1-15.データの試用
「今日は、またまた戦闘の練習をしたいと思います。」
俺はヤーゴンさんの家の庭先で高らかに宣言した。
「わー、ぱちぱちぱち。」
ユアンちゃんが拍手で応えてくれる。
「ガイくんのお母さんと戦うんだよね。」
「そうなんだよ。細工師のプリウムさんとの約束したので、ここしばらくは木工の練習してたんだ。でも、団長さんと戦う約束もしているので、そろそろ戦う練習もしないとね。」
若干、言い訳じみた説明である。
しかし、どんな内容であろうとも、子供には色々なことを説明するのが大人の務めなのである。決して遊んでばかりいたわけじゃないことを分かってもらうのだ。
「そっか、頑張ってね。」
ユアンちゃんは素直でいいこなので俺を応援してくれる。
「よし、頑張るかな。」
俺は周りに充分な空きスペースを確保して、いくつかの格闘スキルを発動した。
ステータス上昇アイコンが表示される。
俺は入手したばかりのカラテの演武マクロを呼び出した。
両手は正拳に握り、平行立ちに構える。両手が徐々に交差しながら持ち上がり、顔の前に握られた掌が見える。
俺は、自分の手が持ち上がるのに合わせて息を吸い、そのまま下されるタイミングに合わせて息を一気に吐き出した。
息吹というやつだ。
このマクロの動きを覚えるために、何度も確認してある。
ヒロモンでは、カプセルモードとは言え呼吸までは自動ではしてくれない。マクロで動く体に合わせて声を出す必要がある。それらしい演出のため、動画を何度も見たのだ。
息吹を終えると、俺の体は腰を落とし、正拳突きを交互に放つ。
拳を突き出すタイミングで、俺は、はっと気合いを入れる。
次に右からの攻撃を腕で払うかのように体を右に開き、左の抜き手を仮想の首に放つ。右脚で前蹴りを行い、倒れた相手に拳でとどめを刺す。
次は反対側の相手の攻撃を両手で払いながら詰め寄ると左回し蹴りを放つ。そのまま足技を続け、最後は拳でとどめを刺す。
このように、最初に後ろに居た敵、少し離れたところに居る敵の攻撃を防御しては、突きと蹴りと関節技で倒してはとどめを刺した。
全部で5名の仮想敵を倒し終えると、再び、息吹を行い、マクロは終了した。
「わーい、すごーい。」
家の前の階段に座ったユアンちゃんが拍手をしてくれる。
補助の人に板を持ってもらって割るとか、瓦を置いてやっぱり割るとか、木の棒を持ってきて折るとか、カラテの演武マクロには色々なパターンがあったのだが、一人用だとこんなところである。
「ケージ、格好良いね。」
「ありがとう、ユアンちゃん。」
5歳の女の子に褒められてデレデレになる俺。
ユアンちゃんは可愛い女の子だ。それは認めよう。だが、俺はロリコンではない。純粋に子供好きなだけである。何というか、姪っ子の小さい頃を思い出してしまったのだ。
(姪っ子が産まれてから、洋服とかおもちゃとかずいぶんと貢いだもんなぁ。)
「よし、ではユアンちゃんには、俺のとっておきを見せてあげよう。」
俺は雑木林から適当な長さの棒を拾ってきた。
剣の替わりである。
そして、剣を使ったいわゆる剣舞のマクロを呼び出した。
剣舞の始まりはカラテの演武のように周囲に居る仮想敵を縦に横にと斬り伏せるところから始まった。
剣舞が進むにつれ、段々と舞の要素が強まっていく。
数メートルステップを踏みながら走ったかと思うと、飛び上がり横回転をしながら剣を振り回す。着地時にしゃがみこむと、立ち上がりながら進行方向の敵ののど元に剣を突き出す。
次に横に移動すると、上段から唐竹割りと言わんばかりに剣を振り下ろす。
斜め後ろに反転して移動すると、今度は飛び上がり、縦回転で敵を叩き斬る。
敵はいついなくなるのだろうか。
3段突きに逆袈裟斬りにリアルには無理だろうと思われる速度での十字斬りに、とにかくやたらと棒を振り回した。
小隊のひとつも倒したんじゃなかろうかと思われる頃、ようやく動きが緩やかになり、いくつかの型を見せ、剣舞が終わった。
「すごい、すごい。」
ユアンちゃんは大喜びである。
目をきらきらと輝かせ、たくさんの拍手を俺にくれている。
「ちょっと休憩な。」
俺はと言うと、ユアンちゃんに辛うじて笑顔を見せつつ、地面に座り込んだ。
酔いました。
すっごく気分が悪い。
見栄えの良い派手なアクションの剣舞を選んだのが仇となった。カラテの演武ではそれほどでもなかったが、縦に横に斜めに上にと視界がめまぐるしく動くのだ。堪ったものではない。
マクロの動画を見ている時には気づかなかったが、実際に使ってみると富士山の傍にある遊園地のジェットコースターや最高速で回転させたコーヒーカップより酷い。
カプセルユーザーって、ある点では不利なんじゃなかろうか。
ディスプレイを利用するユーザーは、自分のアバターの後ろ上から見下ろすフロントビューを選択できる。HMDを使っている人でも、こちらを選択する人も多い。このビューを選ぶと、自分の動かすアバターを見ることができるからだ。特に、激しい動きをする際に視点が動かないので周りが良く見えると言う利点がある。
ところが、カプセルモードではビューの切替はできない。リアルさの追求のためにあるので、視界は人間の目に固定されているのだ。おかげで、激しく動くと視界も激しく動く。
実際の戦闘ではどうなのだろうか。こんなだと、肉弾戦なんて、とてもじゃないが付いていけない。
とにかく、本日の戦闘訓練は終わりにする。
昼ご飯をはさんで、午後は細工をすることにした。
木工も含めて、デザインのデータを大量入手したのだ。今まで以上に色々なものが作れるようになった。
「ケージ、また戦いの練習するの?」
「いや、午後は細工の方だな。ユアンちゃんに、また良い物を作ってあげるよ。」
「あ、竹とんぼとか?」
ユアンちゃんが期待の籠った目でこちらを見る。
「もっと良い物だよ。」
「わー、何だろ。」
俺は今日は持参の木の板を使う。
俺が作ろうと思っているのは櫛と簪だ。
櫛はかまぼこ型で、歯ではない部分を広めに取り、彫刻と絵で飾り付けをするつもりだ。最近、彼女と古都にでかけて見かけた。中世ヨーロッパをイメージした世界ならブラシはあっても和風の櫛と簪は存在しないだろうと思ったのだ。
まあ、存在していたとしても、あって困るものじゃなかろう。
さすがに生木や落ちている枝では作れないと思い、板だけは入手しておいた。大した手段ではなく、ヤーゴンさんの家に来る前にプリウムさんの所に寄って貰ってきただけだ。
不安があるとしたら、今の俺に作れるだろうかと言うことだ。何せ、手持ちの道具がナイフ一本だ。櫛みたいな細い歯を作れるのだろうか。ついでに道具も借りてくれば良かった。
何事も試してみないと分からない。
俺は木工スキルを起動し、装飾のない櫛のデザインを呼び出した。
いつものように自分の体が勝手に動き出す。体の感覚が鈍くなり、浮遊感を感じる。
板をナイフでかまぼこ型に削っていく。
前々から思っていたのだが、リアルだとナイフではこんなに簡単に削れないんじゃないだろうか。発泡スチロールを電熱カッターで切るようなサクサク感というか滑らかな切れ味を感じる。
かまぼこ型の板ができると、次に驚きの現象が起こった。
板を左手に持つと、右手のナイフを手首のスナップを効かせて素早く動かし始めたのだ。まるで板を千切りにするかのようである。
板の方はと言うと、綺麗に歯ができていく。
(これが木工スキルLv50の威力か…。ヒロモン、侮りがたし!)
俺は誰だ?
よく分からない驚きの叫びを脳内でしてしまった。
普通、櫛の歯って糸鋸のようなものでゴリゴリと削っていくんじゃないのか。刃物で千切りは酷すぎる。
櫛の形が大体できると、ナイフで色々と角を削っていく。歯の先端までも丸みを帯びたものになっている。ナイフの刃を立てて櫛の表面を削るように撫でていく。すると、表面が軽くやすりでもかけたかのような状態になる。
体に重さが戻った。
どうやら、手持ちの道具でできるのはここまでのようだ。
次に、俺は彫刻スキルを起動し、桜の絵柄のデータを呼び出す。
和柄と言ったら桜だろう。
桜の絵柄を櫛の表面に重ねて、大きさを調節する。桜の花を4つ横に並べ、隙間には花びらを散らしたものにする。
再び体がオートメーションで動き出す。
俺の体は器用にもナイフの先端で櫛に桜を彫り込んでいく。
あっという間に終わってしまった。
桜文様の白木の和櫛の完成である。
なかなか良い出来ではなかろうか。
贅沢を言えば、表面をもう少しやすりで滑らかにしたいのと、桜を彩色したい。この辺はプリウムさんに絵具でも借りてみるか。
そう言えば、リアルで彼女と櫛を見た時は、櫛は可愛らしい専用の入れ物に入っていた。こっちも作りたいな。
「よし、今日はここまでかな。」
俺の正面で一所懸命に手元を見つめていたユアンちゃんに櫛を差し出した。
「これは何か知ってる?」
「ん~、分かんない。」
「こっちきてごらん。」
俺はユアンちゃんを手の届くところに呼び寄せた。
「髪を片方ほどくよ。」
俺は、ユアンちゃんの髪をほどくと、櫛で髪を梳いて見せた。
「これは櫛と言うんだ。こうやって、上から下に髪をけずるんだよ。」
「ブラシみたいだね。」
「うん、同じようなものかな。櫛はね、俺の故郷で使われている道具なんだ。」
「気持ち良いね。」
ユアンちゃんは髪を梳いてもらって気持ちよさそうにしている。
「ほら、櫛を使うと髪が揃って綺麗になるんだよ。」
ユアンちゃんの髪は子供の髪らしくとても細い。櫛で梳られて、とてもさらさらになった。
「朝、起きたら自分でできるかな。」
「うん、できるよ。」
「じゃあ、この櫛はユアンちゃん専用にあげる。」
「うわぁ、ありがとう。」
ユアンちゃんの手に櫛を渡すと、目を輝かして眺め出した。
「可愛いね。お花ついてる。」
「これは桜と言って、俺の故郷では一番人気のある花なんだ。」
「さくらかぁ。」
ユアンちゃんは指で桜を撫でている。
「もう片方もするか。」
俺はユアンちゃんの結ばれた髪を指さして聞いてみた。
「自分でする。」
ユアンちゃんは、もう片方の髪をほどくと、自分で櫛をもって髪を梳り始めた。
櫛が髪にちゃんと当たっておらず、なかなか上手くいかないようだ。ブラシと違って櫛を髪に直角に当てるのが難しい様だ。角度がつきすぎてしまったり、手が髪に当たってしまったりしている。
「練習しようね。」
「うん。」
ユアンちゃんは素直な良い娘である。めんこだねぇ。
俺は宿に帰ると、ケイトさんに布と裁縫道具が入手できないかを相談した。
ケイトさんはユアンちゃんのためのものを作ると言うと、明日で良いと言う俺を遮って取り出してきてくれた。ケイトさんもユアンちゃんには甘いらしい。
裁縫道具は針と鋏を貸してくれた。さらには古着の切れ端があったと赤い布と紺色の布をくれた。糸は白しかなかった。
だが、材料は揃った。これで櫛の入れ物ができる。
俺は部屋に戻ると、裁縫スキルで櫛の入れ物を作った。
入れ物は櫛と同じくかまぼこ型にした。前面の布は半分くらいまでとし、櫛の彫刻がそのまま見えるようなデザインだ。外側が紺色で、内側を赤にした。外側を紺色したのは、白い糸で櫛と同じ花を刺繍するためだ。
なかなか良いんじゃないだろうか。
桜柄はユアンちゃん用にしよう。
プリウムさんに渡す用に梅柄で、ケイトさんにもプレゼントしておくかと椿柄を作成しておいた。櫛も当然、それぞれの模様のものを作成する。
小物は材料が少なく済むから良いな。
ちなみに、作ろうと思った簪は止めた。形が複雑なのと、金属や布の材料がもっと必要そうだったからだ。
プリウムさんと話をして、材料が入手できそうだったら作ってみることにする。
俺は今日の櫛と入れ物の出来に満足してログアウトした。