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魔王が紡いだ御伽噺(フェアリーテイル) ~avenger編~  作者: シオン
~avenger編~ 第二章「緑のドラゴン」
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第三話『Drake av mörker』

 彼女は自分を知らなかった。思い出も、両親の顔も、心すらも。

 ある日ある時、彼女はリュッカが本当の母親でないことを知った。

 それを知った時、彼女は酷い悲しみにとらわれた。

 私はそんな彼女の強く深い悲しみから産み出された人格だ。


「私は……ママの……ママの娘でありたいよ……なのに、なんで……」


『でもあの人はあなたのことを本当の娘みたいに見てくれてますよ? 血の繋がりがどうとか、関係ないんじゃないですか?』


「セリュー……でも、でもぉ……っ」


 彼女の悲しみを受け止める捌け口、それがセリューと言うもう一つの人格。

 私は彼女の悲しみを受け止め続けた。それだけが、私の存在価値だと思っていたから。

 だが彼女の悲しみを受け続けた私は、いつしか彼女の悲しみを重く感じ始めた。

 私はただの悲しみの捌け口。私は悲しみを受け止めるだけの道具にすぎない。

 そう思った瞬間、私は彼女のことがすごく憎く感じた。


『いい加減に、してくださいッ!!』


「ひぅっ……!? セリュー……? なんで、怒ってるの……?」


『あなたはいつまで私に愚痴を聞かせれば気が済むんですか!! 私は人形じゃない……私は一つの人格です!!』


「そんなつもりじゃ、ないんだよ……わ、私はセリューに私の気持ちを分かってほしくて……」


『それが迷惑なんです!! 私は何も知らないんですよ!! ただ悲しい悲しいと聞かされているだけで、私には何もない!!』


 今まで溜め込んでいた気持ちをすべて爆発させて、結局私の話が終わったのは、私の龍力が尽きようとしていた頃だった。


『そんなにあの人の本当の娘でないことが悲しいならば、娘自体を止めればいいでしょう!! あなたには一人で生きていけるだけの力があるのですから!!』


「そんなの嫌だよっ……私はママの娘でいたいのに、それじゃ、なんの意味も──」


『だったら……だったら私があの人の娘になりましょう……』


 ──それからだ。私が彼女から彼女の体を奪おうと考え始め、セリューと言う名をセリュー・エヴァンス(・・・・・)と名乗り始めたのは。


『今日から私がリュッカの娘、セリュー・エヴァンスです』


「な、なに……言ってる、の……? セリューが、ママの、娘に……?」


『もううんざりなんですよ……あなたが選べないのなら、私がその選択肢を奪ってあげます。私は、あなたのすべてを奪う!!』


 でも彼女は抵抗しなかった。

 それ所か自ら明け渡そうとさえしていた。

 だから私は決めたのだ。彼女が私にすべてを明け渡すことに抵抗を示すまで、完全には奪わないと。

 そして今となっては、それがずるずると伸びて二人で一つの体を共有することとなっている。

 でも私は、とうの昔に──


『ん……夢、ですか……ここは……どこです……?』


 オレンジ色の光が視界を包み込み、今が夕方だと言うことを寝惚けた頭で理解する。


「あ、セリュー。目が覚めたんだね。ここは病院だよ。もう帰りだけどね」


『私は、あのあと……』


「意識を維持するのに必要な龍力が一時的に尽きて、気を失ったんだよ。でももう大丈夫だよ。私の龍力を注入したからね」


『……礼は言いませんからね』


「うん、いいよ。いつものことだし」


 ──いつものこと? 私の記憶では龍力を注入してもらったのはこれが初めてのはず。


「いつもセリューが寝てから定期的に龍力を足してるからね」


『っ……だから、私は……』


 龍力が尽きかけても次の日になれば回復していたのは、時間のせいではない。

 彼女が毎日龍力を与えてくれていたからだ。

 もし彼女が本気で私のことを嫌っているならば、私はとうの昔に消滅している。


「私ね、セリューがいるから元気でいられるんだよ。龍力は私の感謝の気持ちだから、セリューはお礼なんて言わなくていいんだよ」


 これがフェンリルの言っていた彼女の優しさ(強さ)なのだと、今初めて思い知った。

 私がどれだけ彼女のことを虐げても、彼女はめげずに私に寄り添ってくる。

 彼女こそ、あの二つ名に相応しい。そんな気が──


『む……どうやら契約者が現れたようだ。反応からすると……いつかの天使のようだぞ』


「っ……あの姉妹の妹さんだね。行こうフィル。次は勝つよ」


 龍力はもう完全に回復している。

 次こそはもう抜かったりしない。そう誓う彼女に、セリューは小さく呟いた。


『が……ば……く……だ……い……』


「ふぇ、よく聞こえなかったよセリュー。なんて言ったの?」


『なんでもありません。とっとと戦って殺られればいいんですよ』


「えへへ……セリューには悪いけど、もう次は負けないよ。私は同じ失敗はしない。そう誓ったから」


 いつもと様子が違う。これは長らく見ていなかった、彼女の誓約だ。

 彼女がこれを口にしたと言うことは──もはや天使に勝ち目はない。

 この子が本気を出した時は、この私でさえも畏怖の念を抱いてしまうほどだからだ。


「フィル、私達に二度はないよ」


『無論だ。行くぞ我が友よ』


 制服のネクタイを緩め、シャツのボタンの一番上を外す。

 ラフな姿で、静まり返った心で、彼女は左肩のドラゴンの頭を撫でた。

 目標はビルの屋上で街を見下ろすルーチェルだ。

 相変わらず桁違いの聖力をしている。本来共存出来ない聖力と魔力を自由に操れるのは、ルーチェルやその姉のレイチェルくらいだろう。


「フィル……本気の変身──モード"誓約"……」


 彼女の頭上に突如黒雲が現れ、それが帯電を始める。

 たっぷりと一点に集中された極大の雷が、一心に少女へと降り注ぐ。

 双眸を獣のようにぎらつかせ、エメラルドに染まった髪と瞳は浴びた電流によりさらに輝きを増した。

 北欧神話の終焉神により産み出された三柱の化身。

 一柱は海をも飲み込む災厄の大蛇ヨルムンガンド。

 二柱は地獄エーリューズニルの支配者ヘル。

 三柱は雷鳴で破滅を呼ぶ鎖狼龍フェンリル。

 〈終焉の悪戯(ロキ・ザ・ミスチフ)〉と呼ばれる彼らは、他の六種族よりも感情によるエネルギーの変化が大きい。

 他の六種族が感情によって上下するエネルギー率は最大でも六十パーセントと言われているが、〈終焉の悪戯〉の三体は八十パーセント以上だ。

 そして上下するエネルギー率さえも契約者の才能や精神状態で左右される。

 まさに不確定要素の塊。


「ん、この反応……この前のドラゴンなの。性懲りもなくまた現れたの」


 反応のする方に振り向き、ルーチェルはその場で固まった。

 以前戦った時のドラゴンとは、明らかに違う。

 だが契約者としての本能が叫んでいる。これは危険だと。


「これが私の全力……フェンリルの〈誓約の契り(プレッジフォルム)〉だよ」


 六芒星のドラゴンでも限られた逸材にしか実現出来ない、そのドラゴンの姿や能力を表した鎧を纏う人の形をした龍。

 それが伝説の〈限界突破(リミットブレイク)〉にも似た規格外の力。

 ──六芒星の〈龍の魂(ドラゴン・ソウル)〉。


「っ……なん、なのっ……? この龍力……おかしいの……おかし、過ぎるのッ!! どうして上昇が止まらないのッ!?」


 少女の放つ龍力が、一向に上昇をやめない。

 再現なく強大化していく龍力は、無駄なく少女の全ステータスを飛躍的に向上させた。

 稲妻を模した逆立ったポニーテールと、鎧の至る所に刻まれた鎖の模様。

 緑色の鱗が密集した胸当てとスカートの間。

 露出した腹回りには鎧に刻まれた模様と同じ鎖のタトゥーが描かれている。

 電流を纏う二枚の翼の後ろに直径が少女の身長と同じサイズの輪が現れ、その輪にはそれぞれが色の違う電流を帯電する七つの突起がある。

 七色に煌めく輪を背後に装備し、腰に差していた柄の上下両方に小さな刃をつけた両刃の小刀をを引き抜くと、少女はそれに意識を集中した。

 すると両刃の小刀は突如稲妻を発して巨大化した。

 手のひらサイズの小刀は少女の身長以上に伸び、柄の上下両方についた小さな刃は日本刀の刀身と同じかそれ以上の長さとなった。


「久しぶりに頼らせてもらうね。これが私の二つ名の由来……〈帝釈天の独鈷杵(ヴァジュラ)〉だよ」


 雷を司る神の中でも〈全能神(ゼウス)〉の雷と並ぶ力を持つ〈雷霆神(インドラ)〉の神機ヴァジュラ。

 両刃の金剛杵(こんごうしょ)は神話通りの凄まじい電圧を持って少女の手に収まった。


「どう、してなの……前戦った時はこんな力、全然感じなかったのっ……」


「うん、普段から抑えてるからね。神機さえも使いこなせちゃう魔神(・・)の力を」


 リミッターをかけていなくては暴発して自分がダメージを食らってしまう。

 だからその規格外の力を使いこなせるだけの心情に心からならなくては扱えない。

 〈終焉の悪戯〉は感情の変化に比例して契約者の器をも左右する。

 そして少女にとって、誓約と言う契りが一番感情を強く、激情に変えるキーワードなのだ。


「あなたが相手ならもう力を抑える必要もない。さあ……霆の神童、いつもより推して参るよ!!」


 少女が可愛らしい八重歯を覗かせると同時に、少女の姿が消失する。

 普段なら目視でも追えるはずだが、少女の強烈過ぎる龍力が辺り一帯に拡散していてうまく気配が感じ取れない。

 それだけでなく、やはりスピードも桁違いに跳ね上がっている。

 気配が曖昧な上にこのスピードではどうしようも捕まえることが出来ない。


「霆のフルコース、まずは前菜! 〈雷霆招来インドラ・ライディーン〉、壱の型、貫刃かんじん!!」


 突如真下に現れた少女が、ヴァジュラの峰の部分でルーチェルの顎をかちあげ、がら空きになった胴へ上の刃を突き出す。

 なんとかそれを白羽取りの要領で受け止めたが、ルーチェルはそれが相当手加減したものだったとすぐに気づかされた。


「次はスープ! 〈雷霆招来インドラ・ライディーン〉、弐の型、刺盾さしだて!!」


 背中の輪から打ち出された七色の電流が、全方位に強烈な電流を放つ。

 逃げ場などと生温い言葉を一瞬で忘れさせてくれる、七つの電流が醸し出す芳醇な香り(残酷なまでの)と上品な味(強大な一撃)


「次はメイン直前の魚料理! 〈雷霆招来インドラ・ライディーン〉、参の型、迅雷じんらい!!」


 もはや細胞一つ一つを焦がされそうなほど電流を身に受けているのだが、少女は容赦なく電流を浴びせていく。

 一時的に体内に電流を流し込み、身体能力を直接的に強化する。

 人間の体ならば肉体が耐えきれずにクラッシュする。

 だが六芒星に認められ、神機にさえ認められた契約者の器ならば、それが可能なのだ。

 物理法則の限界をねじ曲げ、稲妻となって空を翔る少女の拳や蹴りが、ルーチェルの体に集中放火される。


(か、はッ……これ、は……人間としても、契約者としても、この戦闘力は異常なのッ……まず、ありえないのッ……!)


「さて、そろそろメインディッシュのお肉だよ。これは私の技の中でも最大最強の威力だよ。〈雷霆招来インドラ・ライディーン〉、肆の型、紫電肆刃しでんしじん……!!」


 ヴァジュラに蓄積された電流の量が臨界点をオーバーし、電流の色が薄緑色から紫色に変色する。

 ヴァジュラの二つの刀身に宿る紫電が刃の形に圧縮され、少女はヴァジュラを風を切って回転させた。

 円を描いた紫電がルーチェルに迫り、再び少女の姿がルーチェルの視界から消失した。

 そして再度真下からヴァジュラの刃が切り上げ、次に左側から二連続でヴァジュラの刃が切り裂いた。

 四方八方、全方向から襲う高速の刃に、ルーチェルはただ空中で踊るしかない。

 身に纏う白いミニスカートドレスはボロボロに千切れ、小さな血飛沫が無数に舞った。


「……私の声は大空に響いた。すべてを包む大空の声を聞きなさい」


 ──私の声は大地に響いた。すべてを愛す大地の声を聞きなさい。

 まさに次世代の〈大地の恵み(フレイヤ)〉。

 だが彼女は天空になり響く雷鳴。大地とはかけ離れた大空の龍だ。

 やはり彼女には〈大空の雷鳴(インドラ)〉と言う名が一番似合うようだ。


「っ……なんで、トドメを刺さないの……? 完全に、あなたの勝ちなのに……」


「命を殺める為に戦うなかれ。心を裂く為に戦うなかれ。強さは優しさを顕す為に在り、優しさは強さを赦す為に在る。これは私のママの言葉なんだ」


 命を殺める為に戦うなかれ。命を奪う為の戦いは負の連鎖しか生まない。

 心を裂く為に戦うなかれ。心を傷つける為の戦いは悲しみしか生まない。

 強さは優しさを顕す為に在る。優しいだけでは誰かを慈しみ、守ることは出来ない。

 優しさは強さを赦す為に在る。強さだけでは誰かを慈しみ、尊む志を忘れてしまう。

 真の強さを実現する為には優しさだけでも強さだけでもいけない。

 その両方が共存出来てこそ、初めて真の強さへと道が開けるのだ。


「私は誰かの命を奪ったり、誰かを傷つける為に戦いたくはないの。私は誰にでも優しく在りたいから強くなりたくて、強さが邪に変わらないように優しく在りたいの。だから誰も殺さないし、誰の心も傷つけない」


『これは、完敗ですね』


 その言葉を果たしてルーチェルに言っているのか自分に言っているのか、セリューは自分でも分からなかった。


「私の、敗けなの……あなた、凄く強いの。お名前を教えてほしいの。私のチームメイトに、あなたと戦ったことを自慢したいの♪」


 容赦なく叩き潰したのに、何故か尊敬されてしまう。

 くすぐったい気持ちににやけつつ、少女はルーチェルに右手を差し出した。


「そ、そんなに大層に言われると照れちゃうな……でも、名前は名乗るよ。私の名前は緑那 梓乃。霆の神童だよ」


「霆の神童……シノ、次に会った時は私のチームのドラゴンと戦ってほしいの。私のチームのドラゴンは凄く強いの」


 この世に焼き尽くせないものはないと豪語する火属性最強のドラゴン、イフリートと契約する〈soul brothers〉のドラゴン。

 チームリーダーの妹でありチーム第二位の実力を持つ。

 そんな彼女と戦わせたいと言うことは、相当大きく認められたらしい。


「そっか、あなたはチーム〈soul brothers〉の天使さんなんだよね。うん、今度はそのドラゴンの人と戦うよ。もしかしたら、その時はチームで行くかもね」


「チーム……! そしたらリーダーも喜ぶの。シノ、待ってるの! いつでも来てほしいの。私達は隣街の廃墟にいるの。隣街に廃墟は一ヶ所しかないから分かりやすいの」


「おっけ! また会おうねルーチェルちゃん!」


 笑顔で去っていく契約者の顔など、初めて見た。

 今日初めて、自分の信念が誰かに理解されたと実感出来た。


「セリュー……私今すっごく清々しい気分だよ」


『ふ、ふん……殺られなかったですね。実に残念です』


「えへへ……セリューは厳しいな。あ、そうそうセリュー」


『なんですか? この死に損な──』


「さっき言ってくれた言葉、ほんとはちゃんと聞き取れてたよ」


『っ~~~~~~~~!?』


 さっき言ってくれた言葉と言えば──


『頑張って下さい……』


「ふぇ、よく聞こえなかったよセリュー。なんて言ったの?」


『なんでもありません。とっとと戦って殺られればいいんですよ』


 セリューは思い出して急に恥ずかしくなり、あたふたしながら延々と意味不明な言い訳を並べた。

 久しぶりにじゃれ合えた気がする。

 昔のように、悲しみを受け止めるだけの存在としてではなく、ちゃんと一人の存在として。


「えへへ、セリューってば時々素直になるよね。まるでエリちゃんだよ。もしかしてツンデレ?」


『そ、そんなんじゃありませんっ!』


 そっぽを向いて話しかけても全然反応してくれないセリュー。

 でも今のセリューの気持ちなら話さなくてもわかる。

 すっごく恥ずかしいけど、本当はそれ以上に嬉しいって。

 だって私も同じ気持ちだから。例え同じ体に入っていなくてもわかっちゃうんだよ。


「セリュー、私ね、友達を傷つけちゃったんだ……その子も契約者なんだけどね、私はその契約者が友達だって知らなくて、攻撃しちゃったんだ……」


『……そ、その友達もさぞ貴女を恨んでいるでしょうね』


「うん、だから友達を傷つけたドラゴンが私だって分かったら、その友達が私を嫌いになっちゃうかもって……すっごく、怖いんだ……」


 セリューの見ている景色が歪み始めた。

 それは体を共有しているからそこ、筒抜けて分ける。

 目頭が熱くなり、セリューはそれを隠すように言葉を並べた。


『……貴女は、そんなことで怯むような人ではないでしょう。いつも全力で、空回りしても突き進む愚直なほどまっすぐなあの梓乃は、どこに行ったのです?』


「セリュー……あり、がと……すっごく久しぶりに、名前呼んでくれたね……っ」


『なっ、あ、貴女こそ、凄く久しぶりに私に悲しみや弱音をぶつけましたね』


「ぁっ……ご、ごめんなさい……」


 セリューに嫌われてからはもう悲しみは口に出さないように、弱音は吐かないようにしようとしていたのに。

 それを口にすると、セリューはとても苦しむから。


『いいんですよ。元はと言えばそれが私の存在意義。あの時の私は何も知らない子供でした。でも今なら、貴女の鉛みたいに重たい悲しみも受け止めれます』


「い、いいの……? 私、小さい頃より重さも増してるかもしれないよ……?」


『契約者をやっているのですから当然です。まあ、思いの重さは増していても、胸の重さは変わってませんけどね』


 ほんの冗談のつもりで言ったそれが、見事に梓乃の幼い胸に突き刺さった。


「ひ、ひどい! 結構気にしてるのに! でもブラは一年ごとにサイズアップしてるもん!」


『胸囲は四年間しか成長しません。胸が大きくなり始めてから何年ですか?』


「……はうっ……!?」


 カップケーキほどの胸の膨らみを押さえ、梓乃は体をくの字に折った。


『これは、もう諦めた方がいいですね。ご愁傷さまです♪』


「う、うぅ~……あ、で、でもエリちゃんは私よりもぺったんこだもん! エリちゃんよりもあんざんがた? だもん!」


『……安産型の意味を分かって言ってますか?』


「わ、分かってるもん! ……たぶん」


『それを男子の前で言えば、爆笑の渦ですね。これはよかった』


「全然よくないよっ!」


 ──こうしてセリューと笑い合いながら話したのはいつぶりだろうか。

 梓乃は頬を膨らませながら、肩に乗るフィルを抱き締めた。


『むぐぅ……梓乃、苦しいぞ……』


「えへへ、フィルもセリューも、大好きだよっ!」


『ふむ、私も梓乃やセリューのことは大好きだぞ』


『わ、私は貴女のことなんて……嫌いじゃないですけど』


 屋上のフェンスに座り、足を投げ出す梓乃。

 そこは少しでもバランスを崩せば地面に叩き伏せられる危険な場所。

 だが空を飛べて、仮に地面に落下しても両手両足をついて着地出来る梓乃にとって、そこはそよ風が涼しい展望台となる。


「……行ける気がする。もし今度エリちゃんと対峙することになったら正直に打ち明けよう。私は契約者だって」


『その意気です。まどろっこしい確執など、とっとと取り除いてください』


「うんっ!」


 フェンスを蹴り、地面へと墜落していく梓乃。

 だがそんな梓乃の背中には、すでに龍の翼が広げられていた。

 電流を放ちながら羽ばたく翼に身を預け、梓乃は自宅へと向かった。


「……おう、帰ってきたか」


「ただいまなの、リーダー」


 崩れた外壁が集結する廃墟のアパート。

 ルーチェルは崩れかけたアパートの部屋に滑るように入り込み、変身を解除した。

 そこで待っていたのは、五人の男女。

 一人は地面が崩れた一つ上の階にあぐらをかく青年。

 その隣には長らく切らずに伸ばしっぱなしにしていた長髪で顔が隠れている赤毛の少女。

 赤毛の少女はあぐらをかく青年の隣に正座して待機している。

 帰ってきたルーチェルをいきなり抱き締めたのは、やつれた白髪と覇気のない紅の瞳をしている少女。

 そしてそれを眺めてくすりと微笑みを漏らすのは川の流れのようにウェーブを描く青い長髪をした少女。

 そして部屋の隅っこに体育座りしているのは、可哀想なほどに破れて千切れてボロボロになったドレスを纏う蜂蜜色の金髪をした少女だ。

 全員が全員体の一部に熊の顔を模したマークが刻まれている。

 統一されたエンブレムはチームの証。

 そのマークは契約者の誰もが恐怖を抱くならず者集団、チーム〈soul brothers〉のエンブレムだった。


「それで、どうだったの? 私の情報通りの実力だったかしら?」


「うん、すっごい強い人と戦って、なんと負けちゃったの」


「ふぇ……ルーチェルが負けるなんて……珍しい……もしかして守護者の面子でも来てた……?」


「その通りなの。ほんとに珍しく〈tutelary〉の〈真実の幻〉が来てたの」


「……なに……? あの深影が……? だったら俺が出ないとな」


 ただならぬ殺気を孕み、一階上にいる青年が額に青筋を浮かべる。

 黒いタンクトップから伸びるたくましい腕と、生地の上からでも分かる胸筋。

 細身でありながら相当に鍛え抜かれた肉体を持ち、青年は底知れぬほどの魔力を吐き出して腰をあげ──ルーチェルに止められる。


「待ってなの、リーダー。私が戦ったのは守護者の人じゃないの」


「なに? じゃあ誰にやられた? お前がやられるなんざ、四大チームのエース以外に考えられ──」


「私が戦ったのは六芒星のドラゴンなの。その人、すっごく強くて、優しくて、まっすぐな信念で、尊敬してるの♪」


「お前が尊敬とは……あのレイチェル以来だな……あの最強バカは野戦に出てくることはあり得ねえし、深影でもねえ。……まさか絶望の連中か?」


「ううん、まだチームには所属してないの。それと、次来る時はチームで来るかもって言ってたから。皆久しぶりに楽しめるの。あのシノが連れてくるんだから、期待大なの」


「シノ……? それがルーチェルを負かしたドラゴンの名前……?」


「うん、霆の神童とも名乗ってたの。ルーチェル、本当に気に入ったの♪」


「霆の神童……? 霆と言えば霆の巫女が有名だが……ソイツは一人だけだったか?」


「お兄さん、恐らく霆の神童と霆の巫女は共闘態勢にあると思われます」


 初めて、青年の隣にいる赤毛の少女が口を開いた。

 

「ほう……んで、他に目ぼしい奴はいたか?」


「全員、なの」


「……全員? どう言う意味なのルーチェル?」


 青い髪の少女が、怪訝そうに尋ねる。

 ルーチェルはそれに実に楽しそうな様子で答えた。


「だから、全員なの。今日シノと戦う前に一度だけ混戦に混じったの。その時見た契約者は全員が全員強かったの」


「例えば、どんな……?」


「六芒星のドラゴンに騎乗してる堕天使とか、私が戦ったシノとか、〈真実の幻〉と互角に戦ってた人とか、なの」


 そして、静寂に包まれた。

 一瞬の間をおいて、驚愕の声が廃墟を埋め尽くす。


「な、あっ、あの〈真実の幻〉と互角に戦った人ですって!?」


「誰なの、ルーチェル……? そんな人、私知らない……っ」


「これは、流石の私も予想外ですお兄さん」


「……お姉さんじゃないなら、興味ないかな」


 部屋の隅っこで体育座りする少女を含めて、廃墟に様々な声が響く。


「確か、黒騎士とか言ってたの。本名が……未愛 黒音、とか……」


「未愛 黒音ですって……? ふーん……そう……」


「未愛……黒音……あの深影と互角に戦った奴か……こりゃ面白ぇ。久しぶりに疼いてきやがった」


 不敵な笑みとともにその場から立ち上がる青年。

 青年は隣の少女の頭を乱暴に撫で回し、声を荒げた。


「テメェら、久しぶりに外行くぞ! 久しく血のたぎる戦がやれるぜ」


「「おっけ、リーダー」」


 全員の声が揃い、六人の男女はアパートの崩れた窓から飛び降りた。

 青年は背後に異様なオーラを放つ禍々しい悪魔を引き連れ、ルーチェルは自分の外見と似た天使に抱かれ、部屋の隅っこにいた少女は黒い骨の体をした不気味な堕天使の腕に乗り、赤毛の少女は野太いボディーに赤い鱗をびっしりと纏ったドラゴンの背に乗り、青い髪の少女は同じく青い髪をした小さな女神を胸に抱いて、無気力そうな白髪紅眼の少女はハンモックに寝転がるような体勢で眠る死神を連れて。


          ◆◆◆


 最低限の荷物を鞄に積め、受付の人に見送られながら病院を後にする黒音。

 久しぶりに浴びる太陽の熱の光に身を伸ばし、海里華の頭に手をおく。


「今日が休みでよかったわね」


「ああ、ベッドに拘束されてた分、思いっきり体を動かさなくちゃな。体が鈍って仕方ねえぞ。それにシャワー浴びたい……」


 ずっと包帯に包まれていたせいで肌がふやけるほど蒸れていた。

 早々に湯船に浸かりたい所だ。


「あ、黒音君・・・! 退院おめでと! お隣さん復活だね」


「緑那、ずっと寝てたせいで体が軋むぞ。でもこれでやっと学校生活にも復帰出来る」


 黒音が病院から出てくるまでずっと待っていたようだ。

 梓乃の足元には退屈そうに地面に伏せる飼い犬の姿がある。

 あれが梓乃の言っていたペットのロウだろう。


「黒音君が休んでる間の授業は全部ノートにとっておいたからね」


「悪いな、助かる」


 ご主人様に褒めてもらいたくて、頑張った子犬の尻尾みたくポニーテールを振り乱す梓乃。

 いつも通りの光景だが、海里華はそこにある僅かな違和感を見逃さなかった。


「……ねえ梓乃、アンタいつの間に黒音のこと名前で呼ぶようになったの?」


「わう? さあ、いつからだっけ?」


「俺はその方が親しそうでいいけどな。梓乃」


「わうっ! 私も名前で呼ばれた方が嬉しいよ♪」


『ライバル出現だね、エリちゃん♪』


「なっ、うっさいわねアクアス……!」


 にやけるアクアスの脳天に手のひらを落とし、海里華は苦い笑みを取り繕う。


「ま、梓乃の辛そうな笑みもなくなったことだし、いっか」


「ねえ黒音君、これから三人で遊びに行こうか?」


「ああ、いいけどまずは一時帰宅だな。海里華もいいか?」


「私はいいけど、アンタの下着とか洗濯しなきゃ」


「……なんか当たり前になってるけど見ず知らずの女子に下着洗濯されるって抵抗あるな……」


「見ず知らずじゃなくて、幼馴染みね」


 海里華にすれば久し振りに再会した幼馴染みだが、黒音にとっては数日前に会ったばかりの自称幼馴染みだ。

 だが今となっては身の回りのことすべてをこなしてくれる上、魔王へ挑む為の鍵にもなってくれている。

 今の黒音から海里華を取ると、生活面でも契約者面でもうまく回らない。


「まあ、ありがとな。これからも俺の下着はお前が洗ってくれよ」


(ふぇ、そ、それって、ま、まさかプロポーズ……!? あの毎日お前の味噌汁を飲ませてくれ的なっ!?)


『たぶん黒音さんにはそんな他意ないと思うよ? だって黒音さんだよ?』


(ああ、それもそうね……って人の心の声にまで返答しないでっ!)


 いつも人の思考に勝手に入り込んでくるアクアス。

 契約者のパートナーだからこそ、心の中の独り言でさえ筒抜けになってしまう。

 だがそれは人間側は出来ず、六種族側にしか出来ない。

 だから何でも知りたがりなパートナーを持つと、海里華のように常に思考を開示される破目になる。


「そ、その、あ、当たり前よ! アンタの下着を洗濯してあげる女子は私しかいないんだから、精々感謝なさい!」


「いや、下着の洗濯話で胸張られても……」


 一時帰宅の後、着替えをまるごと浸けおきして黒音はその間にシャワーを浴びる。

 何度見ても体には傷跡が一つも見当たらない。

 いくらかすり傷で浅かったとは言え、まるで嘘のように傷跡が消えている。

 常人よりも自然回復のスピードが破格に違うのだ。

 病院で的確な処置を受ければ、傷跡所かかすり傷そのものがなかったことになる。


「海里華、悪いけど着替えを持ってきて──海里華?」


「……突然契約者の反応が現れたの……相当近くよ」


 家の前に着き、梓乃が一時的に帰宅するまではそんな反応は感じられなかった。

 風呂に入ったり眠る時のような無防備になる時間は、常に感知しにくい魔力のセンサーを家中や家の回りに張り巡らせている。

 もし家の近くに契約者が近づいたのならばすぐにアズが気づくはずだ。


「俺らの反応を感知された……? いやあり得ねえ。アズの魔力の質はステルス性能に長けてる。後は契約相手の感情による魔力の上下が普通より大きいくらいで……」


「私だって水属性の女神よ? 本来火属性、水属性、風属性、地属性みたいな〈四大元素属性ビッグバン・エレメンタル〉の女神は普通よりも見つかりにくいの。地球の星自体と同化してるようなものだもの」


「なら……俺らが目的じゃなく、偶然この近くに来たってことか……」


「あまり意識せずにエネルギーを抑えましょう」


「ああ……てか着替え。すげえ寒い……」


 空気が一気に緊迫したことで忘れていたが、黒音は腰にタオルを巻いただけの全裸状態。

 絵だけをみると本当にシュールな光景なのだ。


「あ、二人とも、遅かったね」


「ええ、少し用意に手間取ってね」


(……俺らが外に出る頃にはエネルギー反応がすっかり消えてやがった。それもゆっくり消えたんじゃない。瞬間的にだ)


『多分死神か女神みたいな神タイプだよ。神タイプは封縛の腕輪が造れるから。多分それを着け忘れてたとかじゃない?』


 神格にある者だけが造ることの出来ると言われている、エネルギー反応を完全に打ち消す腕輪。

 神タイプが造るので神機と同じクラスのものだが、神機のような特性はなく、ただエネルギー反応を消す為のものだ。


「もしかして死神の女の子か……?」


 深影に撃ち落とされてから探しに行ったが、結局見つからなかったあの死神の少女。

 その子がこの周辺に現れたのならば、すぐに会いたい所だが……。


「黒音君、早く行こうよっ!」


「ああ、そうだな。海里華、鍵閉めたか?」


「ええ、って言うか行く所は決めてるの?」


「勿論スイーツ巡り!」


「ブレねえな犬っ娘は……あ、だったら俺の、えっとな、そうだ姪。今家に遊びに来てる姪を連れていってもいいか?」


「ふぇ、姪? いいけど、黒音君って姪いたんだね」


「ああ、まあな」


 以前海里華との特訓の時の約束を今こそ果たす時だ。

 ……今なら割り勘で懐にも優しいだろう。


(ザンナ、出てこい。……玄関から出てこいよ。イリュージョンとか言っていきなりこの場に現れるなよ。それといつもの戦闘服はなしな)


『いろいろと注文が多い……でもスイーツが食べられるなら、いい。あとサンティも連れてく』


(好きにしていいが、くれぐれも魔力は圧し殺せよ。お前らただでさえ目立つしオーラが濃いんだからな)


 神機は人の姿をしているものがいるが、その容姿や性格は人とはかけ離れている。

 ザンナのように平気で人の生き血を吸う者もいるのだ。


『わかった。サンティ、スイーツに行こう。スイーツは世界を救う、だよ』


『興奮しすぎて何言ってるか分からないわ。でも久しぶりにいいわね。何百年ぶりかしら?』


『サンティ、歳がバレる』


『……ザンナ、貴女も私と同じくらい生きてるのよ?』


(ああもういいからとっとと出てこいよ!)


 神機と契約を交わしている黒音の脳に絶え間なく響く神機二人の声。

 梓乃は勿論海里華にも聞こえていないので、これ以上二人の視線に耐えていられないのだ。


「お待たせ、スイーツ。……じゃなくて黒音」


「レディの支度は遅刻が当たり前よ」


「お前らな……えっと、紹介する。こっちの無表情でちっこいのはザンナだ。外国人とのハーフだぞ」


「ちっこくないもん……ザンナです。でスイーツは?」


「んでこっちの婚期遅れてそうなお姉さんはサンティ。この人もハーフだ」


「石にするわよ……? サンティよ。よろしくね」


 瞳の色も髪の色も、外国人とのハーフと言わなければ誤魔化しようがない。

 だが非常識な所はこの方が誤魔化しやすい。

 いざとなればテレパシー(のようなもの)で指示すればいい。


「よろしくねザンナちゃん、サンティさん。じゃあ改めて、いざスイーツ巡りへ!」


「おぉ。……あ、これでもテンションマックスだよ」


「私はスイーツよりも酒の方がいいけれど」


 梓乃に手を引かれ、と言うかザンナと梓乃が無理矢理サンティを引っ張り、海里華と黒音が後ろについていくと言う形だ。


「……アンタ、梓乃の前で神機を出すとかバカなの……?」


「仕方ねえだろ……コイツらには普段から世話になってるんだ。こんな時くらいしか返せないんだよ……」


「アンタのそう言うとこ、ほんと変わらないわね」


「昔の俺がどうであれ、受けた恩は必ず返す。良くも悪くも、契約者は借りを残しとくと面倒なんだ」


 お嬢様には分からないだろうが、自分のように地を這って泥水をすすってきた契約者は借りを利用された時にどれだけ人を裏切らなければならないか。

 思えばその時からだ。本当の意味で人を捨て、悪魔に魂を売ったのは。


「まずは一軒目! 王道のケーキだよ!」


「今回は梓乃のセンスに任せる。期待してる」


「任せてよ! 絶対にザンナちゃんの舌を唸らせて見せるよ!」


 この時ほど黒音はこう思ったことがない。

 嗚呼、子供とは本当に自由な生き物だ、と。


「……甘い……金の節約とか関係なく俺はパスで」


「私も一口味見するくらいでいいわ」


「右に同じく……やっぱりカクテルが飲みたい」


「わうぅ……三人とも大人だよ」


 海里華、黒音、そしてサンティの三人は小さなティラミスを三人で一口ずつ分けている。

 三人にとってはそれだけでも十分なのだが、隣では食べ放題で赤字を難なく通り越し、店長を泣かせている二人がいた。


「ザンナちゃん、口元にクリームついてるよ?」


「んむ……?」


「はい、取れたよ」


 この時ばかりは梓乃がお姉さんに見えた。

 二人とも可愛らしいだけでなく、元より顔の作りが美人なので、看板娘として食べた分の赤字を取り返してくれるのだ。

 無表情な妹と活発な姉の百合的な組み合わせは、瞬く間にSNSなどで広まった。

 そしてその隣にいる大人の女性に目尻のつり上がったお嬢様、何よりその美女達に囲まれて優雅に紅茶を飲む青年が、もっとも腐女子の注目を集めた。


「なんか急に混んできたな……」


「アンタもいい加減自覚した方がいいわよ?」


「なにがだ?」


「無駄よツンデレ娘。私の主は戦闘の判断力とか以外は本当に鈍感だから」


「そうよね……ってツンデレ娘ってなによっ!?」


 こっちも梓乃とザンナのように意気投合してきたようだ。

 黒音は飲み終わった紅茶のティーカップをおくと、二人の首後ろを掴んで店をあとにした。


「黒音君ってば、もうちょっと食べたかったのにぃ!」


「そのもうちょっとで出禁になるだろうが」


「仕方ないね……じゃあ二軒目! 次はケーキで甘くなった口を和菓子でリセットするよ!」


「……いやどっちも甘いだろ」


 そんなツッコミは微塵も耳に入っていないのか、梓乃はスマホのナビ機能を使ってバスに乗った。


「ワガシ……? 梓乃、ワガシってなに?」


「あそっか、ザンナちゃんはハーフだったね。和菓子って言うのは、日本版のスイーツみたいなものだよ」


「正確には日本の伝統的製造法で作られた菓子のことだけどな」


「原材料は砂糖とか水飴が中心で、お米とかも使うわね」


 子首をかしげるザンナ。流石に説明だけでは分からないだろう。

 実際に食べた方が詳細を説明するよりも数倍早い。


「梓乃、ワガシって美味しい。ケーキよりも好き♪」


「えへへ、よかったよ気に入ってもらえて」


 スーパーマーケットで買った和菓子のパックを片手に、二人は今まで来たことのない場所などを探索する。

 そんな子供二人が迷子にならないように後ろにつく三人の保護者、もとい友達トリオは、同じくスーパーマーケットで買ったたこ焼きや唐揚げのパックを三人で分ける。


「なあ海里華、後何軒くらい回ると思う?」


「さあ、あの子がいるから梓乃もテンション上がってるし……」


「ザンナの胃袋は無限よ。その性能を戦闘面に回せないのかしら」


 たこ焼きを一口、サンティは頭を抱えて二人の背中を見つめた。

 ケーキ一個だけでも満腹になると言うのに、目の前の二人は余裕で和菓子のパックを二つも完食している。


「んじゃ三軒目!和菓子でまったりになった所をパフェでクリームに戻すよ!」


「このタイミングでパフェだと……?」


「ああもう、ほんとに帰りたいわ……」


「梓乃って子、ザンナといい勝負だわ」


 三人揃っていそいそ帰るわけにもいかないので、仕方なくついてきているが、もう甘いものの匂いを嗅ぐだけでも胸がつかえてくる。


「ん、梓乃、ちょっと待って。……黒音」


「どうしたザンナ?」


「契約者の反応を感知した……二時の方向、この微弱な魔力は多分、悪魔……死神じゃないことは確か」


 ザンナのずば抜けて敏感なセンサーに、契約者がかかったようだ。

 あちら側が気づいていなければ下手に手を出すこともないが。


「深影か……? いやあり得ない……もし魔力を隠していないなら肌で感じれる……アイツの魔力量は計り知れないからな……でも逆に隠してるとしたらほんの少しでも漏れるはずがない……深影はすべてにおいて相当に高度な技術を持ってる」


「どうするの……?」


「サンティと俺で偵察にいってくる。弱かったら手を出さずに帰ってくる」


「多分、逆だと思う……強い奴なら、戻ってこなきゃ……」


「どっちにしろ、すぐに戻ってくるさ。強けりゃ片付ける。俺の目的は強くなることだからな」


 サンティに目配せし、黒音は梓乃達から離れる。

 海里華にメールを送ると、黒音はサンティとともに魔力反応を追った。

 だが追うと言う割には、その魔力反応はほとんど動いていなかった。


「戦闘中ってわけでもなさそうだし……負傷してるのかしら」


「だったら戦う意味もねえし……魔王の情報を聞き出してとっとと梓乃の所に戻らなきゃな」


 入り組んだ路地裏を進むと、一人の少女が倒れていた。

 薄汚れた毛布を被っている所を見ると、ホームレスのようだ。

 微弱な魔力の反応はおそらくこの子からだ。


「おい、大丈夫か?」


「あ……ぅ……お腹、すいた……」


「飢え死に一歩手前か。食い物でどうにかなるなら食え」


 黒音は丁度スーパーマーケットで購入していた唐揚げのパックを少女の前におく。

 少女は体をぴくりと反応させ、毛布を被ったまますぐに唐揚げに食いついた。


「契約者でありながら飢え死にしそうとは……漓斗とは大違いだな」


『誰だか知らないけれど、私のパートナーを助けてくれてありがとう』


「お、おい……ザンナの奴、どこが死神じゃないことは確かだ……魔力こそ微弱だがコイツは……バリバリの死神じゃねえかッ……!?」


 眼球全体が黒く染まっており、瞳孔は濁った紅をしている。

 色を失った白い髪と頭に生えている羊のような角は、まさしく死神の証だ。

 しかも死神の中で明確に女性と分かる姿をしているのは強欲の大罪マモンと、色欲の大罪アスモデウスだけだ。

 そして万物を惹き付ける凶悪なまでのフェロモンは、明白にアスモデウスのものだ。


「し、失礼だが、アンタみたいな高潔なお方が選んだパートナーがなんでこんな所で飢え死にしそうだったんだ?」


『死神に対して"高潔"は皮肉ね』


 気高く立派と言う所までは合っているが、穢れがないと言うのは少し違う。

 そもそも穢れていない悪魔や死神は存在しないのだ。

 いくらパートナーが戦闘不能な状態でも、死神は単体でも本来の戦闘力と大差ないほどに戦える。

 あくまでも下手に、機嫌を損ねないようにしなければならない。

 だがいきなりの失点だ。


『まあいいわ。今私達はある神機を捜しているのよ。でもその神機は少し特別なもので、捜す場所は魔界なのよ。この子ったら必死になっちゃって数日間何も食べずに……』


「魔界の神機っつったら、人間界にあるものとはワンランク上の神機・皇ってことか」


『ええ、宇宙の心理に関わる概念を持つ一つ上の神が造り出す神機。それが皇クラス。今のこの子にはそれが必要なのよ』


「七つの大罪の一柱であるアンタがいながらか?」


『力の使い方が分からない子に私は重荷よ。だからまずは経験と知識を積ませるの』


「あんまオススメは出来ねえな。仮に失敗すれば命そのものを持ってかれるぞ」


『覚悟の上よ。私はこの子のことを信じてるの。この子の隠れたたぐいまれな才能をね』


「まあ、アンタらの問題だから自由だが、その神機を捜し出すまでにまた空腹で倒れるかも知れねえし。ちょっと失礼するぞ」


 唐揚げを完食して一息ついた少女の額に、黒音は人差し指の先を触れた。


「ん……な、に……?」


「次に戦った時は前戦った時よりもいい戦いが出来るようになるおまじないだ」


 勿論そんな不確定で頼りないものではないが、正体を明かせば後ろの死神に警戒心を抱かれる可能性がある。


「じゃあな。もう野垂れるなよ。それとこれはアドバイスだ。剣に対して背後を取るな。銃に対して突き進め」


 意味不明の言葉を残し、黒音はサンティを連れて路地裏から抜ける。

 そんな後ろ姿を、少女は不思議そうに見送った。


『あの子、まだこの子のバトルスタイルを見たこともないのに。それ所か今が初対面なのに、もうこの子の短所を見抜いたの……?』


 刃に当たりたくなくて無理に背後を取りに行こうとするせいで大振りの斬撃に対抗出来ず、銃弾が怖くて距離を取ろうとするから相手の攻撃範囲を広めてしまう。

 初心者にありがちな分析ミスだ。死神ほどの高ステータスを持っているのならば、多少攻撃を受けた所で屁でもない。

 ならばなるべく真正面から接近した方が勝機は上がるのだ。


「ねえ主、あの子後何日で死ぬと思う?」


「物騒なこと言うなよ。多分あの子が開戦時にいた死神の女の子だ」


「どうしてそう言い切れるの?」


「死神の中で契約してないのはルシファーとアスモデウスだけだ。ルシファーは下手に野戦なんかしない。つまり消去法でアスモデウスとなる。もしあの子が神機に認められてたら、俺のチームに率いれよう」


「なんか頼りなさそうね……あの子、契約者から渡された食べ物をなんの警戒もなしに食べてたし」


「自分の欲求に忠実な所は、死神にピッタリだな」


 まあ神機に認められていなくとも、チームには率いれる。

 一目見た瞬間から、気に入ってしまったのだ。

 彼女の生に対する純粋で強烈な欲求を。

 ただ生きたいと言う単純明快でまっすぐな願いを映した瞳を見た瞬間に、死神の枠はもうあの子と決まっている。


「あ、名前聞き忘れたな」


「主も名乗り忘れてたわ」


「まあいいか。でも死神を相手にするって本当神経使うな。俺も甘いもの食べるか」


「ちょっとだけなら付き合うわよ」


 ……この時はまだ誰も知らない。

 他人から渡された、それも契約者からの唐揚げを一心不乱に頬張っていた彼女が、やがて化け物に変貌することを。

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