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束の間のできごと

 木造校舎のまっすぐ伸びる廊下は遠くまでよく見える。

 一階の廊下は新校舎にもつながっており、一番奥の図工室前に立つと一番奥の教室はほとんど見えない。

 一階ほどではないが、安寿のいる二階廊下も長く、木製の床板が遠くまで続いている。

 5年1組の教室には黒いランドセルが一つだけ残っている。職員室へ呼ばれたまま帰ってこない。理由も知らない。でも一緒に帰るから、戻ってくるまで待つのだ。


 廊下の窓から外を覗く。校舎の裏は雑木林になっていて、視界いっぱいに緑が広がる。窓を少し開けてみると、生ぬるい風が隙間から流れ込んで、安寿のおかっぱ頭を少しだけ揺らした。

 雑木林の葉擦れの音と木造校舎の軋む音が静かな廊下を流れていく。そこに安寿が暇を持て余し、白い上履きのつま先で床を突く音が重なる。変化のない景色に飽きて、また壁に(もた)れかかる。

 安寿が背負っているランドセルは壁と背中に挟まれるたびにつぶされては、元に戻る。フックに引っかかる給食袋はリズムよく左右に揺れ、ねじれた紐の先でくるくると右に左に回っている。

 待てども待てども帰ってこない雅を待ち続けて、疲れてきたのか、窓を閉めることも忘れ、教室の自分の席に戻った。ランドセルを椅子にひっかけて座り、顎を机の上に乗せる。口を開けては閉じて、頭を動かす。誰もいない教室に、歯がかち合う音。それもすぐに飽き、体重を後ろに乗せてゆりかごのように揺らす。過去何十人もの児童が行ったときもそうであったように椅子の前足が床から引き剥がされ、すっかり黒ずんでしまった椅子の木材のあちこちから「ぎい」と悲鳴が上がる。

 安寿が天井を見上げると、100年前から変わらぬ木目を覆っている、真新しい蛍光灯だけがやけに目立つ。

 椅子が揺れるたび、天井の木目が移動し、ぎいと音が鳴る。それがなんだか癖になり、何度も何度も椅子を揺らす。だんだん振れ幅も大きくなり、見える範囲が広がっていく。天井の端まで見えそうになったところで、古びた椅子の後ろ足は限界を通り越してしまい、安寿の体ごと後方へ倒れる。壁と背中との間で何度もつぶされたランドセルは今度は床と椅子に挟まれる。安寿は勢いよく背中を床にぶつけ、後頭部は床板にたたきつけられた。椅子はランドセルと安寿を置いて逃げていき、足を上にして止まった。椅子と体とランドセルとが騒がしい音を響かせた教室はまた、元の静けさに戻った。葉擦れも軋む音もなく、完全な静けさが教室を包む。後頭部と右ひじがじんじんと痛むが、床板は少しだけひんやりと冷たく、少しだけ感じる重力と合わさってとても心地が良かった。起き上がるのが億劫になり、仰向けで大の字に寝ころんで、ふうとため息を一つ。目の前に広がる天井はさっきまでと様相が少しだけ違っていて、ほんのちょっと広がったように感じられた。生ぬるい風が前髪の上を通る。いつのまにか額には汗がにじみ、前髪は揺れることなくへばりついている。徐々に床板の冷たさは失われ、顎から首元に汗が滑っていった。それでもなんだか起き上がるのがもったいないような気がして、大の字に寝ころび、生ぬるい空気に包まれるままでいた。


「おい。」

 気が付くと、安寿の目の前に雅の顔が広がっていた。体がびくりとはね、後頭部をもう一度打った。

「何寝てんだ。帰るぞ。」

 腕を引っ張られ、起き上がる。背中や首が少し痛んだ。

「腹減ったからさっさと帰ろうぜ。」

 窓の外を見ると、少しだけ日が落ちているような気がした。

 立ち上がり、転びっぱなしの椅子を元の通りに直す。そのあと、落ちているランドセルを拾い上げ、腕を通す。横にひっかけた給食袋のひもはまだねじれていて、再びくるくると回転を始めた。額の汗を腕で拭い、襟元をパタパタと扇ぎ、首周りの熱気をはらって、雅の後を追って教室を出ていった。

 

 誰もいなくなった教室は、昔から変わらない放課後の景色を作り出していた。床に落ちている消しゴム。整頓され忘れた机。その横には、顎ひもが伸び切った紅白帽子。そんな放課後の景色のどこからか、ぎいと一つ、音が響いて、消える。

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