ハラショー
※『』はロシア語
紫苑視点
俺は西園寺紫苑。生まれも育ちもロシアだ。
……ああ、名前が日本名なのは何故かって?
まあ、話すと長くなる。
俺はロシアの田舎にある小さな村の村長の家に生まれた。家族は村長を務めるお爺様とその妻のお婆様、俺の母様の兄に当たる叔父夫妻、そして俺と母様。父親はいなかったが、その理由はずっと教えてもらえなかった。だが、そんなことは気にならないくらい家族にたくさんの愛情を貰った。
うちは他の村に比べれば少し貧しいが、村民との関係も良好でうちにはよく食材の差し入れが届けられ食べ物は豊富だった。
俺は幼少期から広大な野山を駆け巡り、寒暖差の激しい気候のなか自然と共に自由奔放に遊びながらのびのび育った。
村は閉鎖的で、都会のようにテレビなどの家電も少ない。勉強は周囲の大人が先生となり教えていた。物流も少なく殆ど自給自足の生活をしていたが、不自由を感じることはなく、温かい人たちに見守られ、慎ましくも幸せだった。
しかし、そんな暮らしがある日終わりを告げた。
俺の父親を名乗る男が現れたのだ。
父親は日本で有名な西園寺財閥の跡取りだった。母様が日本に留学している時2人は出会い、お互いに惹かれあった。逢瀬を重ね、2人は結婚を真剣に考えていたが西園寺グループの親族が異国の血が西園寺家直系に混じることに反対した。
母様はそのとき既に俺を身ごもっていたが、父親には何も言わずに身をひいて故郷に帰った。そして俺を出産した。
姿を消した母様を彼は必死に探した。そしてようやく行方を知って尋ねた時見たのは慎ましくも幸せそうに暮らす親子の姿だった。無理に日本に連れて帰ってもつらい思いをするのは目に見えていたため、彼は遠くから静かに見守ることを選んだ。
離れ離れになったが、2人はお互いをずっと思いあっていた。
母様のことを忘れられず、親族に勧められた令嬢との結婚を拒絶し、生涯独身宣言した父親に親族は焦りはじめた。西園寺グループの跡取りは父親をおいて他にはおらず、彼が西園寺家の跡取りを放棄すればその資産は誰にも受け継がれることなく家名の断絶も考えられたからだ。そしてついに親族は母様と俺を西園寺家に迎え入れることを承諾した。
俺と母様は日本に渡った。そして西園寺家の持つ財力に圧倒された。環境は激変し、今までとは何もかもが変わった。西園寺家に相応しい跡取りになるよう英才教育がはじまり、日本語を一から勉強し叩き込まれた。俺の日本語上達のためもあるが、何より西園寺家の人が異国の血を嫌悪していたため、その人達を刺激しないために家ではロシア語を話すことを禁止された。
これまでのびのび生活していたのに日本での生活は窮屈以外の何ものでもなかった。
幸いにも俺の見た目は父様に似ており、肌が白人に近いことと目が少し青みがかったことを除けばそれほど日本人との違いはみられない。そのため跡取りの御曹司として周囲には受け入れられていた。だが母様は異国のロシア人そのものである外見をしていたので屋敷の人には冷遇されていた。
しかし、母様は冷遇されていても長い間離れ離れになっていた父様と再会し傍にいられるだけで幸せそうにしていた。周囲の者が目を背けたいほど2人はラブラブだ。近いうちに妹が生まれるらしい。
日本に来て3年。日本語の筆記は問題ないほどになったが、どうしても話すことが片言になってしまう。日本語のイントネーションは独特なためうまく話せないのだ。人と話すのが億劫で仕方がない。自然と俺の口数は減り無口になっていった。
呼吸するかのようにロシア語を話していた昔が懐かしい。ずっとロシア語を聞いていない。このままロシア語を話さず日本語漬けの毎日が永遠と続いていくのだろう。
そして俺は父様の母校である名門桜坂学園に入学した。
西園寺家の跡取りである俺は強制的に生徒会役員にされた。
普段の生活だけで面倒くさいことが溢れているのに何故生徒会の仕事までやらなければならないのか。しかし、任命されてしまったため仕方がなく1度だけ生徒会室に顔を出した。
生徒会室の中には男が一人いた。髪を赤く染め上げ制服を着崩し、豪勢な椅子にふんぞり返ったモデルのような男。第一印象からして好きにはなれなさそうなヤツだった。
彼は俺にものすごい勢いで何かを話しかけてきたが、言っている意味が半分もわからなかった。俺のリスニング能力に問題はないはずだ。本当にいっている意味が理解できなかったのだ。
まあ、要約すれば「俺様の生徒会へよくきたな。お前は今日から俺様の駒となりこの学園を運営していくのだ。嬉しいだろう!この俺様の下で働けるのだからな!光栄に思うのだ!」とかなんとかを話していたんだと思う。長々と何かを語っていた彼の話に付き合い、話が途切れたところで生徒会室から抜け出した。
無理だ。
俺にはあいつと同じ部屋の空気を1分と吸っていられる自信がない。
それ以降、俺は生徒会室には近寄っていない。書記に任命されていたためこなさなければならない仕事があるのだが、またあいつに捕まりたくない。
授業内容もすでにこの3年間で家庭教師に教えられた内容のものであり授業に出ずともテストは問題ないほどの学力は備わっていた。
煩わしい授業を適度にさぼりつつ、故郷の長閑な風景を思い出せる中庭の木でうたた寝して日がな一日過ごしていた。
そんなある日、とても食欲がそそられる匂いが俺の鼻をくすぐった。
その匂いを意識してしまったら急に腹がキューキューなりだした。
ふっ、朝食を抜いて家を出たせいで俺の中の小さな獣が悲鳴を上げだしたか。
なんて馬鹿なことを考えつつ、匂いのもとへ自然と足が運んだ。
「この匂い、チーズケーキ……」
懐かしいな。よく故郷にいたとき母様が作ってくれたっけ。今は母様が台所に立つと屋敷の使用人がうるさく言うので食べることは出来なくなった。
ああ、そういえば今日は財布も家に置いてきてしまったから昼飯も抜きか。
食べたい。
チーズケーキ食べたい。
脳内が食欲一択で満たされた。
ふらふら欲望のままにたどり着いた先には一人の少女がいた。ベンチに腰掛け、今、まさにそのチーズケーキを食べようと手を合わせていた。
俺は急いで彼女のもとへ行き、その手を掴んだ。
「それ、俺にも、くれ」
思わず言ってしまった。
突然現れた俺に彼女は驚いていたがすぐに表情を引き締めきっぱり言った。
「お断りします」
「え……」
自分で言ってはなんだが、断られるということをまったく考えていなかった。これまで俺が声をかけて頼んだことを断る女にであったことがないから。
自分の行動が自意識過剰だった点にショックを受けるとともに、このチーズケーキが食べられないのだと思うと絶望を感じた。
ああ、俺のチーズケーキ。
「な、なんなのよ」
とりあえず俺の現状を訴えてみることにした。
「俺、ハラペコ」
お腹をさすりながらアピールする。
「……お腹減ってるの?」
彼女に同情する気配が伺える。よし、もうひと押しだ。この際恥も何もあったものではない。とにかく彼女の情に訴える。
「うん。ごはん忘れた。財布もない。俺困ってる」
そして彼女は折れた。
「じゃあ仕方がないわね。分けてあげる」
貰ったケーキにかぶりつく。美味い。母様が作ったものと同じ味がする。
夢中で食べ続ける。
「私は如月玲那。あなたは?」
名前を聞かれたのは久しぶりだ。なんだか新鮮だな。この学園に入学してから自己紹介をしたのは初めてかもしれない。だいたいは自己紹介せずとも相手は俺のことを知っているため名前を聞かれることはなかった。
ちなみに俺は彼女のことを数か月前に招待されたパーティーで見かけていたため前から知っていた。それ以前に彼女は生徒会役員メンバー並みの有名人だ。知らない人の方が珍しいだろう。
「俺、西園寺紫苑」
「あなた生徒会書記?」
「うん」
彼女は俺が生徒会書記であるということは知っていたみたいだ。
「ねぇ、なんであなたここにいるの? 今授業中よね?」
「お腹減った。いい匂いした。だからここきた。俺、鼻利く」
それにしてもよく話かけてくるな。他の人は俺が片言で話していると空気を察してこちらが答えなくてもいいような話や、自分のことばかり話すのに彼女は俺に普通に話しかけてくる。
「あなた生徒会の人間よね。だったらファンクラブの子とかに食べ物分けてもらえばいいじゃない。生徒会メンバーには必ずファンクラブがあったハズでしょ? 何でわざわざ私からケーキもらおうとしたのよ」
他の人にごはんもらえば?
そういった彼女の言葉に顔を顰める。そうなのだ。生徒会役員にはもれなくファンクラブとかいう厄介な組織がついてくるのだ。そこに所属しているヤツなんてろくな人がいない。
「ファンうるさい。うるさいキライ。あいつら、食べ物、変な薬入れる。危ない。だから食べない」
今まで何度も怪しげな薬を混ぜたお菓子を食べさせられかけた。俺は人より鼻が利く。匂いを嗅げば異物の混入などがわかる。
それにファンクラブの女自体、香水やら何やらで強烈な異臭を発している。正直近寄りたくもない。その点、この如月玲那は違う。
ふんわりと香る嫌味のないフローラルの香り。おそらくシャンプーの匂いだろう。風でなびくたびに淡い栗色の髪が揺れいい匂いがする。ほとんど化粧もしておらず、自然に染まった頬の赤みが愛らしい。キラキラした瞳は何ものにもたとえようがない宝石みたいだ。
彼女は誰が見ても気品あふれる淑女。如月グループの令嬢でありながら成績優秀、運動神経も抜群と誰もが憧れるような存在。だが高飛車なところが全くなく、話しかけてみると意外と気さくな性格であるといわれている。
「如月、知ってる。お前騒がない。このケーキ、薬の匂いしない。うまい」
ああ、もうケーキがなくなってしまった。俺の体はあまり燃費がよくない。常に腹がへっているような状態なのに今日は朝食を抜いてしまったため、まだまだいくらでも食べれる。
彼女の手に余っている残りのケーキもくれないだろうか。
あ、ケーキを隠されてしまった。
「そう。ねえ、さっきから気になってたんだけど何であなた片言なの?」
……今更それを突っ込むのか? しかも面と向かって。変わっているな。
「俺、ロシアと日本の混血。3年前日本来た。日本語、うまく話せない。だから話すキライ」
幾度となく説明したことを彼女にも言う。
これで彼女も俺に話しかけることはなくなるだろうか……
そう思った俺の耳に届いた声は信じられないものだった。
『ねえ、私ロシア語勉強中なんだけど、これってちゃんと話せてる?』
それは懐かしい故郷の言葉。ここ数年聞くことのなかった言葉。まるでお手本のように美しいロシア語だった。まさか彼女の口から故郷の言葉を聞くことになるとは思ってもいなくて興奮してしまった。
『お前ロシア語話せるのか! ああ、ちゃんとわかるよ! すっげぇ嬉しい、 久しぶりにロシア語聞いた! 母様も父様も日本語になれるためだって言って家でロシア語話すの禁止になって……学校じゃ話せるヤツもいなくてさ』
彼女はホッとしたような表情でまた言葉を続けた。
『そうだね。実際に話して覚えるのが一番だもんね。じゃ、私はロシア語で話かけるから、あなたは日本語で話してよ』
彼女は俺に日本語で話すことを望んだ。
『えー嫌だよ。お前ロシア語話せるんだったら俺が日本語話さなくてもいいじゃん。日本語話すの頭使って疲れる。疲れると腹減るし。やっぱり母国語で話すのが一番楽でいいな!』
俺は久しぶりの故郷の言葉のやり取りをもっと楽しみたかった。
『ちゃんと話して覚えなきゃいつまでたってもつたない言葉のままだよ。それで将来苦労するのは君なんだから! 脳みそやわらかくて吸収力のいい今のうちにしっかり覚えなさいよ!』
彼女に両親と同じように言われて怒られてしまった。それに俺は素直にうなずくことしかできなかった。
『う、うん』
『あ、それとね、生徒会の副会長やってる聖治もロシア語少しなら話せるよ? なんか困ったこととかあれば話してみるといいよ』
なんだって! 彼女の他にも話せるヤツがいるのか!
『え! マジ「日本語でいいなさい!」
また怒られてしまった。仕方がなく俺は日本語で話した。
「……知らなかった。今度、話しする」
『そういえば、あなた生徒会に一度も顔だしてないらしいじゃない。書記なんでしょ。仕事しなさいよ』
「俺。筆記完璧。だから仕事、できる。でも、話すダメ。会長、たくさん話かけてくる。でも、意味わからない。あいつ話す、苦痛」
『そ、そうなんだ。でもあなたが仕事しない分、聖治が苦労してるんだから会長は無視して仕事しなさい』
確かに俺は生徒会の仕事を放置している。その仕事を他の人に押し付けているのは申し訳ない。でもあそこには赤髪のヤツがいる。会いたくない。でもそこにはロシア語が話せる聖治とやらがいる。どうしよう。行きたくないけど会ってみたい。仕事もしなければならない。
仕方がない。
「わかった。聖治、話したい。生徒会室いく」
「おう、頑張れ」
彼女の気が抜ける応援の言葉に少しだけ足取りが軽くなったきがした。
ああ、そういえば彼女にお礼のひとつも言っていないと思いだし振り返った。
「ケーキ、美味しかった。ありがとう。また、ね」
顔は自然と笑っていた。こんなに心が動かされたのはいつ以来だろうか。
つまらなかった学園生活がこの出会いで変わっていく予感がした。
◇おまけ◇
紫苑「聖治! 俺と、話、しよう!」
聖治「えっと、君誰?」
紫苑「俺、西園寺。書記。如月から聞いた。聖治ロシア語話せる」
聖治「まあ、専門的な用語とかはわからないけど、日常会話程度なら話せるよ(玲那……メールの内容ってこのことか。もう少しわかりやすく伝えて欲しかったよ)」
紫苑「(ワクワク)」
聖治『えっと、とりあえず書記の仕事が溜まっているんだ。ここ片づけてくれる?』
紫苑「ハラショー!(了解!)」
セイジ ハ ショキ ノ シオン ヲ ナカマニシタ。
ちょっと長くなったのでおまけ部分端折りました。




