学校の怪談3
眠くて眠くて仕方のなかった2時間目の国語が終わり、業間休み。教科書とノートをしまい、次の授業の用意をしてると、教室の後ろでガタガタと椅子が揺れる音とキンキン騒ぐ声が聞こえた。前野さんの声ってよく通るなあ。
「ねえ、ついにでたらしいよ!」
前野さんのキンキンする声がぼくの耳に届く。でたんだ!
なんでもないふりをして、いつも読んでいる本を開く。会話を聞き漏らさないように耳を澄ませたが、甲高い声なので澄ませる必要もないくらい堂々と情報が入ってくる。
なるほど。夜の8時。2年生の教室ね。
忘れないように頭のなかで何度も繰り返す。夜の8時!2年生の教室!
一体どんなやつが出たんだろう。おばけかな。幽霊かな。妖怪かな。なんだろな。
期待にどんどん胸が膨らむ。頭の中がうれしくなって、顔の表情が緩んでくる。今日の夜、絶対忍び込んでやるぞ!
前野さんの声が止み、どたどたと足音が聞こえた。振り返ると、前野さんが広岡くんをほとんど引きずりながら廊下へ飛び出していた。その後を、困った顔で藤村さんが追いかけている。
現場に行くのかな。
ついていこうかと頭のなかで一瞬考えた。一緒に行けばきっと新しい情報も入ったろうな。でも、行かない!
夜の8時。2年生の教室!
「ねえ、和希。」
寝転びながら漫画を読んでいる妹に抱きついた。
「なにさあ。」
目線を漫画に落としたまま、のんびりとした言葉が返ってきた。
「ポテトスナック欲しい? 」
和希がくるんと寝返りをうって起き上がり、眠たそうだった目を見開いて、妹から落とされてしまった可哀想なぼくを真剣に見つめる。
「欲しいでございます。」
ふふん。さようでござるか。
「じゃあさあ。願いをひとつ、聞いてくだされ。」
「もちろんでござる。」
頭までさげおったぞ。
「お姉ちゃんは今から学校に忘れ物を取りに行きます。だから、その間にお母さんにばれないように、なにか言われたら、もう寝てるとかうまいこと言っておいて。」
「それだけでいいの? 」
和希が不思議な顔をして首を傾げる。
「それだけでいいよ。でもばれないようにやってよ。」
「わかった!」
よしよし、聞き分けがとっても良いぞ。
部屋に戻って、布団の中にランドセルと体操着袋を突っ込む。枕元ギリギリまで布団の中に入れて。よし、漫画の通り見事に偽装できた。
「それじゃあ。あとはお願いね。」
和希の乾ききっていない頭をくしゃくしゃなでてあげる。和希は嬉しそうに目を細める。
漫画では窓から縄を伝って降りるなんて大技をやっていたりしたけど、運動神経のないぼくには到底できるはずもなく、親にばれないように玄関から出るしかない。
「和希、ちょっとお母さんと会話して。」
「分かった。」
別に聞こえるわけでもないのに、わざわざ小さい声で承知をする妹。いけいけー。
お母さんの話し声が聞こえるのを見計らって、玄関へ行く。一刻も早く外へ出て安心したい。靴は履かずに左手に持ち、音が出ないように慎重に鍵をひねる。音が出ないようにゆっくりゆっくり扉を開ける。後ろからは和希がポテトスナックを明日買ってほしいことをでかでかとした声でと語っている。いいぞ和希!
家の外に出て、ゆっくりゆっくり扉を締めた。音は全くと言って良いほどでなかった。
いつもの通学路をぶらぶらと歩く。自転車に乗ればすぐにたどり着けたのにと、家を出てから気づいた。でも夜の町を一人で出歩くなんて初めてのような気がするので、それはそれで楽しもう。見慣れた光景のはずなのに、街灯に照らされた通学路はいつもとぜんぜん違う。柿の木が植えられている家からカエルの置物が覗いているなんて全く気づかなかったし、「一言」なんて変わった名字の家があることも初めて知った。もう5年も通ってる道なのに知らないもんなんだなあ。
いつもと同じ道を同じ速さで歩いているつもりなのに、なかなか学校につかない。歩いているうちに、この道がほんとうにいつも通っている通学路なのか。不安になってくる。いつの間にか知らない通りに来てたりして。
どんどん不安が高まってくる。帰ろうかなんて思いさえよぎってしまった。でも、帰らない!
ようやく、学校の見慣れたフェンスが見えた。はあと大きなため息が口からこぼれた。良かった良かった。
出かけた帰りに近くを通ると、どんなに遅くても職員室の明かりはいつもついているのに、今日は全くついていない。校庭前の電灯だけ、2つ3つ光っていて、ぼんやりと学校は見えるけど。
校門の横の通用口から入る。通用口の扉がぎいぎい言いながら学校に招いてくれる。周りの人に見られないかとあたりを見渡してみたけど、当然、誰もいなかった。なんだかぞくぞくしてきた。
学校の正面に立ってみた。いつも見ているいつもの建物。校舎の上にある時計の針は、7時47分。後13分で、何かが出る!
よし。
小さく声に出してみる。普段はうるさいくらいにざわついているのに、自分の声以外、何も聞こえない。
一歩一歩踏みしめて校舎に近寄っていく。一歩一歩、校舎が大きくなっていく。横にやたら長い校舎が視界いっぱいに広がっていく。校舎の目の前まで来たとき、なんだか校舎にばくりと食べられそうな気分になった。
「入れるところは、あるかなっ。」
別に声に出す必要もないのに声が出てしまった。下校のときに、先生に閉められなさそうな窓の鍵を幾つか開けておいた。どれか一つさえ開いていれば!
まずは一階校舎の一番西。図工室へ行ってみた。カーテンがいつもかかっているからきっと日直の先生は見ていない!閉まっていた。
次にその横、旧校舎と図書室の間の窓!ホコリまみれで開いているのが見たことがないからきっとチェックは甘い!閉まっていた。
金魚の水槽の裏の窓ならどうだ!開いてた!やった!
ついに入れる!ついに学校の怪談が!
うれしくなって思わず手を叩いてしまった。しかし大問題。思いの外、窓の位置が高くて登れない。思いっきりジャンプしてもうまく手すりに体重を載せられない。運動神経のなさがこんなところで災いするとは……
早くしないと8時になっちゃう。何かないかな何かないかな。
目線の端に倉庫が見えた。入ったことはないけど、きっと何かあるに違いない!
近寄ってドアを開けてみると、中は真っ暗。何も見えない。電気をつけようかと思ったけど、それで近所の人にばれそうだからやめた。手をいろいろな方向にふらふらさせて何かが当たるのを期待する。
ポコン。
何か期待できそうなものに触れた気がする。倉庫の外に引っ張り出してみると、ペンキか何かの缶だった。
早速乗ってみた。大丈夫!
大急ぎで開けた窓の下へ持っていく。乗ってみるとちょっとだけ高さが足りない。仕方がないので力の限り思いっきりジャンプ。なんとか体重を手すりにかけられた。自分でもこれほどの力を出せるのかというくらい精一杯でなんとか校舎内に入れた。手を見るとホコリまみれ。服を見ると廊下に降り立つときに水槽に足をぶつけて水が引っかかっていた。でもそんなのはいい。なんていったって夜の誰もいない校舎に入れたのだ。
遠い何処かの街灯からの明かりで、思った以上に廊下は明るかった。真っ暗かと思ったけれどなんとか壁も
ドアもうっすら見える。
2年生の教室へ向かって廊下を進む。やっぱり暗いといつもと違う。なんだか昔の時代の学校へ来てしまったようなそんな雰囲気がある。
2階へ登る階段までひどく長く感じた。歩いても歩いてもたどり着かない。なんだか自然と歩くペースが速くなってきた。
右手に薄っすらと見えた教室の窓がふいに消え、真っ暗な空間が現れた。多分、ここが階段。
いよいよだ。窓がないので何も見えない。手汗がすごくて服で拭く。怖いけど足はもう止まらない。歩くたびに階段からきいと音が出る。手すりを握る手に力が入る。進むたびに手すりを離すその瞬間がとても怖い。離したらそのまま目の前の真っ暗の中に落とされてしまうんじゃないかと変な危機感を覚える。
上がれば上がるほどどんどん暗闇が濃くなる。踊り場を曲がれば、きっと明るくなる。そう信じて手すりを両手で握る。
一歩踏み出した足が急にがくんと足場を踏みそこねた。
「っ!」
背中がぞくっとして、顔がひきつって手汗がぶわっと広がって声が出た。自分の握れる一杯の力で手すりを握った。
ただ、階段が終わって踊り場に出ただけだった。足もちゃんと床を踏んでいる。
怖くて目が潤んでくる。帰りたい。
声に出そうになりながらも必死に堪えて、二階の方を見る。また、月明かりと街灯でぼんやりと校舎内が見えていた。
ふうっと息を吐く。見えてさえすれば、ちょっと安心。
視界が戻ってからの階段はあっという間だった。安心感が全然違った。すぐに2階にたどり着いた。ついに怪談の舞台へとやってきたぞ。
左に曲がってすぐの2年1組の教室の時計を見た。時計の時刻は7時58分。後2分。
時計の時間を見た瞬間、また手汗がすごくなってきた。あとちょっとで何かが出る。あとちょっとで何かが出る。
また少しずつ恐怖が体の中に入ってきた。でも後2分、この恐怖に耐えられればいいんだ。頭のなかで自分の好きな歌を歌う。でも絶対に声には出さない。もし聞こえでもしちゃったら・・・
足がガクガクしてくる。2年1組の教室の机に手をついて一生懸命2分を待つ。時計をなんど見ても8時にはならない。秒針は進んでいるが一周しない。歌も全然終わらない。恐怖に負けて声が出ちゃいそうになる。
頭の中で必死に関係ないことを考えた。和希の土下座。響のドヤ顔。今日の宿題のノートに書いた漢字練習の文字。さっき見かけたカエルの間抜けな表情。
ふと時計を見ると8時になっていた。もうその場にいることに限界が来た。足が勝手に動き出す。廊下にでてなんとか左右に首を振る。右も左も外の薄明かりに照らされているだけで何もない。
それを確認したら足音を立てないように。でもものすごい速さで階段を降りる。上るときにはあれほど長く感じた真っ暗も一瞬で通り過ぎる。一階の長い廊下も早歩きで、ただゴールの水槽一点だけを見て歩く。ちょっとずつちょっとずつ水槽が大きくなってくる。あとちょっと。あとちょっと。
水槽の前まで来ると、水槽の台に飛び乗って窓から飛び降りた。置きっぱなしだった缶を蹴っ飛ばしたけどもうお構いなしに走り出した。
気づいたらもう校門の前にいた。息が切れ、肺が白くなったように痛い。でも体にまとわりついていた恐怖が全て吹き飛んでいったようでとてもすっきりした気持ちになった。
振り返り、校舎を見る。来たときと同じようにぼんやりとしている。2年生の教室がある辺りを見てみた。さっきまであそこにいただなんて、なんだかとても不思議な感じがする。時計を見ると8時8分。教室で8時を迎えてからいつの間にかだいぶ時間が経っていた。
肩で息をしながら目線を道路の方に戻した瞬間。教室の奥の方で何かが動いたようなそんな気がした。大急ぎで目線を戻す。何もいない。
離れていったはずの恐怖が体全体を覆った。もう校舎を見ることができない。走った。前だけを見て。
気づいたら今度は家の前にいた。また、記憶が飛んでいる。校舎の中で何かが動いたのを見てから先の記憶が全然ない。まだ春なのに汗が顎まで伝っている。家を見ると1階も2階も電気がついている。
はあ。
体の中の不安を全部吐き出すようにため息を吐いた。靴を脱いで玄関の前に立つ。
大冒険だったな。
体中を満足感が包み込む。
今まで生きてきた中でこんなにすごい経験は初めてかもしれない。和希と2人で隣町まで行ったときの何億倍もすごかった。すごすぎて、夜遅いのに真昼みたいに頭が冴えてる。
和希も起きてることだし、全部話してやろう。夜の町のこと、窓から侵入したこと、真っ暗な階段のこと、8時を迎えた瞬間のこと、最後に見たなにかのこと。
嬉しい気持ちが体から出ないようにしながら、そっと玄関の扉を開けた。