1-17.アディショナル・ミッション
「気分は大丈夫ですか?」
俺は会議室の椅子を思いっきり後ろに倒して目を瞑っていた。目を閉じているのにも関わらず、世界が回っているような気分だ。
声をかけられるまで、山際さんが入って来たことにすら気づいていなかった。
「まあ、今日はこれで終わりですし、なんとか。」
薄目を開けるとにこやかな山際さんの顔が見えた。
「でも、このままで失礼します。」
俺は再び瞼を閉じた。
「ええ、構いませんよ。楽にしていてください。」
「はい。」
「演武マクロですか、丸三日間トレーニングされてましたが、いかがですか。」
「少しは慣れてきましたよ。でも、カプセルでフロントビューは使えないのですか?」
「残念ながら。カプセルモードのコンセプトはリアルな体感ですから、視点が目の位置にないものは使えません。」
「まあ、そうですよね。」
「実装としても難しいのです。フロントビューでは、どうしてもユーザーからの死角ができてしまいます。その死角で起こる現象もカプセルモードはユーザーにフィードバックしますから、見ているものと感覚にギャップが生じてしまうのです。」
「ビューを切り替えている時はフィードバックを切るとかはどうですか?」
「それも解のひとつかも知れませんが、操作モードとして専用のモードを開発する必要が生じます。」
「なるほど…。」
ただでさえ通常モードとカプセルモードの開発にコストをかけているのだ。カプセルモードと通常モードのハイブリッドまで開発するのは金がかかり過ぎる。
「慣れていただくか、激しい運動は避けていただくか、ですね。」
「激しい運動を避ける方向で行きたいですね。モンスターカードを手に入れたら自分で戦うこともなくなるんですよね。」
「そうですね、少なくとも演武マクロのようにアクロバティックな動作はしなくても済むようになると思います。」
「村に居る間だけなら耐えますよ。」
「明日でしたか、模擬戦は。」
「団長さんと約束しましたからね。いい加減、約束を守りに行かないと、村を出る時期になってしまいますから。」
「律儀ですね。一応、相手はNPCなのですが。」
「言われてみればそうなんですが、実際に話をすると普通の人間にしか思えないですよ。なので、約束した以上は守ります。」
「良いことだと思います。人と人との付き合いは信頼関係が大切です。相手を対等な人として認めることは大前提となります。」
NPCに人格を持たせようと言う試みなのだから、NPCは人なんじゃなかろうか。
俺は単純にそう思ったが、実際は違うらしい。
「やはりNPCを人のように扱うのは難しいのですか?」
「私はWorld of Heroes & Monsters Onlineをプレイしていませんから分かりません。ただ、研究者の大半はNPCと上手く付き合えていないようですね。NPC相手の態度に色々と現れてしまうようです。」
「NPCと言いますが、彼らは人間と同じだと思いますよ。ユアンちゃんのような子供を見ていれば分かります。気分屋で、感情に素直で、でも相手のことを見ているし感じている。」
「函崎さんをテストプレイヤーに選んで正解でした。真っ新な気持ちで彼らと接することができる人が必要なのです。」
確かに、俺はWorld of Heroes & Monsters OnlineへもNPCへも先入観のない状態で彼らと接した。だからこそ、普通に相対できているのかも知れない。
一方、研究者やプレイヤーは既にNPCとの付き合いがあるため人と認識するのが難しいのだろう。分かっちゃいるけどというやつだ。
「鷹野君はどうなんです。彼は普通に付き合ってそうですけど。」
「鷹野君は普通に付き合っています。が、彼の場合、鷹野君は相手がNPCでも人でも変わらないと言うだけです。上からものを言う態度に差別がないと言うだけで、物の言い方は人にもNPCにも横柄です。それでも、他人に嫌われないと言うのは彼の個性ですかね。」
「分かるような気がします。」
俺は起き上がり、コーヒーをひと口すすった。
「少し思うのですが、NPCの性格はちょっと強気と言うか、日本人的ではないですよね。AIの元は外国産ですか。」
「開発元はヨーロッパです。違いが分かりますか。」
「ですよね。日本人みたいな空気を読んで遠慮すると言うことは少ないと思いました。自分のやりたいこと、やってもらいたいことは、はっきりと相手に要求する感じですかね。」
「具体的には?」
「ユアンちゃんは子供だから除外するとして、宿屋のケイトさんは宿泊客である俺に手が足りないから手伝ってくれと言いました。団長さんは、見ての通り自分がしたいことをぐいぐいと相手にお願いしてきますよね。細工師のプリウムさんも俺とのアポイントを何度も取ろうとしてます。あと、他の人もですが、言いよどむみたいな遠慮するような言動を見たことないですね。」
「よく観察されてますね。今のコメントはAIの担当者にフィードバックしておきますよ。」
「俺の感想なので大した意見ではないと思いますけどね。」
「そう言った何気ない感想が貴重なのです。テストプレイは順調だと考えています。今までの通り、お好きに行動し、気付いた点を報告してください。」
どうやら俺はお役に立てているようである。
「AIの開発がヨーロッパなのに、どうしてテストは日本なんですか?」
「日本人の方がAIに対して寛容だと考えられているからです。そうですね、函崎さんは不気味の谷現象と言う言葉を知っていますか?」
「いえ。」
「人間のロボットに持つ感情の話です。ロボットを人間に似せると基本的には好感を持つようになります。しかし、ある似ている具合の範囲では嫌悪感を抱いてしまうと言うものです。その後、もっと人間に似せると再び好感を得られるようになると言う現象です。」
「ああ、聞いたことはあります。」
「NPCもロボットと同じで、完全に人間らしいなら問題ないのですが、中途半端に似てしまうと嫌われてしまう可能性があるのです。」
「それが、何か。」
気分の悪さが抜けきってないからか、頭がどうにも回らない。山際さんの言いたいことが分からない。
「日本人は、そういった不気味の谷への耐性が強いと考えられているのです。」
「そうなんですか。」
「実際はともかく、世界からはそう思われていると言うことです。恐らく、萌え文化や八百万の神々のようなアニミズムが浸透しているからでしょう。」
「萌えですか。」
「日本人は、何でも擬人化したり、中途半端な物すらも楽しむ対象としてしまいますから。かなり昔のことですが、いまいち萌えない娘と言うのが流行りましたが、いまいちなのに流行ると言うこと自体、日本人の特異性を示していると考えられます。」
「そう、かも知れませんね…。」
俺は世界から見た日本人と言うのを聞き、反論したい気もするが、反論する気も失せると言う不思議な気持ちになっていた。
「私としては、世界からどう思われていようが、AIのテストと言う面白いプロジェクトに直接関わられて良かったので気にしていませんが。」
山際さんは面白ければ何でも良いらしい。でも、それこそが日本人的な感覚なんじゃなかろうか。
「NPCは今のままでも充分に人間らしく振る舞っていると思いますよ。不気味の谷は越えているんじゃないでしょうか。」
「それはこれからの検証次第ですね。研究者は各国の人材ですから、彼らの意見も重要です。また、テストプレイヤーを増やしてみないと何とも言えません。」
「公開はまだまだ先ですか。」
「半年後には公開予定ですがね。」
公開に耐えうる自信はあるけど、実績が足りないと言うことだろう。
会社組織と言うのも大変だ。
「函崎さんに今日は連絡事項があります。」
山際さんが急に話題を変えてきた。
「はい。」
「村を出るのは来週の火曜日の予定ですが、村を出た後、少しだけ別の作業をお願いしたいのです。」
「なんでしょうか。」
「ユーザーの行動パターンを解析してAIに模倣させる計画について、以前、お話したかと思います。覚えていますか。」
「ええ、ログアウトしている間のユーザーの身代わりですよね。」
「そうです。少し計画を前倒しして始めることになりましたので、そちらの方に協力していただきたいのです。」
「良いですが、具体的には何を?」
「函崎さんの思考及び行動パターンを分析するために、心理テストのようなものをいくつかしていただきます。」
「どれくらい時間かかるんですか?」
「まずは水曜日から金曜日までの三日間を予定しています。」
「そんなにですか!?」
俺は驚いて大きな声を出してしまった。
でも、山際さんをそんな俺を軽くスルーした。
「それと、リアルの経歴データ等、少し収集させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。」
人間の思考パターンを分析するんだ、実際の行動実績もデータとして必要だろう。
「良いですけど、収集ってどうやるんですか?」
「SNS等の公開データをネットから集めるのと、入社時の心理テストや入社試験データを提供していただくことを考えています。」
今時、生まれた時の親のSNSや幼少期から始めている自分のSNSには消せないデータが盛りだくさんだからな。俺に断りもなしに集めることもできるだろうに、許可を取るだけ誠意があると言えよう。
「問題ないですよ。てっきり、探偵に調べさせるのかと思いました。」
俺は冗談を言った。
「場合によっては、社と取引のある興信所に依頼することも視野に入れております。」
冗談じゃなくなった。
「そこまで俺のデータを集めて作ったコピーだと、実装時にギャップが出ませんか。実際はユーザー行動はヒロモンの中だけでの収集ですよね?」
「先ほど触れた不気味の谷現象の検証を行いたいそうです。投入する函崎さんのデータ量を段階に分けて、何パターンかのコピーAIを作ります。その上で、どのレベルが良いかを比較するそうです。」
「俺の分だけですか?」
「いえ、現在ログインしている研究者や鷹野君も被験者です。」
皆さん大変である。
「分かりました、良いですよ。」
「では、誓約書は後でお渡しします。こちらからは個人情報の取り扱いについての誓約書をお渡ししますので。」
大人社会は書類ばかりである。
これをスキャナで取り込んだりするのだから無駄だ。
最初からデータでやり取りすれば良いのに。
「函崎さんが心理テストを受けている間に、村のシミュレーション速度も他環境と合わせることになります。王都に付いたら、リアルの1日で向こうは6日進むことになります。日付感覚が狂ってしまうかも知れませんが、よろしくお願いします。」
「皆さんは宗教団体の拠点に寝泊まりしているのでしたっけ。」
「大体はそうですね。2名ほど外に出て行きましたが、鷹野君を始め、共同生活を送っています。そちらの方が色々と都合が良いですから。」
「皆さん、何時間くらいプレイしているんですか?」
「ほぼ24時間ですね。」
「…。」
「函崎さんは今まで通りで良いですよ。研究者達は泊りがけで仕事するのも趣味みたいなものですから。」
そうかも知れないが、俺だけ家にも帰るし休みを取ると言うのは気がひける。聞かなきゃ良かった。
「実際に王都に入るタイミングは再来週の話です。その時に相談しましょう。」
「はい、その時はよろしくお願いします。」
俺は家に帰り、ゆっくりと休んだ。
明日は団長さんのところにいき、戦わないとならない。
ヒロモン生活2回目の戦闘である。1回目はヤマイヌだ。対人戦は初めてである。
あれ、そう言えば決闘システムってあるんだっけ?