H島
時刻は朝九時。俺たちは中継地点でもあるH島へ辿りついた。光一は青い顔で無言だった。どうやら船に酔ったようだ。ずっとipadとスマホの画面ばかり見ていたのだから無理はない。対照的に俺と隆夫はまだまだ元気だった。目指すK島への船の出港は十時。光一は船着場に置いておいて、時間を潰すために隆夫と二人ブラブラと歩いていた。ここはどう見ても普通の港町だ。しかしこれも世間を欺くためのカモフラージュかもしれない。なにしろここから十分ほどで男のパラダイスへ辿り着くのだ。
「待ってろよ〜!俺の天使ちゃん!」
突然隆夫が叫んだ。周りの人たちがこちらを向く。
「おいっ!やめろ!」
俺はたしなめる。こいつはいつも周りが見えていない。そのせいで周りの友人たちは俺たちから徐々に距離を置いてしまうのだ。しかし、その人並み外れた行動力だけは俺も光一も認めている。こいつといれば、普段ならば絶対に経験できないようなことに出会えるのだ。
しかし……、今日のその黒いスーツとサングラスだけは止めて欲しい。どう考えても暑いだろ、ソレ。
俺と光一はTシャツにジーンズというラフな格好だ。隆夫からすれば、俺たちの服装こそ学生に見られてバカにされるとの理論らしいが。
「ひょっとしてあんたら、K島にいくんかい?」
周りで見ていた一人の老婆が俺たちに話し掛けてきた。俺は顔から火が出そうになるほどに恥ずかしかった。なにしろここはK島への中継地点だ。俺たちの目的がバレバレじゃないか。
「あ、いえ……、それは……」
「そうなんですよ。船が出る十時まで暇なんでブラブラしてるんです」
どもる僕を尻目に隆夫がペラペラと喋り始める。あぁ、頼むから止めてくれ〜!
「止めておいた方がいいよ」
老婆は静かに言った。それは氷の様に冷たい響きに満ちていた。
「あんた達みたいな若者が行っても楽しいところじゃない。今からでも帰ったほうがいい」
いつの間にか周りにいた人たちもこちらをじっと見つめている。その視線もまた氷の様に冷たい。
「大丈夫っすよ!俺らバリバリっすから」
隆夫は訳の分からないことを言いながら、港へと戻ろうとしたので俺も慌てて追いかけた。周りの人たちの視線を感じる。ヒソヒソと小声で話している人たちもいる。俺は早くここを離れたかった。
「どう思う?」
俺は老婆たちの姿が見えなくなったのを、確認してから隆夫に話し掛けた。
「どう思うって、そんなもんだろ!今から引き返せるかよ!」
確かにその通りなのだ。朝から静岡まで来て今から引き返す?御殿場観光でもして帰るか?そんな事は絶対にありえない。もう俺たちには進むしか選択肢はないのだ。
船着場で少し回復した様子の光一と合流する。どうやら、光一の指差している「弁天号」と印された船がK島行きのもののようだ。十人乗りの真新しい高速船。離島に渡るには豪華過ぎないだろうか?
ただ、あの島の利用する顧客層を考えればおかしくは無いのかもしれない。俺は自分を納得させて「弁天号」に乗り込むことにした。
「止めておいた方がいいよ」
老婆が冷たく言った言葉がいつまでも俺の心に突き刺さっていた。