第1話 龍が飛ぶ街①
昼休みを知らせるチャイムが鳴った。
百瀬胡桃はリュックから巾着袋を取りだし、それを持って教室を出ていった。
巾着袋を抱え、周囲の視線を気にせず歩く。
「いらっしゃい。胡桃ちゃん」
彼女が向かった先は保健室だった。扉を開けると間宮燐音が笑顔で出迎えた。
燐音のデスクの前には長方形のテーブルが置かれており、丸椅子が3つ並べられている。そのテーブルの一く番右側が胡桃の指定席だ。
胡桃の学校での過ごし方は決まっており、昼休みは5時間目の予鈴が鳴るまでここで過ごしている。
巾着袋から二段重ねになった弁当箱を取り出す。下段の箱には真っ白のご飯が敷き詰められており、上段の箱にはプチトマトが2つと昨日の夕飯の残り物だった肉じゃがとアジフライが乱雑に入っている。
「盛り付けぐらい綺麗にしなさいよ」
「食べれたらいいの。いいからコーヒー頂戴」
間宮が胡桃の弁当にダメ出しをするのは恒例である。胡桃は興味の無い物には一切関心を持たない為、弁当自分で準備するが「美味しかったら何でもいい」という理由でおかずも適当に選んでいる。
「リンゴあるから食べてね」
「うん」
間宮がブラックコーヒーを淹れたマグカップとウサギの形にカットされたリンゴをテーブルに置く。胡桃は無言で手を合わせて弁当を食べ始めた。
胡桃が保健室で弁当を食べる様になったのは1年生の一学期からだ。胡桃は人と喋る事、人が和気あいあいとしている騒がしい場所、そして人と意見や話題を合わせる事が苦手だった。この久石高校に入学した理由も「中学時代の同級生と同じ高校に入学する事を避ける為」である。久石高校は都内でも有名な難関進学校で、胡桃の中学でこの学校に進学したのは胡桃しかいない。
だが、人と喋る事が苦手だからといって、友達が欲しくない訳ではない。胡桃は高校で友達を作って学生生活を楽しもうとしていた。
でも、それは無理だった。クラスメイトは同じ中学同士でグループを作り、気付けば胡桃は話し掛けるチャンスを失った。しかも知っている人は誰もいない。故に孤立する事を選んだ。
胡桃が無言で弁当を食べていると、一人の生徒が入室してきた。
150㎝ぐらいしかない小柄な少年は、胡桃のクラスメイトだ。首まで伸びた黒髪で、目が隠れるまで伸びた前髪は邪魔にならない様にヘアピンで止めている。寝起きの様な気だるげな表情をした真崎黒衛だ。
「クロく~ん♪」
真崎の姿が見えると、間宮が大袈裟に手を降り出迎えた。真崎はそんな間宮の事を無視し、ベッドへと向かって行った。
「ベッド借ります」
「うん♪一生寝ていいから♪」
「いや、それはダメてしょ」
胡桃のツッコミは間宮には聞かなかった。真崎は保健室の常連客で、窓際にあるベッドでいつも寝ている。真崎の事を気に入っていた間宮は、ベッドを貸すことを許していた。しかし、この保健室にはベッドが2つしかないので、昼休みは保健室のベッドが1つしか使えないと生徒からの苦情が絶えない。
「今日も新宿行くの?」
「うん」
食べ終わった弁当箱を片付け、胡桃はリンゴを食べながら間宮の質問に答えた。
「行くなら気を付けた方がいいわよ」
「どうして?」
「歌舞伎町に龍が出るんだって」
「はあ?何それ」
「都市伝説よ。最近噂になってるの。夜になると、人を食べる為に龍が歌舞伎町を飛び回るって」
胡桃には幼い頃から仲の良い友達がいた。少し歳の離れたその人は、新宿で働いていた。胡桃は学校が終わるとほぼ毎日の様に新宿に行ってその友達に会いに行っている。
「人を食べる龍なんて、いる訳無いじゃない。そんなの本当に信じてるの?」
「だってさあ、見たいじゃん?人を食べる龍とか金色の狼とか、……あと人魚‼」
目を輝かせて語る間宮を見て、胡桃はため息をついた。
この様な都市伝説が噂になっているのは事実だ。ついこの間、間宮が話した事と同じ事を友達から聞いていたからだ。
人を食べる為に龍が歌舞伎町の空を飛んでいた。
某高校のプールを人魚が泳いでいた。
満月の夜に狼男が現れた。
友達から聞いた噂はこんな物ばかりだが、胡桃は一つも信じていない。
「俺はいると思うよ」
窓際のベッドから声が聞こえた。カーテンで仕切られている為、その姿は確認出来ないが、真崎の声だった。
「俺も見たことあるよ」
「ええ!?クロ君もあるの?」
「うん。赤いドラゴン」
「すごーい‼」
間宮先生、はしゃぎすぎだよ。真崎と私と喋る時のテンション違い過ぎるから。
呆れた胡桃は保健室を出ていった。予鈴が鳴るまでまだ5分ある。
胡桃はそのまま教室に戻らず、女子トイレは向かった。携帯電話と取り出し、友達にメールを打ち始めた。