうすればいいのかな、って……」
「ああ、雑音が多い場所でも心眼が使えるように鍛えておけ、だったっけ」
心眼は五感を限界まで高めることで得られる深い集中状態だ。
研ぎ澄まされた集中力が、辺りの状況や風景を事細かに表してくれる。
逆に集中出来なければ心眼はまぶたを閉ざしてしまう。
「戦場じゃ一秒でも戦況が変わる。そんな目まぐるしい状況でも正確に、確実に状況に対応出来ないとダメだ」
「んー……じゃあさ、いっそのこと耳栓しちゃえば?」
「耳栓したら五感の一つを封じることになるだろ。本末転倒じゃ──いや待てよ……? 耳栓……?」
もし邪魔な雑音だけを取り払い、必要最低限の音だけを聞き取る耳栓があれば、或いは──
「なあアズ、お前の知り合いにさ、音の魔術に詳しい奴っているか?」
「音の魔術……? 流石にそこまで限定的な魔術に詳しい悪魔はいないけど、総合的な魔術に秀でた騎士ならいるよ」
「騎士? 確かそれって、一番下の爵位じゃねえか」
「そう思うでしょ? でもその方は魔界でも指折りの博識なんだよ」
"気高き黒薔薇"と言われるほどプライドが高いアズがその方と呼んで敬うほどの悪魔なのか。
もしその人が音を操作する魔術を知っているとすれば、
「なあアズ、人間の体で魔界に何日、いや一日丸ごと滞在出来るか?」
「ふぇ、もしかして魔界に行く気なの? 無理だよ、魔界は常に毒の霧が漂ってるし、私達悪魔じゃない化け物がうじょうじょいるし、とても人間が一日もいれる場所じゃ……」
「だったらその博識な悪魔とやらを俺の元に呼べるか?」
「うーん……あの方は気紛れだからなぁ……初対面の契約者に知識を授けてくれるとは思えないんだよねぇ」
──黒薔薇だか黒百合だか知らないが、ワシはワシの好きなようにする。爵位が上だからって調子に乗るなよ生娘──
「だったらやっぱ俺が魔界に行く。知識を授かるってのにわざわざ別世界から呼び寄せるなんざ何様だって話だよな。毒の霧とやらは悪魔には無害なんだろ。なら俺とアズが一体化した状態なら俺も悪魔に分類される」
理屈ではそうなるが、実際の所は分からない。
何故ならば、魔界に行った人間の前例はまったくないからだ。
「し、死んじゃうかもしれないよ?」
「それもそうだな……期限は明日の放課後までだし、今から行けばギリギリ一日分か」
「そうじゃなくて! あんもうっ! 仕方ないなぁ……ほんとに、どうなっても知らないよ?」
「責任は負うし落とし前は自分でつける。食べ終わったら早くいこうぜ」
このままでは漓斗を仲間に入れることも、焔に勝つことも出来ない。
雪花に鍛えてもらえれば、確実に強くなれる。
強くなれば仲間を守れるし、自分の記憶にも近づける。
もう何も失わない為にも、俺は自ら死地に飛び込む。
「魔界に行くにあたって、必要な知識を教えるね。まず魔界は大気が汚染されてて、病気になりやすいし、汚染が酷いエリアは毒ガスが漂ってる所がある。ずっと変身してられるわけじゃないから、向こうについたらまずは到着点と目的地を結ぶ中間地点を目指すよ」
「なるほど、そこを拠点にするんだな」
スマホのメモ帳に必要事項などを書き込む欄を作り、その一番上に大気汚染の少ない場所を確保する、と記入した。
「魔界じゃ私達悪魔とは別の化け物がいるんだ。具体的には野生の使い魔だよ。人間で言う野生の猛獣だね。私達は一般的に魔獣って呼んでるよ」
「ソイツらって倒しちゃってもいいのか?」
「うん、ほんとの動物みたいに傷害罪とかないし、中には食べられる種類もあるから好きなだけ殺っちゃってもいいよ」
メモの二段目に魔界の化け物を食用として狩る、と記入した。
しかし食べられると言われても得体の知れない化け物を食すと言うのはどうしても抵抗がある。
ある程度は食料を持っていくことにした。
「次に、これは結構大事なことだよ。悪魔ってのはね、単純明快な縦社会なんだ。悪魔に序列があるのは勿論だけど、その序列は悪魔の総合的な実力の現れだから、私より爵位が上の方にくれぐれも失礼な態度はとらないでね」
三段目には目上の人には礼儀正しく、と単純に記入した。
がが次に出てきたアズの言葉に、スマホの画面をフリックする指がふいに止まった。
「ただ自分より上の序列の悪魔を倒せば爵位が入れ替わるから、挑んでくる悪魔もいるんだ。だから平たく言えば、四十三人の殺し屋が私達を常に狙ってることになるね」
「……いやダメじゃねえか! 危なすぎるだろ!」
「でも大丈夫。四十の軍が私達を常に守ってくれてるからね」
「四十三人の殺し屋が狙ってるのに四十人って……」
「いや四十人じゃなくて、四十個の軍隊だって」
「……つまり?」
「軍団一つの兵が三万だから──単純計算で百二十万の兵隊さんに守られてることになるね」
「桁がおかしいですね!」
「でもそんなこと言ったら二百の軍団を連れてる悪魔だっているんだよ? 私なんてまだまだだよ」
「もう相場が分かんねえから混乱してきた……」
序列九番のパイモンが率いる軍団はソロモン七十二柱の中で最多だ。
悪魔の相場がどれほどか分からないが、百二十万人もの兵士がいれば戦況などいとも簡単に傾いてしまう。
「天使はあらかじめ序列が決まってるけど、悪魔はとことん実力主義だからね」
「そんで、礼儀正しくと、他の悪魔に気を付けろの他には?」
「後はぁ──魔界に着いてからのお楽しみかな」
「んじゃそりゃ。まあいい。海里華達に連絡しといた方がいいか」
「ううん、魔界は人間界と時間の進み方が違って、人間界の一日を魔界に換算すると三日くらいになるんだよ」
「まさかの三倍!? 異世界だから予想は出来なくもなかったが、魔界で一日過ごしてもこっちじゃ八時間しか経ってないってことか」
「そゆことになるね。だから一泊二日で帰れば今日の日付が変わる頃には帰ってこられるよ」
それならば海里華達に心配をかけることもなく、魔界に行き帰り出来る。
襲ってくる者は蹴散らしてよし、すべては実力主義なので何でも腕っぷしで解決出来る。
そして魔界は時間の進みが人間界よりも三倍ほど遅いので、気兼ねなく魔術を盗める。
黒音にとってはこの上なく良い環境だ。
「考えただけで楽しくなってきたぜ……」
「ごちそーさま。……はあ……これが黒音と食べる最期の晩餐になるんだね。もう一品食べていい?」
「ふざけんな。ぜってー生きて帰ってくるんだから。おかわりは帰ってきてから食え」
……ある程度の人は気づいているかもしれない。
この男、未愛 黒音が、自分のパートナーよりも序列が上の強者をスルーして、真面目に目的だけを遂行するはずがないと言うことに。
「アズ、気になったこと聞いてもいいか?」
「うん、どしたの?」
ファミレスの帰り道、久しぶりに(黒音は記憶を失っているので初めてと言うことになるが)手を繋いで歩いていた。
魔界へ行く好奇心がふと掘り当てた疑問。
「魔界に行ったらどこに着くんだ?」
「ああ、私の家だよ。自宅の周辺にも大気汚染がないから、一時的な拠点に出来るね。魔界に行く方法は私が万が一、天と地がひっくり返っても、私が天使になったとしてもあり得ないけど、黒音と契約を解除した時に魔界へ帰る用の転送式があるから、それで魔界に行くの」
強烈に契約を解消しないと言うアピールをした後、アズは黒音の腕に抱きついた。
「黒音と私は、一生涯、一緒だからね?」
「ああ、例えお前に嫌われても、俺はお前から離れないよ」
魔界の到着場所はアズの家と言うことなので、軽い着替えとあの方への手土産程度の荷物で済む。
黒音は一応『アズと一緒に魔界へ行ってくる。日付が変わる頃には戻ってくるから心配するな』と書かれた置き手紙を残して、リュックを背負った。
「準備は出来た?」
「ああ、そっちこそ、転送式の準備は出来たのか?」
「うん 後はこの術式の上に乗れば魔界に行けるよ」
フローリングに描かれた術式は、アズの魔力を帯びて明るい紫色の光を放っている。
黒音は部屋のあらゆる所を確認した後、アズの手をとった。
「よし、行くか。ちょっくら魔界に」
「うん、ちょっくらね♪」
黒音と一緒に術式の上に乗ったアズは、再び術式に魔力を込めた。
先ほどよりも輝きを増した術式が、二人の姿を包み込んだ。
一瞬視界が真っ白に染まったかと、次の瞬間には真逆に薄暗い空間へと変わっていた。
そこが魔界だと理解するのに、そう時間はかからなかった。
本当に転移したのだ。景色をすり替えたように、一瞬で。
「……ここが魔界よ、黒音。この空気を吸うのは、何年ぶりかしら」
万物を魅了するような、色っぽい美声。
それは黒音の真隣から聞こえてきた。声の主は魔界を懐かしむと、腰まである長い髪に指を通した。
「……なっ、アンタは、誰だ……!?」
「何を言ってるの? 私はアズよ。貴方のパートナーの、ね」
艶やかな唇を色っぽく突きだし、黒音の耳元で囁いたのは、黒音と手を繋いで同じ目線にいる女性。
それは黒音が初めて会う、実際には二度目の対面となる、本来のアズの姿だった。
『人間になりたい、ってどう言う意味なの?』
南極よりも比較的暖かい北極のとある氷原。
四枚の壁が隔てられた頑丈なかまくらの中で、漓斗は声だけの二人に話しかける。
その声の一人、ヒルデが、漓斗の返答に怪訝そうな声をあげた。
「私は契約者になる前から人間であることを捨てていたんですよぉ。自分は本当に人間なのか、人間の姿をした人形じゃないのか、と思うくらいにねぇ」
学校では愛想を振り撒き、家ではひたすら自分の存在を影に溶け込ませる日々。
いつの間にか自分が人間なのかすら疑わしくなるほどに、本当の自分を覆い隠す仮面が取れなくなっていた。
「極めつけに契約者となったその日に、私は実の母親を殺しましたぁ。その時感じたのは罪悪感でも損失感でもなく、高陽感でしたぁ。その時初めて本当の自分を露に出来たんですよぉ」
罪の意識がないわけではない。
だがそれでも、体が悦んでしまう。心が昂ってしまう。
だからもう一度、人間に戻りたい。
今度は踏み外さないように。まっとうな人間の道から。
「こんな私でもぉ、貴殿方は契約を結ぶ気になれますかぁ?」
自分で言っていて、悲しくなってくる。
今となっては胸が張り裂けそうなほど苦しい。
愛してもらえなくても、邪魔者扱いされても、腐っても自分の母親だったのだ。
それを何の躊躇いもなく、殺してしまった。
そして切り裂いた母の首から血をすすったのだ。
決別の証として、後悔しないようにと。
『ふむぅ……お嬢ちゃんは相当に苦しんできたんだなぁ。まるであの子に似てるな』
「あの子、とは誰のことですかぁ?」
『ナーゲルリングと言う名の神機よ。私達の子供なの』
「ナーゲルリング、確か勇者ディートリヒ・フォン・ベルンの持つ両手剣、でしたよねぇ?」
ナーゲルリングはディートリヒ伝説に登場する両手剣で、極めて珍しい〈王の命令〉と言う特性を持つ希少な神機だ。
『ええ、私達ヒルデ・グリムと言う神機とナーゲルリングは元々は同じ神に創造されて、時が来るまで同じ場所に封印されていたわ』
『だが突然現れたディートリヒと名乗る男は私は〈Heretic〉だと名乗ってナーゲルリングを強奪したんだ』
「つまり、元は貴殿方の神機、子供であるナーゲルリングを、ディートリヒと名乗る偽の英雄が誘拐したと言うことですねぇ」
英雄が英雄たる為には、それ以外のすべてを下におかなくてはならない。
誰よりも強く、誰よりも優れていなければ英雄とは言えないのだ。
端から見れば勇敢で正義感に溢れた聖人の鏡だろうが、その背後には蹴落とされてきた者達が無数にいる。
誰もが憧れ崇める英雄は、己が英雄である為に常に犠牲を払い続けていることを、忘れてはならない。
「で、その娘さんとやらは今お二人の元にいないんですかぁ?」
『ああ……今はどこにいるのやら……』
『手がかりはあの子を納める鞘が私達と共にあると言うことよ』
『後必要なのはその鞘を持ってナーゲルリングを探してくれる契約者と言うわけか』
漓斗の目的はヒルデ・グリムを手に入れること。
ヒルデ・グリム達の目的はナーゲルリングの捜索に協力してもらうこと。
もし上手く行けば、ヒルデ・グリムだけでなく、ナーゲルリングすらも手に入れることが出来る。
「ねえお二人さぁん、もしナーゲルリングさんを貴殿方の元へ戻してあげることが出来ればぁ、私の神機になってくださぁい」
『なっ、で、出来るのか!? お嬢ちゃんにっ……』
「誰に聞いてるんですかぁ? 私は王妃ですよぉ? 〈六種族〉の一角……堕天使の王妃なんですからぁ、神機の一つや二つ……簡単に見つけ出してあげますよぉ。この私のプライドに懸けてもねぇ」
鼻にかかったような甘ったるい喋り方をしている漓斗の黄色い瞳には、確かな確信が宿っていた。
必ず見つけられると信じているのではない。
必ず見つけられると確信しているのだ。
見つけられるのは当たり前、当然のことだと。
「どうやら吹雪も止んだようですしぃ、今から貴殿方のいる場所へ向かいますぅ。仮契約を結び次第、その仮契約の期限が終わるまでに見つけますよぉ。それで成立ですかぁ?」
漓斗のあまりの自信に、ヒルデ・グリムの二人は言葉を失った。
ただでさえ気配も感じられず、声がなくては存在しているのかもあやふやな神機が言葉を失ってしまっては、どう言う状況なのかがまったく分からない。
だがこれも、漓斗は確信している。
(泣いて喜んでいるんでしょぉ? そうでなくても喜びなさぁい。何人をも信じぬこの私が約束を交わしたと言うことがどれだけ重たいことかぁ、今に見せてあげますからぁ)
漓斗が生まれてからした約束はこれを含めて二つ目。
一つ目はアザゼルと契約した時に誓った。
「さあ行きましょうかぁ。お二方の眠る氷山へと」
アザゼルと手をとり、刹那の閃光を放つ。
吹雪の弱まった上空に舞い上がった、一人の王妃。
漓斗は純白のドレスをひらりと舞わせてヒルデ・グリムの反応がある方向へと駆けた。
「俺のパートナー……? でも、俺のパートナーは俺よりも幼い女の子のはず……」
「ええ、それは人間界の姿よ。そう言えばまだ教えてなかったわね。六種族はね、いる世界が違うと姿も変わるの。これが私の本来の姿なのよ」
人間界でのアズは黒音よりも幼い少女の姿をしているが、魔界では熟した女性の姿だ。
黒に近いワインレッドのナイトドレスと、薄紫の長い髪がその美貌をさらに際立たせている。
流石は二十九位の大公爵と言う爵位を持つ悪魔と言うだけはあって、本来の威圧感や迫力は大したものだ。
「とりあえず、お前は俺の知ってるアズなんだな?」
「ええ、姿が変わっただけで、中身は貴方の料理が大好きなアスタロトよ」
「そ、そうか……お楽しみってこのことかよ。まあお前が急激に成長したと思えばいいんだな。じゃあ第一目的である大気汚染の浅い場所を中間地点にするんだが、暗いな……ここが本当にお前の家なのか?」
「家って言うより、自軍の城と言った方が近いわね」
「へ、城? アズって実はお嬢さ──」
黒音が言葉を最後まで言い終わるより早く、部屋に明かりが灯された。
まるで勇者の凱旋を祝うように、キャンドルの灯火がレッドカーペットを照らしていく。
最後に天井に吊るされた巨大なシャンデリアに光が灯されると、今二人がいる場所の全貌が明らかとなった。
「おいおい、マジかよ……」
舞踏会の会場のような屋敷の広間で、二人が立っていたのは左右から階段が伸びる広間の一段上。
二人の一段下の広間にいるのは、アズが従えている悪魔の軍団だ。
アズは右手を正面へと大きく突きだし、自分の部下へと語りかけた。
「私のいない間、よくこの屋敷を守ってくれたわね。ありがとう、皆。その労を労わせてもらうわ。今夜は自由に騒ぎなさい!」
アズが突きだした手で指を鳴らすと、突如広間にテーブルが現れ、豪勢な料理が並べられた。
アズの魔力によって、厨房に保管されている食材が一瞬に料理へと変身したのだ。
魔界に戻り、本来の姿と力を取り戻したアズの技の一つが、錬金術だ。
対価となるものを用意し、それを別のものへと変化させるのが錬金術。
簡単に言えば等価交換だ。
「おお、すげえな……普段は食べる側で作ったことなんて一度もねえのに」
「私が作ったんじゃないわ。魔術で仕上げたのよ」
「それが出来るなら普段からやってくれよ」
「嫌よ。だって私は貴方の作った料理が一番好きなんだもの」
わがままさは幼い姿のまま、しかし大人の姿で微笑まれると何故かどぎまぎしてしまう。
まあ大公爵の舌を満足させられているならば、光栄なことなのだろう。
「さあ、私達も混ざりましょう」
「そうだな……どうせ向こうじゃ時間の進みは三分の一なんだしな」
いつの間にかアズの手にあったワイングラスを受け取り、黒音はアズとともにレッドカーペットの敷かれた階段を降りていった。
「君主、よくぞ魔界に戻られました」
「一時的な帰還よ。またすぐにあちらへ戻るわ」
「ところで君主、その方は見た所人間のようですが……」
「ええ、この子こそ、私と契約を交わした未愛 黒音よ」
「えっと、初めまして。未愛 黒音だ。アズ──アスタロトのパートナーをやらせてもらってる。よろしく」
「おお、貴方が未愛様ですか。お噂は君主からかねがね伺っております。何でも料理が超一流なんだとか」
「え、いやそこまで……でもアスタロトの舌を満足させられるまでには結構時間がかかったんだぜ」
幼い上にわがままなのは勿論。
一人暮らししているようなものなので、食費だけに金をかけることも出来ない。
そうなると自然に料理の腕が磨かれた、と言うだけだ。
「未愛様は六芒星のドラゴンと主従契約してるって、ほんとですか?」
大人達の中に紛れ込んだ少女が、黒音の服の袖を小さく引っ張る。
だが他の部下達は怒るところか、少女の頭の上に手をおいている。
こんなに小さな女の子でさえ、アズの立派な部下なのだ。
「本当だよ。全治二週間の大怪我を負ったんだけどな。フィディ」
年齢は自分よりも遥かに上の、しかし悪魔からすれば幼い少女の期待に応えるべく、黒音はフィディを呼び出した。
黒音の後ろに紫色の光で構築された魔方陣が完成すると、その中から銀色の首が飛び出してくる。
大きなボディをよじりながら、魔方陣の中から這い出してきたそれは、紛れもなく六芒星の称号を持つドラゴンだった。
「コイツはアリフィディーナ。金剛龍インライディナと紫電龍アリフィロムの間に生まれたハーフのドラゴンだ」
「剛電龍アリフィディーナです。フィディとお呼びください」
魔方陣からドラゴンが這い出してきたと思ったら、次の瞬間には黒音と同い年くらいの少女に変身した。
「ふわぁ! 私六芒星のドラゴンって初めて見ました! すごいドラゴンって人間の姿にもなれるんですね!」
「まあ、フィディは特別だけどな」
てっきり人間だから軽蔑されるものだと思っていたが、アズのおかげで最高に歓迎されている。
黒音はついでにザンナとサンティの二人も呼び出し、アスタロトの凱旋パーティーを楽しんだ。
「なあアズ、明日会う騎士は博識な悪魔なんだよな?」
「ええそうよ。それがどうしたの?」
「もしかしたらレーヴァテインのことも知ってるかもしれねえな」
「それもそうね……確か神機についても研究していたはずよ。今はどうだか知らないけれど、聞いてみる価値はあるわね」
その後、アズの部下達による悪魔伝統の演武を見せてもらったり、アズとの変身なしでエキシビションなどを行った。
流石にアズと変身した状態ではチートと言われても仕方がないからだ。
なにせ自分の主君と全力でぶつかり合うのだから。
生身の状態での黒音が戦力として使ったのは、武器に変身したザンナだけだった。
しかし二体一で四十人抜きしそうな直前、アズに手渡されたワインのアルコールが回り、目を回して倒れてしまった。
「あらら、どうやら私が飲んでる方がグレープジュースだったみたいね……」
どおりで甘いと思った、と言っても後の祭り。
黒音は顔を真っ赤にして伸びている。
「黒音……しっかり……戦いは終わってない……」
「無理よザンナ。主ってば完全に酔いが回ってるみたい。だらしないったらないわね」
「きゅぅ……」
意識がもうろうとしている黒音をザンナ達二人が担ぎ、アズの部下にアズの寝室へと案内してもらった。
「主ってば、そろそろ起きなよ」
「あ、ぅ……まら……無理ら……頭が……ぐあんぐあん、する……」
「ゆっくり休んで……私達がそばにいる……」
「私達って何よ? 私は酒を飲みに行くわよ。ザンナも甘いもの食べたら? どうせそのうち酔いも醒めるわよ」
「スイーツっ……うぅ……ごめん黒音……すぐ戻ってくる……」
一体何人寝るんだと言うほど巨大なベッドに黒音を寝かせると、二人は静かに寝室を後にした。
「………………行ったか」
二人がいなくなったことを確認すると、黒音は演技をやめてベッドから上体を起こした。
アズは主催者なので勿論だが、神機であるザンナとサンティも、主従契約を結んでいるフィディさえもいない。
完全に単独の状態。黒音は部屋の外の様子を見計らい、そして一人の悪魔を見つけた。
使用人の服を纏った少女だ。
「あの、そこのメイドさん」
「はい──ああ、未愛様。どうされましたか?」
「少しお願いがあるんだけど、適当な装備が欲しいんだ。何でもいいんだけど」
「装備、ですか。格納庫に武器がありますが、未愛様が使われているような神機とは劣りますし……」
「いいよ、大丈夫。壊れても問題ないような剣を貸してくれ」
「はい、畏まりました」
メイドに案内された格納庫には、壁やら天井を埋め尽くすように武器が保管されていた。
プラスチックで出来ていてそうな壊れやすい槍から、一際存在感を放つ金の剣まで。
見渡す限りが武器ばかりだ。
「これはすべて君主のものです。パートナーの未愛様ならどれをお使いになっても問題ないかと」
「ありがとう、出来ればアスタロトや俺の仲間には内緒にしてて欲しいんだ。誰の力も借りず、一人で修行したいから」
格納庫に所狭しと並べられている武器を吟味し、重さや形状をよく確かめる。
「失礼ですが、それは未愛様に必要なことですか? パーティーでの戦いっぷりを見る限り、とても修練が必要とは思えないのです……」
「まあ、あれくらいじゃなきゃアスタロトには釣り合わないから。それに俺が目指してるのは魔の頂点。こんな所で足踏みしてる余裕はないんだ」
「そうで御座いますか……未愛様、どうか君主のことをよろしく頼みますね」
「任せとけ、次は俺が主催になるかもな」
次のパーティーの内容は、悪魔の頂点に立った序列二十九位の悪魔とそのパートナーの凱旋と言った所だ。
黒音は体に合う胸当てと肩当てなど、最低限の軽装を纏うと、手に馴染む長剣と小刀を一本ずつ、そして腕に装着する形の盾を左腕に装備し、格納庫を後にした。
「さて、アズの話じゃ野生の使い魔はどれだけ狩ってもいいって言ってたし……限界まで自分を追い込めばレーヴァテインだって反応するだろ」
アズに避けるよう言われていた、野生の使い魔通称、魔獣が多く集まる場所を敢えて選択し、進んでいく。
その場所に辿り着くまでに何頭かの魔獣に遭遇したが、どれもこれもが人間界に生息している野良犬レベルで、とても修行にはならなかった。
「確か化け物の顔したでけえ木が目印なんだよな」
いかにもと言う雰囲気の森を進むと、本当に凹凸が化け物の顔に見える大木があった。
そこには巨大な虫の姿をした魔獣がうじょうじょと樹液を吸いに来ており、黒音の気配を感じ取った虫達が一斉に騒ぎ度した。
「初戦は虫が相手か。嘗められたモンだぜ」
飛行能力のある虫の魔獣の動きを数秒間観察すると、黒音は迷いもなく魔獣の方へと突っ込んだ。
魔獣と衝突する寸前、スライディングで魔獣の真下に滑り込んだ。
後は長剣を腹に突き刺し、魔獣が通りすぎるのを待つ。
そして魔獣が空へ飛び立った瞬間、魔獣は緑色の液体を撒き散らして爆発した。
「うぇ……いっぱい食った後にグロテスクなモン見せるなよ……せめて虫じゃなくて動物の方がよかったぜ」
しかし文句を言う暇もなく、魔獣は次々と迫ってくる。
黒音はそのうちの一つに目をつけると、大きくジャンプしてその魔獣の背中に小刀を突き立てた。
暴れまわる魔獣の背中で見事なバランス感覚を持って空中を駆けると、他の魔獣とのすれ違い様に長剣の投身を突きだした。
次々と切り裂かれていく虫型の魔獣。
耳障りな羽音や鳴き声、おまけにその巨体のせいで環境破壊と、決して好まれぬ虫型の巣窟を一夜にして壊滅させた黒音は、次に危険な場所へと足を進めた。
「アズは危険だからって言ってたが、神機でもない普通の武器で勝てるんならそうでもねえな。それとももしかして神機並みに性能がいいのか?」
……決してそんなことはない。
神機の性能に比べれば特性は愚か老化もするし刃殻れもする。
自覚こそしていないが、黒音は確実に強くなっている。
大気汚染があるせいで体力はみるみるうちに削られていく上、人手が加えられずに足場が不安定な場所ばかりで歩くのも一苦労。
パートナーと距離を開けすぎている為に普段の全力は出せない。
最悪な状況が幾重にも重なっているのにも関わらず、黒音は魔力を消費するどころか息すらも切らしていなかった。
「今日は調子いいな……体が思うように動く。やっぱ魔界は悪魔にとって故郷だもんな」
重ねて言うが決してそんなことはない。
確かに悪魔にとっては故郷のような場所だが、黒音はアズと離れている上に一体化もしていない。
完全に人間のステータスなのだ。
本来はこんなに動けること自体が異常だ。
「……ここがもっとも危険な場所なんだよな」
──地獄エーリューズニル。
三柱いる中で唯一ドラゴンではない〈終焉の悪戯〉、女神ヘルが支配している地獄へと繋がる門が、黒音の目の前にあった。
十メートル以上もある巨大な門は、黒音一人がめいいっぱい押した所でびくともしないだろう。
「おいエーリューズニルの支配者、今俺の仲間に〈終焉の悪戯〉のメンバーがいる。俺はソイツに勝った契約者だ。この門を開けろ」
事実ではあるが、開け方が分からない為にもっともらしい言葉でまとめてみる。
だが扉は依然動かず、黙りを決め込んでいる。
やはりそう簡単に開くわけも──
『私の兄上に勝ったと言うのは、本当……?』
扉が開かない代わりに、その扉を支配している張本人が話しかけてきた。
不安そうな声音をしている支配者に向かって、黒音は自信たっぷりに返答する。
「ああ、本当だ。俺が勝利したのはフェンリルだ。一応ヨルムンガンドとも戦ったが、あれは戦闘じゃなかったな……」
『そう……兄上に勝ったのね……いいわ、入りなさい』
案外簡単に門を開けてくれた。
鈍い音とともにゆっくりと開かれた門の先に広がっていたのは、地獄と言うよりオーロラが視界を埋め尽くす夢のような空間だった。
光の砂が散りばめられた道を進んでいくと、優雅に紅茶を飲んでいる女性がいた。
白いレースがふんだんにあしらわれた、赤と黒のドレス。
薔薇の髪飾りに彩られた銀髪は、オーロラの光を反射して艶やかに輝いている。
精気の感じられない真っ白な肌には、所々に黒い炎のタトゥーが刻まれていた。
それが誰なのか、考えるまでもない。
離れていても伝わってくる、冥府を支配する者の威圧感。
彼女こそが〈終焉の悪戯〉の三番目、ヘルだ。
「アンタがヘルなんだな」
「ええ……貴方の名前は……?」
「俺は未愛 黒音だ。会えて光栄だよ」
「どうぞ……座って……兄上よりも強い貴方を……私は歓迎するわ……」
ヘルに差し出された紅茶を、黒音は躊躇いもなく口をつけた。
相手は冥府の女神で、人の生死を操ると言うのに。
「警戒しないのね……」
「俺が入り口に足を踏み入れたあの場所から、アンタの射程圏内だったんだろ?」
「よく分かったわね……元より貴方を傷つけたり殺したりする気はなかったわ……我ら〈終焉の悪戯〉は強い者を好むから……」
口の中に広がるほんのりとした甘い香りに気持ちを落ち着け、黒音はヘルに唐突なことを切り出した。
「俺がここに来たのは強くなりたいからだ。ここにすげえ強い奴とかいねえか?」
「すげえ強い奴なら私だけれど……どうして強くなりたいの……?」
「アンタの兄弟、フェンリルと契約してる契約者を守るってのもあるんだが、俺自身の目的の為にも強くなりたいんだ」
「そう……仲間を守りたいの……悪魔なのに……変わってるわね……」
「酷い偏見だな。心外だぜ。悪魔は他の種族と同じく仲間意識もあるし主従愛もある。ただ闘争本能が高いだけだ」
その高すぎる闘争本能のせいで、その偏見が生まれたわけなのだが。
「ねえ気づいてる……? 私警戒はしていないけれど……信用もしていないの……」
「俺が本当にフェンリルに勝ったかってことか?」
ヘルはその問いには返答せず、殺気の籠った瞳で一瞥し、肯定の意思を示した。
「だったら試してみるか? パートナーは今離れてるが、この軽装でも十分だろ」
「嘗められたものね……これでも私は神様なのに……」
「神様なら見抜いてみろよ。俺の左腕にあるレーヴァテインの文字を」
袖をまくった黒音の左腕に刻まれていたのは『Lævateinn』と言う証。
レーヴァテインに触れた、またはレーヴァテインと契約した証だった。
「嘘……どうして貴方が……レーヴァテインを……?」
「さあな。フェンリルと戦ってる時、俺がリミットブレイクの兆しを見せた瞬間にコイツが現れた。なんかコイツの意識が俺の意識に割り込んできて、元からコイツの存在を知ってるみたいだった」
「……間違いないわ……レーヴァテインは自分で自分の主を選ぶ……だからダディは私達〈終焉の悪戯〉は絶対に選ばないと……」
だが何故レーヴァテインは黒音を選んだ?
どこにでもいそうな、契約者の一人である黒音を。
「貴方は……何者なの……?」
「それが分かったら苦労しねえよ。俺には記憶がない」
「記憶がない……? 確かに……レーヴァテインに認められるような貴方なら……レーヴァテインの力を使わせまいと記憶を消されるのもあり得なくないわね……」
「記憶を……消されるだって?」
その可能性は考えたことがなかった。
アズはその時は一緒にいなかったから分からないと言っていたが、本当は誰かに消されたのかもしれない。
「この世に記憶を消す魔術はいくらでもあるわ……精神状態を操作して想起を封じるとか……記憶を吸い取るものも……でも……貴方はいつから記憶を失っていたの……?」
「俺が持ってる記憶は二年前までのものだ。そして俺は十六歳。十四年間の記憶をポッカリなくしてる」
「そんなに長く……? 記憶の規模もそうだし……消した状態を維持していられるのはどれだけ優れた契約者でも二週間が限界……なのに二年以上も……依然更新しているわけよね……?」
「ああ、どうしたもんかな。俺が志してる目標も、全部前の俺のものだからな」
死んだ者の記憶や経歴を保存したり整理したりと、死者の記憶と時間を操作する女神に匙を投げられたのでは、もはや手の施しようがない。
「いいわ……貴方の記憶を取り戻してあげることは出来ないけれど……貴方の願いを叶えてあげることは出来る……」
「願い? 俺が志してる願いって奴か?」
「それを私が達成してしまったら……貴方は記憶を取り戻すチャンスを完全に投げ出すことになるわ……だから貴方がレーヴァテインの心を感じやすくなるように……魔力との親和性を高めてあげる……」
黒音の額に手をかざしたヘルが、ぼそぼそと不気味な言葉を呟き始める。
何かの呪文のようだ。黒音は意識もしていないのに、ヘルの瞳に引き寄せられる。
「な、んだ……体が……熱い……? 何を、してるんだ……?」
「黙って……私の瞳に集中して……」
不自然に光るヘルの瞳に見いるうちに、次第に体が冷え始めた。
厳密には、死に近づくように体の感覚が曖昧になっていく感じだ。
しばらくすると、今度は感覚が鋭敏になり、心眼を開眼した時のような感覚に入る。
「……もういいわよ……どう……? 滋養強壮っぽくなったでしょう……?」
「滋養強壮って言うより……俺の体に止めておけないほど大きな魔力を無理矢理自分の体に押し込めてるみてえな……」
「血圧が限界まで上がってるようなものだから……安心して……時間につれて収まるから……」
紅茶を一口、ヘルはどこからともなく取り出した勾玉を、黒音に差し出した。
「持ってみなさい……これは審判の勾玉……混沌と秩序の境目にある虚無の石よ……」
「混沌と秩序? えらく物騒だな。混沌なら悪魔、秩序なら天使に力が、みたいなモンか?」
「いいえ……それは資格を問うもの……混沌に傾けば貴方は化け物となり……秩序に傾けば願いはなくなる……」
「いいことねえじゃん。混沌だと暴走して、秩序だとまた記憶を失うんだろ?」
「いいえ……言ったでしょう……? これは審判の勾玉……混沌と秩序の枠に止まらなかった者こそ……願いを叶えられる……」
「よく分からねえけど、手に乗せればいいのか?」
ヘルから審判の勾玉とやらを受け取り、黒音は手のひらにそれを乗せてみる。
濁った灰色をした勾玉は黒音の手のひらの上で淡く輝き、そしてすぐに光を失った。
図書室でのレーヴァテインの文字のように。
「なんだこれ、光るだけか? まあいいや。とくに体に異変はねえし、願いも忘れてねえ。故障してるんじゃないか?」
審判の勾玉をヘルの手に返し、黒音はティーカップの紅茶をすべて飲み干す。
丸いテーブルに立てかけていた長剣を持つと、黒音はヘルに背を向けた。
「ありがとな、いろんなこと教えてもらったし、滋養強壮だっけ。ちょっと体が軽くなった気がするよ。紅茶もご馳走さま。機会があればまたくるぜ」
「……ええ……貴方ならいつでも歓迎するわ……記憶を取り戻せるといいわね……いえ……きっと貴方なら取り戻せるわ……」
「冥府の女神様にそう言ってもらえるなら、俺もそんな気がしてきたぞ。んじゃ、また会おうぜ」
光の砂が散りばめられた道を帰り、黒音はオーロラの光に飲まれて姿を消した。
ヘルは自分の手に収まった勾玉を、オーロラが埋め尽くす空にかざして、
「きっととは言ったけど……本当はもっと確実性があるかもしれないわ……だって……審判の勾玉を透き通る銀色にしたのは……貴方が初めてですもの……」
最初は濁った灰色だった勾玉が、黒音が手に乗せた後はガラスで出来ているように透き通った白銀に変わっていた。
それは紛れもなく、審判の勾玉を越えた証。
これに触れたものは必ず冥府に堕ちると言われた勾玉を浄化したと言うことは、ヘルの力を越えたと言うことだ。
「あの紅茶ウマかったな……ダージリンか? アールグレイか?」
長剣の鞘を撫でながらそんなことを呟いていると、遠くから風を切る音が聞こえてきた。
早速魔獣が匂いを嗅ぎ付けてきたのかと思ったが、そこにいたのはフィディに騎乗したアズだった。
「黒音っ、ここには来ちゃダメって言ったでしょう!? 何故一番危ない所に貴方はいるの!?」
「ああアズか。悪いな。でも俺はこの通り無傷だし、虫の魔獣もほとんど駆除した。ちょっと特訓したかったんだよ。本場の危険地帯でな」
あまりに急ぎすぎた為か、折角のナイトドレスは枝に引っかかって破れた跡があり、薄紫色の綺麗な髪も葉っぱが張り付いている。
「バカ、そんな心配すんなよ。もっとパートナーを信用したらどうだ?」
「大気汚染が浅かったからいいものの……フィディだけじゃなく、ザンナにサンティまでもをおいて、丸腰の状態でこんな危険地帯に来るなんて、どうかしてるッ……」
「でも生きてる。お前の邸の格納庫から持ち出した武器を一つ二つ持ってったからな。丸腰ではないだろ。しかも壊すことなくだ。お前に釣り合うほど強くなった俺を褒めろよ」
もう何を言っても無駄だと悟ったアズは、頭を抱えてフィディに騎乗した。
「こっちの気も知らないで……貴方は歩いて帰りなさい。森で遭難しても知るものですか」
「え、マジかよ……連戦でへとへとなんだから勘弁してくれよ」
「生身でこの森を生き抜いた貴方なら余裕でしょう? フィディ、お願いね」
『マスター……今回はマスターが悪いと思います……』
フィディは鋼のボディなので表情は読み取れないが、声色で呆れられていることが分かった。
「ああ、マジか……アズの背中が遠くなって……あー……」
「私も……黒音が悪いと思う……」
「うおっ、ザンナか。いつからいたんだ?」
「ずっといた……私、夜だと影が薄まる……」
口の回りに粉砂糖やホイップクリームをつけて、いつもよりご機嫌のような気がするのは気のせいではない。
「黒音……ほんとは酔ってなかった……?」
「ああ、それについては悪かった。本当に心配してくれてたのにな」
「ううん……スイーツに目が眩んで黒音を放置した私が悪い……」
「ああ、まあな。酔って倒れた俺よりスイーツを優先された時は割とへこんだぜ」
ザンナの頭をわしわしと撫でながら、黒音は時々襲い来る魔獣を世間話片手に切り裂いていた。
勿論ザンナも魔獣に対応していたのだが、黒音のように会話片手間で倒すほど余裕はなかった。
「むぅ……私より強い……生身なのに……」
「そりゃそうだろ。こんくらいじゃなきゃ漓斗や焔には勝てねえよ」
果たして未だ神機を持っていない漓斗と自分と同じ実力である焔が、同じく生身でここまでの戦闘力を出せるかどうかは定かではないが。
「そう言えば……黒音、雰囲気変わった……?」
「そうか? 成長したからってんなら嬉しいな」
黒音は偶然ポケットに入っていたコーヒーキャラメルを、ザンナの口に放り込んでやった。
「神機が眠っていると言うから、もっと巨大な氷山かと思っていましたが、えらくこじんまりしていますわね……」
ヒルデ・グリムとの交渉をこじつけた後、二人が眠る氷山へと案内してもらったのだが、着いた氷山があまりにも小さなもので、漓斗は思わず氷海に突っ込みそうになった。
「あら……外は小さいのに、中は芸術品がいっぱいですわ……」
氷を削られて出来た氷像が道を作るように立ち並ぶ、非常に美しい内装だった。
「よく来たわね、待っていたわ」
「嬢ちゃんを歓迎するよ」
氷山の最奥で待っていたのは、仲睦まじい一組の夫婦。
夫の名はグリム。古代ギリシャ人のような装備を纏った豪腕の巨人。
妻の名はヒルデ。ビキニのトップスにロングスカートを纏った淑やかな巨人。
夫婦ともに金髪に碧眼をしている。
「貴殿方が……神機ヒルデ・グリム……なんですのね」
「如何にも、ワシらこそが豪腕の夫妻と謳われた……」
「貴方、そんな性格じゃないでしょ。さあ、私達の依り憑に触れてみて」
二人が左右に分かれると、その先の祭壇のような場所に二人の本体がまつられていた。
ヒルデ・グリムの本体は、指ぬきのグローブのようだった。
『漓斗、ヒルデ・グリムと契約を交わす前に言っておくことがある。神機は──』
「分かってますわ……女神や死神のような神にしか使うことは出来ない。ですが黒音さんは悪魔にも関わらず三つの神機を使いこなし、焔さんの神機でさえも扱った。それに焔さんも同様ですわ。神ではないあの二人が使えたのです。王と王妃である私達に扱えない道理があって?」
『それも、そうだな……お前が俺を信じるように、俺もお前を信じよう』
「信じる? 人間不信の私が誰かを信じるなどあり得ませんわ。ですが、確信ならしていますわ。だって私達の関係は、信じ合う、なんて生易しいものではありませんでしょう?」
『ああ、それもそうだな。よし、ならば引き返すな。とっととヒルデ・グリムと契約してしまえ』
「ええ、無論ですわ」
祭壇にまつられたヒルデ・グリムの本体に手をかざし、緊張のあまり瞳を閉じる。
神でない者が神機に触れれば多大な痛みを伴うと。
だが今更何を躊躇う必要があるのか。
アザゼルは確信しているのだ。私も確信している。
だから、躊躇う必要はない──
「王妃の名の元、命じます……私の神機となりなさい……」
意を決して、二つのグローブを手に取った漓斗。
死すら覚悟の上で、漓斗はそのグローブを両手にはめる。
グローブはぴっちりと漓斗の両手にフィットし、グローブから走った光が漓斗の両腕を覆った。
「はは……流石は堕天使の神格……」
神機の名はヒルデ・グリム。
豪腕の巨人と聞いて誰しもが想像するのは、ハンマーなどの巨大な武器だろう。
だが実際は、大切なものを守る為の豪腕そのものだ。
「行きますわよアザゼル。とっとと誘拐犯をぶち殺して、この夫婦を私に率いれますわ」
『任せておけ。堕天使の神が宣言しよう。お前の願いは必ず叶えると』
息をはくように金銀財宝を創造をする力。
しかしそれはただの試験に過ぎない。
そんな噂に惑わされず、真に創造しなければならないものを心に秘めている者こそ、ヒルデ・グリムを使うに相応しい。