わたしのお兄ちゃん
私にはお兄ちゃんがいる。頭が良くて運動ができて大学生だ。家の中にはお兄ちゃんがもらった賞状やトロフィーがたくさん飾られている。絵画、野球、書初め、よくわからないやつ。お兄ちゃんは何でもできる。本当にすごい。でも、その妹である私は何もできない。勉強も、運動も、絵も、なんでも。どうしてお兄ちゃんはあんなにできるのに、妹の私はできないんだろう。家に飾られているものを見るたびにそうやって落ち込む。
65点の国語のテストをランドセルにしまったまま、家の玄関の戸を開ける。ただいま。
テストを見せたときに見せるお母さんの微妙な表情を想像しながら戸を閉める。
座って靴を脱いでいると2階からお兄ちゃんが降りてきた。
「おー、侑季!おかえりー。」
後ろからぎゅっと抱き着かれた。いつものことだけど。
「靴脱いでるんだからちょっと離してよ。」
口ではつい面倒そうな言葉を言ってしまうが、だめでだめでだめな私にやさしくしてくれるのはすごくうれしい。
「そんな照れるなよ。なあ、ドラマ借りてきたから一緒に見よう。」
「なんてやつ?」
「それはなあ。」
そうお兄ちゃんが言うと、答えを言う前にがしりと捕まれて、肩に担がれてしまった。
「なんだよもう。」
「江戸の世、御成敗!」
担がれたまま急な階段をずんずん昇っていく。昇っていくに連れて一階の床がどんどん遠くなっていって、なんだかやたら高いところにいるような気がした。けれど、不思議と怖さは感じない。
部屋につくと担いだまま再生の準備をしようとするのでじたばたして抵抗した。でもお兄ちゃんはお構いなしに作業を続ける。背中をどんどこたたいてやっても全くふらつかない。むかつくけど、でもなんだか安心する。
テレビから音がするとようやく降ろされた。
「やっぱりこれが一番面白いよなあ。侑季。」
そんなことを言いながら、ボリュームをどんどん大きくする。正直一度も見たことがないので面白いのかはわからないけど、とりあえずどっかり座っているお兄ちゃんの隣に座る。
「そこじゃないだろう。侑季の席はここ!」
脇をぐわっとつかまれるとお兄ちゃんの膝の上にすとんと乗せられた。
「なんでよ!」
「だって昔からずっと一緒にテレビ見るときはここだっただろ。」
「いつの話よ!」
必死にもがいてもおなかに腕を回されて全然動けない。
「ほら始まったぞ。面白いんだぞこれ。」
「この姿勢じゃ見づらい!」
「そんなわけあるかい。」
確かに昔はお兄ちゃんの膝の上でテレビを見るのが大好きだったけれど、でもなんだかすごく恥ずかしい。
でもおなかに回された手と背中から伝わるぬくもりが心地よい。
しばらく抵抗を続けたけれど、結局どうにもならなさそうだったのであきらめた。
ドラマはちょんまげのおっさんが悪人をやっつけるよくある時代劇だった。たいして面白くはなかったし、知ってる俳優は一人もいないけれど、ずっと見てしまった。
「ねえ、ちょっとはおもてなしってものをしたらどうなの勇也!」
いきなり後ろでふすまが開く音がした。振り返ると、お兄ちゃんで何も見えなかった。仕方がないので体を横に倒した。お兄ちゃんがつかんだままなので抜け出すことはできなかったけど誰が入ってきたかは分かった。
立っていたのはきゅうちゃんのお姉ちゃんの風香ちゃんだった。そして風香ちゃんの肩にきゅうちゃんが担がれていた。
目が合ったのは風香ちゃんではなくきゅうちゃんだった。きゅうちゃんの顔が赤くなるのも分かったし、私の顔もきっと赤くなっている。
「離せよあほか。ボケ。」
きゅうちゃんの暴言がうっすら聞こえる中一生懸命お兄ちゃんの腕から離れようとするけど全く無理だった。
「俺はかわいいかわいい妹と楽しい楽しい時代劇タイムなんだよ。おもてなしをしている余裕なんかねえよ。」
「私のかわいいきゅうくんが来たんだからおもてなしをするのは当然でしょ。何をわけのわからないことを言っているの。早く座布団2000枚持ってきなさい。」
「残念だが、座布団2000枚あったらお前なんかにあげずに4000枚をかわいいかわいい妹の下に敷く。絶対に敷く。」
「言ってる意味が全く分からないわ。そんな戯言はいいからかわいいきゅうくんのために大好物のオレンジジュースを用意しなさい。」
お兄ちゃんも風香ちゃんも何を言っているのか全然わからなかったけど、とりあえず、私もきゅうちゃんも脱出は全くできなかった。きゅうちゃんは散々暴れて疲れたのか、しなびたもやしみたいなポーズで風香ちゃんに担がれて、うつろな目で床を見ていた。
「いいから早く降ろせよ。」
きゅうちゃんがそんなことを言ったような気がするけど二人はお構いなしによくわからない口喧嘩をしている。お兄ちゃんがしゃべるたびに私の体が揺らされるので少し気持ち悪くなってきた。
口喧嘩がようやく終わると、お兄ちゃんと風香ちゃんはお兄ちゃんの部屋でパソコンとにらめっこを始めた。また大学の研究かな。
きゅうちゃんとわたしと、いたところで特にすることがないので二人でゲームをすることにした。
「なんで担がれてたの?」
気になってたことを聞いてみた。
「家帰ったら急に抱き着かれて、行くわよとか言い出して、いきなり担がれた。あのままここまで連れてこられたんだぜ。恥ずかしいったらありゃしない。誰にも会わなかったからよかったけど。」
「あたしもそんな感じ。」
私と全く同じ展開だった。
「上で何話してるんだろうな。」
「大学の研究じゃない。」
「すげえよな。学会で表彰されてるんだろ。」
「学会って何?」
「そんなことも知らないのかよ。」
「知らないんだからしょうがないじゃん。」
「学会はなんか発表する場所みたいな?」
「へえ。」
やっぱりお兄ちゃんは大学でもすごいんだなあ。
話している間にレースは進み、ぎりぎりの差で負けてしまった。
「ずるい。」
「別にずるくないだろ。」
「でもゴール直前で攻撃するなんてずるい。」
「ルール違反してない。」
「もう!。やめる!」
コントローラを投げて八つ当たり。なんで勝てないのさ!
「なんで勝てないの!もう!!」
「だってお前、なんも考えてないじゃん。」
「でもたまに勝ったって良いじゃん!」
ふん。畳に大の字になる。なんだかむかむかしてしょうがない。
「もう!」
足をじたばたしてストレスを発散。でも全然発散できない。
「何を駄々こねてるんだ。かわいいのに。」
声のするほうをみると、お兄ちゃんと風香ちゃんがなぜか仁王立ちしていた。
「全くしょうがないなあ。」
なぜかまた担がれて、そして肩車させられた。
「なんでよ!」
頭をぼかすかたたくがお兄ちゃんは気にしない。
「はっはっは。高いところはいいだろう。」
意味わかんない!
きゅうちゃんのほうを見ると、やっぱり担がれてた。
「次来るときはオレンジジュース出しておくのよ。」
「かわいいかわいい妹が飲みたくなってたらな。」
そんな会話できゅうちゃんと風香ちゃんが帰っていった。
「ねえ。なんで担ぐの?」
何にもいいところのないわがままな妹なのに。そう口に出そうとしたけど、やめた。
「それはだな。」
頭にぽんと手を置かれた。
「かわいいからだ!」
やさしくなでられた。
「そっか。」
「もっと喜べよ。」
不満そうな声で言われた。お兄ちゃんを見上げようかと思ったけど、なんだか恥ずかしいからずっと玄関の戸を見ていた。
「ねえ。」
「ん?」
「ドラマの続きみよ。」
別に見たくはなかったけど口から声がこぼれた。
「よし、見よう。」
そうお兄ちゃんがいうと、私の体はまた宙に浮いた。