第二話『destroy hex』
机にひれ伏しながら、堂々と寝息を立てる黒音。
その隣では、いつものように梓乃が早弁している。
だが誰も注意したり、指摘したりはしない。
学年成績が常に上位である黒音は、昼寝していてもサボっていても注意する者もいない。
だが梓乃は別だった。
「こら緑那、お前は未愛と違って赤点ギリギリなんだから、ちゃんと授業を聞け」
「わうぅ……今日は昼休み手前まで我慢したのにぃ……」
教科書を丸めた一撃が、梓乃の脳天に直撃する。
その主は黒音の担任、雪村先生だ。
「いや、そこまで我慢したなら昼休みまで我慢しろよ……」
今度はツッコミを入れた黒音に雪村先生の矛先が向いた。
「ん……未愛、学生の身でタトゥーか?」
「へ、ああ、これは……」
袖から覗く黒音の左腕には、『Lævateinn』と描かれていた。
それは朝目覚めた時に初めて気づいたものだ。
どうやらレーヴァテインの盾を装着した時から刻まれていたらしい。
「ペイントシールですよ。友達がしてくれたんです。あはは……」
「……そうか、まあ私は好成績の生徒に文句は言わないけどな」
雪村先生が生徒に干渉することはほとんどないが、話しかけられた時や目線を合わせた時、何故か不思議な威圧感を感じる。
まるで居合いの達人に凄まれたような感覚だ。
「そうだ未愛、放課後に図書室に来い」
「へ、い、居残りっすか?」
「いいや、ちょっと付き合ってもらいことがあってな。用事があるなら無理にとは言わない」
「用事はないすけど……分かりました、図書室ですね」
ほんの一瞬だけ、雪村先生の威圧感が殺気に変わったような気がした。
「ねえ黒音君、何かマズいことしたの?」
「俺は問題児か。問題どころか成績だって落ちたことねえのに」
「黒音君、ちょっと話があるの、いい?」
珍しく深刻そうな面持ちで現れたのは、白騎士こと焔だ。
今の焔は完全に契約者としての顔だ。
黒音は梓乃の頭に軽く手をおくと、焔に連れられて屋上へと向かった。
「どうしたんだ焔? まさかウリエルと喧嘩でもしたのか?」
『それはあり得ません。私はマスターに忠誠を誓っている身。マスターの体を案じてきつく当たることはあっても、対等な目線で喧嘩など……』
「ああもうウリエル、今はそんな話どうでもいいの。これはこれからの契約者生活に関わってくるのよ? いえ、契約者の歴史が変わるって言っても過言じゃない」
「えらくでっかい、てか物騒だな。契約者生活?」
「……黒音君、破壊魔術って知ってる?」
「破壊魔術? 勿論、それに該当する魔術は後にも先にも一つだけ……〈破壊魔術〉だろ」
「ええ、それを使う契約者が現れたらしいのよ」
「んだと!? 〈破壊魔術〉を使う契約者!? いやあり得ねえ……〈破壊魔術〉の別名は〈犠牲の選択肢〉……そんなモンを使えば使用者の肉体も……」
「だから伝えに来たんじゃないの。この世界で〈破壊魔術〉を当たり前に使う化け物と言えば?」
「……ま、まさかと思うが、ならず者が、降りてきたのか?」
それならば焔が深刻そうな顔をするのも当然だ。
〈無法者〉の異名を持つ狂気のチーム、その名は〈soul brothers〉。
その時の気分に応じて身勝手な行動を起こす、最悪の不良集団。
だがその実力や才能から〈tutelary〉と同じ四大チームに数えられている。
そのメンバーの中でも、特に手がつけられず、形にはまることをもっとも嫌う自由奔放なリーダー、如月 和真。
他ならぬ魂の兄妹のリーダーが使う技こそ、その〈破壊魔術〉だ。
力にものを言わせ、無理が通れば道理が引っ込むと言う戦闘スタイルでパワータイプの契約者の頂点に君臨している。
「だ、だがそんな奴がなんで……」
「黒音君の噂を聞き付けてきたのよ。貴方は以前守護者の悪魔、〈真実の幻〉と互角に戦ったそうじゃない。あの戦闘狂がそんな噂を耳にしたらどうなると思う?」
「peggio……io Come faccio……」
ショックのあまり、日本語を忘れる黒音。
そしてあの人の顔が思い浮かぶ。あの人ならば自分より格上の者に挑まれた場合、どう対処するのだろうか。
……そもあの人より強い人など存在はしないのだが。
「そう言えば、記憶がないとは聞いてるけど、黒音君って前はどこに住んでたの?」
「ああ、イタリアだ」
「へ……マジ?」
さらりと考えることもなく言い放った所を見ると、見栄を張っているわけでもなさそうだ。
それに今さっき流暢なイタリア語を聞かされたばかりだ。
「だから俺の母親もイタリア人だ。まあ母親と言っても義理なんだがな」
「突っ込んだこと聞いてもいい?」
「安心しろ。そもそも俺には記憶がないから他人事だしどうとも思わねえよ」
「じゃあその人はイタリア人なのにどうして黒音君を養子に?」
「確か、たまたま日本に来てたその人が道端で倒れてる俺を拾ってイタリアに連れたんだって。半分拉致ってるよな」
だがその人に拾ってもらったおかげで自分は今こうして生きて学校に通うことが出来ている。
黒音にとって正真正銘の命の恩人なのだ。
「その人の名前は?」
「エルザ・アルベルティ」
「…………あ、あれー……? そ、その名前、どこかで聞いたことあるなー……?」
急に身体中から冷や汗を流しだした焔。
その隣では同じく、いつの間にかアズを膝の上に乗せたウリエルが頬をひきつらせている。
「そりゃそうだろ。だって元英雄なんだから」
「やっぱりッ!? エルザ・アルベルティって言ったらあのチーム〈Heretic〉のリーダーにして、最強の契約者、リズ・ザ・ゴールデンのことよね!?」
「他でもない〈黄金に煌めく英雄〉の異名を持つエルザだ。俺はリズって呼んでる」
どおりで強いわけだ、と焔達は額の冷や汗をぬぐった。
黒音の使う技にイタリアの名前が多いのは、それが理由だ。
実は黒音の使い魔であるフィディと主従契約を結んだのもその人の元でだったりする。
「なんて強運……いえ、悪魔だから悪運かしら……」
「俺は契約者としての技術や生きるすべは全部その人に教わった。あの人にしごかれてなけりゃ、焔と互角に戦うなんざ夢のまた夢だぜ」
「あ、こんな所にいたのね。教室に行ってもいなかったから探したわよ?」
何故か張り詰めてしまった空気を変えてくれたのは、弁当箱を両手に抱えた海里華だった。
その後ろからは梓乃が忠犬のようについてきている。
「わふ? 二人で何の話してたの?」
「それがね、あのならず者が──」
「あー、いや、早朝に帰って来てすぐに登校したからすげえ眠たいって話」
せっかく二人の仲がいい感じになっている時に、〈soul brothers〉などと言う強大な存在が迫りつつあると言って不安がらせるのはよろしくない。
焔もその意図を組み、口をつぐんだ。
「海里華、なんか弁当箱多くないか?」
「ええ、いつもより早起きして四人分作ってきたのよ。これからは多分この四人で集まることが多いと思うから」
「あら、私の分までありがとう。と言うわけだから、コーヒー牛乳はもらうけど、パンは二人で食べていいわよ」
『畏まりました。ほら、今日はメロンパンだ』
『やった! すっごく美味しそう♪』
すっかり仲良くなったアズとウリエル。
天使と悪魔と言う枠を越えて交遊している二人を見ていると、殺伐とした契約者の世界を一時的ながら忘れられる。
「黒音、これからのことを話しましょう」
「おいおい、今重苦しい話なんざしてみろ。三分で眠れるぞ」
「それは私や焔も同じよ。でも魔王に挑むに当たって、必要なことよ」
黒音の隣に座り、それぞれ弁当を手渡す海里華。
それぞれ包んでいる風呂敷の色で弁当の中身が別れており、梓乃ならば緑、焔は赤、黒音は黒となっている。
勿論海里華は水色の風呂敷だ。
「やっぱり魔王が目的なのね……じゃあ現時点で仲間が全員集合してるから新たな情報を提供するわ」
だし巻き玉子を頬張りながら、焔が様々な場所から収集してきた情報の二つ目を頭でまとめた。
「今度は何なんだ?」
「魔王の情報じゃないけれど、四大チームについてよ」
「おい焔、だから今は──」
「あ、そうそう、私ね、〈soul brothers〉の天使と戦ったんだ。そして勝っちゃったんだよ!」
「「えっ……ああ、うん」」
「わふっ!? 凄いことなのに反応が薄い!?」
「いや、本当に凄いことなんだろうけど、お前の実力をじかに経験した俺らからすればまあ信じられない話ではねえなと」
二人を不安にさせない為と黙っていたのに、こんな話を聞かされてはもはや無意味だ。
「梓乃が〈無法者〉の一人に勝ったから言うけど、どうやら俺を狙ってその〈無法者〉が全員この街に近づいてるらしい」
「ふぇ? じゃあまたルーチェルちゃんと戦えるんだ!」
「いいえ? 次戦うとすれば梓乃の相手は立花 和真の妹になるわよ」
「ふあ、そっか……私はドラゴンだもんね。つまりほむちゃんがルーチェルちゃんと戦うんだね」
「正直あまり相手したくないのよね……」
──自分がすべてを教わった師匠の実の妹だから、とは口に出さず、焔は話を進めた。
「一つ目の〈soul brothers〉の情報はさっき黒音君に話してるから、二つ目は不死鳥までもが動き出したってこと」
「不死鳥……? エリちゃん、不死鳥ってなに?」
「無限に甦る炎の鳥のことよ。通称はフェニックス。まあ簡単に言えば悪魔の一種ね」
「フェニックスか。だったら大丈夫だ。アズの序列は二十九番、フェニックスの序列は三十七番だ」
悪魔の実力は序列がものを言う。
従えている軍団の数や魅力、爵位を持つに相応しいかなどなど、様々な総合点から序列は決められるのだ。
しかし、
「それがそうでもないのよ。彼らには〈戦力段階〉って力があってね、それが二段階目に入れば並みの契約者では太刀打ち出来ないし、三段階目ともなればもはや手がつけられない。そして最終段階として四段階目がある」
「厄介だな……一番上はあの〈strongestr〉だとして、二位は〈Despair phoenix〉か。消去法で三位は〈soul brothers〉だな。そして辛うじて対抗出来た〈tutelary〉は最下位ってとこか」
「そうなるわね。実際、守護者の面子を私達は二人とも倒したし」
「しかも圧勝してたわ。相手が可哀想なくらい」
あの時の二人の戦闘力と言ったら、もはや形容出来ない。
強いて上げるとすれば、悪魔である黒音はまだ分からなくもないが、天使である焔が鬼になった瞬間と言った所か。
「でもでも、その二人を追い詰めた私が一番強いってことだよね?」
「……ねえ梓乃、一度海の底に溺れてみる?」
「わ、わう……ごめんなさい……」
「ところで、次の目標は決まってるの? 私は予約されてるけど、残りの二人は?」
残りの二人と言うと、死神の少女と堕天使の漓斗のことだ。
「ああ、漓斗とは情報を金で買ってるような関係で繋いでるし、死神の女の子とは一度接触した。それも梓乃とザンナがスイーツを食べまくってた時にな」
「もしかしてあの時サンティさんと別行動を取ったのってそれだったの?」
「まあな。外見からして、ホームレスだな。俺が会った時には随分やつれてろくに何も食ってなかった様子だ」
そしてそんな軟弱そうな少女のパートナーは七つの大罪の一つに数えられる色欲の死神、アスモデウスだ。
黒音からすれば完全に宝の持ち腐れ。
正直に言って、あんな少女に最高クラスの死神の力を使いこなせるとは到底思えない。
「死神の女の子は今どうにか出来る問題じゃねえし、必然的に情報提供の名目で繋ぎ止めてる漓斗が次のターゲットだな」
「ああ、あの憎たらしい似非お嬢様のことね」
「そう言ってやるな。実力は確実に今の俺より上だ。今の俺より、な」
やたら今のと言う部分を強調するあたり、もう次に戦った時には勝つ気でいるようだ。
だが〈tutelary〉の優とコロナを圧倒した時の戦闘力や、梓乃に逆転勝利した時の力が、自由に使えるわけではない。
果たして次戦った時にあの〈八岐大蛇〉に打ち勝つことは出来るのだろうか。
「ダメだ……ムズいこと考えてたら眠くなってきた……ごちそうさま」
「ありがとう海里華、美味しかったわ」
「エリちゃんは流石の良妻っぷりだね」
「別に、この無鉄砲なバカの面倒を見る為に自然と身に付いたのよ。コイツは何でも一人で抱え込んで、人のことまで抱え込んじゃって、結局その重さに耐えきれずにまた一人で苦しむ……だから誰かがコイツのこと支えてあげなきゃ、って……」
少し静まった空間で、静かな寝息を立ててすやすやと眠る黒音。
弁当を食べ終わると、本当に三分前後で眠ってしまった。
「……寝ちゃったみたいね。ま、相当頑張ってたみたいだし。私達以上に長期戦だったから」
「まったく、だから誰かが支えてあげないとダメなのよ。こうやって、眠ってる時に隣でもたれさせてあげられるような、誰かがね」
隣にいる海里華の肩に頭を預け、無邪気に眠る黒音。
三人はそんな黒音の寝顔を眺めながら、暖かい昼休みを過ごした。
「ふあ──ぁあ……よく寝たな……今日はなんか弁当食って寝た記憶しかないぞ」
『実際本当にそうだったからね。そう言えば覚えてる? 雪村先生に図書室に来いって言われてたの』
「ああ、覚えてるぞ。生徒に干渉しないあの雪村先生が成績のこと以外で生徒を呼び出すなんて。しかも強制じゃなくて時間があれば。なんか嫌な予感がしてきたぞ」
『黒音、ダメだよ。契約者の嫌な予感って凄い確率で当たるんだから』
いやいやアズさん、そう言うのが一番危ないプラグなんですよ。
黒音はアズの立てた嫌な予感が的中すると言うフラグをへし折らんばかりの勢いで、図書室に入った。
窓から差し込むオレンジ色の光がテーブルスペースを照らし、夕焼けの遮られた本棚と本棚の間を通って奥へ奥へと向かう。
だがまだ職務を終えていないのか、雪村先生はまだいないようだ。
「呼び出しといて本人がいねえとか……」
「本人ならここにいるぞ」
「っ……!?」
まったく気配を感じなかった。
雪村先生は最初からそこにいたかのように、テーブルに並べたチェスの駒をいじっている。
「……で、何のようですか?」
「そう畏まるな。プライベートな用事で呼んだんだ」
「生徒に無関心で、成績や単位以外ではまったく干渉しない先生がプライベートな用事とは……まさか目的の本を探すのを手伝ってくれ、とかじゃないですよね?」
「いや、ただチェスの相手をしてほしくてね。ここ最近、ずっと一人でやっているんだ。お前はルールを知ってるだろう?」
「まあ、よく母親の相手をしてましたから、一応は」
テーブルに着き、白と黒のマスが交差したチェス盤を眺める。
そう言えばチェス盤を見るのは久しぶりだ。
日本に帰国する前に母親と一度やったっきりで、それからはチェスの駒にも触れていない。
懐かしい手触りとともに、黒音は白い駒が雪村先生の方へ来るようにチェス盤を回転した。
「いいのか? チェスでは後攻が勝てる確率は低い。最善の手で打ち合っても引き分けが限度だ」
「本当に最善の手で打てるなら、ですけどね」
軽く挑発してみる。だが雪村先生はそれの一切動じることなく、白い駒を動かした。
「やはり名前の通り黒を好むんだな」
「別に、後攻の方が相手の出方を先に窺えるから好きなだけっすよ」
白のポーンの斜め右に黒のポーンを移動させ、白のポーンを討ち取る。
それは序盤でよくある誘いの手だ。
だが雪村先生は敢えて前に出たポーンを討ち取ることはなく、空いた隙間からナイトを前に移動させた。
「なあ未愛、その左腕の……ペイントシールとか言ったか」
「ええ、数日もしたらとれるらしいっすよ」
「……断言してやる。そのアザはそう簡単にはとれない」
……また、雪村先生の威圧感が殺気に変わった。
薄々は気づいていたが、左腕のアザの正体を見抜いたことで確信した。
「貴女は契約者ですね。それも、相当熟練者のようだ」
「貴女、か……契約者だと言うことが分かっても尚敬語……相手との実力差を完璧に悟っている証拠だ。普通の契約者なら、警戒するあまり殺気を剥き出しにするんだがな」
「ふふ……貴女相手にそんなことをすれば、今頃俺の頭は地面に転がってます」
目の前にいるのは、確実に黒音を越える実力者。
それもあの深影すらも凌駕するほどに場数を踏んでいる。
「本当の名前を教えてくださいますか?」
「気づいているくせに……まあ武士ならば名乗るのは当然だな。私の名は柊 雪花。まあ一文字だけ変えて逆にしたみたいなものだ」
手入れがされておらずにぼさぼさだった髪は、雪村先生の指が通った瞬間に輝く黒髪へと変化し、赤いジャージを脱いで腰に巻いた。
そしていつの間にか雪村先生の腰に下げられていたのは、本物の日本刀だった。
「やっぱり……貴女は今に生きる侍の異名を持つ羅刹の英雄、堕天使の柊さんですね」
「柊さんはよせ。今更むず痒い。お前が普段友達や仲間に接するような口調でいい」
「……アンタから言ったんだから、いきなり斬りかかるとかはナシだぜ?」
「武士に二言はない。それよりも、本題に入っていいか?」
「ああ、だがその前に──チェックだ」
白いキングを射程圏内に入れた黒いナイトの駒に人差し指をおきながら、黒音は不適に頬をつり上げた。
「むむ……ま、まだだ」
「おいおい、本題に入るんだろ。大方左腕のアザのことだろうが、チェス盤とにらめっこするな」
「私は負けることが大嫌いだ。絶対に勝つからな」
余裕な風を保ちながらも、内心では死を覚悟していたのに。
流石は異端者の一人。本当に変わり者が多い。
「貴様……今失礼なことを考えただろう?」
鞘からは抜かず、鯉口をちきり、と鳴らして鞘の先を黒音の鼻先に突きつけた。
鞘から抜かれてはいないと言うのに、たったそれだけでも心臓を鷲掴みされるような圧迫感を受ける。
「読心術かよ……別に、アンタもやっぱ〈Heretic〉の一人なんだなって思って。母から聞いてたけど、何もかもがバラバラな六人の唯一と言っていい共通点。それはとことん負けず嫌いってことだ」
「当たり前だ。十年も歳の離れた小僧に戦略で負けるなど、武士の恥所ではない」
手慣れた手つきで刀をペン回しのように回すと、柄の方を地面に当てて再び鯉口を鳴らした。
「どうだ、これで私もチェックだぞ」
「いいのか? クイーンをとられるぞ?」
白のルークで黒のナイトの進路をたったが、その代わりにクイーンの前ががら空きになっている。
「む、むぐぅ……な、なかなかやるな……」
「当たり前だ。俺の母親はさっきのアンタみたいにいつも一人でチェスを打ってた。最初の頃は勝つ所かまともに打ち合うことも出来なかった」
「流石は我らのリーダーと言うことか……まったく、お前はこの上ない至高の存在に拾われたな」
待て、今確実におかしな点が一つあった。
「へ……アンタ、なんで俺がリズの息子だって知ってるんだ?」
「ならば逆に聞こう。何故偶然にも私が教師をしている学校に入学して、偶然にも私が担任になった?」
「……そう言うことか……ったく、あの金髪バカは……お節介だぜ」
つまりは、すべて仕組まれていたわけだ。
柊が黒音が入学する高校にいたのも、黒音が日本で過ごす場所が前に住んでいた場所だったのも。
すべて、記憶を取り戻しやすい為に。
「リズからはお前を見守ってやってくれと頼まれている。まあ本当に見守っているだけで死にそうになっても助けることはないがな」
「アンタがいる意味ねえじゃねえか」
「早とちりするな。私は助けないとは言ったが教えないとは言っていない」
「まさか……アンタが俺をしごいてくれるってことか?」
「どうせ今頃になってくれば自分の限界を感じ始める頃だろうなと思ってな。左腕のアザが神機と仮契約した時のものだと判断して、ここに呼んだ」
黒音の左腕に刻まれた『Lævateinn』の文字。
神機と契約する前に、数日間だけ神機を使ってこれからもともに戦っていくかと言うことを試す仮契約の期間がある。
勿論神機によって仮契約の期間は変わってくるが、ザンナは三日間、サンティは五日間だった。
「にしてもレーヴァテインか……今は展開出来るのか? 出来るなら見せてみろ」
「ああ、一応展開は出来るが……レーヴァテイン、出てこい」
自分の左腕に向かってそう話しかけると、黒音の左腕に刻まれた文字が白銀の光を放った。
だがその光はすぐに淡く弱まり、すぐに消えてしまった。
「……やはりな。未愛、行くぞ」
「へ、どこに──」
常人ならば反応する所か感知することも敵わなかっただろう。
吹雪くような冷気を放ちながら、雪花が日本刀を降り下ろしてきた。
しかし日本刀は依然鞘に納めたまま。
鞘に納めているにも関わらず、防がなくては必死だと思わせる殺気と迫力があった。
現に黒音は息も絶え絶えにダーインスレイヴで受け止めていた。
「恐るべき反射神経だな。人間離れ、はまあ当然だが、ここまでの反射神経を持つ契約者は四大チームの契約者にも早々いないぞ」
(こ、この女……完全に殺す気で降り下ろしてきやがったッ……鞘に納まってるってのに、いや鞘に納まってたとしてもこの人が降り下ろせば腕が肩から切り落とされる……)
日本刀を膝の上においた雪花は、何事もなかったかのようにチェス盤を睨みつけた。
「どうだ? レーヴァテインに反応はあったか?」
「まさか、俺が危機的状況に陥った時に現れるかもしれない可能性の為に……」
「……その様子では、まだのようだな」
先ほどのように文字が輝くこともなく、レーヴァテインは沈黙を決めている。
「俺の反応が間に合ってなければ、どうなってた……」
「流石に鞘に納まっているから斬れはせんが、脱臼はしていただろうな」
「嘘つけ! 絶対に死んでたぞ! 今ので分かった、それ神機だな……それも、水属性の突然変異である氷属性……」
「ほう、観察眼も優れているようだな。そうだ、この刀の名は〈天羽々斬〉と言って、氷属性の神機だ」
鞘の付け根に『天』と刻まれたその刀は、近づくだけでも冷気を感じるほどの冷たさを放っていた。
それは決して幻覚でも比喩でもなく、受け止めたダーインスレイヴの刃の一部が本当に凍っている。
「薄々見当はつくが、なんで抜刀しない?」
「そんなことをすれば、ここが吹き飛ぶぞ」
「まあそうだろうな。神機の性能とそれに伴う、もしくはそれ以上の力を持つアンタが本気で刀を振るったら……考えたくもねえ」
「まあともかく、これからの戦いにリズの教えだけでは詰まってくることもある。幸いお前は剣での戦いを得意としているようだから、私も教えれることはある」
黒音の持つダーインスレイヴに、自分の持つ天羽々斬をこつんとぶつけ、雪花は誰もいない図書室に響き渡るような声で宣言した。
「私がお前を武士に鍛えてやる!」
「いいのか? 俺がアンタの技術を教わっても精々辻斬りになるぜ? アンタの名に泥を塗るだけだ」
「安心しろ。自分の汚名は自分で拭う」
「それって俺がアンタの技術を悪用したらアンタに殺されるってことじゃねえか」
この無茶苦茶っぷり、久しぶりだ。
やはり英雄同士似ている所がある。
これならば問題なく、雪花の技術を盗める。
「柊先生、よろしく頼む」
「よし、じゃあまず死んでみろ」
「……やっぱ遠慮しようかな……」
始めの第一声が死んでみろと来た。
これでは先が思いやられる。
「なにも本当に死ねとは言っていない。生死を分ける死ぬ手前まで自分の精神を追い込んで、集中力を高めろと言っている」
(リズは集中力を高める時は自分の好きなように崩してリラックスしろって言ってたけど、この人は違うんだな)
まるで抜刀術みたいに一瞬一瞬に命を懸けるやり方だ。
誰もいない図書室ならば物音もせず、自分の目の前に常に自分を殺せる脅威がいると思えば、嫌でも緊張する。
要するに緊迫した状況で、その緊張感を集中力に変換出来るかの特訓だ。
「すぅぅ……ふぅ……」
視界を閉ざし、背もたれと背中の間に拳一個分の隙間をあけて、姿勢をただす。
体はリラックスしていて、無駄な力は入っていない。
しかし精神は常に意図が張り詰めていて、五感が敏感になっている。
図書室の壁を通して聞こえる風の音、古びた本の匂い、緊張のせいか少し舌も酸っぱく感じる。
体に触れる服の感触までもが鮮明に感じられ、丹田に力を込め、再び深く深呼吸をした。
(なんだこれ……目を閉じてるのに……辺りの風景が立体映像みたいに浮かび上がってくる……)
雪花が気配を殺して天羽々斬の柄に手をかけている様子も、手に取るように分かる。
あらかじめ鯉口を鳴らしておいて音を立てていないようにしているが、今の黒音にとってそんな工夫すらもあらかじめ知らされたかのように感知出来る。
(集中は出来ているようだが、流石にまだマスターはしきれていないな。リズの教え方はとことん我流だ。それが染み付いているコイツは簡単に型にはまらない)
必殺の間合いで、必殺の構えをとった雪花。
触れればすべてを凍結させる絶対必殺の抜刀術が、とうとう冷気を放った。
「ダメだな。これじゃ逆にレーヴァテインは目覚めない」
黒音はダーインスレイヴを机の上におき、斜め上に斬り上げられた天羽々斬の刀身を白刃取りで受け止めた。
魔力でコーティングした手のひらは凍結することもなく、寸分のずれもなく刃を止める。
(バカな……!? いくらなんでも飲み込みが早すぎるッ……)
「でもありがとう柊先生、これは心眼の類いだろ」
「あ、ああ、そうだ。視界で捉えられないものも、心の眼ならば捉えられる。五感が鋭敏になっただろう」
視覚や聴覚などで感知出来くとも、心眼はほとんどのものを感知することが出来る。
研ぎ澄まされた五感によってすべての動きを想像し、それを限りなく現実に近づけることで、捉えられないものを捉える。
「ああ、自分でも分かる。さっきよりも確実に反応速度と判断力が増してる。たった数分で自分の成長を自覚出来るなんて、結構無茶苦茶で雑だって思ってたけど、本当は教え方が上手かったんだな」
(いや、決して私の教え方が上手いわけではない。少しのコツとやり易い空間を作っただけでここまで伸びるのか)
この成長スピードならば、もしかすれば第六感を目覚めさせるのもそう遠くないだろう。
だが一度に多くのことを詰め込んでも意味はない。
一つ一つを体に癖として叩き込むことで初めて、実戦の時に役に立つと言うものだ。
「そうだな、明日の放課後までに、雑音が多い場所でも心眼が使えるように集中力を鍛えておけ」
「お、おう、ご教授痛み入るぜ。後、これでチェックメイトだ。また明日」
雪花に深く頭を下げて、黒音は鞄を手に図書室を後にした。
静まり返った図書室で、雪花はチェックメイトへと誘導されていたことにようやく気づいた。
雪花は苦笑しながら天羽々斬の柄を撫でた。
「やはり私のことも覚えていないか……リズ、私があの子を鍛えて……果たして本当に魔王に勝てるのか……? あの子は契約者にしては、優しすぎる……」
最後まで雪花が勝てる選択肢を残したまま、黒音はチェックメイトしていた。
それも敢えて気づきやすい手だ。
雪花がその手を選んでいたら確実に黒音は負けていた。
「いやぁ……まさか二人目の元英雄に鍛えてもらえるとは。確かに漓斗や焔に勝つにはあの人の修行が必要だな。てかお前入学の時からあの人が英雄って気づいてたんじゃないのか?」
英雄の元で育ったならば、一度くらいは面識があるはずだ。
記憶を失っている黒音が覚えていなくとも、アズは覚えているはずだ。
『まあね……黒音、ちょっと手加減しすぎじゃない?』
「そうか? これからも色々と教えてもらいたいことはあるんだ。なのに始めから圧勝して機嫌を損ねたら大変だろ」
『黒音ってそーゆーとこあるよね……もう流石に海里華ちゃん達はいないみたいだね』
「当然だろ。もう暗くなり始めてるし」
最後の方は時間を忘れるほど集中していたせいで気づかなかったが、日はほとんど沈み、月が鮮明に浮き上がっている。
「そう言えば、あの後漓斗はどこいったんだろうな……」
焔は自宅に戻り、海里華と梓乃は黒音の家に泊まったが、漓斗だけはどこにいったのか。
焔は一番最後と言うことになっているし、死神の少女は行方以前に名前すら分からない。
消去法で行けば漓斗しかいないと言うのに。
『ねえ黒音、雪花さんは危機的状況に陥った時に変化があるかもって言ってたけど、何か変化はあったの?』
「いや、特には……でも初めてレーヴァテインの自我を意識した時は、梓乃に限界まで追い詰められてた時だし、もっと言えばいつも以上に力を出し切れてた気がする」
『それは多分、リミットブレイクの片鱗だよ。記憶を失った後の黒音と私が改めて契約したから、一時的ながらその力が解放されたんだよ』
「レーヴァテインが意識出来たのはリミットブレイクの片鱗を感じた後だ……もしかしたらレーヴァテインは俺がリミットブレイクに近づいた時のみ現れる神機ってことなのかもな」
『うむぅ……そんな限定的な状況でしか意識を通わせることも出来ない神機なんてあったっけな……』
もしそれ以外だとすれば、限界に追い込まれて意識を飛ばしていた、精神状態や意識が極めて不安定な時にのみ心を通わせられる、のかもしれない。
黒音の意識が不安定だったから、レーヴァテインの意識が濃く音の意識に割り込めた、とか。
推測ならばどうとでも言えるが、どれも決め手に欠ける。
もう少しレーヴァテインや神機そのものの情報が必要だ。
「今日はもう帰るか……久しぶりに外食とかするか?」
『ふぇ、珍しい。黒音がいいなら大歓迎だよ!』
お財布事情と相談し、黒音は近くのファミレスへと向かった。
「はあ……ほ、本当にこんな所に〈創造〉の特性を持った神機など存在しているんですの……?」
まぶたを開くことさえ叶わない、極寒の地、北極。
その上空で、璃斗は顔をかばいながらエネルギー反応の感じる方向へと進んでいた。
『さあな、俺は噂話でしか聞いたことがない。確実性がないから、ないかもしれんな。やってられないと言うならば引き返せ』
「まさか……この私が寒さに耐えられずに尻尾を巻くとお思いですの?」
南極よりも比較的温度の高い北極だが、それでも気温はマイナス二十五度前後。
アザゼルと一体化していなければ、今頃は凍死してホッキョクグマの餌になっているところだ。
「エネルギー反応はこの近くですが……吹雪も強い上、一面が真っ白で、とても探せませんわ……」
これ以上はエネルギー反応の位置も限定出来ないし、ここからは感覚に頼らず、自分の体と忍耐力で探し出すしかない。
まずはエネルギー反応を一番大きく感じるエリアで、一番大きな氷山を探せばいい。
「食料はアザラシやホッキョクグマの肉でいいとして……寝床なども確保しなければいけませんわ……」
このだだっ広い氷原で、たった半日探しただけで見つかるはずもない。
まさか北極でかまくらを作る破目になるとは。
璃斗は分厚い氷の地面を切断し、計四枚の氷の壁を隔てて頑丈な塀を作る。
最後に五枚目の壁を屋根代わりに乗せると、壁の一部を小さく切り取って出口にした。
「これで寝床は確保しましたわね。ですが、いつまでも変身したままと言うわけにもまりませんし、変身しているだけでも零力を消費しますから……」
『だが変身前の姿ではすぐに凍死するぞ?』
「焦るあまりに何の準備もしてきませんでしたわ……ま、そもそも準備するほど私物もありませんけれど」
漓斗が住んでいるのは撤去もされずに忘れ去られた廃墟だ。
食事こそコンビニのもので何とかなっているが、毎日お風呂にはいることも叶わない。
なのに北極に来る為の準備など出来るはずもなかった。
「吹雪が止むのを待ってからホッキョクグマを探しましょう。肉は食用ですが、毛皮があれば寒さを凌ぐのには十分ですわ」
『臨機応変だな。前にもこんな経験があったのか?』
「いいえ? こうしなければ死ぬと言う状況におかれ続けた為に身に付いた存命術ですわ」
ろくに食べ物も与えてもらえず、物心つく前から自分のことをすべて自分でしなくてはならない環境におかれていたから勝手に身に付いてしまった。
だが今となっては自分を育児放棄した母親に感謝している。
そのおかげで、今こうして一人でも生きているのだから。
「黒音さんがいてくれれば……少しは楽だったのでしょうか……」
『……なに? どうした漓斗、まさか寒さで思考力が低下したのか?』
「へ、あ、いえ、すみません……自分でも無意識でしたわ……流石にここまで身体的にも精神的にも追い詰められると、心にもないことを考えてしまうのですね……」
無意識に出てしまうほど、あの男の存在が漓斗の中では大きいものへと変わっているのだ。
「眠く、なってきましたわ……」
『気絶すればそのまま死ぬぞ。意識を保て』
「これ以上のペースで、零力を消費すれば……吹雪が止むまで持たないかもしれません……ですが、このままなにもしなければ、結果は同じ……」
『あらあら、可哀想に……暖めてあげようか?』
どこからか、そんな声が聞こえる。
あまりの寒さのせいで幻聴まで患ってしまったのか。
『意地を張っている場合ではないぞ。やはり帰った方が……』
『もう少しいてくれえ。久方ぶりの客なんだ』
おかしい。そもそも実体のないアザゼルは寒さを感じない。
幻聴などはあり得ないはずだ。
だが確かに二人の耳に届いたのだ。穏やかそうな男女の声が。
「誰ですの……姿を現しなさい!!」
『そんなに警戒しないで。久しぶりのお客さまだから、もてなすわよ』
突然漓斗の頭上から白い毛皮が降ってきた。
それだけに終わらず、火に通されたアザラシの肉がアザラシの皮の上に乗せられて差し出された。
「どう言うつもりですの……?」
『どう言うつもりもなにも、あなたみたいな女の子がこんな所で凍えてるなら、助けてあげるのが普通でしょ?』
『さあさあ、遠慮せずに食ってくれ。ほら、堕天使のにいちゃんも』
『ああ、すまない……』
以外にもすんなりと二つの声を受け入れたアザゼル。
漓斗との一体化を解除すると、アザゼルは漓斗に白熊の毛皮を着せた。
「ちょ、アザゼル! 素性どころか姿も見えない相手を信用するなど……」
『考えてみろ。こんな所にいる契約者など俺達くらいのものだ。つまりこの声の主は……』
「まさか……貴方達二人が、神機ヒルデ・グリム!?」
『ええ、私はグリムの妻、ヒルデよ。ごめんなさいね、姿を見せられなくて』
『ワシは夫のグリムだ。永らく力を使っていなかったせいで、本体の近くでしか姿を実体化出来ないらしい』
漓斗は渋々と言った様子で毛皮で身を包み、猫のように丸まった。
『ほら漓斗、早く食べろ。体が冷えたら体力も低下する。今のうちにカロリーを摂取しておけ』
「はあ……どうにかなったらぁ、あなたが責任をとってくださいねぇ?」
『無論だ。ほら、口を開けろ』
口元に近づけられたアザラシの肉をすんすんと鼻を鳴らして食べて大丈夫かを確認し、恐る恐るそれを口にいれた。
「……美味しい、ですねぇ……」
『そう、よかったわ。ところであなた達はどうしてこんな所に?』
『まさかワシらを探しに来たのか?』
「ええ、今の私には貴方達のような有能な神機が必要なんですよぉ。……どうしても、ね……」
『ふむぅ……何か訳アリか?』
「ええ……私は──人間になりたいんですよぉ」
冷えきった頬を暖める為に、毛皮で顔を覆う漓斗。
毛皮の隙間から覗く黄色の瞳が、見えないはずのヒルデとグリムの姿をとらえているように見えた。