2-5.ビギナーズ
「おーい、詩織。居るか?」
俺は寝る準備ができたタイミングで映話をかけた。
「もしもーし、ちょっと待って。今、家に着いたところなの。後でかけ直すわ。」
「了解。」
時計を見ると、22時を少し回ったところである。
俺は、最近、20時半頃に家に帰ってくる規則正しい生活だ。朝の8時過ぎに出社して、20時頃に退社する12時間労働である。
詩織の会社もフレックスだが、10時には出社していたはずだ。帰宅がこのくらいだとすると12時間労働か。
IT業界もメディア業界も労働時間が長い。
俺の場合は、俺専用のテスト環境から通常のテスト環境に移動したのが主な理由だ。俺専用のテスト環境では、俺がログアウトするタイミングでヒロモンの時間自体を停止していた。共有環境だとそうはいかない。俺がログインしていようが、ログアウトしていようがヒロモンの時間は進んでいく。リアルの4時間がヒロモンの1日。今まで通り8時間労働だと、ヒロモンの世界で2日存在したら、4日行方不明となる。
これが孤独なソロプレイヤーで山に籠って修行でもしているのなら問題ない。俺は町中の屋内で会話する相手が居る環境なのでそれはできなかった。
研究者や鷹野君が会社に泊まり込んでいると言うのも頷ける。
そうでもしないと不自然なのだ。
俺はリアルの12時間労働が限界で、ヒロモンでは3日居ては3日ほど消えると言う生活だ。
では、鷹野君はどのような生活を送っているかと言うと、1日の睡眠時間が4時間なのだそうだ。
鷹野君曰く、ヒロモンが夜になったタイミングでログアウトして、翌々日の朝にログインすると、リアルでは5時間半ほど稼げるのだそうだ。その間にシャワーを浴びて4時間ほど寝ることができるのだと。
4時間の睡眠で足りるのかと聞いたら、元々ショートスリーパーだから大丈夫なのだそうだ。俺は6時間は睡眠時間が欲しい人なので、ちょっと無理な生活だ。
それに、できれば毎日、家には帰りたい。精神的に。
そんな生活を送っている鷹野君が身近にいるおかげで、ヒロモンのケージは、3日間はミホークの仕事の手伝いをしていて、教団に居たり居なかったりすることになっている。
そのうち、もう1日分ログインしたり、会社に泊まり込む羽目になるかも知れないが、今はまっとうな労働時間の範疇に収まるようにしている。
そんな俺と同じかそれ以上に詩織は働いているのだからネットメディア業界も大変だ。
俺が部屋で缶ビールを飲みながら、詩織の会社が運営しているウェブニュースサイトを眺めていると、詩織から映話が入った。
「お待たせ。」
シャワーでも浴びてきたのだろう、濡れたままの髪の詩織がディスプレイに現れた。
「お疲れ様。毎日、遅いんだな。」
「ゴールデンウィークだからゆっくりできるかと思ったんだけどね、休みを狙ったように事件が起きちゃうんだから。」
「ああ、例のサーバーテロの件だろ。」
俺はウェブニュースのヘッドラインに並ぶ先日の事件を言った。
ついこの間の土曜日に、世界的なサイバーテロが起こったそうだ。色々な企業に対してアタックがかけられ、いくつかのサイトが改竄または落とされたようだ。
「うん、世界的に大手の企業ばかりが狙われたのよね。啓治のところは大丈夫だった?」
「いや、うちもやられたみたいだ。ただ、うちは踏み台のひとつに使われたみたいで、大事はなかったと聞いているけどね。」
「そっか、それでもやられちゃったんだ。」
「まあね。ただ、ゲームの本体じゃなくて、トップページとかを載せている方がね。」
「そうなんだ。私も個々の企業の細かい事情までは分からないからな。」
「どこが被害を受けたとか、メディアでは把握しているのか?」
「企業名レベルではね。グローバルのセキュリティ機構から報道発表として、サイバーテロが起こりましたって情報は各メディアに流されるの。で、映像配信サイトなんかだと、まあ、そこまででニュースを流しちゃうかな。うちはIT系に強いメディアだから、記者が伝手を辿って、どこが攻撃を受けたかのリストまでは入手しているわ。その後、リストの中から大手でかつ社会的影響が少なさそうな企業に取材をして、ヒットしたところの名前をボカして発表ってところかな。某大手ゲーム会社の外部公開サイトサーバー等が踏み台に用いられた模様ですって感じで。」
「リストって手に入るものなんだ。」
「ふふふ、一応、私たちはプロですから。」
「狙われた企業って、大手ばかりなのか?」
「そうね、業界とか節操ない感じだったけど、大手が多かったかな。今時、あんな無差別なサーバー攻撃なんてないと思ってたのに。実際、十数年ぶりみたいなことを聞いたわ。」
「そっか。犯行声明は出てるんだっけ?」
「出てるけど、どこが本命かは不明ね。こういうのが起こると、色々なグループが勝手なことを言い出すのよ。」
「そうなのか。」
大昔、腕に覚えがあるクラッカーが自己顕示のためにセキュリティの強そうなサイトを落とすことをしていたらしい。最近では、そんなゲームのようなことをする輩は居なくなり、何らかの目的のために特定の企業や団体を狙い撃ちする攻撃がほとんどになった。
それはそうだろう、見ず知らずのサーバーを乗っ取ってもお金にもならなければ、こういった犯罪行為では自分の名前を公に売ることもできやしない。それならば、特定企業を狙い撃ちして身代金を奪ったり、請け負った仕事としてどこかの団体に被害を与えた方が現実的だ。
なので、今回のサイバー攻撃は目的不明の行為として、それなりに世間を騒がせていた。
世間が騒げば、ブームに乗りたがる連中と言うのも現れる。勝手に名乗りを挙げるクラッカー集団が乱立するということだ。
「詩織、これ、オフレコな。」
「うん。」
「うちのゲーム側のサーバーは、AI-OSで管理していて、今回、被害にあったサイトは管理外だったんだ。だけどね、サイバーテロの少し前かな、うちのAIが変な挙動を示したんだよね。」
「え、どんな?」
「俺も自分で確認した訳じゃないから不確かだけど、踏み台にされたうちのサーバーに対して、攻撃でもしたんじゃないかくらいの勢いでアクセスを試みたらしい。」
「なんで?それって、既に乗っ取られていたとか?」
「いや、全然、サーバーテロとは関係なさそうだけど。タイミング的にも異なるし、何しろ、踏み台から攻撃されたのではなく、踏み台を攻撃したんだからね。」
「何があったの?」
「原因不明。今でも元の部署のメンバーは徹夜で解析しているよ。」
「啓治はそっちの手伝いをしなくて良いの?」
「俺はテストプレイを優先しろってさ。後輩の道尾に会いに行ったら、死にそうな顔してたよ。」
「そう言えばさ、うちの記者の人が言ってたんだけど、大手企業の多くはAI-OSを導入しているから外部からのハッキングはほとんど不可能だって聞いたんだけど、本当?」
「世の中、不可能ってことはないと思うけど、まあ、難しいかな。旧来のOSだと、スーパーユーザーと言うユーザーが絶対的な権限を持っているから、権限を奪えれば何でもできるんだ。」
「知ってる。Administratorでしょ。」
「そう。でも、AI-OSは、コンピューターの方が権限が上でね、例えばスーパーユーザーがソフトウェアをインストールしようとしても、コンピューターの承認がないと実行されない仕組みになっているんだ。」
「じゃあ、コンピューターが不調なときはどうするの?」
「スーパーユーザーが3人居てね、3人の命令があればリセットはできるようになっている。」
「じゃあ、AI-OSを乗っ取ろうとすると、スーパーユーザー3人を乗っ取らないとならないってことか。それは難しいわね。」
「いや、難しいのはそこじゃない。大手の企業では、サーバーを構築する際に、スーパーユーザーの1人を、別のサーバーのAI-OSにしているんだ。」
「サーバーを乗っ取るためには、別のサーバーを乗っ取らないとならないってこと?」
「そういうこと。セキュリティホールってのは、大抵、人間なんだ。大手の企業は、コンピューターを管理者にすることで、セキュリティを高めているから乗っ取られにくいんだよ。」
「啓治の会社のサーバーもそうなの?」
「そうだよ。うちは、特にセキュリティが強固かな。サイトが3つあるから、スーパーユーザーのうち3分の2はコンピューターさ。」
「じゃあ、AI-OSの暴走は、本当に謎なんだ。」
「まあ、解決しないだろうね。AIのご乱心としか言いようがないな。」
「道尾さんも大変ね。分からないことを証明するために徹夜しているんだから。」
「おっしゃる通りです。」
俺は無精髭と隈が日々濃くなっていく道尾の冥福を祈った。
仕事のことを考えて、若干、雰囲気が落ち込んだところで、気分を変えるように詩織が言った。
「そうだ、啓治。これなーんだ。」
詩織はディスプレイの向こうでHMDを取り出した。
見た目がやたらと新しい。
「あ、もしかして、HR社の最新型か。」
「ボーナス一括払いで買っちゃった。」
「ボーナスまで1ヶ月以上あるからな、我慢できなかったのか?」
「うん、だって、ゴールデンウィークだからね。それに、前のは学生時代から使ってたやつだから、だいぶ古かったし。」
実は、詩織は俺以上にガジェット好きだったりする。
「最新型か、良いな。」
「軽いし、音は良いし、長時間使っていても疲れなくて良いわよ。」
「でも、何に使うんだ?」
情報の検索やメールを打つくらいならHMDは必要ないし、普通のディスプレイで充分である。
「なーんだ?」
「分からないから聞いているのに。教えてよ。」
「しょうがないなぁ。」
そう言うと、詩織はさらにゲームパッドを取り出した。
HMDとゲームパッド、明らかにゲーム仕様である。
「もしかして、ヒロモンか。」
「うん、始めちゃった。まだチュートリアル終わったばかりで、弱っちいけどね。」
「ヒロモンはどんな感じだ?」
一応、ゲームの運営側の人間としては気になるところだ。
「オーソドックスなMMORPGの上位版って感じで、なかなか良いんじゃないかな。」
「それはどうもありがとう。」
「洋モノっぽく、何でも好きにしてくださいって言う世界観なのはどうなのかなって思ったけど、チュートリアルがしっかりしていて、自分がどういうことしたいか選ぶの手伝ってくれるのが分かりやすいわ。それに、半強制参加型のイベントなんかもあるし。今ならゴールデンウィークにある魔獣大量発生・討伐クエストがそうよね。私は初心者だから参加できないけど、討伐ランキングもあるみたいだし、盛り上がってるよね。」
そうか、チュートリアルは分かりやすいのか。俺は受けてないんだがな。
「あと、ゴールデンウィークの入会キャンペーンで装備品とカードで良い物を貰えたし。こういうサービスって日本独自なのかな?」
俺は未だに初期装備だし、カードも初期セットから増えてないけどね。
「詩織はヒロモンではどういう方向で行くんだ。」
「目指すは魔術師ね。」
「魔術師なんてスキルないだろ?」
「モンスターカードを主に集める人を召喚士、魔法カードを主に集める人を魔術師、戦闘系のスキルを鍛える人を戦士、生産系のスキルを鍛える人を生産者って言うのよ。」
知りませんでした…。
「なんで魔術師なの?」
「単純だけど、サイトのムービーでさ、大規模魔法を撃つシーンがあって格好良いのよ。空中に魔方陣が展開されて、光線がぱっと出るみたいな。せっかくファンタジーゲームをするんだから、魔法かなって。」
そんな魔法あるんだ。知りませんでした…。
「なんか、ヒロモンの知識は、あっという間に抜かれそうだな。」
俺は苦笑いをしてしまった。
「そうね、私はカレンダー通りの休みだし、長時間プレイの予定だから。啓治は仕事でしょ。」
「ああ、しばらくは毎日出社だな。」
俺は、ゴールデンウィークは休日なしに出社することにしていた。
今週から王都に入ったため、休もうにも休むタイミングが作れないのだ。もし休んでしまったら、軽く10日間行方知れずなんてことになる。
「俺も外部からログインできれば、家でプレイするんだけどね。」
「だとしたら、カプセルを買わないとならないわよ。」
「うむ、ボーナス1回分じゃ足りないな…。」
「諦めて、働きなさい。」
「うむ。それにしても悪いな、デートもなしで。」
「良いわよ。どうせゴールデンウィークなんてどこ行っても混んでるんだし、家でゲームしているくらいが、のんびりできてちょうど良いわ。」
「5月の後半には休みを取るから、そうしたらどっか遊びに行こう。」
「うん、期待して待ってる。」
詩織の良いところは、IT業界の急な仕事、休みのキャンセルの事情を分かってくれるところだ。
これ、業界が異なると分かってもらえず、浮気を疑われることになる。ちなみに道尾は、合コンで知り合った派遣で働く事務職の女性と付き合ったが、徹夜が2,3度入っただけで浮気を疑われ振られていた。世の中、厳しいのである。
俺は良い彼女を持ったものだとしみじみと思いながら、お互いに明日があるからと、午前0時頃に映話を切った。




