1-5.ファーストインプレッション
「お疲れ様です。」
カプセルから顔を出すと、山際さんがテストルームに居た。
相変わらずにこやかだ。
「いきなり死んでしまいましたよ。」
俺は苦笑いしながら言った。
「脳波での操作は普通のコントローラーと大きく違いますから、練習が必要でしょうね。」
「途中までは良かったんですけど。」
「見てました。スキルを解除してしまったようですね。」
「解除ですか?」
「ええ、スキルの発動中に体を動かしましたよね。蹴りを空振りした時です。スキル発動中にスキル以外の動作をするとキャンセルになるのです。」
知らないことが多くて困る。
「移動しましょう。会議室にお弁当を用意しましたので、ランチをしながら話を聞かせていただいてよろしいでしょうか。」
「ええ、はい。」
今は何時なのだろうか。ゲームの中には朝から夜までログインしていたのだが。
「今は12時半です、昼の。」
山際さんは、俺の心を読んだかのように時間を教えてくれた。
「ゲーム内の1日は、リアルでは4時間です。お昼を食べてから再ログインすると、ちょうど次の日の朝でしょう。」
先ほどのプレイだけでも大分疲れたのだが、業務時間はまだまだ残っているようだ。
俺は着替えはせず、カプセル用スーツ(全身タイツ)の上にパーカーを羽織った。非常に間抜けな格好である。
会議室に移動すると、山際さんともう一人、顔色の悪いラフな格好の男性が居た。
「今回のAI関連のプロジェクトのキーマンになります、金氏です。」
「こんにちは、よろしくお願いします。先ほどのプレイも楽しくモニターで確認させてもらいましたよ。」
聞こえてきたのは日本語だった。自動翻訳が当たり前の昨今、外国語を学ぶ人は珍しい。しかも、日本語のようにマイナーで難しい言語を。金さんはよほど勤勉な人なのだろう。
「まずはお弁当をいただきましょう。」
山際さんがお弁当と飲み物を配ってくれた。
用意されていたお弁当はから揚げ弁当であった。
(鶏だ!)
ヒロモンの中では匂いと音だけを味わされた。特に、鳥肉のハーブ焼きは絶品な匂いであった。俺の舌は鶏肉を求めていたのだ。鶏カラだなんて、最高のチョイスである。皮を噛んだ時の脂がじゅわっとはじけ出てくる感じを想像し、よだれが出てきた。山際さんは、できる人だ。
「World of Heroes & Monsters Onlineはいかがでしたか。」
俺がお弁当に感動してがっついていると、山際さんが話しかけてきた。
「ゲームは久々にやりましたが、すごいですね。グラフィックがリアルと区別つかないのと、音も本物のようでした。風の音と言うんですか、木々が揺れる音なども聞こえて。まるで別の世界に紛れ込んだかのようでした。」
「見た目はこだわりを持って作ってます。弊社では映画事業をしていることもあり、CGの作成ノウハウは豊富に持っています。World of Heroes & Monsters Onlineの中にカメラを持ち込めば、映画を撮ることも可能ですよ。」
山際さんが誇らしげだ。
「ああ、そう言えば、モニタリングってどうやっていたのですか?」
「小鳥の目にカメラを搭載しました。テスト用とは言え、さすがに函崎さんのキャラクターをハッキングすることはできませんから。」
今の世の中、プライバシー保護のための法律はゲームの世界にまで浸透している。社会通念として、ネットワーク上の活動はリアルでの活動と何ら変わらないと考えられている。そのため、ゲームであっても、ネットワークに接続されている以上、キャラクターのプライバシーを侵害してはならないと定められているのだ。例えば、ユーザーキャラクターの見たものはユーザーしか見てはならないとされている。より具体的に言えば、ゲーム会社がユーザーキャラクターの目にカメラを仕込んでモニタリングするようなことは法律違反になる。小鳥の目のように、あくまでも外部から観察しなければならないし、その観察も、場合によってはグレーゾーン(盗撮とか)に突入する。
「音も拾えるんですか?」
「はい、集音マイク機能も搭載してあります。」
「スパイに使えそうですね。」
「後からログを辿ることで、函崎さんがどのような行動をしたかは、ある程度追えますが、リアルタイムモニタリングの手段も用意しておきたかったのです。鳥だけだと函崎さんについていくのに限界があるので、別のアバターも作成中です。」
「なるほど。」
他人に見られて困るようなことをするつもりはないが、カメラに追い回される生活とは落ち着かなさそうだ。俺は一般人であって、セレブではないのだから。
「そう言えば、宿屋の女将さんにお使いを頼まれたんですが、クエストには何も出て来ませんでしたよ。何でですか?」
「テスト環境では、まだイベントやクエストは仕込んでません。」
「イベントじゃない?お弁当のお使いを頼まれたところからヤマイヌに襲われるまでが一連のイベントだったんじゃないんですか?」
「函崎さん、考えてみてください。これはMMORPGであって、シングルプレイ用のゲームではないのですよ。」
俺は言われて気が付いた。自分がログインした直後にお使いを頼まれたために何らかのイベントが発生したと思い込んでいた。しかし、ヒロモンの世界ではNPCはユニークキャラクターだし、何よりAI化されたNPCは記憶を持っている。お弁当の配達などと言うイベントを作成したら、お弁当の配達を依頼する度にヤマイヌに襲われる事件が発生するなんてことになる。NPCに無用な混乱を与えるイベントなど作れないということだ。
「では、お使いを頼まれたのも、ヤマイヌに襲われたのも、たまたまですか。」
「そうなります。」
俺は唖然としてしまった。
そこに金さんが嬉しそうに言ってきた。
「NPCのコミュニティが自律して動き出してます。村で会合があり、会合のためにお弁当を発注し、人手が足りないから他人に配達を頼む。とても素晴らしいです。」
「ヤマイヌはどうして襲ってきたんでしょう?」
「動物やモンスターには、まだ自我エンジンは組み込んでいません。正確には、ボス級のモンスターには組み込んでますが、一般的なモンスターはまだです。組み込むかどうかも検討中です。」
山際さんが説明してくれる。
「ヤマイヌの足にはトラバサミが付いていました。AI化されていないモンスターは、発生してから一定の巡回コースを辿ります。村の猟師が上手く罠を張ったのでしょう。罠にかかり負傷したヤマイヌは巡回コースを外れて逃げ出した。そして、街道に転げ落ちてしまったのでしょう。」
「俺の運が悪かったと言うことですか。」
「そうだと思います。」
人の不幸でも山際さんは、にこやかに言う。
「人間の思考を模倣するのであれば様々な研究が進んできてます。しかし、モンスターとなると、思考ルーチンをゼロから開発することになるので、時間がかかります。ボス級モンスターは、人間の思考を元に開発しています。低級モンスターは、動物に近いので、人間をベースにできません。リアルじゃないですから。」
金さんがやたらとAIについて力説し始めた。
「NPCの成長は著しいです。職業に応じた基本的な行動パターンは規程してあります。しかし、NPCは規程を逸脱し始めています。函崎さんが出会った薬師の子供の両親は旅をしていると言っていました。村の薬師は村に居るのが普通です。でも旅をしている。NPCが自分の考えで動いているのです。大変すばらしい。」
AI化されたNPCが人のように振る舞うのは何となくイメージしやすい。世の中、ロボットが通りを出歩く時代だ。介護ロボットは愛想が良いのが売れ筋だとも聞く。
「函崎さん、NPCはNPCと結婚します。NPCの夫婦から子供のNPCが産まれます。さて、今のNPCは何代目でしょうか?」
金さんに唐突に言われて俺は驚いた。ヤーゴンさんはお祖父さん、ユアンちゃんは孫、ユアンちゃんの両親、どれも同タイミングでAIを組み込んだのではない?それどころか、全員、ヒロモン産まれのヒロモン育ちだと!?
「恐らく、ヤーゴンさんで8代目の前後です。テスト環境は200年分はシミュレーションを回しています。今、テスト環境に住むNPCは、ほぼ初代NPCの子孫です。」
「200年!?どうやってですか?」
「先週までシミュレーション速度を600倍で回していました。6倍速にしたのは最近のことです。本当は、一度、1,000倍速で回していたのですが、サーバー負荷が高すぎて、徐々に遅くしていったのです。」
ええっと、24時間割る6は4時間か、なるほど、ゲームの1日がリアルの4時間と言っていたな。それよりも、1,000倍速の方で思い当たる節があった。
「そう言えば、2ヶ月半前から時々テスト環境の一部で急激に負荷が高まっていましたね。」
俺は金さんをじろりと見ながら言った。
「はい、シミュレーション速度を落とさなければサーバーが落ちるところでした。」
「テストのために本番が落ちるなんて本末転倒でしょうに。危険なことは止めてください!」
本来、本番環境とテスト環境は相互に影響を与えないように環境構築する。しかし、ヒロモンに関しては残念ながら影響を受ける構成になっていた。テスト環境と言う名前であるが、テスト環境もヒロモンの世界、すなわち本番環境に繋げる予定の土地だからである。
日本チームが管轄するストアー大陸は、数十台のサーバー群の上で稼働している。本番環境と呼んでいるのは、ユーザーに開放しているエヴン帝国、ハーマ王国、ファミール国のことである。テスト環境はオービニ王国である。他にも別テスト環境もあったりする。この、多くの国の稼働のさせ方は、各サーバーに分散処理をさせる方式をとっている。つまり、エヴン帝国はサーバー全台のリソースの数パーセントをほぼ均等に利用しているのだ。テスト環境も同様である。
もし、テスト環境が急速にサーバーリソースを消費したとしたら、本番環境用のリソースが圧迫されることになる。本番環境が停止したらサービスが停止する。ユーザーがヒロモンで遊べなくなる、すなわち会社の危機なのである。
「サービスが停止したら怒られるのは俺たちインフラ部隊なんですからね、そんな危険なテストは二度としないでください!」
俺は金さんに怒り気味に言った。
「函崎さん、今はパフォーマンスをリアルタイム・モニタリングをしながらシミュレーションをおこなっていますし、サーバー単位でリソース使用量が85%を上回ったら自動的にテスト環境を停止させるように設定していますので大丈夫ですよ。」
山際さんが俺をなだめた。金さんはどこ吹く風と、涼しい顔をしている。
「NPCに組み込んだ思考ルーチンや自我エンジンは、交配によって混ざるようにしてあります。オービニ王国は、当初3万人程度の都市国家だったのが、200年後の今では10倍の規模になっています。人のようなNPCが30万人規模で動き回っているのです。なんとも興味深いです。」
金さんはサーバーのことなどどうでも良いらしい。雲の上の人とインフラ屋の距離は月とすっぽんくらいの距離がある。
「函崎さん、World of Heroes & Monsters Onlineは、ゲームではないのですよ。」
金さんの目がとても眩しく輝いている。
「では何なんですか?」
「文明シミュレーターです。物理シミュレーションエンジンを搭載し、気象シミュレーションエンジンを搭載し、海洋シミュレーションエンジンを搭載し、その他、考えられるだけのシミュレーションエンジンを搭載したとしても、それは単なる世界の模倣に過ぎません。映画のセットのようなものです。私たちは、そこに人間をできるだけ模倣したAI(人工知能)と魔法と言う仕組みを混ぜたのです。魔法のある世界で人間(AI)は、どのような社会を築き上げていくのでしょう。魔法の有無に関わらず人間は人間らしくあるのでしょうか。それとも、人間は別の存在へとなっていくのでしょうか。映画のセットに役者を配置するところまで終わりました。後はカメラで撮るだけです。」
ええと、金さんはマッドサイエンティスト系の人でしょうか?
山際さんも世界シミュレーターだとか言っていたが、金さんの方が熱が籠っている。
「今はWorld of Heroes & Monsters Onlineの世界を観察するフェーズです。函崎さんの活躍に期待しています。」
「はあ、ありがとうございます…。」
俺は何を期待されているのか皆目見当もつかなかった。
俺が呆気にとられていると、山際さんがフォローにならない、むしろ更なる衝撃を与えてきた。
「実はですね、World of Heroes & Monsters Onlineのプロジェクトは、AIの開発が先にありきだったのですよ。」
「AIがですか?」
「AIにおける今回の肝とも言うべき自我エンジンが開発されたので、AIを住まわせるための箱としてWorld of Heroes & Monsters Onlineを作ってみたと言うのが正しい順序です。」
どうやらゲームはおまけだったらしい。
「ただ、開発された自我は人間らしさと言う点で不足していると判断されました。不足を補うためのサンプル収集のためには、多数の自我を観察して取り込むことが必要です。そのためのプレイヤーです。プレイヤーの行動、会話、感情等を収集・分析し、AIへフィードバックするための仕組みが現在のWorld of Heroes & Monsters Onlineです。」
プレイヤーはモルモットですか。
「そうそう、函崎さんの脳波のデータや行動履歴は逐次収集させていただいております。函崎さんの思考ルーチンをもったAIを作ろうかと考えてまして。」
意味が分かりません。
「AIへのフィードバックのためですか?」
俺は何とか声を出すことができた。
「それもありますが、それ以外もあります。元々、ユーザーの行動パターンを解析してAIに模倣させる計画があります。函崎さんもそうですが、土日のようにログインできない日ができますよね。1日ログインできなければ、World of Heroes & Monsters Onlineの世界では6日も経ってしまいます。NPCがAI化されると、プレイヤーキャラクターが数日居なくなると言うのは不自然に思われてしまうのです。それを防ぐために、ユーザーがログインしていない間、AIに代替させようと言う計画です。」
「そんなことできるのですか?」
「ユーザーの完全なるコピーを作ると言う意味では難しいです。しかし、ユーザーのように振る舞うAIなら作ることが可能です。例えば、AIにユーザーの良く使う言い回しを真似て会話をさせることができるでしょう。外から見れば、ユーザーがキャラクターを動かしているのか、AIが動かしているのか区別は付け辛いと言うことです。」
「そもそも論なのですが、World of Heroes & Monsters Onlineって、ゲームである必要あるのでしょうか…。」
俺は呆れていた。AIのためのサンプル収集装置だとか、文明シミュレーターなどと言う壮大な話を聞いたのである。
「半々でしょうね。」
「半々?」
「ええ、元々、World of Heroes & Monsters Onlineの構築プロジェクトの出資金は金さんを始めとした研究者のための資金から出ています。ゲームはおまけですので。こういった意味ではゲームである必要性は少ないです。一方、今のままではAIは不完全です。人間のことをAIに学習させる必要はありました。サンプルとして人間を多数呼び込む必要がありましたので、ゲームと言う手法は不特定多数が参加できるので最適です。この意味では、ゲームである必要があったと言えるでしょう。」
何か、どうでも良くなってきた自分が居ます。
「ユーザーにとっても、昔からMMORPGは、古くはウルティマ・オンラインのように、異世界を体験するための装置でした。World of Heroes & Monsters Onlineの世界の完成度が上がれば、ユーザーにとってもメリットがあります。ゲームとして楽しみたい人はゲームとして、異世界そのものを楽しみたい人は異世界そのものを楽しめるようになるからです。ユーザーにとっては、ゲームが主か、文明シミュレーターが主かは大した問題ではないと考えています。」
ゲームのテストプレイの話が、何でこんな哲学的かつ壮大な話になってしまったのだろうと思いながら、いい加減疲れてきたので話を切り上げることにした。
「とりあえず、自分なりにテストプレイをしてみますよ。」
山際さんは、にこやかに頷いてくれる。金さんは楽しそうな顔をしているようだが、何を考えているか不明だ。
俺は会話を切り上げると、プレイ前にトイレに向かった。お漏らしは嫌だからね。