1-3.アサイン
俺の名前は、函崎啓治。SIベンダー(注2)に勤めるSEだ。30歳の独身、もちろん(?)彼女持ちだ。
World of Heroes & Monsters Online~円環の地~(通称ヒロモン)と言うMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game/大規模多人数同時参加型オンラインRPG)のプロジェクトに参加している。
誤解の無いように言っておくが、俺はゲーム会社に勤めているわけではない。ゲーム会社からの依頼を受けたシステム会社の方に勤めている。
そして、インフラ屋(注3)である。プログラマーですらない。
意外と世間に認識されていないこととして、MMORPGのSEと言っても、インフラ屋はゲームの開発に関わることは一切ないと言うことが挙げられる。プログラミングはできないこともないが、多くの人が想像するアプリケーション(ソフトウェアとも呼ばれる)を開発することは、まずない。プログラミングは、アプリ屋の仕事だ。インフラ屋の俺は、アプリ屋が使うサーバーとかネットワークとかを作って管理するのがお仕事だ。
アプリ屋とインフラ屋の間には、日本海溝よりも長くて深い溝があるのである。ついでに言えば、アプリ屋とインフラ屋の頭上、雲の上にはゲーム屋という神様のような人々も居たりする。いわゆるゲームの企画とか運営はゲーム屋のお仕事だ。
今は、ゲームのサービス開始から半年も経とうと言う頃なので、インフラ屋としての仕事は大分落ち着いて来ている。リリース前の開発期間も含めると既に3年はこのプロジェクトに関わっているため、チームリーダーと言う肩書を与えられてはいるものの、実際は下っ端の雑用係の域を出るものではない。
そんな下っ端の俺が開発中のゲームをプレイすることになったのは業務命令だからだ。ある日、うちの上司経由でテストプレイヤーを命じられたのだ。
テストプレイヤーの話を聞いた時、俺は当然の様に断った。せっかく仕事が落ち着いてきて、平日の夜に彼女とデートし、休みだって取れるようになってきたのだ。余分な仕事をしたくはなかった。第一、俺は最近のゲームには詳しくない。
ところが、上司はテストプレイをごり押ししてきた。バーターとして、インフラチームの仕事を大幅に減らすとまで言ってきたのだ。そうなると、仕事として断り辛い。
何でも、今回求められるテストプレイヤーに俺は最適なのだそうだ。
ひとつ目の条件として、プロジェクトの関係者であること。ゲームを一般ユーザーに提供している以上、公募したプレイヤーだと機密情報管理が難しい。その上、長期に渡ってテストプレイをするとなると公募プレイヤーでは時間的な拘束が難しくなる。
ふたつ目の条件として、提供しているゲームに詳しくない方が良いと言うこと。何も知らない人の意見の方が色眼鏡なしに感想が得られる。なので、アプリチームよりもインフラチームから人を出して欲しいとゲーム屋から言われたそうだ。
みっつ目と言うより、ふたつ目の条件に追加の理由であり、インフラチームと言うよりは俺に当てはまることなのだが、ゲームのアカウントを持ってないこと。それはそうだ、会社でテストプレイをした後、家でゲームをされては不都合が考えられる。ひとつ目の機密情報の管理にも繋がる話でもあるし、そうでなくても、知っているが故に有利にプレイできることもあるだろう。その点、俺はデートや趣味に忙しく、ゲームはしていないので安心だ。
よっつ目の条件として、仕事から少し抜けても問題のない立場であること。これが、お前は暇だろと言われているようで不本意なのだが、チームリーダーくらいの俺がちょうど良かった。上司を含めたマネジメント層は、お金の管理やら部下の管理やらで忙しい。本当の下っ端は、システムの管理に手を動かす必要があるため、シフトから外すわけにはいかない。下寄りの中間に居る俺だと、手を動かすわけでなく、管理もそこそこしかしていないため、トラブルが発生しない限り時間に融通が利くと見られたのだ。
理由に納得するかしないかは別として、上司に押し切られた形で、俺はテストプレイをする羽目になったのである。
「函崎さんは、今回のテストプレイについて、どこまでご存知ですか。」
ゲーム屋の方のスタッフで、今回のテストチームのリーダー格の山際さんが尋ねてきた。俺からすると、普段の仕事ではまず関わることのない人である。
インフラ屋とは言え3年もプロジェクトに関わってきたからには、ゲームの基本的なことは知っているつもりだ。
通称ヒロモンことWorld of Heroes & Monsters Onlineは、グローバルに展開するゲームコンテンツ会社が莫大な投資をして開発したゲームである。どれくらいの規模かと言うと、これが実に壮大だ。当然、正確な予算は分からないが、していることの規模を見ればすごい事だけは分かると言うものだ。
ゲーム自体はよくあるMMORPG(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)だ。ファンタジーの舞台をベースに、カードを使った魔法戦や格闘によりモンスターを倒すと言うゲームである。モンスターは倒すだけでなく、カード化して味方にすることもできる。さらには、生産系を合わせた1,000ものスキルがあり、デザインツールを使ってアイテムの作製もできる等、自由度も十二分に確保されている。
プラットフォームだが、携帯ゲーム機、PCを始めとして、メガネ型端末(俗称スカウター)と、多くのハードウェアでプレイできる。HMDを使用すれば、リアルと区別つかないグラフィックでゲームが楽しめる。
ここまでは、最近のお金をかけたゲームであれば良くあるスペックである。
凄いのは、「カプセル対応」と「ゲーム世界の作り込み」の2点である。
カプセルと言うハードは、ゲーム世界で味覚以外の感覚が全て体感できる装置だ。
ゲームでは視覚と聴覚だけならば、予め決まったエフェクトを仕込んでおけば良いし、シミュレーションエンジンによって現象を再現しても良い。その上、ゲームの歴史は長い。今までのノウハウや蓄積が多いので新規に作らなくて良い。むしろ新機軸を作るのが難しいくらいにテンプレートが豊富な状態だ。
問題は触覚や嗅覚のデータだ。触覚や嗅覚へのフィードバックは、人間の感覚的なものだけにいちいちインプットしてテストすることが必要だ。カプセル用のデータだってある程度は蓄積されているのだろうが、ファンタジーゲーム一本作るには膨大なデータが必要だ。どれだけの手間暇かけて情報をインプットして、テストをしたのだろうか。カプセル対応の内容は、世界でも断トツで1位の充実度を誇っているのだからとんでもない。
ゲーム世界の作り込みも、そもそものデータ量、計算量の多さも凄い。例えば、ヒロモンでは、NPC(non player character)の数が半端ない。普通、ゲームのNPCと言ったら、店や家ごとに1人居るか居ないかくらいで、家の数なんてたかが知れている。ヒロモンの場合は、人口1万人の都市があれば、NPCをちゃんと1万人配置しているのである。しかもNPCは話しかけられるまで黙って立っているのではない。朝起きて、昼は仕事場に行き、夜は寝ると言う生活をしているのだ。1万人の全員が。他にも、物理シミュレーションのエンジンから気象シミュレーションのエンジンまでありとあらゆるシミュレーション用のエンジンを組み込んだとも聞いている。世界を再現するかのごとく徹底しているのだ。
客観的に見ても常識外れとも言える金のかけ方が分かる。俺もゲーム開発に詳しいわけではないが、自社ビル内にあれだけのサーバーを設置すると言うのだから求められるスペックが半端ない。普通はクラウド上のリソースを借りてきて終わりだ。わざわざ自前で用意するのだから、金をかけるところが間違っているのじゃなかろうか。
さらに、グローバル企業が開発元と言ったが、なんとこれ、3ヵ国共同プロジェクトなのである。サーバールームが3つ、開発スタッフも単純計算で3倍である。もちろん、単純に何から何まで日本の3倍が全体像という訳ではないが、開発拠点及びサーバルームが3か所あることは確かだ。DRを考えて分散している面もあるのだろうが、自前でサイトを3つも持つなんて、今時、大手の金融機関か軍事関係組織くらいしかやらないだろう。ゲーム会社がやるようなことではない。
そんな一大プロジェクトがサービス開始してから半年、ゲームの運営側としてはすることが盛りだくさんだろう。テスターだって集め放題のはずだ。それなのに、何らかのイベントのテストをするとしても、わざわざ社員を使ってやるものなのか、さっぱり見当もつかない。
「いえ、あまり詳しいことは知りません。」
俺は正直に答えた。
「良かった、ご存じだったら情報漏えいインシデントです。函崎さんに話をした人に懲罰を与えないとならないところでした。」
山際さんは、とてもにこやかに怖いことを言う。
「うちの上司に仕事を放っておいて良いから、ゲームで遊んで来いと言われただけですよ。」
俺からは軽く返しておく。
「ええ、それくらいしかお願いしてませんから。ただ、これから私が話す内容は上司や部下、ご家族の方も含めて話さないようにしてください。」
山際さんは、にこやかな笑顔のまま、秘密保持誓約書と言う紙をすっと差し出してきた。
懲罰沙汰と言うのは冗談ではなかったらしい。
「テストプレイって、そんなに重い内容なんですか。」
俺は、訝しげに聞いた。
「当社の命運がかかったプロジェクトですから。」
そんなに大げさなものだったのかと俺は驚いた。
「World of Heroes & Monsters Onlineはサービスを開始してから1周年記念に、大型アップデートを企画しています。そのアップデートでは、従来のMMORPGではない画期的な試みを行います。」
「まだ半年も先の話ですよね。」
「もう半年しかないのですよ。もちろん、開発は見通しが立ってますし、ベータテストもスケジューリング済みです。今回は、クローズドベータテストのさらに前の段階でのテストを行うものです。」
ずいぶんと念の入ったことである。ただ、開発中のテストなら自分たちですれば良いものを。
「ゲームのテスターとか経験ありませんよ。大丈夫なんですかね。」
「はい、職歴等、適性は調べさせていただきましたから心配ありません。」
「それなら良いのですが、で、何をするのでしょうか。」
「函崎さんは、インフラチームですよね。サーバーについてどうお考えですか。」
「ゲーム業界は詳しくありませんが、想像よりも台数が多いですね。オンプレミスでの環境も珍しい気がします。サーバー数がやたらと多いからなのか、今はリソースにかなり余裕があります。」
本当は、余裕があるどころではなかった。平均すると、ほとんど使ってないと言っても良い。
「それだけですか。」
「あと、テスト環境の方がリソースを喰っているのが気にかかります。本番環境よりもデータ量も多いようですし。」
「さすがに色々と把握されてますね。」
山際さんは、うんうんと頷いている。
「大型アップデートと言っていましたが、ゲーム内の領土を広げるとか、モンスターの種類を大幅に増やすとかなんですか。データ量からすると、今までの何倍もの規模ですか。」
いつまで経っても答えを教えてくれないので、自分の想像を言ってみる。
「もちろん、それもあります。が、領土の拡大はごくわずかです。」
それ以外が知りたいのだから、もったい付けないでいただきたい。
「では何なんですか。」
山際さんは、ここぞとばかりににこりと笑いながら言った。
「全てのNPCをAI(Artificial Intelligence/人工知能)化します。」
「AI化ですか…。」
「はい、AI化です。もっと言えば、自我エンジンを組み込むとでも言いましょうか。今でも、各NPCには一定のアルゴリズムを組み込んであります。全て異なる生活リズムを持ち、会話ではかなり自由な話にも対応できるようになっています。これは言わば思考エンジンとでも言うべきプログラムでしょう。ただ、それではロボットと変わりません。自我または自我の源とでも言うべきリビドーを組み込むことで、NPCが人間のように自分勝手に動き回るのです。World of Heroes & Monsters Onlineの中に人間社会を再現しようと考えています。そうすることで、World of Heroes & Monsters Onlineはひとつの世界シミュレーターになるのです。」
あまりにも突拍子もなく、それでいて壮大なスケールの話に俺は思考停止状態に陥ってしまった。
「いずれモンスターも全てAI化したいですね。知能の設定が高いモンスターの中から魔王が生まれて人間界を襲うなんてことが起こるかも知れません。」
山際さんは、にこやかに恐ろしいことを言う。いや、ゲームだからイベントとして有りなのか。
「今までのMMORPGでは、運営側がイベントを起こしていましたが、NPCをAI化することで、自動的にイベントも発生することになるでしょう。もちろん、我々が企画するイベントと言うのもありますが、町を歩けば喧嘩も起こるでしょうし、NPC同士の恋愛なんてのも見られるかもしれません。」
異世界をシミュレーションすると言うのは面白そうではあるが、そんなに上手くいくものなのか。
俺は飛んでいた意識を取り戻して聞いてみた。
「それで、何をテストするのでしょうか。」
「はい、函崎さんには、ゲーム世界で多くのNPCと交流を深めていただきたいのです。NPCと会話して、一緒に行動して欲しいのです。何なら恋愛だってしてくださっても良いですよ。そして、感想を報告していただきたい。我々は我々で、函崎さんの行動をモニタリングさせていただきます。」
「なるほど。」
俺の意識は、またどこかへ飛んで行ってしまう。異世界シミュレーターの中に放り込まれるってことは分かったが、NPCと恋愛をしろだって。
「難しく考えなくて良いですよ。World of Heroes & Monsters Onlineを普通にプレイしていただければ良いと言うだけです。プレイ後に、毎回、ヒアリングをさせていただきますが、ただそれだけです。」
「テストプレイヤーの数は、どれくらいなんでしょうか。まさか、一人ってことはないですよね。」
「まず、このテスト環境ですが、日本にしかありません。AIの組み込みは日本チームが主導で行ってますので。そして、テストプレイヤーですが、ここ2週間ほどで言えば函崎さんだけです。世界にたった一人だけのプレイヤーですね。今後、徐々に人を追加していく予定にはなっています。」
「なんか、緊張するのですが。」
まさか、短期間にしろ一人だけだとは思わなかった。
「心配されることはないですよ。開発チームによるテストは実施済みですし、大きな町に行けばGM キャラクターが何人かいますから。テストプレイヤーと言う役割では函崎さん一人きりと言うだけです。開発スタッフなら数名ログインしています。」
「そうなんですか。」
「ええ。それに、テスト環境は、既に3ヶ月以上、稼働させています。NPCも好き勝手動いているようですが、問題は報告されてませんので、安心してください。」
そう言えば、テスト環境を新規に立ち上げたのは3か月くらい前だったか。
「それと、アバターのモデリング(外見作成)はこちらで済ませておきました。後で能力のパラメーターの設定をしておいてください。キャラ設定のファイルもお渡しします。テストは来週の頭からお願いします。今週はカプセルのセットアップと最適化をしてください。」
「はあ、分かりました。」
俺は、こうしてWorld of Heroes & Monsters Onlineをプレイすることになった。
説明を聞いても何をすれば良いのかよく理解できなかったため、考えることは放棄しておいた。
考えても分からなそうなことは考えるだけ時間の無駄である。
プレイしてみれば分かることだろう。
何事もなるようになれ、だ。
注2:SIベンダー
システム会社。システムの企画・立案からプログラムの開発、必要なハードウェア・ソフトウェアの選定・導入、完成したシステムの保守・管理までを総合的に行う会社のこと。
注3:インフラ屋
サーバーやネットワークを構築する役割。ソフトウェアを開発するプログラマー等、アプリ屋と対比して、基盤を構築・管理する人のことを指す。