1-2.初めてのおつかい
「ケージ、寝坊かい。もう10時だよ。いい若いもんが、寝てばかりいると体中にカビが生えちゃうよ。」
階段を下りていくと、中年女性が掃除の手を止めて声をかけてきた。ジーンズっぽいズボンに長そでシャツを肘までまくり、茶色の髪をショートに切りそろえた、長身でスリムな女性である。
本人に中年女性と言うと怒られるだろうが、そう言う設定だからしかたない。見た目も40代くらいに作られている。ただし、中年女性と言っても、おばさんやおかんと言うよりは姉御って感じだ。
女性に視線を向けるとマーカーが現れ、「ケイト」と名前を表示する。この辺の見え方はリアルのAR(拡張現実)と同じだ。
「おはようございます、ケイトさん。」
最後の方は、ちょっとごにょごにょと。
「もう10時よ。こんにちはの時間だわ。」
「その日最初の挨拶がおはようで良いじゃないですか。」
「ケージは朝、ちゃんと起きる気がないのね。」
ケイトさんは呆れた表情で言った。
なんか自然に会話している。
「そうだ、ケージ、今日は暇?」
ケイトさんは、セリフを決めていたみたいに言った。
「ええ、散歩がてら村の周辺を周ってみようと思ってるくらいで、基本は暇です。」
「じゃあさ、ひとつ頼まれごとを良いかしら。」
「いいですよ、何ですか。」
「薬師のヤーゴンさんの家は分かるかな。村の東の外れの方なんだけど。」
「ええ、分かりますよ。」
本当は分からないけど、分かることにしておいた。小さい村だもんな、行けばわかるだろ。
「お弁当を届けてきて欲しいのよ。」
「お弁当ですか。」
「ヤーゴンさんのところは、孫娘のユアンちゃんと二人暮らしなの。いつもは二人でお弁当を買いに来るんだけど、数日前からヤーゴンさんが風邪をひいていていね。ユアンちゃんは、まだ5歳だからね、私が届けに行ってあげてるのよ。」
俺は、ふむふむと聞いていた。
「それで、今日は、村の寄り合いがあってね、弁当の大量発注があったの。ヤーゴンさんの家は寄り合い所とは反対方向だから、届けに行く時間が取れそうになくて。」
「良いですよ、散歩のついでに行ってきます。」
「ありがとうね。お願いね。」
ケイトさんは、ほっとした顔をした後、厨房を振り向いて大声で言った。
「あんた。ヤーゴンさんとこの弁当持ってきて。ケージが持って行ってくれるってさ。」
「おう。」
奥の厨房からカウンター側に小太りのおっさんが現れた。料理人っぽくエプロン姿で帽子も被っている。小洒落た洋食屋のマスターと言った風情である。
おっさんは、カウンターの上に風呂敷包みを置いた。
「すまねぇな、ケージ。よろしく頼むよ。ヤーゴンさんの所に弁当ふたつだ。あと、おまけにもう一個入れておいたから、ケージも昼に食ってくれ。」
格好はマスター風だけど、口調はがさつな職人風だ。
おっさんの名前はビルだったか。
「しかし村長も寄り合いの度に弁当を20個も頼むんだからな。こっちに食べに来てくれれば良いものを。」
「あんた、弁当が売れるんだから文句言わないの。うちに注文してくれるんだから、ありがたい話じゃない。」
「はいはい、分かってるよ。じゃあ、ありがたく弁当の続きを作らせてもらおうかね。」
おっさんは、口では愚痴りながらも、いかにもやるぞと言う雰囲気で腕を回しながら厨房へと引っ込んで行った。
ケイトさんは、おっさんを見送った後、俺に風呂敷包みを手渡した。
「じゃあ、よろしく頼んだわよ。」
「了解しました。では、行ってきます。」
俺は、開けっ放しになっている店の入り口から村へと出て行った。
開発チームから言われた設定はこうだ。
俺は旅人である。
旅の途中で寄ったこの村の宿屋兼食堂に一部屋借りて長期滞在している。今は泊り始めて1週間目と言う設定だ。1か月分先払いしているので、後3週間はこの村に居る予定だ。
村の名前は、オーソン村。山の麓にあり、村人は主に農業と狩猟をして暮らしている中規模の村である。100軒くらいの家があり、人口も500人を超えている。つまりは500人以上のNPCが暮らしていることになる。
滞在している宿屋兼食堂は、料理人のビルさんと奥さんのケイトさんの二人でやっているお店だ。ほとんど食堂がメインである。たまに俺のような旅人や行商人が来ることもあるが、人が泊まっていない日の方が多い。村に唯一の食堂と言うこともあり、夜ともなれば常連客が飲み騒いでいるし、昼は昼飯を食べに来る人や弁当の依頼で忙しいようだ。
それにしても、これがイベントというものだろうか。
初めてのおつかいクエストみたいな。
気になってクエスト画面を開いてみるがリストは空である。
NPCにおつかいを頼まれたんだから、イベントの開始だと思う。
ケイトさんやビルさんとの会話は、特に不自然なところはなかったが、セリフがすらすらと出てきたように感じた。
(久しぶりのゲームなんだ、これくらい簡単なイベントで肩慣らしするのがちょうど良いよな。)
俺は、弁当を両手で抱えながら村の東側へと進んでいった。
村には東西を横切る通りが突き抜けていて、宿屋は比較的、中心部に近いところにある。村の東には小山があり、今は山に向かって歩いているわけだ。
当然のことながら、家と家の距離が離れている。生活の便を考えてそれなりに家は村の中心に寄せて建てているのだろうが、それだって、一軒一軒の距離は遠い。
(アパートなんて、ドアを開けたら一歩も歩かないで隣の部屋があるもんな。)
田舎の親戚の家も農家だが、畑を挟んで隣の家だったので、懐かしい思いで進んで行った。
(そう言えば、季節って何なんだろう。春っぽいな。)
視界に入る畑は、土が見えているところが多い。種まきは終わっていそうだが、何かが育ってそうには見えない。
天気が良いため、のんびりと歩いているのだが軽く汗ばんできたようだ。
そよそよとした風が心地よい。
(風を感じる仕組みが理解できない…。)
物を叩くとか衝撃については何となく分からないでもないが、風が肌を撫でる感覚を再現するのはどうやっているのだろうか。
世の中の技術の進歩は素晴らしいと感慨にふけっていると、畑や家がそろそろ途切れようとしていた。
(甘かったかな。)
道が小山に向かっているため、だんだんと畑が途切れてきて道は林の中に入ってきている。それでも、思い出したように家やら小屋がぽつりぽつりと立っているため、どこが終着点なのかが分からない。
普通の家にだって表札が出ているわけでもない。
(ヤーゴンさんの家って、どこなんだろうか。困ったときのマップ機能とか。)
俺はマップ画面を開いてみた。
結論、使えない。
マップ画面を開いてみたものの、なんと、自分が歩いた場所、視界に入った場所くらいしか記されていない。自分が泊まっている宿屋には宿屋と書いてあるが、その他の建物は一切触れられていない。オートマッピング機能があると言う程度のようだ。
それだけでも助かることは確かだが、今回は使えない。
いったん引き返した方が良いかもと思っていると、右手に家が見えた。
道に面したところに庭とも言えないくらいの前庭があり、高床式のログハウスが立っている。
家の前で、5歳くらいの女の子が地面に落書きして遊んでいる。女の子は飾り気のないワンピースをきている。肩くらいある髪をふたつに分けて結んでいるが、自分でやったのだろう、編み込んでもないし、リボンの高さがずれている。
(ここがそれっぽいな。ケイトさんが孫娘が5歳って言ってたし。)
俺は家の前まで来ると、女の子に声をかけた。
「すみません、こちらはヤーゴンさんの家ですか。」
女の子は突然声をかけられて、びっくりした顔をしている。
「えっと、ヤーゴンさんの家を探しているんだけど。」
女の子は、うんと頷いた。
「ここだよ。」
「ああ、良かった。こんにちは。」
「こんにちは。おじちゃん、お薬買いに来た人?」
おじちゃんか。
俺のアバターは、俺のリアルの顔をベースにちょっとだけ若い設定だ。26歳と言うことになっている。これはアバターを作る際に、アプリ屋のスタッフが数年前に撮られた社員証の写真を利用したから。意図してサバを読んだわけじゃない。
それでも5歳から見たら26歳はおじちゃんか。
「いいや、お弁当を届けに来たんだ。」
俺は風呂敷包みを軽く持ち上げた。
「ビルおじちゃんのお弁当?」
「そうだよ、今日はケイトさんが来られないから代わりに持ってきたんだ。」
「おじいちゃん呼ぶからお家に来て。」
女の子は手招きすると、勢いよく家の中に入って行った。
俺も少し遅れて付いていく。
ドアを開けると、3メートル四方くらいの部屋になっていた。奥側の壁には棚が置いてあり、瓶に入った薬品が並べられている。棚のすぐ脇に、小さなテーブルと丸椅子があった。ちょうど棚の反対側になる辺りにドアがあり、女の子はそこから奥に入っていったようだ。
ヤーゴンさんは薬師と言っていた。ここはお店なのだろう。ドアの向こうが生活空間なのだろう。
(それにしても、女の子の名前は何だったか。思い出せない。)
女の子に呼びかけようと思ったのだが、俺は名前が思い出せなかった。ケイトさんが言っていた気がするのだが、覚えてなかった。
俺が入り口で色々と迷っていると、ドアを開けて初老の男が現れた。
「ヤーゴンです。お弁当を届けに来てくださったとか、ありがとうございます。」
「ケージです。宿屋に長居させてもらってます。散歩がてら持ってきただけですので、お気になさらずに。」
ヤーゴンさんは、飾り気のないローブを羽織っていた。具合が悪いと言うのは本当なのだろう、顔色が悪い。
「ケイトさんに頼まれたお弁当はこれです。」
俺は、テーブルの上に包みを置くと、結び目をほどいた。木のお弁当箱が3つ重ねて積まれている。
「おや、お弁当が3つありますが。」
「あ、ひとつは俺のです。包みとひとつは持っていきますね。」
言いながら気づいたのでヤーゴンさんに聞いてみた。
「そう言えば、このお弁当箱って回収とかするんですか。」
「はい、前日の分を洗って返しております。ユアン。」
ヤーゴンさんが後ろに振り向きながら呼びかけると、足下から女の子が弁当箱を抱えて顔を覗かせた。
(そうか、ユアンちゃんだったな。)
俺がユアンちゃんの名前を認識すると、ARのマーカーがユアンちゃんの名前を「ユアン」と表示する。
どうやら、知らない人の名前は分からないようだ。
ゲームの癖に不便だ。リアルなら初対面でも名前が表示されると言うのに。
「いつもはお店に買いに行く時に空のお弁当箱を持っていくのですが、配達してもらっている今は空箱を持って行って貰っているのです。」
「ああ、そうだったんですね。じゃあ、空箱も持って帰ることにします。」
俺は、ユアンちゃんからお弁当箱を受け取った。
「ケージさんは、今日はどちらかへお出かけですかな。」
「行先は決めてないですが、こっちまで来たので山の上の方まで行ってみようかと思ってます。今日は天気も良いですしね。」
「そうですか。山の方でしたら1時間くらい上った辺りに休憩場所があるので、そちらで休まれると良いですよ。それと、旅をされている方には言うまでもないことですが、街道を外れないようにお気をつけください。」
「危険なモンスターでも居ますか?」
「いや、この辺には大したものは居ません。山を2つばかり越えると、大型の熊が出ることもありますが、せいぜい野犬くらいです。まあ、わたしみたいに薬草を取るために山の中に入るわけではないので、動物と遭遇することすらないと思いますが。」
「分かりました。まあ、俺も散歩のつもりですので、お弁当食べたら戻ってきますよ。」
俺とヤーゴンさんが話していると、下からユアンちゃんが割り込んできた。
「おじちゃん、お散歩行くの?」
「うん、お弁当持って、少しだけね。」
「ねえ、わたしも付いて行っていい?」
ユアンちゃんがおずおずと言った。
「これ、ユアン。」
ヤーゴンさんが慌てて窘める。
「だって、おじいちゃん、病気だし、わたし、つまんないんだもん。」
ユアンちゃんが、しょんぼりと言うので、ヤーゴンさんもそれ以上何も言えなくなる。
(これもイベントなのかなぁ。)
俺はそんなことを思いながらも、ユアンちゃんの顔が寂しげなので何とかしてあげたいなと思ってしまった。
「ヤーゴンさん。先ほど教えていただいた休憩所までの道は、子供の足でも行けますか。」
「はい、大丈夫です。村に近いので比較的道は整備されてますし、休憩所までの間は魔除けがかかっていますので。ですが…。」
ヤーゴンさんは申し訳なさそうにしている。
「ユアンちゃん、おじちゃんとお散歩に行くか。」
「うん。わたしが山を案内してあげるね。」
俺がユアンちゃんを誘うと、さっきまでのしょげていたのが嘘のように笑顔になった。
「ケージさん、申し訳ない。お邪魔だとは思うが、よろしく頼みます。」
「大丈夫ですよ。」
俺は、お弁当の空箱2つと中身の入ったお弁当を2つ包み直すと、ユアンちゃんとお散歩に出かけることにした。
「おじいちゃん、行ってきます。」
ユアンちゃんはとても元気よく家を飛び出して行った。