夏の色が香る
カーテンを開け、庭への掃き出し窓をのろのろと開けた。
薄暗い部屋の中へ蒸し暑い光が飛び込んでくる。安寿は目を細めて空を見上げた。
昨日の濁った灰色の空から群青へと、空の色がすっかり変わっていた。土曜日の午前10時23分。安寿は薄いピンクの水玉模様のパジャマに、短いおかっぱ頭からぐるんぐるんと寝癖が飛び出したまま、若葉色の小さなサンダルをペタンペタンと音をさせて郵便受けまで歩く。郵便受けには新聞がひとつ。細めた目のまま、ごそごそと郵便受けから新聞を取り出し、また部屋の中へ戻っていく。握力のない手で掴まれた新聞では、大陸との戦争状況についてでかでかと扱われている。そのいつも通りの一面の隅で、花粉の季節の終わりと桜前線の北海道最北端への到達をひっそりと読者へ伝えていた。
安寿は部屋に戻ると、自分の抜けだした抜け殻布団の隣で、未だ夢のなかにいる雅の背中をゆする。ほんのりと聞こえる「起きて」の声は雅を夢の中から引っ張り出すにはあまりに弱く、いくらゆすっても起きない。
ふうっと小さなため息をついた。安寿は、新聞を雅の枕元に置くと部屋を出た。
寝坊しちゃったなあ。
朝早く起きて宿題をやろうと思っていた安寿は、時計を眺めながらふうっと息を吐く。
結局宿題が終わったのがお昼前。せっかくの休日の午前中が終わってしまい、少し悲しい気持ちになる。未だにまーちゃんは起きないままだし、これからどうしようかなあ。
置き時計の長針をぐるぐる回しながら安寿は考えた。
遠くの方で洗濯機の仕事終わりの合図が聞こえた。
とりあえず、お洗濯干そうかな。
最近は毎日のように雨で、家の中そこかしこに洗濯物がぶら下がっている。それを背伸びしながら一つ一つ回収し、庭へと持っていく。
昨日まであんなに涼しかったのになあ。
庭の物干し竿に、洗濯物を引っ掛け終えるころには、安寿の額には汗が光っていた。
「はあ。」
3本ある物干し竿には、はたして乾くのかというほど、ぎゅうぎゅうに衣類が引っかかっている。最後の洗濯物である、雅の体操服を引っ掛ける場所が全くない。安寿は仕方なく、洗濯物の間に無理やりねじ込んだ。5年1組の文字がぐちゃぐちゃになりながら、バスタオルと白衣の間に消えていく。乾くのか甚だ疑問が残る干し方だが、家中から洗濯物を回収し、うだる暑さのなか必死に干し終えた安寿には、そのような状況を考える余裕もなく、仕事をやり終えた満足そうな表情で大きな洗濯カゴを両手でぶらぶらさせている。
これだけ暑ければ、きっとみんな乾いてくれるよね。
家中にただよう部屋干しの香りが払拭できることが嬉しく、持っている洗濯カゴが右に左に大きく揺れる。
洗濯カゴを外廊下に置いてその隣りに座って空を見た。
群青の空遠くに、いつの間にか大きな入道雲ができていた。
もう春も終わりかなあ。
周りの草木もだいぶ色濃くなってきていて、匂いも強くなったように思う。
ふと右手に目をやると、ありが一匹、薬指の先に登ろうとしていた。
夏が少しずつ近づいてきている。
安寿はなんとなくうれしくなってきた。
午後はまー君と一緒に散歩しよう。そして迫ってきている夏を探しに行こう。
安寿はありを庭先にうまく下ろすと、未だに夢にしがみつくたったひとりの家族の元へ、ドタドタと音を立てて駆けていった。